14話。東南都アペリスまでもう少しの野営地。なにか来る。
ゴブリン討伐も終わり、ナフの村で三日間の休息を取ってから村を立った。
もちろん痛ましいルーナの脚を考慮しての休息だったので、ルーナが動かなくていいよう、色々と整えて納屋に引き籠りっぱなしで安静にしていたのだが、出立の際に村人から見送られる視線はなんとも言えない物があり、言うならば、こいつ……まさか……と言う疑惑の眼差しを頂くこととなってしまった。
一応なにも後ろめたいことはないので胸を張って後にしたが、この村には二度と立ち寄りたくないと。
それから数日は平穏な旅路が続いた。
旅の目的地である東南都アペリスまではあと僅かと言った所まで来た。
次の町は東南都アペリスへと至る玄関的な町、ルニスの町になる。
「さて、じゃあ今日はなにを話そうかな」
月明かりの下、街道から少し外れた平原で野営の準備を整えて魚の干物を炙っている最中。
これは俺の分だ。
食事は同じ時に同じ物を取るが、ルーナは一品少なくて量も少ない。
ここが落とし所となった。量は女の子に俺と同じだけ食べろと言うのも酷だろうから丁度良いいだろう。
干物を裏返してルーナを見れば、奴隷服姿で膝にあれこれと保存食の入った袋を抱えて、すでに嫌そうな気配を漂わせている。
脚の痣も殆ど目立たなくなって来たので包帯は取った。
痕も残りそうにないのでほっと一安心だ。
「なにか、こんな話が聞きたいとかないもんか?」
大きな都市ごとに保存食は入れ替えるので、東南都アペリスまであと僅かなのだから処分してしまおう。と言う名目で、旅籠や宿場に立ち寄る度に買い込んだ食べ物をルーナへ与えながらの道中ももう終わりか。
「どうぞ、ご主人様のお気の召すままに」
見上げれば月は丸い。
今宵は満月だ。
明るい月明かりに照らされているルーナの瞳は、やはり親切にされて迷惑に感じているのを無表情で隠そうとしている。
(なにも変わらない)
俺は小さく自嘲する。
日程は予想通り遅れ気味だが、旅路自体は概ね順調だったと言っていいだろう。
順調だったが、得る物は特になにも無かった。
明日、ルニスの町へと入り一泊。
そこから東南都アペリスまで、歩きで三日も見ていれば到着する。
それで、こんなやり取りも終わりだ。
(終わるんだけどな……)
なにも変わらないまま、美しい瞳は月光に煌めいている。
(……どうにもならないのかな)
寝る前に聖典の内容を子供向けにした話を読み聞かせるようになったが、こちらも予想通り結果は散々だった。
もう一度自嘲気味に笑う。
例えば、怠惰と勤労に関する蟻とキリギリスの逸話を聞かせれば、こんな返事をしてくれた。
「つまり、蟻のように昼夜問わず働きながら、キリギリスのように良い声で鳴きご主人様を楽しませればいいんですね?」
いや、蟻も夜は休むだろ。とだけ、呆れながら返した。
嘘を戒め、信用の大切さを説いた狼少年の話しには。
「大丈夫です。わたしがその都度確認します。もちろんその嘘吐きをなんとかしろとおっしゃるのなら取り押さえます。不安でしたら狼も捕まえましょう」
いや、そう言う話じゃない。
狼の群れの怖さを知らないようだ。
どれだけ纏鎧魔法に優れていても、たぶん一人じゃ勝てないと思うぞ。
人との接し方について、太陽と北風の例話をすれば、なにを思ったのか。
「ご主人様の命令であればどこでも脱ぎますよ? わたしの着た物で良ろしければいつでも差し出しますが……ご主人様が不快でなければ、ええ、大丈夫です」
ああ、そう言えばそんなこと言ってたな。どこでも脱ぐな。
傲慢や過信の危うさの教訓が含まれている、兎と亀が競争する話をすれば。
「ご安心ください。休まれているご主人様をわたしが背負って走ります」
女の子に背負われるなんて、わりと最悪な絵面だから辞めてくれ。
厄災への備えや堅実な仕事の大切さを説く三匹の子豚の話しには。
