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03話。東方主都エウロタ。見世物になって。


 週末、闘技場にて大乱闘戦が開催されることとなった。

 闘技場に並ぶのは三十人の戦士達。

 中には当然、件の奴隷少女がいた。


 足元は編み草の草履、腕に闘技用の手甲と、奴隷服の腰に剣帯を巻き、剣帯にはこれと言って特徴も無い剣が下がっているだけの装備だ。

 首にある粗末な首輪は装備に数えなくていいだろう。

 なんでも不殺の剣奴らしく、刃を潰しているそうな。


(名前は、なんだったか……)


 計画の詳細を聞いた時にちらりと長い名前を耳にしたが、奴隷の娘、と汚らわしそうに呼称されていたのが印象深過ぎて忘れてしまった。

 今はその小さな身体を手甲で武装した腕で抱き締め、俯いている。


(調子でも悪いのか?)


 ぼさぼさの黒髪で俯いているため顔色は覗えないが、闘技場の中央、日の光に白く輝いた砂場にぽつりと少女が一人立ち尽くしているのは、とても頼りなく見えて、場違いな印象しかない。


(……実際に場違いでしかないんだが)


 街で暮らす子供なら、普通はまだ学舎へ通っている年齢だろう。

 ここアイウォルス王国では、税を納めている者の家族ならば、成人と定められている16歳までは無償で国や都市が運営する学院や学舎に通い、様々なことを学べる、学習の権利が認められている。


 入学と共に聖教会の洗礼を受け、教義や国法、世の中の仕組みを学び、集団で生きて行く術を身につけながら、基礎的な職業訓練を受けつつ、また身体を鍛え、卒業と同時に一人前の大人として各々が生きる道へ、自由に志願し巣立って行く、先進的な教育制度が施行されている。

 女の子なら、許嫁や婚約者がいる場合や、在学中に気の合う相手と巡り合い、親同士に認められればすぐに結婚と言う道だってある。


(こんな所に、子供が居ていいはずがない)


 闘技場には望んで戦いに身を投じる剣闘士以外にも、一癖や二癖も事情のある者も多い。

 人を暴力で殺めた事のある重罪人を筆頭に、それこそ単純な借金苦での一攫千金狙いだったり、自分を買い戻すことを夢見て参加する奴隷もいるだろう。

 主の趣味で舞台に立たされる剣奴なんて場合もあるし、件の少女のように、奴隷商が育てている剣奴が展示品として参加させられることもあるらしい。


(ろくでもない話だ……)


 奴隷の少女から視線を逸らし、周囲を見渡す。

 闘技場は平凡な造りの円形闘技場で、一段高い客席が中央の戦場となる砂地を取り囲んでいる。

 大型の魔物との戦闘訓練場としても想定しているので、客席までは大人三人分ほどの高さもある。

 戦場の広さは学舎の運動場と同じくらいと、これも平均的な広さだ。


 これならどれだけ暴れても客席にまでは危害は及ばないだろう。たぶん。

 客席を見上げていると、目深にかぶった兜がずれた。

 一応変装してこの場に立っているわけだが、慣れない傭兵の格好に落ち着かない。

 兜の留め具を一つ小さくしている所に、白い服を着た司会役が客席の淵から突き出た壇上に登るのが見えた。


『おらおらおらぁぁぁあああ、エウロタ闘技場へようこそおぉぉぉおおお!』


 金属製の拡声器を使い、司会者が吼えた。

 どうも荒っぽい司会進行のようだ。威勢の良い声が青空に響き渡る。


『さてさてさてぇ! 最近はゴブリン虐めや奴隷同士の戦い続きで盛り上がらなかったよなぁ!』


 最近はどの街でも闘技としての見世物が主流となっていて、殺戮目当てのような興行は自粛傾向にある。


『だが、今日は一味違うぜぇえええ! 戦場を見てくれ! 大乱闘に集まってくれた荒くれ者共三十人! この中から勝者はただ一人!』


 三十人の戦士の中、二十七人が各々歓声に応えている。

 無反応な三人、奴隷の少女と俺以外にもあと一人、目につく人物がいる。

 銀の甲冑を着込んだ大柄な男が奴隷少女へ静かな視線を向けている。


『闘技場の砂は灼熱の砂漠から運ばれて来ている! つまりこの砂の上はこの国の土地じゃねぇってことで治外法権! 神様の目も届かねぇって寸法よ! 相手を殺しちまっても咎められねぇんだ、存分に斬り合えよおめぇら!』


