21話。街道にて
ルーナと分かれてから二日経った。
世にも可哀想で憐れで可憐な奴隷の少女との旅は終わり、そろそろ調子も取り戻して気楽で孤独な一人旅へと戻っていないこの現状。どうしたものか。
「ご主人様っ、ごじゅ、ご、ごしゅじん、さまぁあぁぁぁぁああああああああ」
太陽が真上に昇る頃、味気ない携行食の味に懐かしさを覚えながら、殺風景な空でも眺めながら休息を取っていたところに、別れたときと同じ黒い奴隷服姿のルーナが飛び込んで来た。
感動の再会どころか、盛大に泣きじゃくっている少女を抱き留めて思う。
「あー……もおー……おまえは、なんなんだよ……」
たった二日ぶりなのに、なんでこんなにも懐かしいんだろう。
俺の服にしがみつき、大声で泣き喚いているルーナを落ち着かせようと背中を優しく叩けば、むずがるような声を上げ、いやいやをしながら更に俺の服をきつく握って来る。
自分から俺の腹にしがみついているのに、こちらから優しく触られるのは嫌か。
(本当に、なにがしたいんだよ……)
可愛過ぎる。
俺はもうどうすることも出来ず、両手を上げて力無く笑って空を見上げる。
ルーナが泣き止むまで好きにさせておこう。
水色の空には薄雲が漂っている。
「ほら」
「は、ぃ。ありがとう、ございますっ」
泣き声が落ち着いた頃、手拭いを差し向けてやれば、礼を言ながら受け取り身体を離してくれたが、手拭いで顔を隠してまたべそべそとし出した。
「もっ、もうしわけ……ございません……わ、わたし……っ」
「どうしたんだ?」
「あの場所は……だめっ、です」
「孤児院でなにかあった?」
嗚咽につかえながら喋るルーナに優しく問えば、首を振る。
「まわりの人は、みんな……奴隷のわたしに、過分な扱いをして頂き……食事も、寝床も、人並みの物を用意して頂けました……」
「じゃあ、なんで?」
人並みの扱いされるのが嫌だった?
そんな予想と共に問えば。
ルーナは顔を上げて――涙を散らしながら、胸を押さえて叫んだ。
「ご主人様がどこにもいません!」
涙の雫が輝いて散る。
「痛いのには、慣れているのにっ、なんで、こんなに痛いんですか!」
心が痛い。
痛みには平然と耐えるルーナが、耐え切れない程の痛みに泣いている。
その訴えが――いや、必死な眼差しが――槍のように俺の心臓を貫いた。
「わたしは、ご主人様と一緒にいたいです!」
可愛い叫び声は俺の心臓を貫き、そのまま街道に、空に、こだまする。
その言葉は、奴隷として無表情に取り繕うこともない、ありのまま子供の泣き顔で叫ぶ、ルーナの、剥き出しの感情だった。
貫かれた心臓が暖かい。
(……俺は、喜んでるのか?)
お互いの最善を考えて別れを選択したのに、追って来てくれて、一緒にいたいと叫ぶルーナの言葉に喜んでいる。
別れに、同じ胸の痛みを抱えていてくれていたことが嬉しい。
お互い同じ苦しみを感じていたことが、嬉しい。
本当なら孤児院に戻れと叱りつけるべき場面だろう。
こんなことで喜んで、こんなことを奴隷の少女に言わせて、卑怯だと蔑まれるだろうか。
悪趣味だと非難されるだろうか。
嬉し過ぎて涙が出そうになっている。
可愛らしい声の残響が消えるまで、たっぷりと待ってから俺は声を絞り出す。
「俺と一緒にいたい?」
「はいっ、お願いします! ご主人様のお傍に置いてくださいっ!」
涙声で頷くルーナ。
「……二度と、二度と死のうとしたりしない?」
「わかりませんっ!」
わかってくれよ。
涙声になりそうなので、咳払いを一つ挟む。
「それを約束してくれるなら、一つ考えてもいい」
「あ。わたし、ご主人様のために死にたいんです」
ルーナは唐突に冷静になり、ふと思いついたように、涙を瞳に浮かべたままきょとんと呟く。
俺は脳天に戦斧を叩きこまれるような衝撃で身体が揺らぎそうになる。
危うく抱き締めそうになっていた。
「……それは、愛の告白か?」
どうしても声は震えた。
いつかも似たような質問をしたが、そのときは有り得ないと笑っていた。
今は、有り得ないでくれと祈っている。
そんなことを言われたら、俺はどうすればいいか、わからない。
いや、こんな状態でそんなことを言われてしまえば、そこそこ丈夫だと自負していた理性の歯車も流石に爆発四散してしまうだろう。
ルーナがなにもかも投げ捨ててでも俺と共に居たいと叫ぶのと同じように、俺もなにもかも投げ捨てて、二度と離さないことを選んでしまいそうだ。
(そして……)
その先は確実にろくなことになるまい。
