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04話。東方主都エウロタ。そして契約の儀へ。



 虚しい闘いが終わり。

 無茶な依頼をする代わりに、参加手続きはすべて聖教会がやってくれた上に、優勝出来れば賞金は貰っていいとの約束だったので、表彰式を辞退してさっさと賞金の受け取り手続きを進めていた所、二人の黒衣に脇を固められて連れ出された。


 辿り着いた先は、剣闘士関連の施設が建ち並ぶ区画の裏にある、どこか人を拒むような堅牢さをした冷たい石造りの建物だった。

 高層の建物にしてはやけに小さな入口から中に通され、一番奥の部屋まで案内される。

 広いが薄暗い室内に、黒を基調とした高級感のある調度品が自然と配置されていることに圧倒されて縮こまりたくなるのは、俺が旅暮らしの者だからだろうか。


(いや……)


 ここは奴隷商が管理する奴隷引き渡し場だ。

 きっとそれで正解なのだろう。


「ようこそ」


 低いテーブルの向かいに座っている奴隷商は、これと言った特徴も無い、明日になったら忘れてしまいそうな冴えない顔で俺を見上げた。


「どうぞ、楽におかけ下さい。アルゼス様」


 名は伏せて登録したはずだが、本名を呼ばれた。

 素性は調査済みと言うことか。動揺は表に出さず、しかし革張りの長椅子は浅く腰掛けた。


「先ず、こちらが28人分の身代金と優勝賞金になります。立て替えておきましたのでご確認ください」

「……28人?」


 俺の分を抜いて29人分では?

 落ち着いた色の礼服を着た女性が貨幣のみっちりと詰まっていそうな革袋と書類、それと一緒に珈琲の乗った盆を持ってきてくれた。


「……」


 賞金の入っている革袋も気になるが、それ以上に後ろから入って来た、もう一人の女性が抱きかかえて運んで来た奴隷少女の方が気になり、視線はそちらへと向く。

 どう考えても嫌な予感しかしない。

 革張りの長椅子に寝かされる奴隷少女を見ていると、盆を持った女性がその盆を俺の前に差し出して来た。

 とりあえず賞金の入った袋と書類だけを受け取ると、珈琲の方を手で勧めるような仕草をするので、珈琲も受け取り――焼き物の器がやけにずっしりと重い――テーブルの上に置く。