 俺、奴隷の少女、甲冑の騎士、それ以外は特に特徴も無い戦士や剣士で、普通の革鎧に身を包んでいるわけだが、雰囲気に妙な統一感がある。

 恐らく全員傭兵だ。

 と言うのも、ウーヅンはこの企画にハンコを押してすぐに傭兵を雇ったとのことで、参加者は俺と奴隷の少女以外、どう見ても甲冑の騎士を守るように展開している。


 全員ウーヅンの手の者だと考えて間違いないだろう。

 そう、甲冑の中身は、まさかのウーヅン・カーツその人だ。


『この場では身分なんて関係ねぇからな! どんな相手でも容赦無用だ!』


 白々しい。

 俺を除いて、全員が奴隷少女の敵だ。

 そこまでなりふり構っている余裕もないのかと呆れるが、ウーズン自らも戦場に降りて来ていることは素直に驚く。

 武勲で身を立てて来た家系らしく、本人も剣の腕が立つらしい。まだ20代とのことで身体つきもしっかりしている。

 闘技場にハマり込む貴族なんて、てっきり神経の細い根暗な老人を想像していたのだが。


 これで公式記録には闘技場の催しに参加したお祭り好きの貴族が見事優勝したと言うことになる。

 先ずは全員で弱そうな女剣奴から潰したとでも証言するのだろう。形の上では奴隷狩りではなく、武勲話として成立すると言った寸法だ。


(随分と回りくどいことで……)


 俺はそれに便乗し、貴族を叩き伏せて目を覚まさせてやってくれとのこと。

 とても大雑把な作戦だが、剣奴なんぞに執着してこんな馬鹿げた祭りまで開く貴族には丁度良いのだろう。

 世の中には、権力さえあればどんな我欲でも押し通せると勘違いしている愚か者がそれなりに多い。


「……」


 司会者は会場を盛り上げようと声を張り続けているが、客席に広がるのは血沸き肉躍るような熱狂ではなく、粘り気がありどこか暗鬱とした空気だけ。

 これから始まる闘技が、蹂躙とも呼べる惨劇であることを観客も理解しているのだろう。

 理解し、薄暗く期待している。ろくでもない話だ。


『それでは、闘技開始だぁぁぁぁあ!』


 宣言と共に戦いの銅鑼が打ち鳴らされる。

 続いて緩急の付いた太鼓の音頭が会場を盛り上げ、戦士達を追い立てる。

 追うように鳴り物が激しく打ち鳴らされる。


 それでも皆、どこか寒々していてと動かない。

 動かずに、全員が戦場の隅に居る小さな女の子に注意を払っている。

 楽師達の勘がいいのだろう、客席の空気を敏感に感じ取って腹の底に迫るような、おどろおどろしい演奏へと変えて行く。


 これから一人の少女を取り囲んで潰す。

 戦いでもなんでもない。一方的な暴力での蹂躙だ。

 昨今では当然凌辱行為のような見世物は厳しく禁止されているが、勢い次第でどうなるかはわからない。始まってしまえば止める術などないだろう。


 男の群れに少女が1人。 

 全員が少女の方に意識を向けていて、危険な気配は客席にまで十分漂っている。

 傭兵達はそれぞれの獲物を手に、少女へと近づいて行く。

 少女は自前の剣を腰から引き抜いて構えるが、様子がなんだかおかしい。


「ハァ……ハァ……っ……」


 薬でも盛られているのか、瞳はうつろで、尋常では無い汗が額から震える脚にまで伝い、流れ落ちて砂に染みこんで行く。

 傭兵達は卑下た笑顔を浮かべながら少女を取り囲む。

 少女は剣で牽制するが、弱々しくて震える切っ先はどこに向いているのかも良くわからない。

 俺はそれを、ただぼんやりと眺めながら思う。


(いや、こんなもん、どうすればいいんだ)


 玩具のような木剣を片手に、どうしょうもない心境で少女へと男達の手が伸びるのを眺めていることしか出来ない。


(あー……)


 そう言えば貴族様が執着している奴隷少女の安否はどうすればいいのだろう?

