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パンドラの箱に星を集める

 流星群の夜に、祈りの丘で願いごとを唱えたら、神様が叶えてくれるという言い伝えがある。強い祈りの言葉だけが、星空の海を超えて、神様に聞き届けられるのだ。

 ――なんて、心から信じているわけじゃないけれど。

 マフラーを巻き直した宇藤希海うとうのぞみは、駅前のベンチで夜空を見上げた。紺色に澄み渡った星空は、宝石箱をひっくり返したようにまたたいている。白い吐息が天に向かって昇っていき、肌寒さに身震いした。靴は動きやすいようにスニーカーを選んだが、ダッフルコートの下はセーラー服とスカートのままだ。

 この世界では制服なんて、ただ様式美を守っているだけの、無意味なものかもしれない。けれど退廃に抗う戦闘服みたいで、希海は結構気に入っている。幼馴染に言わせれば、「私服通学は面倒だから有難い」とのことなので、感じ方は人それぞれだ。

 駅前の時計台を見ると、時刻は二十三時の五分前を指している。麻の肩掛けバッグには、ホットココアの缶を二つと、卵のサンドイッチを準備した。後は、相手の到着を待つだけだ。頭上の流れ星を五つ、六つと見送った時、舗道から足音が聞こえてきた。

真生まお?」

 ぱっと振り返った希海は、思い切り眉根を寄せた。

れん……」

「そこまで嫌そうな顔をすることないだろ。失礼な奴だな」

 蕗田漣ふきたれんは、大げさに肩を竦めていた。だらしなく着崩した学ランに、希海と同じ学校指定のダッフルコートを羽織っている。適当に伸ばした髪をこれまた適当にヘアバンドで押し上げるという身だしなみに頓着しない姿からは、制服という文化の恩恵にあずかっているのが一目で判る。だが、それにしても。

「なんで、あんたも制服なの? 今が何時だと思ってるのよ」

「お前が逃げるからだろ。こんな時間まで探してやった幼馴染に、ひでぇ言い草だな」

「ひどいのはどっちよ。おかげで、着替えも満足にできなかったんだから!」

「希海」

 急に真面目な声で呼ばれて、希海はどきりとする。

「学校でも言ったけど、祈りの丘に真生と二人で行くのは、よせ」

「やだ。一年ぶりの流星群だもん。真生に……聞いてほしいこともあるし」

 精一杯の勇気を込めて、希海は言った。二月の寒さで凍えた頬に、緩い熱が巡っていく。だが、そんな覚悟や情緒を汲んでくれるほど、希海の幼馴染は細やかな神経をしていない。腕組みをした漣は、不遜な声音で言ってのけた。

「希海がそこまで失恋したいなら、もう止めねえよ。さくっと振られて帰ってこい」

「ちょっと、どうして失恋前提なの!」

「だって、希海と真生って合わねえだろ。全然」

「何が?」

「価値観が」

 頬が、カッと熱を持った。さっきとは名前の違う感情の火照りを振り切るように「それでも、私は」と希海は啖呵を切りかけて、黙った。

 漣の後ろから、歩いてくる痩躯が見えたからだ。

 漣も気づき、「よお」と片手を挙げて挨拶し、へらりと笑う。濃い灰色のコートを着た少年を、希海はぽつりと呼んだ。

「真生……」

「漣も来てたんだ。星は、三人で見に行くんだね」

「俺は行かねえよ。ただの見送り」

 漣は希海のバッグをひょいと奪うと、「あっ、こら!」と叫んだ希海に構わず、ココアの缶を一つ抜き取った。取り返そうと伸ばした手にバッグを押し付けた漣は、「ほら、行った行った」とだるそうに言って、枯葉が載ったベンチに座り、缶のプルトップを開けている。その蛮行を見守っていた真生が、苦笑いで「希海、行こうか」と言った。

「できるだけ早く帰ってくるよ。漣に心配かけないようにね」

 真生の言葉に、漣は返事をしなかった。「うめぇな、これ」と呟いて、ココアの缶を見つめている。希海はいよいよ腹が立ってきたので、野蛮な幼馴染に背中を向けて、先に舗道を歩き始めた。真生が、隣に追いついてくる。

「希海。流星群は一年ぶりだね」

 落ち着いた響きの低い声が、ささくれだった心にふわりと寄り添う。漣と違って短く整えられた黒髪と、青いマフラーが夜風に靡いた。希海よりも頭一つ分高いところにある表情は、何だか思い詰めているように見えた。

「そうだね」

 相槌を打つ間にも、流れ星はきらきらと零したビーズのように落ちていく。怖いくらいにまばゆい光は、一年前に突き付けられた絶望の記憶を呼び起こす。そっと振り返ると、うらぶれた無人駅のベンチに、漣はまだ座っていた。街灯は一つも点いていないので、漣の目立つ姿もじきに闇に呑み込まれて、明るい星影ほしかげでも照らせなくなる。たったそれだけのことが、今も希海の胸を痛めた。

 この町は、どこもこんな有様だ。さっき漣に言いかけた文句を、希海は頭の中で反芻する。――それでも、私は。

 一度は滅びかけたこの世界で、真生に想いを伝えないまま、生きていくのは嫌だ、と。


     *


 一年前、希海達の町から、住人の大半が消えた。

 当時中学三年生だった希海は、頻繁に寝坊しては家族に起こされる日々を送っていた。この時期の町は流星群の話題で持ちきりで、希海も自宅の窓から星を眺めて、つい就寝時刻が遅くなった。