 礼服の女性はそれを見届けてから、奴隷商の方へも珈琲を運んで行った。

 無言で見送り、話の続きを待つ。


「……」

「そして」


 眠る奴隷少女は長椅子に残したまま、二人の女性が部屋から出て行くのを待ってから奴隷商は話を再開させた。


「協議の結果、我々は身代金ではなく奴隷を差出すことにしました」

「……」


 嫌な予感はそのまま当たった。

 もちろんそこで眠っている少女のことだろう。

 もう一度視線を向けるが、身動き一つなく、息をしているのかと不安を覚えた。

 見ていると、奴隷商が説明を付け加えてくれる。


「睡眠薬を少量、闘技前に飲んで貰いましてね。調教用の薬や後に残るような物は一切使ってませんので、ご安心を」

「……」


 なにをどう安心すればいいのかわからないが、奴隷商は満面の笑顔だ。

 そんな顔をしていても、どこか造り物めいていて、造花のような冴えない雰囲気は晴れない。


「さてさてー、この娘は然る亡国の皇家に仕えた、古の豪族の血を引いてまして、本来ならば高潔なる姫騎士としてー……」

 適当な逸話を盛って、奴隷の付加価値を高めるのは常套手段だと聞いてはいたが、実際に目の当たりにすると胡散臭い視線を向けることしかできない。


「……こんな口上いらねぇか」

「いや、奴隷もいらないんだが」


 俺の視線に気づき、砕けた態度へと豹変した奴隷商へ、はっきりと告げる。

 貰っても困るだけだ。


「いらないなら、他の奴隷商がある街で売ればいい」

「俺は禁呪持ちだ。誰かと旅なんて出来ない」

「禁呪持ち同士じゃなけりゃ、誰と旅しようと構わんだろ?」

「少しならそうだが……巡礼士の周りに人が集まれば、それだけでいい顔はされない」


 巡礼士は基本的に一人で巡礼の道を巡る。旅と言う性質上、道すがら同行することまで喧しくは言われないが、誰かと共に旅をするなんてことは認められていない。


「奴隷を一人連れて歩くくらい数の内に入らんだろ」


 普通の巡礼者の一団や身分の高い者の従者としても、奴隷を連れて旅をするなんて聞いたこともない。


「禁呪が発動する危険は極力減らしたいんだよ」

「闘技場は見てたぜ。なぁに、体調が万全ならただ暴れるだけの異常強化なんてこいつの目じゃねぇ。そんな甘い育て方はしてねぇんで安心しろ」


 感情を起因する禁呪なので、他人と旅をする事自体に抵抗があるわけだが。

 説明しても理解して貰えないだろう。


「それに所詮奴隷だ、自分の所有物を壊しても大した罪には問われねぇって」


 奴隷商は声の調子も特に変えず、この子を殺したって構わないと言っている。


「いや、だから……」


 人と話していると、特にこの手の手合いと話していると、もう、もやっとした感情が湧いてしまう。

 それが怖い。これだから人と長く話すのは苦手だ。


「聖教会のお偉いさんから賞金は全部受け取っていいって話、通ってんだろ。闘技場の賞品と言えば当然敗者の身柄も含まれるよなぁ?」


 その辺も調査済みらしい。


「……その子を欲しがってる貴族がいるんだろ?」


 奴隷商は下唇を突き出し、変な顔をして唸る。


「なんだかんだでこの業界も信用第一なんでな。手続きはちゃんと済ませる必要がある。とにかく一回賞品として受け取ってくれ」


 そんで。と、ぶっきらぼうに言葉を繋げる。


「東方主都はうちが管理してるからな、こいつは有名過ぎてそのまま買い戻すなんて流石に体裁悪いことはできねぇわけだ。だから売るにしても他所まで持って行ってくれ、わかるな?」


 当たり前の話だが、個人間での人身売買なんて固く禁じられている。

 売るなら奴隷商を通す必要がある。

 ここでは無理だと、そう言うことか。


「とにかくこいつは特別製でなぁ。剣と魔法は教えたが、殺しはやらせてねぇ綺麗な身のままだ。教えたことも最低限、奴隷としての心得と知識だけだ。頭は悪いがとにかく従順で気性も静穏で素直で可愛い。そう言うのを自分の色で汚したがる連中は金に糸目つけねぇからな。さぞ馬鹿な連中が釣れる……はずだったんだがなぁ」