「わかりました。ご主人様のために煉瓦の家を建てて、狼はわたしが追い払います。なんの問題もありません」
詳しく聞けば、闘技場で狼も生け捕りにしたこともあるらしい。
それは闘技用に捕まえて来た狼の話しだ、群れの怖さを知らないからそんな風に豪語出来るのだろう。
そんなこんなを、とても真剣に話を聞いてくれた後、無表情ながらもキラキラに輝く瞳で言うのだ。
その眼差しを受け、俺の内にある教義やら常識やらなんやらと言った、理の歯車はからからと虚しく回るしかない。
「――つまり幸せは身近にあるって話で、ここでは無いどこかへ幸せを探しに行くよりも、身近にある幸せを
大事にしなさいって教えと、どうせ遠くへ行っても、どこもそれなりに大変だぞって現実的な教訓も込められてるんじゃないかな」
今日は幸福の青い鳥の話しをしてみた。
ルーナはじっと俺を見ながら、小さな唇を開く。
「ご主人様は、今幸せなのですか?」
「ん……まぁ……そこそこ?」
辛くてそれなりに不満も多い旅暮らしだが、禁呪持ちと言う己の性質を考えれば妥当な扱いだと思うし、ろくでもない世の中から目を背けて生きていられるのは気楽でいい。
それに旅をして見れば分かる、どこの暮らしもそれなりに大変だし、大袈裟に悪事は喧伝されるが、善人もそれなりに多いのだ。
ついでに旅人は警戒されるが、金払いさえ良ければそれなりに持て成される。
そんな実利的な話と共に、不運ばかりを数えていても仕方がないと、前向きな話は別れの前夜にでもしよう。
「では、ご主人様が今よりも心穏やかになり、もっと幸せになれるよう、誠心誠意これからも全身全霊で尽くして行きます」
「だーかーら……」
俺はそこそこ幸せなら十分だ。
それ以上求めても辛くなるだけだって話したよな?
なんて小言を言う気力も湧かない。乾いた笑いを浮かべて肩を落とす。
「ルーナこそ、自分の幸せを探さないとな」
「奴隷にそんな感情は不要です。強いて言うなら、ご主人様に使って頂くことが奴隷の喜びです」
「ハハ」
なんだ奴隷の喜びって。
乾いた笑いで相槌を打つ。
こんなやり取りもあと僅かだと思えば、妙な哀愁も感じてしまうものだ。
(……と言うか)
なにが噛み合っていないって、なんでこの子はずっと俺の旅に同行する前提で話をしているんだ?
一番最初に、孤児院に預ける旨は説明したよな?
その辺、今一度はっきりさせておくべきだろうか。
ぼんやり思案していると、ルーナがぽつりと言う。
「以前、ご主人様から仰せつかっていたことですが」
以前?
「わたしはこの赤い実の味を好ましいと感じるようです」
「……干した野苺?」
唐突になんの話だと記憶を探り、そう言えば以前、好きな食べ物を教えてくれと話をしていたのを思い出す。
最近は野営続きなのでずっと奴隷服だが、ウルトの町で買った古風で清楚な服が実は屍衣だった騒動で有耶無耶になってしまった件か。
(……)
世にも憐れな愛を知らない奴隷の少女が、自分の好物を主張してくれた。
なにも変わらない、なにもしてあげられていないと思っていたが、そうではなかった。
唐突に湧き上がる暖かな気持ちに、ふわふわと腹の底がくすぐったくなる。
なんだろう、この感情は。
旅の道中で懐いた野良犬が、暖を求めて擦り寄って来たのに似ているが……もう少しこう、なんと言うか……とにかく嬉しい。
「もっと要るか?」
中身の残り少ない紙袋を向ける。と――
「ご主人様、なにか来ます」
ルーナは自分の剣を手に立ち上がり、俺を守るように歩み出た。
耳を澄ませば確かに馬蹄の音が数頭、近づいて来る。
俺も長剣を手にしてルーナよりも一歩前に出て、ルーナが更に俺の前に出ようとするを手で遮って後ろに控えさせる。
野営を広げているのは街道から外れた平原。
こちらに向かって来る夜の馬群となると目的はかなり限られる。
(……盗賊?)
