12話。ナフの村。休息。
村に戻り、村長への討伐の報告を済ませればささやかだが酒宴を開こうと申し出てくれたのだが、酒は飲めないしルーナがいるので、夕食の用意だけお願いして謝辞することとなった。
その代りにと言ってはなんだが、とある本を一冊、買い取らせてもらった。
「あれ?」
古びた本を手に納屋に戻ると、ルーナは剣闘士の格好のまま、納屋の壁を背に膝を抱えて座り込んでいた。
その様子になぜか違和感を覚え、いつもは俺が座るまで絶対に腰を下ろしてなかったことに今更気づく。
ルーナは俺を見上げ、立ち上がろうとして、ふらつき膝をつきそうになるが、真っ直ぐ立ち上がれば綺麗な無表情で俺の指示を待つように顔を上げた。
魔法を使い通しだった所為で精神的な疲労が溜まっているのだろう。
「無理しなくていい。先に休んでいいよ」
「いえ、だいりょううです。わたしは、ごしゅじんさまの、どえい、ですのれ」
表情や佇まいはいつも通りだが、呂律がまったく回っていない。
どえいってなんだ。わかるけど。
「じっとして」
とりあえず剣帯と手甲、靴だけは脱がせてから――主のやることじゃないとかなんとか言っているのは無視しながら――危うい様子で舟を漕いでいる身体に毛布を巻き付け、藁束のベッドへと横たわらせる。
「おやすみ」
「でわ、……ねえいう……わゃぁを……にして……いいれす……のれ……」
むにゃむにゃと、なにか抗議しながら眠りについた。
では、寝ているわたしを自由にしていいですので……。まで、なんとか聞き取れた。
「……」
俺も疲れた。
土間に敷いた茣蓙の上で横になり、肘で頭を支えてベッドの上で自然と丸くなった小さな少女の背中を眺める。
「……」
「……」
静かだ。
薄暗い納屋の中、輪郭だけがその身体の小ささを浮き上がらせている。
(……自由にしていい、か)
なにをされるか、具体的なことなんてなに一つ知らないだろうに。
知らないどころか、妙な勘違いをしている節すらある。
俺にならなにをされても良い、そう言うことなのだろう。
(……なにをどうしろってんだ)
眠りに落ちたルーナはいつものように丸くなり、掌に収まるんじゃないかと思う程小さな尻を毛布からはみ出させている。
剣闘士の格好なので、下着同然の装束に包まれた尻の丸味がはっきりと分かるし、そこから伸びている太腿は瑞々しくも繊細で、触れれば壊れてしまいそうな、神聖な美しさがある。
まだ子供のそれだが、それはそれでその可愛らしいくも神聖な曲線に掌を添わせ、揉みしだき柔らかさを心行くまで堪能するのはたぶんそれなりに楽しいことなのだろう。
(……そんな欲望は誰にだってあるって訳だ)
俺は手を伸ばし捲れている毛布の端を直す。
だから一々動揺もするし、流石に直視させられればそわそわとして気も落ち着かない。
本職の聖職者ように穏やかに受け流したり、名高い聖人のように悟りきって全てはあるがままに、なんて境地、俺には無理だ。
(だからと言って……)
欲望のままに手出しすればどうなるか、そんな事は考える必要すら無いだろう。
最終的に、確実にろくな結果になるまい。責任を取れるような立場でもないし。
混沌の時代、力で弱者が搾取されていただけの時代に、そんな逸話や前例は神話と言った形でいくらでもあった。
そんな記録は、この村長から譲ってもらった本に――聖典に残されている。
(だから自制する。相手のことを考えている、自分の想いを優先させる。その、自らの意思を由とする。それが自由にすると言うことだ)
そんなに難しい話でもないと思うのだが。
聖典を手に取り、ぱらぱらと捲る。
薄暗くて読めないのですぐに閉じたことが、なんだか暗喩のようだった。