 おかしな貴族に目をつけられてその計画が破綻したのだろうに、なんだか楽しそうに溜め息を吐きながら笑っている。

 大きな計画が崩れたとき、人は案外さばさばとすると言うが、その手合いなのだろうか。


「ま、売るなら金貨で百以下は相手しなくていいぜ、三百はいけよ」

「この街にある孤児院に引き取って貰って、そこから貴族が引き取るって出来ないのか?」


 人身売買に関わるつもりなんてないので、金額うんうぬんは無視して問う。

 冴えない奴隷商はまた下唇を吐き出して唸る。


「んー、孤児院側に良い顔しないんじゃね? あからさま過ぎるだろ。こいつは東方主都じゃ有名人なんだってば」


 俺としては随分と深刻な話をしているつもりなのだが、奴隷商の口調は十年来の友人に話しかけるような気安さで、気に障る。


「金に換えるならせめて二百は取って欲しいんだがなぁ。孤児院経由させたらおめーさんには一銭も入ってこないぞ?」

「いや、べつに……ああ、そう言うことか」


 金なんて取るつもりはないと言おうとしたが、結果として孤児を引き取る際に里親から持参金を受け取る孤児院を見れば、周囲の人々は計画的な人身売買としてしか見ないか。

 それでは孤児院側も上手くないだろう。

 口を噤んで考える。


「……東南都アペリスまで行って、そこの孤児院に預けるのはどうだ?」


 東南都アぺリス。

 順調に巡礼の旅を続けて行けば、次の主要都市だ。

 面倒だが、そこまで連れて行けば、そこにも聖教会が営む大きな孤児院がある。


「そうなると、貴族様に引き取らせるのは難しくなるぜ?」

「それは……」


 東方主都の貴族がわざわざ他所の街の孤児を引き取るなんて、通常の慈善事業ではありえない。異様な執着を警戒されることになるだろう。


「へっ。そもそも奴隷が孤児院に入る為の献金なんて持ってるとでも? 入れても救済院だろ」


 献金がなければ、このくらいの歳の子はもう救済院に回されることになるだろう。

 救済院は名前こそ立派だが、内情は病人や老人達が農奴同然の暮らしをしつつ末期を過ごす場所であり、決していい環境とは言えない。

 若い人手は小間使いとして色々と辛い仕事に従事することになる。基本は聖職者の見習いが着く仕事だが、後ろ盾も学も無い若者が入れば、ずっと小間使いのまま飼い潰されるのが常だと聞く。


「この賞金があれば十分だろ。巡礼士なんて暮らしをしてれば、給金を貰っても使い道がないからそこそこ貯金もある。入院の溜めの献金と、当面の生活費くらい渡してやれる」

「ほーん、そこまで面倒みてやるのかい?」

「成り行きとは言え、仕方ないだろ」


 旅の途中で野良犬に懐かれて、飼い主を捜すのに一苦労したのと変わらない。とでも思うしかないだろう。


「つーか東南都に行くなら、普通にそっちの奴隷商で売ればいいんじゃね?」

「お前達の普通で語られると非常に不愉快なんだが」

「おっとこいつは失礼」


 普通に人身売買に関与なんてしたくないし、禁呪を使って優勝したことに若干の負い目もあったりもする。

 べつに魔法が禁止されていた闘技ではなかったが、その道で生きて来た連中はあまり良い顔はしないだろう、殆ど反則だ。

 その辺り、気分の清算として人助けに使うのもいいだろう。

 それに一応、闘技場で動けなくなっていた所を助けられた恩があるとも言える。


「とにかく、東南都アペリスの孤児院に預ける。その前提でいいなら引き取ろう」

「ほーん」


 感心しながらも小馬鹿にしているような、変な相槌が気に障る。

 眉を寄せて奴隷商を見れば、にやにやとしながら棚に置いてあった箱から小袋を取り出した。


「ほんじゃこれ、足しにしていいぞ」

「……なんだこれは?」


 賞金の入った袋の三分の一程の小袋だが、感触的に金貨が入っている。

 怪訝な表情のまま顔を上げる。


「やるよ。そいつが稼いだ賞金から、俺が個人でピンハネしてた分だから気にすんなぁ」


 余計に眉が寄って、眉間の皺が益々濃くなる。


「なんだ、奴隷商人が慈善事業するなんて意外に思うか?」

「……」


 答えないのが礼儀かどうか悩む。


「俺達だって、べつに誰かを不幸にしたくて奴隷を育ててる訳じゃねぇからなぁ……ただ」


 窓の外へ視線を外して言葉を続ける。


「需要があるし、供給もある」


 言って、なにか色々な物を飲み込むように、香る珈琲をごくりと喉を鳴らしながら飲み込んだ。


「日銭の為に親が我が子を売っ払う。悲しいことだなぁ」


 よくある話ではないが、どこにでもあるろくでもない話だ。


「そんなわけで、ちったぁ使える奴隷に仕立てて、それなりに確かな筋になるべく高く売りつけようと俺達も日々企業努力してるわけなんですがぁ……」


 奴隷商は笑う。自嘲気味に。


「あー……、こんな与太話もいらねぇか」

「……巡礼は自分の為だけじゃない、人の世の救済と安寧を祈りながら巡る。その告解、胸に留めておこう」

「へ、聖教会の言う綺麗事を信じて、一々重苦しいあんちゃんに忠告してやってるだけだよ。まったく窮屈だったらありゃしねぇ」


 おどけるように肩を竦めたのは、様になり過ぎていて照れ隠しにはまったく見えないが、そう言うことだと思っておこう。

 個人で賞金から引いていたなんて嘘だ。

 それを俺に教える必要も、意味もない。そもそもこんな金を寄こす理由は、かなり限られるだろう。

 つまり。


(こいつはこいつなりに、この子を大事にしてたんだんだろうな……)


 認めたくもないし、認めようとも思わないが、それは事実なのだろう。

 そして、わざわざ指摘することでもない。

 なにか声をかけたくなってしまい、珈琲に口をつける。

 香りと苦味が強過ぎて、思わず表情が険しくなったのは好都合だった。同情や憐れみを浮かべるのは、きっと侮辱にあたる。


(しかし……うーむ)