 なにも聞いてなかったし、なにも言及されなかった。奴隷の扱いなんてそんなもんだ。


「……まぁ、いいか」


 もう、なにも見たくない。

 次、目を開けた時に見るべき光景の為、位置取りを調整してから――目を閉じる。

 暗闇の中、なにも見えない。

 集中し、自分の中にある力を、魔力を意識する。


 意識の中に白い扉が浮かび上がる。

 その扉に、今、胸の内にある、激怒の感情を乗せて手をかければ、大きく鳴る心臓の音が聴こえ――身体の表面に魔力の光が稲妻のように走り――狂化魔法が発動した。


「があぁぁあ――ぁ――ぁ――ぁ――――――――あああああああああああ!」


 吼える。

 次の瞬間、少女の背後から掴みかかろうとしていた傭兵が、縦に回転しながら弧を描き吹っ飛んで行った。遅れて舞い散る木片。


(あー……)


 ぼんやりとした意識の中、冷静な心地で状況を俯瞰して見れば、俺の身体は一足飛びで少女の服を引っ張っていた傭兵の顔面目がけて木剣を振り抜いていた。

 手には木剣の柄だけが残っている。


(とりあえず上手く行ったな……)


 発動させてしまえば制御不能だが、最初の一撃くらいなら狙いを定められる。

 即時に動ける手練れはウーヅンだけのようだ、油断なく距離と取って剣を構えた。

 それ以外の傭兵は俺を見て目を丸くしている。


「なんだ――」

「――――――――!」


 折れた木剣を投げ捨て、自分が獣の鳴き声のような奇声を上げているのはなんとなく分かる。たぶん逃げろと言いたいんだろうが、言葉にはならない。

 少女を残し、今更散開しはじめる傭兵達。遅い。

 奴隷の少女はその場で膝をつく。


 それが功を奏したのだろう、狂戦士へと変貌した俺は戦力の無い少女を無視して、剣を向けて来る傭兵達を追った。


 激しい怒りを起因として発動する身体強化の魔法――禁呪、狂化魔法。

 効果は異常なまでの身体強化に合わせ、理性の崩壊、感情の過剰強化、意識の暴走。

 目に映る生物を、勢いの良い奴から順に、容赦なく攻撃して行く自分をどこか遠くから眺めている。

 戸惑う傭兵を片っ端から殴り倒し、蹴り飛ばし、投げ捨てて行く。


 どんな手練れだろうと関係ない。

 魔獣のような動きで縦横無尽に砂の上を駆け、次々と戦士達を無力化して行く。

 流石に素手だから死にはしないだろうが、手甲を装備した腕で殴っているのだ、骨くらいは容易にへし折っている。

 痛々しい。目を背けたくなるがそれも出来ない。


(っ!)


 ――背後からの気配に悪寒が走る。

 俺の後頭部目がけて手斧が投擲され――回転しながら異様なほど真っ直ぐに飛んで来る。


(念動魔法!)


