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17話。ニルスの町。超奴隷と歩く。



 寝入りばなに、なにか大事なことを考えていたような気がするのだが……思い出せない。

 代わりに、昔、魔人堕ちした巡礼士を討ったときもこんな風に高熱を出していたことを思い出していた。


(……元々、神経が細いんだろうな)


 あまり自覚もないが。

 禁呪持ちだからということもあるのだろうが、生来の性格なのかも知れない。

 案の定、悪夢も見た。


(記憶かも知れないし……思い込みかも知れない……)


 カナリアの壊炎魔法がウーヅンの首を撥ねたとき、水平に飛んで行くウーヅンの頭は俺の膝を枕に眠るルーナを見て、俺を見て――そんな顔をした。


 奴隷にふられた貴族の惨めで情けない顔が、壊炎魔法の光に照らされた影のせいでくっきりと浮き立ち、二度目は明確に笑えなかった。

 転がった首はすぐ闇の向こうに消えたので、俺が最後に見たウーヅンの表情がそれだった。

 もちろん遠目でそんなにはっきり見えたはずがないのに、夢の中では、なぜかはっきりと覚えているような心地だった。


(……ルーナはどこだ?)


 治癒魔法で治療を受け、綺麗になった肌を見てやや名残惜しそうな目をしていたのは覚えている。

 治癒士が出て行ってから、女の子の肌は綺麗な方が俺好みだと、もう直接はっきりと言ってやれば無表情ながらも納得して頷いてくれた。


 そうこうして、兎のぬいぐるみを抱えていそいそと床で寝る準備をはじめているルーナへ、なにか言おうと思ってそのまま眠りに落ちたのだった。


(ああ、そうか、床で寝るなって言おうと思ったのか)


 俺のシャツが汚れるからベッドで寝てくれと理由をつけようとしていたんだった。

 寝入りばなに考えていたことを思い出せてすっきりする。


(……で、ルーナはどこ行った?)


 床の毛布は綺麗に畳まれている。

 ベッドは当然使った跡もない。

 木窓から差し込む日差しから見て、昼前か。

 いつもは夜明けと共に起きていることを考えれば、寝過ぎだろう。


「……あ」


 ルーナはベッドの足元にいた。

 街中用の乙女に着飾った女剣士の格好で床に座り、目を閉じている。

 その腰に剣はない。


(寝てるのかな?)


 表には一切出さないが、きっとルーナの疲れも相当溜まっていることだろう。

 ゆっくりと身体を起こせば、音が鳴りそうな勢いでルーナの瞼が開いた。

 水底に沈む水晶にも似た、青く美しい瞳が真っ直ぐ俺を見る。


「おはようございます。ご主人様」

「ああ、おはよう」


 俺は微笑んで応える。

 こんなやり取りも最初は居心地悪く思っていたが、慣れる物だな。


「……服、まとめててくれたのか」

「はい、今日は洗濯屋に行くとのことでしたので」


 汚れた衣類を荷物から出して、風呂敷の上に畳んでくれている。

 ルーナが一晩着たシャツもあったのでほっとした。

 ルーナは毎朝出立の準備を済ませ、俺が目覚めるのを待ってくれている。

 一人旅に戻れば、このありがたさともお別れか。


「あと、ルーナの欲しい物もな。なにか決まった?」

「はい」


 即答だった。

 意外に思いつつも、少々楽しみと不安を覚える。なにが欲しいんだろう。

 頭はまだ熱っぽいが、体調は悪い感じもしない。大丈夫だろう。


「そっか、んじゃ早速支度して行くか」

「はい」


 水の張った桶と手拭い、外套と鞄をベッドまで持ってきてくれる。

 これで奴隷の首輪がなければ、よく出来た従者だと微笑ましく見れるのだが。

 真面目で一生懸命な奴隷なんて、やっぱり浮かぶのは苦い笑いでしかなかった。



=================



 宿屋の傍にある洗濯屋へ、衣類の洗濯を預けてニルスの町を歩く。

 東南都アペリスへと続く玄関的な町で、規模は大きく活気もある。

 ルーナの革製下着をどうすべきか無茶苦茶悩んだが、結局洗濯には出さなかった。


(孤児院までの辛抱だから、今ある分で足りるだろう)


 その時に奴隷の首輪を外してお別れだ。

 一緒に奴隷用品も処分すればいいだろう。

 奴隷の剣が折れ、服も燃えたのは丁度良かったのだ。


(そう言えば……孤児院で引き取り拒否されたらどうしよう)