 どう言い繕っても、奴隷の所有者になると言う事実に胃の奥で不快感が渦巻いてしまい、これ以上苦味が効き過ぎている珈琲に口をつける気にはなれなかった。

 もしくは、胃のムカつきを珈琲の所為に出来るから飲んでおくべきなのかも知れない。

 冴えない奴隷商がもう一口、口をつけるのを見て、そう思った。思っただけで手は伸びないのだが。

 冷めて行く珈琲の香りだけが、湯気と共に立ち上りは消えて行く。


「さて、それじゃあ高級奴隷用にやる、古の儀式といきますかぁ」


 一瞬の静寂を打ち払うように、冴えない奴隷商は勢いよく立ち上がる。

 執務机の椅子にかけてあった黒衣を纏い、手には黒手袋を、顔も黒い頭巾で覆い隠す。目だけが覗けているのは、こうして見れば異教の怪しげな魔導士のように見える。


「魔刻鉄で組んである首輪だ。わかるか?」


 奴隷商が重厚な金庫から取り出した桐箱。その中身は奴隷契約に使う、本物の奴隷の首輪だった。

 寝かされている奴隷少女の首に、粗末な首輪が嵌っていないことに今更気づく。


 錬金術によって作り出される魔導金属、魔刻鉄。

 古の時代から続く、厳粛な契約に使われる魔刻の儀式。

 魔刻鉄に個人固有の魔力を刻むことで、契約者以外には金属同士の結びつきが動かせなくなくなると言う特殊な金属だ。

 古くは聖剣の鞘や宝物庫の鍵として使われて来た。


「いや、いらないだろ。孤児院に預けるだけなんだから」

「こちらもお仕事なんでね。この首輪も高価なもんだから、形式や体裁はきっちり整えてもらわないと困るんだわ」


 この場合、首輪を留める金具部分に魔力を刻むことで、俺以外には外せない首輪の出来上がりと言うわけだ。


「どうせすぐに外すぞ?」

「契約後は自由にすりゃいい。首輪自体の物も良いし、売るなりなんか使うなりすりゃいいさ」


 それでいいなら良いだろう。

 差し向けて来た盆の上には、桐箱の隣に小刀。

 血に含まれる魔力を触れさせろと言うことか。


「……唾でもいいか?」


 血液程では無いが、微量に含まれている。


「純度たけぇからそれでもいけるけど……首輪咥えて、唾液から魔力が染み込むまで、しばらくまぬけ面晒しすことになるぞ?」

「それでいい」


 べつに気取るような事でもない。


「あ。ああ、悪魔憑きの穢れた血ってやつか?」

「……」


 気障りなことを平然と言う輩だ。

 血に魔力を宿す関係上、禁呪持ちの血はあまり良く思われないし、実際に魔物が持つような魔力の濃い血は毒になる。


「へっ、そんなだるそうな顔すんなよ。魔人に堕ちなきゃ、人とそう変わらないんだろ? 刻印するのに影響も無いはずだ」

「お前には関係ないだろ、唾でいい」


 人の域ではどれだけ魔力が濃くとも、飲んでも精々腹を壊すくらいだと言われているが、人の生血をどうこうするなんて話自体が古の魔導実験染みていて嫌な気分になる。

 だるく言い捨てれば、奴隷商は肩を竦めて盆を差し出して来る。

 俺は盆から桐箱を受け取り、中の首輪を手にしてその造りに驚く。

 金具の部分に施された細かな細工に、吸いつくように滑らかな手触りで艶がある、最上級の革を使っていて、製法も寸分の違いも無い、見事な職人技だ。


「……まぁ、いいか」


 驚いている俺に、意味深な表情でにやける奴隷商。

 なんだその笑いは。


「あと……おい、起きろ。主が決まったぞ、名乗れ」


 奴隷商は短鞭で奴隷少女の肩を数度叩く。


「こいつぁ本気で徹底管理して来た自信作だからなぁ。今まで男には指一本触れさせてねぇから安心してくれって、それも大きな売りにしたかったんだけどなぁ」


 遠い目をして苦笑しているが、訓練でも今のように鞭で躾けたのか。

 なにを安心すればいいのだろう。手とり足とり丁寧に教えてやったと言ってくれる方が安心するのだが。


「上手くすりゃ金貨千枚以上取れたのになぁ」


 笑いながらぼやいている。

 たぶん基準や常識が大きく違うのだろう。

 男に触れられたことがない。その一点が非常に価値を持つわけだ。


(……高級な宝石か絵画みたいなものか?)