 飛んで来た手斧は魔力の光を纏い直線的な起動を描く。速い。空中で一段と加速する。

 意識では驚愕し戦慄を覚えているが、強化されている身体は無意識のままに動く。

 高速で回転する斧を空中で掴み、その勢いのまま流れるように投げ返す。


 感覚も研ぎ澄まされ野生の獣並だ。この状態なら弓さえ避けられるのだから、造作もない。

 投げ返した斧が顔面に深く刺さっているように見えるのは、口に食い込んだのだと思いたい。

 こんな茶番で人死になんて、流石に目覚めが悪いぞ。


「化け物か⁉」


 傭兵の一人が叫ぶ。

 その通り。なにが巡礼騎士だ、禁呪持ちなんてみんな魔物と似たような物だ。

 自分が一番よくわかっている。俺なんて狂戦士でしかない。

 危険な魔法をその身に宿し、制御もおぼつかないような者は巡礼士として巡礼の旅を義務づけられている。


 強力な魔法を持った者を処刑するのは惜しいが、街中で生活させるのも恐ろしい。

 どこかに定住されたり、禁呪持ち同士で団結されても困るので、ある程度ばらけさせて旅をさせる。非常に合理的だ。


 巡礼中の費用は国が保障してくれるが、魔獣の発生や大規模な魔物の群れが攻め寄せて来たり、有事の際には魔導兵器として前線に駆り出され、また禁呪持ちが自分の魔力に呑まれ、暴走した際の対抗手段として役に立って貰うと言った次第。

 合理的な上に気が利いている。


(まあ、斜に構えるほどでもないんだけどさ……)


 こんな体質しているんだ、人の世で生きるよりは旅暮らしの方が気楽だし、戒律を順守する本物の巡礼者や、巡礼刑で回っている罪人よりは自由もある。

 無事に魔力が衰えるまで巡礼を終えれば、巡礼者よりも良い扱いで修道院に迎え入れても貰える特典もある。

 それに俺のような力のある巡礼騎士の場合、旅費以外にも魔物討伐や治安維持に対して給金まで出る。不満などあるはずがない。

 たまに、こんな面倒で厄介な仕事を回されるのは不満と言えば不満だが、口に出してもお偉いさんの不評を買うだけだろう。


(断り方ってのも、よく分からないしなぁ)


 こんな力がある所為で、ずっと人との関わりと避けて来た。

 ずっと一人で旅を続けて来た。

 そして。


(それは、これからも変わらない……)


 いつの日か、いつになるのか分からないが、魔力が薄れ、魔法が使えなくなるその日まで、こんな暮らしを続けるのだ。


(こんなことで一々禁呪を発動させてるんじゃ、一生無理だろうけど)


 当然の話だが、筋力と同じく使えば使う程魔力も衰えなくなる。

 だから、ずっと、こうだ。

 そんな取り留めのないことを考えながらも、俺の身体は雄叫びを上げ次々と傭兵を薙ぎ払って行く。


 自分より弱い相手を追い回し、蹴散らしているのは楽しそうですらある。

 実際、意気揚々としていた傭兵連中が空を舞っている絵面は間が抜けていて滑稽だ。

 こんな力が街中で暴発したらどうなるか。


(本当にろくでもない力だ……)


 そうして行けば後は順番で。

 視界にはふらつきながらも立ち上がり、そのまま立ち尽くしている奴隷の少女が映った。


「――!」


 止まれ。そんな言葉を自分に向けて必死で叫ぶが、無意味だった。

 俺の身体は跳ぶ。

 着地と同時、手甲で創った拳が少女の小さな顔面を覆い隠すように突き刺さり――止まった。


「!」


 観客席が今日一番、大きく湧いたのだが、おそらくこの場の誰でも無い、俺自身が一番驚いている。

 拳の下から少女の声が漏れる。


「ハァ……ハァ……」


 防御の魔法で防いだ。

 拳を引き、対の拳で苦悶の表情を浮かべている少女の顔面を叩き潰すよう振り降ろす。

 振り降ろす、振り降ろす。全ての攻撃が当たる瞬間、魔力の光が一瞬だけ少女の体表で輝く。

 蹴り上げる――体重が軽い所為で大袈裟に転がって行くが、怪我は無いようだ。

 よろけながらも立ち上がる。まともに入っていれば立ち上がるなんて不可能な勢いだったはずだ。


(魔力の収束、結界を纏っている……)


 身体の硬質化ではなく、魔力を力場として身体の表面に集中させることで衝撃を緩和している。


(纏鎧魔法と言うやつか)


 纏鎧魔法が展開されている少女の体表は分厚い空気の壁を殴っているような感触で、こちらの攻撃は一切通らない。

 全て完璧に防がれている。


(凄い集中力だな)


 息を荒げながらも真っ直ぐに俺を睨み上げ、攻撃が当たる瞬間、攻撃が当たる箇所だけ的確に纏鎧魔法を展開している。これなら燃費も良いだろう。

 もしかしたら俺の魔力が尽きるまで耐え凌がれるんじゃないだろうか?

