20話。東南都市アペリス。手続きは滞りなく。
奴隷の少女を鎖で引き、雑貨店へと戻った。
戸惑う店主に言いつけて、切り裂かれた古風で清楚な服と同じ物を頼むが、そんな高級品は扱ってないとのことだ。
舌打ちを一つ挟んで、一番マシな奴隷服を一着持って来させる。
黒い布に肩紐がついているだけの、下着のような布きれを持って来やがった。
俺の反応見るやいなや生地は上等だと慌てて弁明している。
相当不機嫌なのが態度に出ているらしい。溜め息をついて落ち着こうとするが、無理だった。
とりあえず黒い奴隷服をルーナに押しつける。
「向こうでそれに着替えて来い。っておい」
「……ッく」
無言で仕切りの向こうへ足を運ぼうとしている所を、鎖を引っ張って止める。
「なにを考えてる?」
「……」
ルーナは無言で俯いたままだ。
俺は大きくため息を吐く。
まだ死ぬ気なのか。
「店主、着替えさせるから向こうに引っ込んでて貰えるか?」
「え、ええ、ええ……その、ここで流血沙汰は勘弁して……ええ、ごゆっくり」
なにを勘違いしているのか、短剣を手にする俺を見て引きつった笑顔を浮かべている。
横目で見遣れば店主は急いで仕切りの向こうへと消えた。
「前向いて、動くなよ」
「……はい」
切り裂かれている革鎧を解き、剣帯も外す。
すでにボロボロになっている古風で清楚な服に刃を走らせれば、絹を裂く嫌な音を立てて単なる布の塊となり床に散らばり、黒革の下着だけの姿になる。
普段ならこの真っ白で綺麗な背中をしばらく眺めていたくもなるのかも知れないが、一つ嘆息を挟んで、とっとと奴隷服を上から被せて脇を紐で留める。
帯紐の代わりに剣帯を腰に巻けばそれだけで着替えは終わりだ。
なるほど着せ易さも考慮されているのか。
そう言う意味ではよく出来ているわけだ。気が利いていてる。
少女の服を切り裂いて奴隷服を着せる、最悪な作業が手早く済んだ。
前へと周り込んで、服の内側になっていた鎖を引っ張り出す。
「腕、こっち出して」
「……は、いっ」
鎖で引きずられ、擦り剥き傷ついているルーナの小さな手を慈しむように握れば、細い肩が大きく跳ねて微かに震える。
細い手首に、丁寧に手枷を嵌めて行く。
奴隷の首輪と手枷を鎖で繋げて、祈りの姿で身動きを封じた。
仕上がりを見下ろし、腰に手を当てて嘆息をもう一つ。泣きたいのはこっちだろう。
笑えないくらい見事な奴隷の少女の出来上がりだった。
====================
ルーナが擦り剥いた手と膝の治療も終えて、奴隷雑貨店の店主に手枷と鎖の代金を払おうとしたが、さっきの銀貨分でいいから出て行ってくれと迷惑そうに言われた。
この手の連中に借りなど作りたくないので、きっちりと代金を置いて出て行く。
向かいの馬車の営業所で金貨を出し、有無を言わさず要人の送り迎えに使う高級な二頭立て馬車を貸し切って東南都アペリスを目指すことにした。
とにかくもう厄介事は勘弁して欲しい。
エウロタの奴隷商から引き取ったときも、こんな屋根つきの黒い馬車だったことを思い出しながら、無言で外を見続けていた。
向かいに座るルーナは俯いたままだ。
黒い奴隷服に、手枷と首輪に鎖を通して身動きを封じられ、祈るような姿で俯いている。
どこからどう見ても、これから売られに行く少女にしか見えないので、目を逸らして外の景色を見続けた。
「……」
「……」
馬車の中は無音で、景色だけが流れ移り変わって行く。
お互い一言も言葉を交わさないまま、日暮れ頃には東南都アペリスに到着した。
感慨深くもあるが、複雑な心境だ。
市壁の検問を通るとき、説明が面倒なので拾って荷徒用にしている奴隷だと申告すれば、怪訝な顔をされながらも通行税は一人分で済んだ。
そしてすぐに孤児院の前まで到着。
御者に謝礼の小銭を多めにはずんで見送る。
「……」
「……」
傾く日に照らされた孤児院の建物は修道院と併設されていて、住宅街の片隅に溶け込むように建っている。
石造りで歴史のありそうな建物だ。
鉄柵に囲まれた敷地内には花壇と小さな畑があり、洗濯物がずらりと干されている。
とてものどかな光景だ。
学舎もここから施設の屋根が見える。環境は良さそうだ。