 興味が無いので、金貨千枚の価値がある奴隷だなんて言われてもピンと来ない。

 女で高級奴隷と言えばその筋の技術を仕込まれた妖艶かつ小奇麗な女が連想されるが、長椅子で眠っている奴隷は、みすぼらしい格好をした痩身の少女でしかない。確かに容姿は可愛いが。

 この場合は主の趣向に染めさせる為、極力無垢な状態で出荷する部分に価値があるのか。

 そんな無茶苦茶なことも、家畜と同じような飼育環境を作ることで実現出来てしまう奴隷商におぞましさを覚える。


「で、あと最近は聖教会が喧しいんで、契約に本人の同意もあることを示すために混成魔刻でやってるんで、ご了承ください」

「混成?」

「二人分の魔刻を同時にやって、二人の意思が揃わないと動かせなくなるってやつだ、王族同士でやる婚姻の誓いや、組織の結束を高める儀式でやったりするの知らんか?」


 なるほど。話くらいなら聞いたことはあるが、まさか自分がそんな儀式に関わるとは思ってもみなかった。

 どうせすぐに外すんだ、あまり関係ない。

 手にした首輪を持て余しながら適当に頷く。


「それでは……魔刻鉄が光ったらそいつに渡せよ。儀式の作法は教えてある。魔刻が出来る機会は一回こっきりなんで、失敗すんなよ?」


 目を覚ました少女が、ゆっくりと身体を起こした。

 わざと失敗して台無しにしてやろうか。

 なんてことを思いながら歯噛みするようにして金具部分を口に含んだ。

 じわりと冷たい鉄の味が口の中に広がる。


(……そう言えば、これって魔導士の血液混ぜて作るんだったか)