ふわふわと暖かな気持ちは霧散し、頭の中が冷えた。
巡礼者や旅人を襲う悪辣な者への抑止力として、巡礼士や巡礼騎士、禁呪持ちなんて危険分子を旅の道中に紛れ込ませて抑止力としている意味合いもあるのだが。
無法者なんて、我欲を優先させ、秩序と敵対し追われる身の、自由からは最も遠い存在だ。
目を凝らせば、二頭の馬が駆けて来て、俺達の前で横並びになって止まった。
囲まれるかと思っていたので、若干肩の力が緩む。
馬上の人物は二人共黒い外套を纏っていて容貌は知れないが、馬は上等で馬具の仕立てもしっかりした物に見える。
ただの夜盗では無さそうだ。
「巡礼騎士のアルゼス・セルシウスだな?」
馬上の人物は名乗りもせずに威高に言う。
こんな状況で正体不明の相手から名を問われ、正直に応える者もいないだろう。
俺は無言のまま注意深く馬と周辺を見渡す。
と。
「鋼烏のヘルニナーミ……ああ、髪を切られたのだな、なんと嘆かわしい……」
鋼鳥のヘルニナーミ。剣奴だった頃のルーナの通り名。
俺の名とルーナの名を呼ぶ馬上の人物に心当たりなんて……いや、まさか。
「ウーズン・カーツ……様?」
添え木と共に固く包帯の巻かれている腕で静かにフードを取ったその顔は、頭に痛々しく包帯が巻かれているが確かに見覚えがある。
金髪青目の貴族然とした風貌の、ウーズン・カーツ、その人だった。
慌てて右膝をつこうとして、鷹揚な手の動きに制される。
「話が早くて助かるな」
「……」
馬上の人物を見上げながら、緊張で冷や汗が背中に流れる。
(……闘技場での、報復に来た?)
冷や汗が背中を伝い、固唾を飲んで推移を待つ。
「率直に言う。その奴隷を譲って貰えないだろうか」
闘技場での出来事が絡んだ話しだったが、目的は俺への復讐ではなく、ルーナだった。
「金ならいくらでも払う」
「……」
貴族が自ら奴隷を求めて、こんな所まで追って来るなんて、正気か?