(見えなくても、そこにある……)
ろくでもないことだと目逸らし続けていても、不運は至る所にある。
(だからこそ、不運があるからこそ、教えもある)
多くを望み過ぎれば、人はどうなるか、それなら実体験として知っている。
頭を支えてる腕を解き、両手で頭を抱えて少年のように寝転び、納屋の暗い天井を眺めつ遠い日の記憶を思い出していた。
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夢の中で、母は悔やむように呟いた。
「私が悪かったって言うの?」
要するに、そう言うことだろう。
幼い俺は椅子の上に寝かされたまま、父が黙って水をコップに注ぎ、ゆっくりと飲むのを見上げている。 その手は微かに震えていた。父は静かに怒りで震えていた。
「こんな田舎で一生を終えるよりも……中央の魔導学院に通って、上流階級を目指せるようにしてあげたかった。あなたも反対しなかったでしょう?」
「……」
いや、していたよ。
幼くて、瀕死だった俺でもはっきりと思っていた。
思い込みの激しかった母の中では、自分の考えていることが事実になっているらしい。
「魔導士になれれば、都会のお屋敷で使用人を雇うような暮らしが出来るのよ」
そんな話、誰に聞いたのやら。
おそらく都会に住んでいた親戚の叔母さん連中からだろう。
悪い意味で純粋だった母。
魔導士に対する、母の無知で無邪気で無責任な憧れと、幼く増長していた俺の愚かさの結果が、包帯でぐるぐる巻きにされて横たわっている俺だった。
「せっかく聖教会が職業を選べる世にしてくれたのよ、決められた道を歩むんじゃない、こんな田舎からでも、貴族と同等の地位にも上がれる。そんな生き方も選べるようにしてあげたかったの……」
大人になればわかることだが、学習の権利や職業の自由化は、適正に合った職を選べるようにとの合理的な仕組みであって、分相応な高望みをしたり、怠惰に堕落するための制度では無かったはずなのに。
これも、理想を求め過ぎたのか、制度の悪用で歪んでしまったの。その両方か。
増える望みと選択肢の分だけ、落とし穴の数も増えて複雑になる。
迷いも増える。不運も増える。そんな子供でも分かる理屈を失念していた。
欲望を綺麗な言葉で飾った言葉に目が眩んでいた。騙されてしまった。
魔法の訓練中、禁呪が発動して村の大人達から取り押さえられて、死にかけた。
(女性ってのは、なんかこう……思い込み激しい所あるんだろうなぁ)
なにを知った風なことを、と自嘲も漏れる。
両親が心配そうな顔で俺へと視線を向けた。
悪い意味で純粋な上、童顔で背の低かった母を見ていると、別の誰かを思い出して思考が逸れそうになる。
(誰だっけ……)
幼い頃の俺は知らない人物だ。わかるはずがない。
頭から血を流しているんだ、記憶も混濁するだろう。
とにかく結論から言えば、父が正しかった。
父の言う通り、父の仕事を継いで、嫁さんを貰って、子を成し、守り、平穏に生きて死ぬ方が、こんな生き方よりも何倍もマシだったろう。
(こんな生き方も、死に方も、誰も望んでいなかった)
様々な特権で縛られることになる魔導士の暮らしだって決して気楽な物じゃない。
権力とは良い面ばかりでもない。
そもそも魔導士になるのも並大抵では無い努力と、資質、才能が必要だ。
旅をして見聞を少しでも広げれば、すぐにわかることだった。
村の中でさえ聡い者は気づいていただろう。
平民の身分もそれはそれで楽な暮らしではないが、身分が高い者は、その高給やその待遇なりに制約や苦労も多く、大変だ。
とてもじゃないが代わってやりたいとは思えない。