 特殊な金属に、刻印魔法を発動させている魔導士の血を混ぜることで、他者の魔力に反応する不思議な金属が出来ると言う話だった。

 古の魔導技術は血生臭い物が多くてげんなりする。


 口の中に広がる不快感に眉を潜めていると、長椅子に寝かされていた少女は顔を上げた。

 まだ完全に薬が抜けきっていないのか、少女は眠そうな仔猫のような瞳で俺をふにゃっと見上げる。

 愛想笑いのような物を浮かべて見るが、少女はぼうっとしたままだ。


「ほら、立て。おめぇも」


 言われるまま椅子から立ち上がる。二人で向かい合う。


「あなたが、わたしの、ごしゅじんさまですか?」

「いや、ひがうけど」

「……?」


 首輪を噛んでいるから喋り辛い。

 俺の即答に、少女はあどけない仕草で首を傾げる。


「違うけど。キミが安心しひて暮らせる場所まで、面倒見ゆよ」

「ごしゅじんさまですよね?」


 寝ぼけて呂律も回っていない少女相手に、真面目になっても仕方ないのかも知れないが、適当に肯定して良い事柄だとは思えない。


 俺は身を屈め――ぼんやりと輝き始めた魔刻鉄に気づいて口から離す――視線を合わせて噛んで含めるように言う。


「えーと……一先ずキミの身元は預かるけど、最終的には東南都アペリスにある孤児院に入れるように手配する。奴隷扱いなんてしないから、安心してくれ」

「ごしゅじんさま」

「違うって。なんだったら、ウーヅンとか言う貴族の元へ預けてもいい。それをキミが望むなら、俺はそうしよう」


 極論、引き取ってから街中に捨てて行けばいいだけだ。

 喜んで回収しに来るだろう。

 憐れな奴隷少女の為に、奴隷を捨てたなんて汚名くらい被ってやってもいい。


「わたしは、剣奴です。いつか勝者の物になるんです」


 眠気に耐えているからだろう、酔っ払いのように目が座っている。

 場違いだと思うが、可愛くて苦笑が浮かんでしまう。

 笑っていると、ふと、寒気を感じた。


「わたしを捕まえたのは、あなたです」


 少女の目が――少女の美しく透き通った青い瞳が、真っ直ぐに俺を見抜いていた。

 見事に均整の取れた、名剣の切っ先を思い起こさせる眼に、深森に湧く穢れなき清水のような輝きを湛えた青い瞳に見据えられ、呼吸が止まる。


「誰にも触れさせるなと言われていました。わたしはその誓約を守れなかった」


 ふにゃ、っとすぐに眼から力が抜けるが、少女の言葉は続く。


「わたしは、負けました。わたしの全ては、あなたの物です」


 少女は俺の手にある首輪へと、小さな手を伸ばす。

 瞳が溶け、次第に呂律もまたわやわやになって行くが、あの瞳は心に焼き付いている。

 圧倒され、操られるように首輪を差し出せば、少女は丁重に両手で受け取り胸の前に控えた。


「ヘルニナーミ・ヒトイッツ。わたしは貴方の奴隷です」


 名乗り、宣言して、少女は奴隷の首輪を――俺の唾液で濡れそぼった部分を、躊躇無く小さな唇で咥えた。

 あ、っと思うが、声をかけるのも憚られる雰囲気で、少女――ヘルニナーミは首輪を咥えたまま目を細める。


 そのまま固唾を飲んで見守っていると、魔力の光が一層強くなり、金属の中に収束して行き……消える。

 二人分の魔力が混ざって刻印されたのだろう。


「んぅんん」


 ぼうっと蕩けた瞳で首輪から手を離し、口に咥えたままの首輪を俺へと差し向けて来る。

 どうぞ、と聞き取れた。

 口で相手に物を渡す、その仕草は獣のそれだ。

 なんて行儀作法を教えているのだと、奴隷商の方を見れば感慨深そうに頷いていて……これでいいらしい。

 異様さに圧倒されてしまうが、儀式はまだ終わっていない。


(これを、俺の手でつけろってことか……)


 首輪を受け取れば、当然のように頭を上げ細い首をこちらへと晒して来る。

 二人分の唾液で濡れた金具になんとも言えない物を感じていると、奴隷商が無言で白い布を盆に乗せて渡してくれた。気が利いている。

 ありがたく受け取り、拭ってから金具に手をかけるが、ぴくりとも動かない。


「……よろしいでしょうか」

「あ、ああ……」


 奴隷の少女、ヘルニナーミは断わり、ゆっくりと小さな手が――一瞬の躊躇を挟み、そっと指先だけ、俺の手の甲に添えられる。

 途端に金具は動くようになった。

 二人の身体が触れ合っている時のみ動く、混成魔刻が機能している証拠だ。


(……これで、もう男に触れたことが無い、なんて言えなくなったのか)


 謎の罪悪感に駆り立てられるかのごとく、細い首へと首輪を嵌めてしまった。

 少女は、自分の首に嵌った武骨な首輪に両手を添え――一筋の涙が零れた。


「わたしは未来永劫、あなたの奴隷です」


 一体なんの涙だ。

 安心してくれ、酷いことはしない。

 孤児院に届けるだけだ。

 浮かぶ言葉はあるのだが、蕩けた瞳で言葉を続ける少女の邪魔をすることは憚られた。


「契約は成されました。わたしは……永久に、あなたの……もの、で……す」


 最後まで言い切ったことで気が緩んだのだろう、緊張の糸が切れたように膝から崩れ落ちる少女を両腕で支える。

 軽い身体が腕の中にある。

 頬に流れた涙が、頭を支えている手に落ちて、熱い。

 心臓が煩いくらいに高鳴る。

 俺が言葉を失っていると、奴隷商は遠い目をしながら言う。


「そいつは従順なのはいいが、頭が悪くて不器用で融通の利かない馬鹿で間抜けで、まともな奴隷としてはまったく使い物にならなくてな……まぁ、しっかり見てれば気づくと思うが――……」


 言いかけで止め、じっとこちらを見る。


「ま、いいか。もうおめぇの物だ。良いようにしてやってくれ、青臭い巡礼騎士さんや」


 迷いや納得し切れない部分は多々あったが、結局は頷くしかない。

 腕の中にある少女の重みは驚くほど軽く、それに反比例するかのごとく、腹の底には重苦しい感情がどんどん積もって行くのだった。


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