それでも、そんな選択をしてしまいたくなっている。
感情や衝動で動くとろくなことにならないのはわかっているのに。
「奴隷が主に懸想するなんて、滅相もございません」
淡々とした声に、心底ほっとしつつ背中に流れる冷や汗を感じながら、同じくらい寂しく思ったことに猛烈な羞恥を覚えている所に言葉は続く。
「ですが、わたしは全身全霊でご主人様に仕え、一生ご主人様を守り続けます。それが奴隷の矜持です。そしてご主人様が天の国で眠りにつくときはわたしもお供しますし、言って頂ければいつだってこの心臓をご主人様に捧げます。いつでも大丈夫です、今すぐでも喜んで捧げます。だからお傍にいます。お願いします、お傍に置いてください」
……だから重いって。表情こそ変わらないが必死さを感じる口調だ。
狂信と似たような物なのだろう、とても扱いに困る奴隷の忠義。
俺は冷や汗を拭い、髪をかき上げて深呼吸を挟む。
「とりあえず、今すぐ死のうって気はないんだな?」
「はい。いつでも言ってください。わたしの命はご主人様の物です。死ねと命令して頂けるまでは、死ぬまで命懸けでご主人様を守りご主人様に仕えます」
声こそ淡々として、奴隷としての無表情を努めているが、洟を啜り、瞳は涙で潤んだままだし、声は熱くて目元は赤い。
「わかった、こうしよう」
ルーナの狂った献身的な仕草や言葉がどれだけ俺の全身に突き刺さったとしても、巡礼の旅に奴隷としてつき従うなんて辞めて欲しいのは変わらない。
それに奴隷と一緒にいて、なにか問題が起こったとき、その場を丸く収められるような力、俺には無い。
となれば、なにか言い訳が必要だ。
「ルーナが落ち着ける町を見つけるまで、一緒に旅をする。これでどうだ?」
「ご主人様よろしいでしょうか」
鋭さを感じさせる早口だった。
泣き腫らした瞳が冷たい色をしている。怒っている目だ。
ルーナの美しい瞳に、本気の怒気が込められて、主である俺に向けられている。
それ程の失言をした。
つまり。
「俺の傍が一番落ち着くって?」
皆まで言わせない。
そんな可愛い過ぎることを、本気で怒りながら今この場でこれ以上口にされたら、うっかり勢いで抱き締めて「ああじゃあもう一生一緒にいよう」なんて口走りかねない。
俺ももういっぱいいっぱいだぞ。
抱き締められるのはルーナが嫌がる、そのおかげでなんとか踏み止まりかろうじて理性は働いている。
「……はい。それが奴隷として、わたしがあるべき場所です」
無表情ながら怨めしそうな瞳で睨まれる。不貞腐れている様子だ。
可愛い。
腰から砕けて座り込んでしまいたくなる足に力を入れて踏ん張る。
ルーナの言いたいことを察したんだから、そっちも察してくれよ。
(どうしたって俺達が一緒に旅をするには、なにかそれらしい理由が必要だろう?)
心の中で情けなく呟いて笑う。
「どうだか。おまえは人の世の知識が偏り過ぎている。案外簡単に住み心地の良い街が見つかるかも知れないぞ?」
「いいえ、変わりません。わたしは一生ご主人様の奴隷です」
「俺も変わらない。俺は全力でルーナが気に入りそうな町を探す。それでもいいならついて来ればいい。それが嫌ならアペリスの孤児院に戻るか……他になにか思いつくならそれでもいい」
しっかりとルーナの綺麗な瞳を見据えて言う。
「自由に決めろ」
「ご主人様と一緒にいます」
ルーナの即答に苦笑で応えることで、顔がふやけそうになるのなんとか誤魔化す。
自分自身の未来のために、どう生きるべきか。
我欲に囚われるのではなく、大切な物を未来へと繋げて行くために、自ら由と思える理性での決断をしてくれと散々説明しているのに。
「ご主人様に使って頂けるのでしたら、わたしはどんな扱いであろうとも、どこにだってついて行きます」
大事にされるのは嫌がるくせに、どの口で言ってるんだ。
あんまり可愛いことを言い続けていると可愛がるぞ。どんな脅しだ。
「先じゃわからない」
「わかります。わたしはずっとご主人様の奴隷です」
堂々巡りの会話だ。
こんなやり取り、最初の頃もしていたなと懐かしく思ってしまった。
一つ変わったことがあるとすれば、俺がルーナの言葉を本心では胸を締めつけられる程愛く、同時に苦しく思いながら聞いている所だろうか。
「まあいい。とにかく次の町までは一緒に行こう。そこが気に入るかどうか、行ってみればいい」
「はい」
内心がどうであれ、これでルーナの未来を考えて一緒にいるのだと、神様への言い訳は立つだろう。