聖教会による教義の布教、貴族達が行う職人組合や農園の管理、国法での治安維持に領土全体の統治その他諸々と、華やかな見た目の裏にある権謀術数渦巻く荒海を生き抜きながらこなすには、特殊な才能が必要になる。
俺には特殊な才能なんてなかった。
それでも俺は父と母の子なのだ、父に師事してがんばっていれば、父と同じ仕事をやれない道理もなかったのに、煽てられ、その気になり、それ以上を目指してしまった。
日々忙しそうでも幸せになろうと努める、父と母のようになれれば、それで良かっただろうに。
「――」
父は母の名前を呼んだ。
「この子は失敗した。聖教会の決定に従おう」
母は癇癪を起こし、悲痛な声で何か反論しているようだが、現実の見えていない言葉の羅列は聞くだけ虚しかった。
それでも父は忍耐強く、一通り聞いてから優しく切り出す。
「諦めよう。そして、他の子達は同じ間違いを繰り返さないようにしよう」
一々反論せずに、決まりきった答えだけを口にする。
こんな結論を出したくない母に代わって言ってあげた。
盛大に泣き出す母は、今思えば自分に酔い痴れていたのだろう。
純粋に悲劇だと嘆いている。
本当に泣きたいのは幼い俺だったはずだが、暴走する俺を守ろうと村人達に立ちはだかって腕を折られ、右腕を包帯で吊っている母を見れば、まぬけ過ぎて涙も流す気になれなかった。
父は怒りを飲み込んで、失敗を繰り返さないようにしようと、前に進む為の教訓とした。弟と妹がいた。 彼らの未来の為に、俺のような失敗を繰り返させないと、硬く誓った。
それ以降、故郷の村からは一人も魔導士は生まれていないし、当然禁呪持ちも出ていない。
この子は失敗した。諦めよう。
その言葉はとても悲しかったのだが、子供心にそれが正しいと理解もしていた。
だから巡礼士の道を歩むことに異論はなかった。
それでも。
危険な悪魔憑きとして、罪人――もしくは奴隷と同じように――手枷を嵌められた旅立ちの日。
惨めで、情けなくて、申し訳なくて。
涙が溢れて止まらなかった。
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(あんな涙、誰も流しちゃいけない……だから)
そんなことを夢現に思っていたからだろう、泣き声が聴こえた気がして身体を起こした。
藁束のベッドを見れば、ルーナが身体を起こしてぼうっとしていた。
暗闇に浮かんだ瞳だけが冷たく輝いているが、泣いてはいないようでほっとする。
が。
「ルーナ?」
呼びかけるが、返事は無い。
荷物からランタンを取り出して火を灯せば、ぼんやりと浮かび上がる小さな人影。
軽装の革鎧姿のまま、膝に毛布を抱えてじっと虚空を見ている。
「……大丈夫か?」
様子がおかしいのはいつもの事だが、ベッドの上、瞳になんの感情も映さずに前を向いているのは、病床で末期を迎える患者ような雰囲気があって、純粋に心配になる。
「奇妙な夢を見ました」
ぽつり、とこちらを見ずに呟いた。
「夢?」
「はい。最初は闘技場にいたのですが……途中から場面が森の中に変わっていて……」
自分の両手に視線を下ろす。
「わたしはいつものように両腕を封じられていて……周囲にはゴブリンの群れがいて……でも襲ってこなくて、わたしの足元では小さなゴブリンが泣き喚いていて……それを皆で見下ろしていて……」
軽く握って開いてを繰り返し、微かな震えを誤魔化して言葉を続ける。
「そして……ゴブリンを見ていたわたしごと、全てを……大きな角が生えていて、牙がずらりと生えた……なにか、巨大な魔物が、なにもかも薙ぎ払ってしまう。そんな夢です」
俺は水袋を取り出し、コップに水を注いで差し向ける。
ルーナは小さく礼を言って受け取り、口に含んで喉を鳴らした。