 意識を朦朧とさせながらも魔法と使いこなすなんて、いったいどれ程の訓練を積めば出来るのやら。


(この子は、こんな暮らしを、ずっと続けてるのか……)


 ぼんやりと考えていると、どうやら俺は攻撃方法を変えるようだ。


「い、や、だめ――くっ!」


 少女の額を握り締め、片手で吊るすように持ち上げる。纏鎧魔法に阻まれて指の食い込みはこめかみから向こうへとは進まないが、連続で魔法を使い続けるのは至難の業だ。

 どちらが先に魔力と集中力が切れるかの勝負。


 俺の狂化もそろそろ終わりそう感触だが、少女の体調の方が深刻の様子だ。

 狂化状態では生木を片手で砕くのも容易にやって退けるので、纏鎧魔法が切れた瞬間、少女の柔らかな頭蓋骨は潰されることになる。


「っ!」


 少女の目が見開かれて、焦りが浮かぶ。

 震える手で、首を掴む俺の腕に剣を突き立てようとするがさせない。

 空ている方の手で少女の手首を掴む。


「――あっ!」


 捻られた手から剣が落ち、砂の地面に突き刺さった。

 少女の美しい瞳が苦痛に歪む。その瞳も、また美しい。


「触ら……ない、でっ……!」


 苦悶の声が上がり、手首を握られて痛みを覚えているのを見逃さない。

 纏鎧魔法が展開出来ていない。

 俺は迷わず握った手首を引っ張り、腕を引き千切ろうと力を込める。短い腕が限界まで引き延ばされる。 次の瞬間には千切れるだろう。

 少女の喉奥で声なき悲鳴が上がる。


「くっ、ゃ……」


 瞳が震え、一瞬だけ幼い風貌に良く似合う怯えた表情へと変わった。

 狂戦士の口が益々楽しそうに歪む。

 次の瞬間――


「その手を離せ! 化け物め!」


 ――ウーヅンが俺の腕を狙い、鋭く剣を走らせた。

 咄嗟に少女から手を離して飛び退く。追撃される剣をさらに躱す。


「貴様は、一体何者だ!」


 今の俺に、そんな質問に応えられるような理性は無い。

 大きく間が開き、俺は獣のように身を屈めて機を見計らう。


「クッ、いいだろう、予定は崩れたが……貴様を倒せばいいだけだ!」


 剣を構え直し、奴隷の少女をちらりと視線を向けた。


「絶対に私が救ってやるからな!」


 ……。

 なるほど、ウーヅン様、この奴隷少女に単なる思い入れと言うだけでは説明つかない情を寄せているらしい。

 それは、まぁ……難儀なことですね。


「うぉぉおおおお!」


 勇ましく切りかかって来る銀色の騎士に。


「ぐぁぁああああ!」


 本心から色々と同情しつつも俺の手足は勝手に動き、銀色の甲冑を掴んで振り回し、壁に叩きつけて念入りに踏みつけていた。


「げふっ!」


 最後に全力で甲冑を蹴り飛ばせば、力無く転がり闘技場の中央で動かなくなった。

 呆気ない。


(……これで、依頼は達成されたことになるのか?)


 ぐったりと動かない甲冑を見下し、狂化中の俺は動かなくなった相手から興味を無くす。

 首を高く伸ばし、肩越しに振り返り、少女を視界に収めた。


「……ハァ、ハァ……」


 肩で息をしながら立っている、最後に残った奴隷の少女を視界に収めた。

 虚ろな眼差しなのに、浮かぶ汗に張りつく髪、そして瞳が美し過ぎるせいで子供の癖に妙な色気があるなんてことを考えながらも、俺の身体は速やかに動いている。

 小柄な体躯の鳩尾に拳を突き立てるべく、豪快に身体を傾け、拳を下から振り上げる。


(あと少しで俺の狂化が解けたんだろうけど……あ、これは)