愛さえあればどんな困難でも乗り越えられると詩人は無責任に唄うが、旅に生きるのはそんな呑気な物ではない。
大切に想う相手の未来を考えれば、奴隷として巡礼騎士の旅につき従うなんて絶対に駄目だ。いつかは絶対にどこかの町に落ち着いて貰う。
一時の感情に流されて、ろくでもないことになる前例なんて世の中ごろごろとしている。
愛さえあればなんて美談でもなんでもない、理性を失っているだけだ。
愛とは、求める物でもなければ、誰かに押しつけたり、強いる物ではない。
愛とは、大切な人同士想い合い、喜びと苦難を分かち合い、想いを未来へと繋げて行く営みを尊ぶ為に、人はそれを愛だと定義した。
(……久しぶりに、この旅暮らしの身が恨めしいな)
結局そこだ。
巡礼の身の上では、どうしようもない。
確かに二人ならどこか人里離れた土地で、魔物と縄張りを争いながら共に暮らすことも出来るかも知れないが――。
(なにを馬鹿な……)
なにを真面目に考えている。
そもそもルーナは奴隷としての歪んだ忠義を通そうとしている動機が大半であり、ルーナ自身の意思は本人でさえわかっていない部分もかなりあるだろう。
もっと色々な物を見て、知って、もっと自分自身で考えてくれるようになって欲しいと思うのも本当だ。
旅をしてルーナに色々と人の世を見せながら、住める町を探すのも真剣に取り組めばいい。
(そう言えば観光しながら街を巡るなんて、今までしたことなかったな)
それはそれで楽しみかも知れない。
まあ、確実に気苦労の方も増えそうだが。
(実際、わからないしな……)
知り合い、馴れ合い、親しくなった矢先の別れで、ルーナにとっては急性過ぎたのかも知れない。
慣れきってしまい、惰性で旅するようになればまた少しは変わるだろう。
俺だってこの胸にあるはちきれんばかりの愛しさは、哀れな少女へのかける慈悲や父性愛的な感情が半分で、残りは無条件で全身全霊尽くしてくれる奴隷の毒気にやられているだけと言うこともあるかも知れない。
もう少し共に旅を続け、落ち着いた別れを経て、定期的に再会出来るような関係に落ち着くことも出来るんじゃないだろうか?
(どうなることやら……)
俺はそんな風にも考えるが、ルーナは一生奴隷としてつき従うと言っている。
お互いを想い合った平行線のまま、どこまで行けるのか。
堂々巡りの空回りでも続けていれば、どちらかが先に折れるのか、それともいつかしか自然に道は別れて行くのか、それともなるように収まるのか、それはまだわからない。
わかっているのは、今はまだルーナは奴隷で、俺は巡礼の旅に生きる者だ。
「ご主人様」
「うん?」
「お荷物、持ちます」
そう言えばルーナは着の身のまま手ぶらだった。
「……あー、そうか、先ずは東南都アペリスに戻るか」
こんなことを手紙で済ませるのも忍びないし、二人旅となると路銀もない。
共に旅をする以上、流石に景気よく渡した生活費くらいは返してもらいたい。
気まずい上にみっともないが、それが現実だ。
道は真っ直ぐ前に伸びているのだが、もちろん後ろにも続いている。
どっちに進めば前に向かうのかなんてわかりきっているのに、ままならない旅路の始まりを予感させるには、十分過ぎる先行きだった。
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「ご主人様、お荷物を」
季節は春。
爽やかな風が吹き抜ける街道を、来た道を戻って行くのは、どうがんばっても綺麗に言い繕うことも難しく。
とぼとぼと歩く俺の隣で奴隷の少女が荷物を持たせてくれと可愛い声で張り切っているのは、それだけで心の重荷だ。
(もう、どうすればいいのやら……)
神託でも振ってこないかと空を見上げれば、そこには透明な水色が広がっている。
「……」
あ、鳥だ。
白い鳥が二羽、空を行く。
遊んでいるのか、縄張りでも争っているのか、交差しながら飛んでいる。
鳥が自由だなんて誰が言い出したんだろう。
人の世も大変だが、自然の摂理もそれはそれで大変だろうに。
「ご主人様」
「うーん?」
そのまま現実逃避しそうになってしまっていたが、呼ばれて振り向く。
「ご主人様の荷物は、奴隷であるわたしが持ちます」
ルーナの真剣さに思わず吹き出してしまうが、力が入らず溜め息にしかならない。
互い想い合い、困らせ合う旅はもう少しだけ続くらしい。
「あ、そうだこれ」
想い合うと言えばこれだ、狼の人形を鞄から取り出す。
「受け取って頂けたのですね」