夢診断なんて洒落た学問は知らない俺でもわかる。
「ゴブリン討伐、結構怖かったんだろ?」
闘技場とはまた別種の恐ろしさと緊張感があったはずだ。
「……わかりません。そんな感情は、奴隷には不要な物ですから」
不要だと主張して、見ないふりをしていてもルーナの感情自体が無くなるわけじゃない。
ルーナは自分の身形を確認しながら、視線を落として呟く。
「……なにもされなかったのですか? 男性は戦いの後、昂ぶった闘争本能を鎮める為に女を乱暴に蹂躙すると聞いていましたが……」
俺も自分のコップに水を注いき、一度水面を揺らしてから喉を潤す。
ルーナの言ってるろくでもない話は耳を逸らして無視するとして。
「話があるって言ってたの、覚えてる?」
「はい」
「今、大丈夫か?」
ルーナはどことなく張り詰めていて、神妙な雰囲気だ。
戦いの最中よりも、生き残った後、安堵の中で恐怖を思い出すことは多い。
闘技場でも戦いの後はこんな風に過ごして来たのだろう。一人で。
なにか話をするのは気晴らしに丁度いいかも知れない。
「はい。いつでもどこでも、ご主人様の望まれるようにしてください」
いつだって歪んだ奴隷根性を優先させている癖に、どの口で言っているんだか。
俺は疲れた苦笑を浮かべながら、ルーナの頭陀袋から兎のぬいぐるみを取り出し、押しつける。
ルーナはコップを置き、ぎゅっと抱きつくようにして受け取った。
そのまま隣に腰掛ける。
藁束が沈み、ルーナが一瞬だけ身を固くした。
「それじゃ、先ずはなにから話そうかね……」
俺は床に置いたランタンを眺めながら、ゆっくりと言葉を探す。
一生懸命主に尽くそうとする奴隷の少女へ、お前のやってることは間違っている。と正面からきっちり丁寧に告げなければならない。
重苦しい心地を飲み込んでから、言葉にする。
「ルーナはこの先、なにがしたい?」
「わたしはちゃんと奴隷がしたいです」
出会った頃となにも変わらない答えに、俺は一つ頷いてから言葉を続ける。
「それは奴隷として教え込まされただけで、ルーナ自身がやりたいことじゃないだろ。自分の意思で、自由にしていいんだって最初に言ったよな?」
「奴隷に自らの意思なんて不要ですので。ご主人様に使って頂くことが全てです」
出会った頃も、野営しながらこんな話をしたなと思い出しながら問う。
「……ルーナはさ、自由ってなんだと思う?」
自由にしていいんだと告げたとき、ルーナは何も知らなかった。
自由と言う概念自体、よく分かっていない奴隷の少女だった。
それは今も変わらない。
「わたしには良くわかりませんが……」
言いかけて、口を噤んだルーナへ頷き促す。
「教義や国法で民草を縛る、権力者の束縛から解放されること、でしょうか。そんな言葉を良く耳にしていました」
「……奴隷商とかはそう言うだろうな。具体的には、どんな風に言ってた?」
「聖教会は居もしない神の威光を傘に無辜な民を縛る唾棄すべき蛇蝎であり、貴族は商人を虐げ儲けを巻き上げる、私腹を肥やす醜悪な豚だ。と聞いています」
裏社会で生きる者が国法や聖教会を口汚い言葉で冒涜しているのはいつもの事だ。
その所為でルーナの語彙も色々おかしな所がある。
「聖教会はくしゃみの仕方にまで文句をつけるってやつか」
俺は苦笑し、ルーナは淡々と頷く。
大事なことはなにも知らず、奴隷として育った少女にとっての自由とはそんな物か。
いや、今の世の中、それも確かに一理あるのだろうが。
「……それも、あながち間違いじゃあないんだろうけどなぁ」
だからこんなにややこしい事になっている。
俺は苦笑と共に溜め息を吐いて語り始めた。
この、ろくでもない世界の話を。