 危険な角度だ。

 的確に破壊を目的とした軌道で拳は進む。

 少女の腹に拳が到着して――分厚い空気の層を殴る感触。


(……凄いな)


 この状態でもまだ纏鎧魔法を展開出来たことに驚くが、展開された魔力の障壁は薄かったようで、完全に衝撃を防げていない。

 浮かび上がる小さな体躯。

 速やかに次の攻撃の為、かち上げられて宙に浮く少女の身体に向けて弩のように右拳を引き絞る。


(……流石に次は無理か)


 少女の身体は空中で人形のように力無く手足が伸び、顎も上がっている。

 そして、丁度拳を打ち込みやすい地点に少女の身体が到達した。

 引き絞られた胸筋、肩、腕を一気に解放し、全力の右拳で打ち抜く――


「ウガァハァア!」


 ――のを、銀色の騎士、ウーヅンが飛び込んで来て――兜が吹き飛んだ。

 吹っ飛び、転げるがすぐに体勢を立て直すウーヅン。


「ぐっ……やらせはせんぞ! その娘は私が……私が、私がぁぁぁあ!」


 兜が砂の地面に落ちるよりも先に、少女が小さな音を立ててに落下する。そのまま動かなくなったことで、攻撃対象は切り替わる。

 兜の下から現れたウーズンの素顔は、金髪碧眼の美麗な貴族だった。

 額から血が流れ、苦痛に歪んだ表情に壮絶な覚悟が伺える。


「うおぉぉぉぉおおおおおおお!」

「グルァ――――ァァァァアアアア!」


 歯を食いしばりながら向かって来る姿を、心の中では賞賛しているのだが。やはり狂戦士の俺は手加減するつもりもないようで、咆哮を上げて飛びかかる。

 二度三度、と拳を顔面に打ち込むが気合で耐えられた。

 そして。


 この一撃に賭けていたのだろう、崩れそうになる身体をなんとか建て直し、反撃の突きが鋭く飛んできた――が、あっさりと躱して剣を持った手首を掴み、捻る。

 手甲越しに嫌な音と感触がして、ウーヅンの手から剣が落ちた。


「ぐおっっっっ!」


 外れた手首を押さえて蹲るウーズン。嗤う狂戦士。

 そして、ウーズンの後頭部へ拳を勢い良く振り上げた所で――


「……――かはっ」


 ――狂化が終わった。

 拳を振り上げた姿勢で俺も停止する。

 ゆっくり、自分の意思で呼吸をする。繰り返す。


「ッ……」


 禁呪の反動で全身の筋肉と骨が軋み、激痛が走っているわけだが、痛がっている場合ではないだろう。

 なんとか堪えて平然を装う。

 通常の魔法制御で言われるような、精神的な気疲れは軽いと言うことだが、他人と比べたことなんてないし、魔力の消費でだるい物はだるい。


 身体的な疲労と気だるい意識が噛み合うまで、上手く身体が操れない。

 ゆっくりと拳を下ろして、深呼吸を繰り返す。

 怪訝そうに顔を上げたウーヅンと目が合う。


(ここで、俺が負けてやれば……)


 数歩下がって辺りを見渡せば、奴隷の少女は砂の上にうつ伏せて昏倒している。

 周囲にも同じように意識を失っているか、身体を強く痛めて動けない傭兵ばかりだ。

 ここで俺が倒れれば目の前の貴族が勝者となり、奴隷の少女を手にして……これだけ妙な情熱を傾けているんだ、きっと大事にはするのだろう。


(……それで、いいんじゃないのか?)


 小難しいことを言わず、渡してやればいいんじゃないか?