 俺の後を着いて歩くルーナを肩越しに見れば、綺麗な瞳で首を傾げる。

 根は本当に真面目で、真っ直ぐで、とてもいい子なのだ。

 これまでの旅路であれこれ世話を焼いて気づいたが、その方向性がおかしくなるのは概ね俺が絡んだときだけ――と言うか他人にはあまり興味を持たない――なので、たぶん大丈夫か。


(最初は苦労するかもな……)


 誰とも馴染めず、他者を威圧するような眼差しで距離を取っているルーナへ、同じような傷を負った少女が抱えているぬいぐるみについて質問して、自分も似たような子を持っていると紹介して次第に打ち解ける……なんて光景が目に浮かぶ。


(もしくは、ぬいぐるみを嫉妬交じりにからかわれて喧嘩からか?)


 どちらにしても巡礼騎士なんかの後を奴隷として歩いている今の状況と比べれば、牧歌的なくらいのどかな暮らしだろう。

 そんなこんなを考えながら目についた露店に並べられたパンと、緑黄色野菜がたっぷりのスープを二人分買い込み昼食にする。

 あと、同じ飯だとルーナがいい顔をしないので、俺のパンにはバターを追加した。

 昼はこれで済ませて、晩は豪勢な食事にしよう。


(これでって、随分舌が肥えてしまったな)


 一人のときは、どうせ味気ない食事だと適当な安飯で済ませて来たが、ルーナに一人前そろえて、自分の分に一品追加する食事ですっかり贅沢を覚えてしまったようだ。

 一人旅に戻れば、また無味乾燥で味のしない食事に戻ることになるのだと思うと、ほんのりとした寂寥感が胸をくすぐる。


(そうだなぁ)


 ルーナとの旅はろくでもないことばかりだったが、それだけじゃなかった。

 そんなことは分かっている。

 不運ばかり数えていても仕方がない。

 ろくでもない世界にも、幸運は確かにある。


(そうなんだけど……)


 そんな言葉がどうしても寒々しく響いてしまうのは「だから奴隷の身分で満足すべきなんだ」なんて詭弁で人の尊さを悪用する輩がいるからだ。


(そうじゃないだろう、と)


 そんな屁理屈を通せば、最早なんでもありの混沌でしかない。

 なんでもありを由とするなんて、聞こえのよい思考停止どころか、単なる思考の放棄だ。

 思考停止で騙され放題では、自分の大切な物を守ることも出来なくなる。


「ご主人様」

「うん?」


 歩きながら考え事をしている所を呼び止められる。

 振り向けば、ルーナはとある店の前で足を止めていた。


「これがあれば、と思います」

「これ……って?」


 褒美の要望なのか、控えめな言い回しに首を傾げつつ店の看板を見上げれば、少女趣味な絵柄で愛らしい小熊と妖精がじゃれ合う絵が描かれている。


(赤子の日用品や、子供向けの遊具とか小物なんか扱う手芸店だっけ?)


 まったく馴染みが無いのですぐにわからなかったが。

 そうか、そう来たか。

 昨日の不気味な要求や、奴隷の首輪や髪飾りに家畜の印を貰って満足そうにしていたことを思えば、まったくの予想外だった。

 もちろん良い意味で。


「いいじゃないか」


 意気揚々と店の扉を押せば、可愛い鈴の音が迎えてくれた。

 白と桃色を基調とした店内は、テーブルや棚の敷物、カーテンの天蓋にまでリボンやレースをあしらい、可愛らしさをこれでもかと強調していて、馴染の無い雰囲気に一瞬尻込みする。


「いらっしゃいませー」

「と、大丈夫ですか?」

「はいー、どうぞどうぞ、お手に取って――」


 そこそこ広い店内をざっと見渡し、他に客がいないのを確認して歩みを進めればルーナも後に続く。

 店員の若い娘は愛想良く微笑むが、奴隷の首輪を見て言葉を止めた。

 現在のルーナは乙女な女剣士の格好をしているが、服の色が地味過ぎて店とはあまり馴染めていない。


「えー、どうぞ、ごゆっくり眺めて行ってくださいー」


 言い換え、手で店内を示して笑顔のまま数歩下がる。

 ムッとしたが、二度も同じ失態はしない。

 心得ていると店員の娘へ会釈し、言われた通りに店内を眺めさせてもらう。


 色とりどりの木工細工の玩具や硝子に色をつけた装飾品等が並び、他にも子供服なんかも置いてある。

 子供大のトルソーに、フリルのたっぷりとあしらわれた可愛らしい寝間着が飾られていて、仕立てと生地の良さ感心していると、ルーナはそれらに目もくれず真っ直ぐ歩みを進め、ぬいぐるみが並ぶ棚の前に立った。