困惑しながらお付きの者を見るが、従僕のようだ、無言のまま馬上で姿勢を正し、微動だにしない。
俺は横目でルーナを見る。
ルーナも特に感情を映さない瞳で馬上を見据えているだけだが、おかしなことを言い出さないかと気が気じゃない。
とにかく、姿勢を正し、常識的な言葉で意思の疎通を試みる。
「……個人間での人身売買は国法で禁じられていますが?」
「旅に奴隷など同行させても、隙を見て逃げ出されるのが関の山だろう。そして金貨の詰まった袋を旅道に落とせば、そんな物は戻ってこない。わかるな?」
絵本にでも出て来そうな裏金の受け渡し方だ。
そう言えば、闘技場でも短絡的な茶番でルーナを手に入れようとしていたのを思い出す。
尊大で知的な雰囲気を纏っているが、根は単純なのだろう。
「この少女はアペリスの孤児院に預ける予定なのですが」
「ふむ、そうなる前にと無理を押して追いかけて来たのだがな。それならばそれで、アペリスの孤児院から引き取るまでだ」
「……政治的な問題になりませんか?」
「なんとでもしよう」
どうあってもルーナを手に入れたいらしい。
自ら馬に乗って駆けて来る程なのだから、それくらい平気でやる覚悟なのは疑うまでもない。
ちらりと背後にいるルーナを一瞥すれば、ルーナは俺を見返して来る。
(いつもの俺なら、波風立てないよう立ち回るんだろうけど……)
他人事なら、いくらでも奴隷のやり取りなんて俺の見ていない所で勝手にやってくれと、人の世を斜に構え、極力関わらないよう旅に生きて来た。
(でも、今は……流石に……なぁ)
ルーナを意識して思ったことは、ここ最近、得意気に人の道理を説いて来た俺が、ここで貴族相手に日和った態度を見せる訳には行かない。
なんて見栄のような感情も確かにあったが、野良犬じゃないんだ、ほいほいと譲れる筈がないだろうと言う、当たり前の結論だった。
「感情は理屈では無い、とはよく使われる常套句ですが」
ウーヅンへと向き直り、顎を引き背筋を伸ばして続ける。
「俺はそうは思いません。理性とは、移ろい惑う人の感情の中から、未来の為に一番正しい選択をすることだと、そう信じています」
ルーナと関わる以前は奴隷と旅をするなんて想像すらしていなかった。
そんなろくでもない物事からは目を逸らし続けていたかった。いや、今だってそうだ。
不運に苦しむ奴隷の未来を守り続けるような力、俺にはない。
(だけど……)
関わってしまった少女の幸せを願うくらい、してもいいだろう。
「ウーズン・カーツ様、貴族としての名に恥じぬ責務を果たされてください」
人の世の自由とは理性と共に無ければならない。
感情のまま欲しい物を際限無く欲しがるなんて子供の我侭でしかない。
その先は満たされることの無い欲望の沼だ。
巡礼騎士として、聖職者としての立場からあくまで常識的な言葉で返答する。
奴隷の少女一人に熱を上げてどれだけの物を失ったか、その所為でどれだけの人に迷惑がかかり、余計な不運を増やしたことか数えて見ればいい。
ウーズンを見上げていると、それまで控えていたお付きの者が馬を一歩進めた。
「悪魔憑き風情が、どなたに物申していると思っている! 口を慎め!」
「よせ」
諌めるウーヅン。
忠実な家臣はその一言で素直に引き下がる。
「耳に痛い言葉だな。だが既に多くの物を投げ打って来た。合理と言うならば、ここまで来て今更引くに引けんのだよ」
「……」
既に大きな代償を支払ってしまい、なにかを得ずには止まれない。
望みを手にするか、誰かに止めて貰うか。さもなくば、滅ぶまで止まれない。
蘇生魔法の研究機関を畳むのに、非常に手間がかかったと言う話で聞いた覚えがある、それまでの投資を惜しみ、損切りの見極めに失敗して止まれなくなる、埋没費用効果なんて言葉だったか。
ウーズンはこちらがなにか言うなら聞こうと、十分に間を取ってから言葉を続けた。
「万人が聖教会の説く理想通りに生きられるなら、聖職者や貴族の地位など不要であるし、おぬし達のような者達にも……私にも、もっと救いがある世界なのだろうが、そうではないのが現実だ」
今度はこちらの耳が痛い言葉だった。
「……こんな世界で、こんな私が、こんな地位で生きなければならぬ苦しみを癒す為、戦いの熱に身を焦がしている内にな、あのごみ溜めのような闘技場でも輝きを失わぬ、一際輝く鷹のように気高き瞳に射抜かれてしまい――……ハハ、皆が言うように、愚かなことだとは分かっているのだがな」
痛むのは耳だけではなく、胸の奥だった。
誰もが望むまま生きている訳ではない。
地位のある者だって、万人が好き好んでその地位にいる訳ではない。
(そう言えば奥方様を早くに亡くされてるんだったか……)
どんな地位の物にでも、平等に振りかかる不運。
誰だってそうなのだ。
人々は日々に大なり小なり不満を抱えながらも、手の届く範囲のささやかな喜びに幸福を見出し、心穏やかに生きようとしている。
(誰だって、そうなんだ)
同情もするし、日々の息抜きも必要なのだろう。
が、奴隷同士を戦わせるような遊びに入れ込む貴族なんて巡礼騎士の立場からすればいい顔は出来ない。
「なにも、私も道理を蔑ろにしたい訳ではない」
俺の険しい表情を見ての言葉か、ウーズンは淡々と続ける。
「先ずは剣奴上がりの私兵として仕えさせることになるだろうが……折を見て妾とすることならば可能だ」
妾か。
確かに貴族が元奴隷の娘を妻になんて出来ないだろう。
「子が生まれ、他に妻を娶らなければ、正妻と何ら変わらぬ扱いをすることも容易だ。私の元に来ればなに不自由の無い暮らしを約束しよう」
奴隷を妾にするなんて醜聞も、世継ぎを産ませてしまえばこちらの物だと、そう言うことなのだろうか?