「違う、いつか返そうと思って預かってたんだよ。なにが悲しくて自分に似てるらしい人形を自分で大事に持つんだよ」
人形をルーナへと向ける。
ルーナの手に渡り、小さくコロリと音がした。
「人から貰った物をその当人に贈るってのも、なんかおかしいぞ。一瞬突き返されたのかと思って泣きそうになった。こう言うときの為にもお金があるんだからな。共に旅をするんだから、これからは小遣いをちゃんと受け取ってくれよ?」
早口で捲し立てれば、ルーナは慌てて頭を下げようとする。
「申し訳ございま――」
その前に、言葉を続ける。
「だから、これはルーナが大事に持っていてくれ。そのぬいぐるみと一緒に……大切にして欲しい」
「……はい」
人形を丁寧に両手で胸に抱いて目を閉じる。
これだけでなにを考えているのかさっぱり読めなくなることに、今更ながら気づく。
この奇妙な少女について、俺はまだまだ知らないことだらけだ。
ぱかりっ、と瞼が開いた時には完全に奴隷の無表情に戻ってしまっていた。
「それはそうと、ご主人様のお荷物を持ちます」
「手、塞がってるじゃないか」
「お荷物を持たせて頂く間、ご主人様の鞄で預かって頂きますので大丈夫です」
話題は逸らせなかったか。
俺は諦めて荷物を肩から降ろす。
「わかった。ほら」
「はい、またわたしを奴隷として使って頂けることに感謝致しま――きゃっ!」
嬉々として荷物を受け取るルーナを、一息で抱きかかえ上げる。
突然腕の中に抱えられて、腹の上に荷物があるせいで身動きも取れなくなり困惑するルーナ。
「っ、っ、っ、ごしゅじんさまっ⁉」
「つまり、折衷案としてこうすればいいんだな?」
違うな。たぶん絶対に違う。両手が塞がっていて、とても不自由だ。
不自由だが、他に手を伸ばせばルーナを取り落してしまう。
とても不自由で、これで由なんて到底言えないが、今はこうなっている。
なにもかも間違っているが、奴隷をお姫様抱っこしてそのままのんびりと歩く。
「おろして、くださいっ、ご主人様っ! こんなっ、駄目です! 歩けます!」
「うるさい、静かにしてくれ」
「っ!」
あまりにもルーナの反応が可愛いので、照れ隠しに高圧的な物言いをして顔を覗き込めば、顎を引いて口を噤む。
優しく抱きかかえられていることをむずがりながら、顔を赤くして声を我慢しているルーナがとても可愛らしくて、もうしばらくこのまま歩いてもいいかなと嗜虐心がほんのりと湧き上がってしまう。
まったく、奴隷の意思を無視する酷い主だ。
「ごしゅ、じんっさ、まぁ……っ」
綺麗な瞳は涙目になり、乞うように呼びかけられる。
満面の笑顔で首を傾げてとぼけてやれば、益々涙が滲むルーナの瞳。
まったく、主の思い通りにならない酷い奴隷だ。
まったく、ろくでもない関係だ。
そう、こんな関係は間違っている。
だからこそ、正しい道へ向かうために足掻くのだ。
とでも言っておけば、神様も半笑いで見逃してくれるだろうか。
目先にある我欲の為じゃない。
未来の為に進むべき道を選ぶ。
その意思こそ、人が歩むべき自由への道なのだから。
春の陽気の下、大切に抱きかかえられた奴隷が苦悶の声をあげている。
俺は呆れているのか笑っているのか、自分でもよくわからない感情に表情を緩めて微笑む。
道の先に続く、水色の空を見上げながら足取りも重く、のんびりゆっくり歩いて行くのだった。
オーソドックスな奴隷物をとにかくやってみようと思い立ち、舞台や人物を考えて行き、どうしてこうなった感がありますが、こうなりました。
と言うのも、奴隷の物語で一番熱い部分と言えば、奴隷として虐げられている立場から、可憐な少女へと変身する部分だと思うんですよ。
シンデレラストーリーに近い物があると思うんですよね。
ですが、お姫様になってしまうとそこで話は大団円となってしまうなぁと。
と言うことでヒロインの目的が「奴隷になりたい」主人公の目的が「奴隷から救いたい」と言うプロットの下、お互い大真面目に戦わせたらどうなるんだろうと、こうなりました。
最後はルーナさんの力技が炸裂していましたが、この旅の結末はまだわかりません。
一応続きの構想や散文はあるので、時間や機会が許せば旅の続きを書きたいなーでもあれも書きたいなーと色々妄想している日々でございます。
……書き切るのが大変ですよねー。書かねば。
と、そんなこんな手短ですがこの辺りで。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。