 俺も後を追う。


「どれがいい?」

「そうですね、あまり大きくてもかさばるでしょうし、小さいのがいいです」


 ルーナは小さな身体で背伸びをしたり、身を屈めたり、ぬいぐるみを観察するような視線で見渡して行く。


「別に大きいのでもいいんだぞ?」

「いえ、小さい方が好ましいです」


 真剣な口調で明確な意思表示をしてくれる。


「まあ、気に入ったのがあったら言ってくれ」

「はい」


 奴隷であるルーナは売り物に触れないので、俺が代わりルーナの前まで持って行くのだが、奴隷の少女の元へ甲斐甲斐しく商品を運んで行く姿はだいぶ主らしくない。

 まるでお姫様の従者か、我侭な妹へのご機嫌取りのように見える構図なのだが、ぬいぐるみを見比べるのに真剣で気づいていないようだ。

 微笑ましい。


 気に入ったぬいぐるみを片っ端から買ってもいいのだが、それは無粋か。

 想定していたよりも随分安くつきそうなので、その分は食事に回そう。


「どれがいいのか、よくわかりません」


 テーブルの上にぬいぐるみの並べて熱心に見比べていたが、決められないようだ。

 一歩下がって俺を見上げる。


「ご主人様はどれが良いと思います?」

「それを選ぶ?」

「はい」


 正直に頷くルーナ。

 せっかくなのだから自分の好きな物を選んで欲しいが……これはお礼だ。

 ルーナの望むよう、それもいいだろう。


「よし、任された」


 全力でルーナが気に入りそうなぬいぐるみを選んでやる。


「そうだなぁ」


 と言っても、俺もよくわからない。


(ルーナが気に入る物ってなんだ? 苺?)


 テーブルの上以外も、店内を見渡す。

 苺を象った綿入りの座布団ならあるが……手に取ってルーナを見る。

 まったく興味が無さそうだ。これは違うな。


 王国騎士の甲冑が勇ましいブリキの人形、かっこいいがこれは男の子向けか。

 聖教会の聖母像が綿と布で愛らしく作られているが、これは教義的に大丈夫なのかと首を傾げる?

 いつか見た奴隷雑貨を扱う店とはまったく違う、どこを見ても微笑ましくなれる店内を見渡して行く。


 ふと、民家の一室を模型として、羊の獣人を象った親子が一家団欒をしている様子を人形劇仕立で展示している棚に目を奪われた。

 正確に言えば、その一室を窓の外から覗いている一体の人形にだが。

 滑稽ながらもおどろおどろしい顔をした人狼の人形だ。手に取って見る。


 綿ではなく、素焼きの粘土を布で包んだ人形か。手触りは布だが感触は固い。

 腹の部分が鈴になっているようで、手に取るとカラコロと音がした。

 手が込んでいる。腕や脚は布同士が金具で留められていて動く。


「……」


 悪趣味な狼の腕を動かしながら思い出したのは、カナリアとウーズンのことだった。


「……悪い子が狼に食べられれるって言うのは、その通りなんだろうな」


 先人の教えを軽んじて蔑ろにするような輩は、きっと真っ先に食べられてしまうか、先人と同じ失敗を繰り返してしまうだろう。


 そして自分ばかりか、大事な人まで守れずに不幸を増やしてしまう。俺やルーナみたいなことになる。

 幸運や救いはあるのだから奴隷でも満足すべきだと詭弁を弄し、弱者を食い物にする輩がいる一方で、弱者救済を謳いながら、不満の声ばかり大きい怠惰な連中をつけ上がらせて、偽善で弱者を扇動し、人の善意を食い物にするなんて輩もいる。


 ろくでもない世界だ。

 純粋さの所為で板挟みだったウーヅンに少しだけ同情してしまう。


「……狼自体は、自分の群れを飢えさせまいとしてるだけだ」


 狼の縄張りに入った人間は狩られるし、人間の縄張りに入った狼も狩られる。

 ウーズンが言っていた、純粋な力こそ真理であると。それも間違いじゃない。


(その上で考えないと……)