俯いたままのルーナを引っ張って敷地へと足を進めて行く。
「あの、どなたですか?」
洗濯物を取り込もうとしている修道女に呼び止められた。名乗る。
訝しい表情を浮かべたまま、とりあえず応接室へと通されることになった。
そこで孤児院の院長にお目通りを果たす。
院長は禁欲的で痩身だが、表情はとても温厚そうな老女だった。
鎖に繋がれた奴隷姿のルーナを見ても動じず微笑み、俺達を上から下まで眺めていた。
手紙に一通り書いたが、簡単に事情を話す。
両脇に棚が並び、書類に埋もれた手狭な事務室に案内される。
そこで手続きを済ませることとなった。
椅子に座り、机に向かって各種の書類にペンを走らせる間、ルーナはじっとうつむいたまま動かないし、一言も発さない。俺も無言だ。
記入の終わった書類を手にして、院長が気を配りがちに俺へ声をかける。
「頂いていた手紙とは、随分様子が違いますね……?」
「喧嘩……かな? 別れ際に意見が食い違ってさ、揉めたんだ」
力無く笑う。
院長は温厚そうだが、怒ると怖そうでもある。
孤児院を任されるだけありそうだ。
子供への接し方は、俺なんかよりも遥かに上手くやってくれるだろう。
「あの子は、孤児院に入るのを嫌がっているの?」
「なにを考えてるのか、奴隷のままがいいんだとさ」
やさぐれた気分がそのまま声に出てしまった。
院長がなにか言いかける。
「もう金は払っただろ」
うだうだ言うな。
言葉を控える代わりに、煩わしさを微塵も隠さずに言う。
「あんな目をした奴隷の子は、何度か見ましたが……」
奴隷の首輪と枷で腕を縛られ、俯いたままのルーナを見て院長は言葉を濁す。
「……」
俺はなにも答えない。
「あなたも、なんて目をしてるの……?」
「……疲れてるんだ」
ここまで来るのに、とても疲れた。
ずっと心が重くて、疲れ果てた。頭がだるい。
きっと馬車に長時間揺られるのに相性が悪いんだろうな、と言うことにしておいてくれ。
巡礼の旅に出たての頃、自暴自棄になっていた時期の気分を思い出す。
(……もう、そんな子供じゃないだろ)
こんな別れ方は嫌だ。
頭を振って気力を奮い立たせ、重い腰をあげる。
俯いたまま動かないルーナの正面に膝をついて視線を合わせる。
「ルーナ」
呼びかければ、顔を上げてくれた。鎖が小さく音を立てる。
綺麗な青色の瞳が、今は濃紺に影っている。
首にあまり力が入っていないようで、狭い事務室の明かり加減と、角度的な錯覚だとわかっていても、洞穴がぽっかりと空いているように見える。
絶望の果てに全てを諦めている、奴隷の目だ。
捨てられた子供の目だ。
「いつかまた、この街に寄ったら必ずルーナに会いに来るから」
献金とは別に、当面の生活費としていくらか渡すために財布を取り出し、面倒なので全部押しつける。
ルーナは手の上にある財布を見向きもせずに、前を向いたまま茫然としている。
洞のような瞳から、静かに涙が染み出て頬に伝う。
「ルーナがどんな風に成長するか、楽しみにしてる。だから人の世で、未来の為に生きてくれ」
軽く息を吸い込んで、結局これしかないのかと、情けなく、惨めに思いながら、自分の無力さをこれでもかと噛み締めながら、言葉を絞り出す。
「命令だから」
お願いだから。頼むから。この通りだから。
口惜しさを飲み込みながら、歯を食いしばって、懇願するように命令する。
命令と言う言葉に、ルーナはぴくりと反応を示す。
瞳に微かな光が戻る。
喉をつかえさせ、唇を震わせて、弱々しく言葉を紡ぐ。
「ご主人様が、ご、ご主人様に、まだ、命令して……頂けるなら、こんな、わたしに、命令して頂けるのなら……わたし……生き、ます」
「うん」
今はこれでいい。
望み叶わず、挫折して絶望に囚われても、人は生きて行く。
生きている限り、何度だって絶望する。
絶望を教訓として立ち上がる為にも、身近にいてくれる人を普段から大切にしなければならないし、進むべき新たな未来が必要になるのだ。
どんなにろくでもない人生でも、生きてさえいればなんとかなる。
なんて無責任なことは言わないが、生きていなければ、どうにもならないこともまた事実なのだから。