強引な手段だなと更に眉を顰める。
その反応は予想済みだったようで、ウーヅンは鷹揚に頷いてから馬上で胸を張った。
「そしてカーツ家の当主である私自ら、聖教会の理想を肯定して見せ、奴隷解放の思想に協力することで道理は通るだろう」
「……」
聖教会を支持しながら、元奴隷の少女が貴族の寵愛を受け幸せな家庭を築き、立派な世継ぎを残すことで模範となる。
なるほど、一理ある。と言うか理想的ですらある。
だが、奴隷が家畜や道具として扱われているのが当たり前となっている現代で、それを成すのは並大抵の事ではない。
「……それは、並ならない道ではないでしょうか?」
今の世を変えようと言っているのだ。
即座に思いつくだけでも、船舶や鉱山関連、裏社会と繋がりのある貴族、そしてなにより奴隷商からの反発は必至だろう。
どこも力のある貴族の庇護の下、強固な組合を築いている
「道は困難やも知れぬがな、聖教会を味方につければ一定の支持も得られよう」
確かに。
民を守る立場の聖教会と、土地と商人の上に立つ貴族はなにかと対立する関係にあるが、正しく手を組むことが出来ればこれほど心強い物もない。
理とは窮屈な物だが、道理を通すことで理に守られる利点もある。
規律とは誰かを不幸にする為にあるのでは無い。意外とどこかに抜け道もある物だ。
要するに、最終的な天秤を本人の努力で釣り合わせればいい。
極力他人に迷惑をかけず、また迷惑をかけても、その分の他のなにかで補填したりと、詭弁を弄して誤魔化すのではない、民衆を納得させる為の努力をして、自分の力で全てを丸く収める手腕さえあれば穏便に話は進む。
既に止まれなくなっているのだから、不幸の中の最善を目指す為、ウーヅン自身が苦労して万事丸く収まるよう尽力する覚悟があると言うならば、通る話なのかも知れない。
そもそも奴隷を道具として過酷な仕事を押しつけている現状に問題があるのだ。
理はウーヅンの方にあるとすら言える。
(俺みたいな歪な力とは違う、人の世の未来を正しい方へと変える力を持っている……)
本当の意味で、ルーナを、ルーナだけではない、奴隷を救うことが出来る立場の人なのだ。
ルーナを見れば、いつの間にかじっと俺を見ていた。俺はルーナの瞳を見返す。
ウーヅンとルーナ、共に協力して奴隷制度の撤廃なんてことを成すことが出来れば、歴史に名を残す偉業となるのは間違いないだろう。
「……ルーナはどうしたい?」
「ご主人様の判断に従いますが?」
当たり前だろう? とでも言いたげな口調だ。
「そうじゃない。ルーナ自身がどうしたいかを言ってくれ」
「ですから、ご主人様の判断にお任せします」
「……」
膝を屈め、視線を合わせて真正面から美しい瞳を見詰め返す。
「ルーナは苺が好きなんだろ?」
「はい。口の中に涼し気な酸味が広がり、後からふわりとした甘い香りが口の中に残るのが一番好みだと感じました」
俺の思っていた以上に好きなのかも知れない。饒舌だ。
「自由に一つ、食べ物を選んで良いって言われたら野苺を選ぶだろ?」
「いいえ。ご主人様の利になるような物を選びますが?」
回りくどい会話にやきもきしながらも、穏やかに続ける。