 我欲のまま力を振るうのではなく、それが人の世を未来へと繋げて行くために必要な物なのか、大切な物なのかどうか、物事の良し悪しを考えれば自ずと答えは出るはずだ。


「羊も自分の群れを守るのに一生懸命だ」


 大事な物はなにか、自分の守るべき物はなにか。

 しっかりと明確にして、欲望に流されず、綺麗事に揺るがず、偽善に騙されず、守ることが出来なければ、人は幸せになんてなれない。


「悪知恵の働く狼が、親山羊の皮を被ってって話はー……まあ、いいか」


 ルーナはきょとんと首を傾げる。

 なんでもないと手を振って狼の人形を元の場所へと戻す――と、ルーナはじっと狼の人形を見つめている。


「気になる?」

「なんとなくご主人様に似てます」

「……これが?」


 思わす自分の顎を撫でる。


「冴えないお顔で唸っているときや、禁呪が発動しているときのご主人様に似ています」

「こんな悪そうな顔してる?」

「はい」


 遠慮のない返答に、そうかなぁと首を傾げながら他の物も見て回ろうとその場を離れるのだが、ルーナはじっーと狼の人形を見ている。

 一周して戻って来る。まだ見ている。


「それ、気に入ったのか?」

「なんだか愛嬌がある気がします」


 闘技場育ちの趣味なのだろうか、よくわからん。


「そっか。それじゃ、まあ……これにしようか?」

「はい」


 ルーナは無感動に頷く。

 瞳に映る感情は、ほんのりと喜んでいるように見えた。

 当人が気に入ったならいいか。

 不気味な人形を気に入るくらいなら可愛いものだ。

 アホな男の子みたいに、本物の狼を飼いたいだなんて夢見がちなことを言い出さないだけマシだ。

 節度とは、つまりそういう事だろう。


 支払いを済ませ、贈答用に包んで貰う。

 この場ではいと渡すのも味気ないので、これも夕飯の時に渡そう。


 その後は郵便屋へ立ち寄り、東南都アペリスの孤児院に向けて手紙を書くことにした。

 一報入れておくのが礼儀だ。


 ルーナをアペリスの孤児院で引き取って貰った後は、すぐその足で街を出たい。

 旅の支度もここで整えて行くことにしよう。


(……あ、そうだ)


 ルーナのことを色々と手紙に書いている最中に思い出した。

 手紙を出し終えてから、武具店に併設されている鍛冶屋へ向かい、長剣と短剣を研ぎに出す。


「買い忘れがあったな……」

「お申しつけ下されば、わたしが行って来ますが」


 すかさず進言してくるルーナ。


「いや、ちょっと説明も難しいから待っててくれ。少しの間この子、ここに置いて行っていいですか?」

「……べつに構わんよ」


 小芝居を挟み、不愛想な老研ぎ師に一言告げてからルーナを置いて鍛冶屋を出る。

 少々距離のある手芸店へ、小走りで戻った。

 一通り店内を見渡すが、やっぱりこれだな。


 トルソーに飾られていた薄桃色の寝間着を購入する。

 ついでに苺型の綿座布団も買った。

 今晩からの寝間着に使えばいいし、綿座布団は孤児院の生活で使ってくれればいい。


(少々派手か? ま、いいか)