「わたしが……今よりも、もっと頭が良くなれば……そのときは、また奴隷として使って頂けますか?」
「そうだな。もっと賢くなって、まだそんなこと言ってるなら、そうしようか」
「……はい」
微笑みかける。
無表情のまま涙を流し続けるルーナの瞳を拭い、頭を撫でて抱き締めたくなる手をなんとか押さえて立ち上がった。
鎖や首輪は折を見て切ってやるように頼んである。
院長へ期待を込めた視線を向ければ、不安そうな眼差しで俺を見返して来た。
なんだかルーナより俺の方を心配してるようだ。
大丈夫、俺は元の旅路に戻るだけだ。
笑い、背を向けて孤児院を出る。
その足でそのまま東南都アペリスを後にした。
====================
その日の晩、街道沿いにある風除け小屋で寝床を整えて、なにをするでもなく焚火が燃える音を静かに聴いていた。
ルーナから話しかけて来ることは滅多になかったし、ルーナに会う前までの旅路はずっとこうしていたはずなのに、静けさがやけに耳にこびりつく。
食欲はないが、飯にしようかと荷物を開き、ある物に気づいた。
「……これ」
携行食の袋の中に、紙で包まれた見慣れない物がある。
手に取れば、コロン、と音がする。
包みを解けば、ルーナに贈ったはずの狼の人形が入っていた。
紙の裏には文字が書いてある。
――奴隷の少女に代筆を頼まれた――
武骨な男性の字だ。
ウルトの町で刀剣を研いで貰った、老研ぎ師だと直感的に思い浮かぶ。
俺が寝間着と苺の座布団を買に行った間に書いて貰ったのか。
――要領を得ないので、少女の言葉をそのままを書き記す――
文字を目で送りながら、頭の中ではルーナの涼やかで可愛い声を思い返していた。
――わたしはご主人様の役に立てない、出来損ないの奴隷でした――
――ちゃんと奴隷をしようとすればする程、迷惑をかけてしまいました――
――たくさん迷惑をかけてしまいました――
違う。なにを言ってるんだ。
俺には奴隷自体が必要なかったんだ。散々説明しただろう。
――わたしは頭が悪いので、これしか知らないんです――
それじゃ駄目なんだと、何度言ってもわかってくれなかった。
今にして思えば、言えば言うほどルーナを追い詰めていたのだろう。
己に劣等感を抱き、奴隷としてしか生きる術を知らず、必死で主の役に立とうとしていた、歪んだ少女が持っている物を全てを全力で否定して来た。
――お詫びに、この人形をご主人様のお傍に置いて頂きたいと思うんです。その許可を褒美として頂こうと考えています――
記されているのはルーナの言葉だけなので、全然文脈の繋がりがよくわからない。
手の中の人形を一度見て、改めて文字を追う。
――ご主人様はいつも苦しそうなお顔をしています――
――リフィトを抱いていると心が穏やかになれます。わたしがそんな道具になれれば良かったのでしょうが、わたしは奴隷です。ぬいぐるみではありません――
奴隷の生き様しか知らないから、そしてそれしか自分にはないから、奴隷の矜持に縋りついていたルーナは、優しくされることを快く思わなかった。
――ご主人様のために奴隷として役立とうとすればする程、ご主人様は酷く陰気で重苦しいお顔になってしまいます――
――ええ。この世の全てを呪っているような、それはもう酷くて唸り声を我慢している狼のようなお顔になります――
言葉選びに悪意がないのは知っているが、このやろう。
別れの日の朝、そんなことを言っていた。いつも俺の寝顔を観察していたらしい。
ルーナと一緒に居ることで、誰かと一緒に居る安心感のような物を覚え始めていたのは確かだ。
ルーナと共に眠り、あの日は穏やかな寝顔をしていたんだろう。
――なので、わたしの代わりに人形をお傍に置いて頂ければと。人形を抱いていれば、きっとご主人様も穏やかになってくれると思います――
これはルーナからの贈り物なのか。
ルーナとの最後の戦いの中で、ルーナはこれが割れないよう、荷物を守ることを選んだのか。
母から贈られたぬいぐるみは言うまでもなく大事にしていた。
癒されていたのだろう。
同じように、癒しになればと、この人形を俺へ贈ってくれた。
ルーナ自身が考えた、ルーナの意思で。
文字を追う視線が震えて止まる。