 ウーヅンは剣を杖に、震える足で立ち上がった。

 俺が勝ち残り、賞金を手に入れた所で使い道なんてないわけで、俺が勝っても誰も幸せになりそうにない。


 奴隷の少女はこのまま敗北して……罰でも受けるのか、どうしたってろくなことにならないだろうし、良くてもこんな生活が続く。最低でも鞭で打たれるのだろう。

 ウーヅン様ののぼせ上がった頭はぶっ叩いたくらいじゃ冷めないらしく、十分痛い目も見ただろうに、まだ立ち上がれる精神力は驚嘆に値する。

 ウーヅンは血に染まった片目を瞑り、左手に剣を持ち替えて俺へと向けた。

 黙り込む司会。固唾を飲み、緊迫する客席の空気。


(と言うか……)


 実際問題、禁呪の反動で俺も身体がろくに動かない。

 今、斬りかかられてしまえば、普通に避ける手立てはない。

 震える切っ先が俺の眉間に向いた。

 そのまま動かない両者。どちらとも体力の回復を計っている。


(奴隷を手に入れるのに、こんな大がかりなことが必要になるなんて、貴族と言うのもなにかと大変なんだろうな)


 意地悪をしないで、奴隷の一人くらいくれてやればいいだろうにと思わなくもないが、そんな特例を認められない理屈も分かる。


(どうしたもんだか……)


 ウーヅンが一歩踏み出した。

 俺は一歩下がろうとするが、身体の痛みやだるさに、足がもつれそうになる。


(あれ?)


 思えは狂化魔法を使い、目標を殲滅しきれなかったなんて初めてのことで……実はなかなか危機的な状況なのではないだろうか。

 気づいたときには、ウーヅンが切っ先をそのままに踏み込んで来る。

 まずい――目を見開き、もう一度狂化魔法を発動させるか、逡巡を挟む。

 禁呪の連続使用は意識すら飛んでしまい、死ぬか、完全に暴走するか、死ぬ寸前、身体の活動限界を超えて意識を失うまで解除されない。

 そして一歩でも間違えれば二度と人に戻れなくなる、魔人へと堕ちる、禁呪の危険領域。

 迷う。だが使わざる得ない。このままでは――

 砂を蹴る音。


「あ」

「ぐはっあ⁉」


 ――奴隷の少女が立ち上がり、ウーヅンの頭を背後から剣の腹でぶっ叩いた。

 軽快な音と共に鎧の騎士が崩れ落ちて行くのを見下ろす。

 ぐったりと砂の地面に横たって、気を失っているようだ。


「……」

「……ハァ、ハァ」


 息を荒げている奴隷の少女。

 助かった。助かったのはいいが、これからどうすれば?

 客席にも決闘に水を差したような、間の悪そうな空気が漂っている。

 なんだか収拾のつかないことになって来た。


「……ハァ……っあなたを、討てば……」


 奴隷の少女は剣を構え、真っ直ぐ俺を見上げる。


(ああ、そっか、これに負けてやってもいいのか)


 危ない所を助けられた。よし、負けてやろう。

 さくっと打たれる覚悟を決め、無防備なまま距離を詰めて行く。


「えっ!」

「あれ?」


 少女の踏み込みと、俺の無作為な歩調が噛み合わなかったらしい。

 両腕を振りかぶった少女の身体が腕の中にすっぽりと収まってしまった。


「っと、危ない、大丈夫か?」

「くっ!」


 両腕を上げたままふらつく少女の身体を、背中に手を回して支えてやれば剣を取り落してしまった。

その剣を追って少女は手を伸ばすが、足に殆ど力が入っておらず、俺の腕に全身を預けるようになってしまう。

 手を伸ばして剣を追うが届かない。

 ゆっくり膝をついて、届く位置まで身を屈めてやるのだが、虚ろな瞳のまま手をしばらく彷徨わせて……力尽きた。


「……ぁ……ぅ」


 腕を離せば、砂の上に横たわり、小さな声を漏らしそのまま昏倒してしまう。

 眠るように、と言うか眠ってしまったのか?

 小さく、浅い呼吸を繰り返している。動かない。

 俺は兜を軽く上げて辺りを見渡すが、誰も動かないか、苦悶の声で蹲っている。


「……」


 これからどうすればいいのか、状況が分からず周囲を見渡していると、司会が壇上に上がった。

 司会も闘技場の状況を見渡してから、ぽつりと漏らすように言う。

 何故かはっきりと聞き取れたのは、客席もどうしていいのか分からず静まり返っていたお蔭だろう。


『えーと……闘技、決着……で、いいのか?』


 こっちが聞きたい。


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