 包んでもらった服と座布団を小脇に抱えて鍛冶屋に戻れば、ルーナは短剣を砥ぐ姿をじっと見つめていた。

 老研ぎ師も無言で集中している。

 静謐とした工房の中には刃が砥がれる音だけが響く。


 静かにルーナの横顔を眺めていると、老研ぎ師は手元に集中したままぼそりと呟いた。


「その子は、兄ちゃんの奴隷かい?」

「いえ、ちょっとした故がありまして。孤児院に連れて行く最中なんです」

「……ふぅん」

「……この子がなにか失礼を?」


 老研ぎ師は手を止めて、ちらりと俺を見上げる。そして、ルーナを見る。

 首を傾げつつ、俺もルーナを見る。

 ルーナがむすっとした瞳で俺を見ているのは、奴隷じゃないと否定したからか。


「なんでもねぇ。気が散る。さっさと出てってくれ」


 さっと顔を背け、研ぎを再開する。

 己の技術で身を立てているような職人は奴隷を嫌う人も多いだろう。

 俺は愛想笑いを浮かべて別の用事を済ませて回ることにした。

 先日失った消毒用の蒸留酒やその他消耗品を買い揃えながら街を巡る。


 広場で道化師が午後に向けて大道芸の予行演習をしていた。

 短刀を四本、高低差をつけ放り投げては掴むを繰り返している。

 一瞬だけ念動魔法を使い、柄が手元に来るよう操っているのはすぐに見抜けた。

 道行く主婦が興味を惹かれてる子供の腕を引っ張りながら歩いている。


「見て行く?」

「刀剣の扱いなら心得えがあります。あれくらい、わたしも出来ますよ?」


 無表情ながらも、少し拗ねたような声色で俺を見上げる。


「……ああ」


 一瞬なんでそんな口調なのか理解出来なかったが、可愛いことを言っているのか。


「いや、べつに、ルーナが興味ないならいいよ」

「ご主人様がお望みでしたら、わたしはもっと危険な技でも披露して見せます」

「せんでいいから」


 相変わらずお互い思い合っているのに、すれ違う一方だ。

 俺達の会話が聞こえたのだろう、道化師が嫌そうな顔をしている。

 こちらにも愛想笑いを残して立ち去った。


 その後、平和な町並みをのんびり歩き宿へと戻った。

 宿屋の一階にある食堂で、祝い用で一番上等な食事を部屋に届けて貰うように注文して部屋に戻る。

 買い込んだ物をベッドの上で紐解き、自分の鞄に詰めて行く。

 ルーナは自分に任せるように申し出てくれたが、休んでいるように言いつけて荷造りを進めた。


(ふぅ……)


 それらの作業も終わり、一息つく。

 ルーナは床に座ったまま薄く目を閉じて休んでいる。

 夕食まではもう少しかかるだろう。


 木窓を開けて夕日に染まり行く町を歩く人々を遠目に見渡す。風が心地良い。

 遠く、教会の鐘が鳴る。

 見渡せば、屋根が並んだ街並みから一際突き出た尖塔がここからでも良く見えた。

 学舎も終わる時刻だ、益々人通りが増えつつある。

 夕食の匂いが穏やかに漂って来る。


(平和そうに見える……)


 それでも一歩その人の人生に踏み込めば、みんなそれぞれ日々の生活や自分の家庭を守るのに手一杯で一生懸命だ。

 どちらを向いても一寸先は闇でしかない。

 このろくでもない世界で、誰も彼もが薄氷の上に成り立っている平和の尊さを忘れず、目の前にある大切な物を守ることに専念すればそれでいいし、またそうでなければならない。

 偽善や欺瞞に騙されて、道を踏み誤っている余裕なんてないはずだ。


 今ある大切な物への感謝を忘れ、今ある物を守れない奴が、他のなにを手を伸ばせばなにを手にしてなにを守ることが出来ると言うのか。

 未来のため、大切な物を守り、そして丁寧に積み重ねて行かなければならない。


(……地道にこつこつ、がんばるしかないんだよなー……)


 街並みを眺めながら、誰ともなく――泣いている子供をあやしている母親かも知れないし、大きな荷物を抱えた行商人へかも知れないし、自分へかも知れない――呟く。

 いつまでも眺めていられる平和な町だが、眺めていればいつしか退屈を感じて来るのだから、やはり人とは贅沢なものだと苦笑する。


 気分転換は終わりだ。

 自分の現実に向き合うべく部屋の中へと視線を戻せば、ルーナは目を開けて真っ直ぐ俺を見上げていた。

 透き通る程綺麗で、気高い眼差し。


「……」

「……」


 俺は自分の鞄に入れなかった、ルーナへの贈り物を両手で持ち上げてベッドに寝転ぶ。

 天井と贈り物を見上げ、力の抜けた笑いが浮かんでしまうのは、別れを寂しいと感じてしまっているからだろう。

 最初はただの憐れみと親切心だったはずが、親身になり過ぎだ。


(寂しい、なんて感情も確かにあるんだけど……)


 ルーナもいつの日か、平和な日常の中で自分の幸せを探せるようになって欲しいと願う気持ちの方がやはり大きい。

 ゆっくりと暗くなって行く宿の一室。遠くに町の営みを耳にしながら。

 奴隷の少女への贈り物を胸に置き、静かに祈った。


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