「自分の好きな食べ物を選べって命令されたら?」
「選択肢の中で、ご主人様のためになる物があるなら、それが一番好ましいのでそちらを優先させますよ?」
「そうじゃなくてだな……アペリスの孤児院に預けられて、色々と人の世の仕組みを学ぶか、そちらの貴族様の元で……寵愛を受けながら暮らすか、どっちがいい?」
「どちらもよくわかりません。ご主人様がいいと思う方に従います」
突然こんな事を言われても分からないだろうから例え話を出したのだが……埒が明きそうにない。
一度、大きくため息を吐く。
選ぶのは、俺なのか。
孤児院か貴族の元か、どちらを選べばこの少女が幸せになれるのか。
そんなこと、考えるまでも無いのだろうが……。
「苺、いっぱい食べたい?」
「わたしから望むようなことはしませんが、ご主人様から頂けるのなら食べますし、食べろと命令されれば、この身を焼く毒であろうとも喜んで頂きます」
「貴族様の元へ行くの……どう思う?」
きっと新鮮な苺だって今の時期なら食べられるだろう。
「よくわかりませんが、ご主人様の命令であれば従います」
どれだけ無表情を装っていてもルーナの瞳は感情を表し、嘘は言わない。
その瞳は特に嫌そうではない。淡々としている。
(……嫌じゃないのか)
誰が主であろうと関係ない、ただ命令に従うだけの奴隷の瞳だ。
不意に感じた寂しさは、これだけ世話をして来たんだから、少しくらい俺に懐いてくれても良かっただろうに、なんて苦笑が浮かぶような物だったので、苦笑しておく。
「そうですね……わたしを売ることが即物的にご主人様の利益になるのではないでしょうか。わたしを売ったお金がご主人様のお役に立てるのなら、それもまた奴隷としては喜ばしいことですね」
「いや、そーじゃなくてさ……」
好物を主張することで、ほんの少しでも自分の意思が芽生えてくれたかと思ったが、優先順位はなにも変わっていないらしい。
結局、奴隷と主の関係のままだ。
疲れた笑いも漏れる。
ふと思いつく。
ウーヅンへ高値で売って、その金もルーナに持たせてやると言うのはどうだろう。
孤児院への入るための献金や、あげる予定の生活費も合わせれば、ウーヅンとの生活が意にそぐわない物であれば、どこへでも行けるくらいの一財産にはなる。
そんなこんな思案していると、ウーヅンは馬上から口を挟んだ。
「金貨だけで不満ならば代わりの奴隷も用意しよう。だからその奴隷は私に譲ってくれ」
「……」
その言葉が無ければ、もしかしたら、熟考の果てに頷いていたかも知れない。
一瞬の引っ掛かりは、小さな疑惑へと変わった。
「……この子を幸せにすると、本当に誓えますか?」
「ああ、誓おう。見ろ、この上等なドレスを。ヘルニナーミに着せる為、以前から用意していたのだ。大事に肌身離さず持っている」
得意気に言いながら、鞍の鞄から取り出した古風で清楚な服。
古風で清楚な黒いドレスで――ひるがえるスカートの色は――満月の下でも闇に溶ける。
深黒色をしていた。
どこかで見た覚えがある服と似ているが、ブラウスまで黒い。
それは俺がルーナに買った服とは色違いだ。