(そうだな、俺が欲しいのは、奴隷じゃなかった……)
旅に生きることを由としていたとしても、常に人と距離を置いていた俺が欲しかった物。
人の温もり。優しさ。愛が欲しかった。
そんなもん、誰だって欲しい当たり前の話だが、愛を知らない家畜以下の道具である奴隷からは絶対に貰えない物だった。
(……そもそも、そんな奴隷に徹し切るなんて、無理なんだよ)
身も蓋もない言い方かも知れないが、奴隷として家畜で居続けるなんて、言葉が通じ、意思の疎通が出来る人間同士では無理だ。
ルーナ自身がどれだけ感情なんて不要だと主張しても、意思は、思いは、痛みは、人としての心は有り続けるように、愛された記憶がなくても、愛を知らなくても、愛されていた事実は確かにあった。
俺とルーナの旅で、ずっと平行線だった道が、知らない間にほんの少しだけ近づいてくれていたらしい。
(こんな物……俺が欲しがっていたから、贈ったって訳じゃないよな)
ルーナがこの人形を欲しがったのは、俺に贈りたいと考えたのは、ルーナをぬいぐるみ扱いして一緒に寝た日よりも、前日のことだ。
無意識にでも、自分が母からぬいぐるみを残して貰えたのが嬉しかったから、いつも難しい顔をしている俺に、少しでも癒しになればと、これを贈りたいと考えてくれた。
それが、人として人を想うと言う、とても単純なことだとも知らずに。
――これも迷惑になるかも知れないので、こっそりと渡したいんです――
誰から教えられた訳でもない、ルーナの中から自然と湧き上がった、なにも知らないルーナがそうしたいと思った、自分がそうされて嬉しかったから、相手にもそうしたいと言う、幼くて稚拙で、滑稽で不格好で臆病で、子供がはじめて自分の想いを相手へ贈る、限りなく純粋な想いの形が手の中にある。
奴隷として心臓を捧げられるよりもよっぽど嬉しい、ルーナ自身の心の形だ。
(これのお蔭で教会から飛び降りるなんて狂行を阻止することも出来た……)
ルーナが奴隷として振る舞おうとすればする程、俺はずっと心苦しかった。
それを、少しでも癒しになればと、これを贈って貰えた。
ずっと邪険にされ、痛みに耐え、自分はまた捨てられるのだと思いながらも。
真面目で、不器用で、一生懸命で、優しい子だった。
色々な物が根底から一つずつズレていて、巡り巡って一瞬だけ形になったような、奇妙な騙し絵を眺めるのにも似た徒労を感じ、息を吐く。
人形を優しく両手で包み、額に充てて祈る。
ルーナの母が残した想いは、俺の想いは、無駄ではなかった。
――捨てて頂いても結構です。お手を煩わせてしまい申し訳ございません――
――勝手な真似をして、申し訳ございません――
――駄目な奴隷で申し訳ございませんでした――
――本当に申し訳ございませんでした。ごめんなさい――
手紙は時節の挨拶も別れの言葉もなく、最後にそう締めくくられていた。
手紙の隅に縦書きされているのは、代筆者からの追伸だろう。
――とても深い傷を負っている子だ。大切にしてやれ――
きっと上手く行かなかったことの方が多かった俺がこんなことを言っても虚しいだけだろうが、俺は出来る限りを尽くしたよ。
最善を尽くせば救われるなんてただの夢物語だが、最初から次善を目指す者はなにも成せない。
その癖に望み過ぎれば足元を掬われる。
こんなろくでもない、恐ろしくも理不尽な人の世で、出来る限りはやった。
無事、孤児院に届けたんだ、人の世を外から斜に構えて旅を続けて来た巡礼騎士にしては、上出来な結果だろう。
こんなにも綺麗な贈り物まで貰えた。上出来だろう。
乱暴に扱えば割れてしまう、素焼きの人形を大切に仕舞ってから。
――小屋の壁を全力で殴りつける。
大きく軋む小屋。
「……どうしょうもないだろ」
奴隷と巡礼騎士の関係なんて、どんな選択をして、どんな結果になっても、ろくなことにならないのだけは確かなのだから。
その中からお互いにとって一番良い選択をしたんだ。
それは間違いないのに。
それでも。
(……痛てぇ)
殴りつけた手なのか、胸の内に渦巻いている感情なのか。
手紙から責め立てられているような気がして、力の抜けた手から滑り落ちるまま焚火にくべてやった。