 そして、希海達の世界が大きく変わった、運命の日。

 希海を起こしたのは家族ではなく、隣家の窓から希海の部屋のベランダに飛び移り、家に乗り込んできた漣だった。

「希海、起きろ。……おばさんも親父さんも、誰もいない」

 目覚めた希海は、まず荒唐無稽な方法で部屋に侵入した幼馴染を罵倒した。いつもなら言葉の応酬が続くはずなのに、漣は言い返さなかった。恐ろしいほど真剣な目と向き合って、事態の深刻さを知った。スマートフォンの画面には友人から届いたメッセージが、切羽詰まった動揺を乗せて、流星群のように飛び交っていた。

 両親は、家から消えていた。漣の家も同様で、近所では逆に子供が消えて大人が残った家庭もあり、失踪の規則性は不明だった。災害時の避難所に指定された小学校へ足を運ぶと、ある者は再会を喜び合い、ある者は泣きじゃくり、ある者は混乱の怒号を張り上げて、意思のぶつかり合う声が体育館に木霊した。

 耳を塞いで俯く希海へ、漣が「希海、背筋を伸ばせ。俺を張っ倒す時みたいに。なめられる」と厳しく言った。背中に添えてくれた手の温もりを、何故だか今も鮮明に覚えている。

 その後、生き残った大人達による有識者会議で、希海や漣のように保護者を失った子供達は、金銭的な補助を受けられるようになった。変貌した世界で生き抜く基盤を固めながら、国を挙げての行方不明者の捜索は、一年経った今も続いている。

 けれど、希海達は知っている。世界から、人が消えた理由を。

 ――真生が、教えてくれたからだ。

 両親がいない家で過ごした希海が、漣とともに高校へ入学したばかりの頃。まだ一人暮らしに馴染めないでいた希海は、放課後に図書室へ寄った際に、心細さから涙ぐんだ。漣の言葉を思い出して自分を叱咤し、涙を堪えていた時だった。

 近くのテーブル席にいた男子生徒――倉科真生くらしなまおが、心配そうな顔で席を立ち、希海に声を掛けてくれたのは。数少ないクラスメイトの一人だった。

 しっとりと落ち着いた声は耳に優しく、強がっていた日々の緊張の糸がぷつりと切れたのが分かった。希海が泣き止むのを待ってから、真生は『噂を聞いたんだ』と囁いて、沈痛な面持ちで俯いた。

『流星群の夜に、誰かが祈りの丘で願ってしまったんだ。世界なんて滅んでしまえ。皆いなくなってしまえ、って』

『だから、人が消えたの? どうして、私達は残ったの?』

『宇藤さんは、パンドラの箱って知ってる?』

 希海が首を横に振ると、『ギリシャ神話に出てくるんだ』と真生は語った。

『ゼウスという神様が、地上で最初の女性であるパンドラに、世界の全ての悪が詰まった箱を渡すんだ。絶対に開けてはいけないよ、と言い聞かせて。けれどパンドラは好奇心を抑えられずに、箱を開けてしまうんだ。箱からは、悲しみ、怒り、憎しみ、恨み……数多の災いが飛び出した。けれど』

「けれど?」

「パンドラが慌てて蓋を閉めたから、箱の底には〝希望〟が残ったんだ」

 茜色に染まる図書室で、真生の前髪が紫色の影を作る。きっと自らも大切な人達を失って辛いだろうに、微笑んだ真生は、苦しそうに言ったのだった。

「世界は、滅びなかった。神様に消されなかった僕らは、宇藤さんの名前みたいに、きっと希望だ」

 この名前を与えてくれた両親の顔が、フラッシュバックした。また少しだけ泣いてしまった希海は、滅びの願いをかけられた世界で、初めての恋に落ちた。


     *


 祈りの丘は、町の最果てにある森を抜けて、なだらかな坂道を上がった先にある。真生が懐中電灯を用意していたが、星明りが希海達の道のりを照らしてくれた。

「ねえ、真生。覚えてる? 去年、パンドラの箱の話をしてくれたこと」

 木々の隙間から覗く夜空を、流れ星が泳いでいく。青白い光が現れては消えるまでの短い間、希海の斜め後ろを歩く真生は黙っていた。「覚えてるよ」と答えた声は、夜風に溶けそうなほど小さく聞こえた。歩き疲れたのだろうか。希海も息が上がってきたので、真生を励ますように話し続けた。

「あの時の私は、すごく弱くて、泣いてばかりだったよね」

「希海は、弱くなんかない。僕なんかより、ずっと強いよ」

 憂いのこもった声が返ってきて、希海は小さく笑った。真生は、いつも希海に優しい。

「希海。神様って、本当にいると思う?」

「突然どうしたの?」

「何となく、一度聞いてみたくて」

「私は、いないと思ってたよ。真生から、祈りの丘の噂話を聞いた時も」

 真生は、少し驚いたようだった。小さな息遣いが、背後から聞こえる。

「でも、今は『いる』と思ってる?」

「ん、ちょっとだけならね。寂しがり屋の神様なら、いるんじゃないかなぁって」

「寂しがり屋の、神様?」

「漣の受け売りなんだけどね」

 照れ臭くなった希海は、視線を大空に逃がした。吸い込んだ空気は、肺に痛いくらいに冷たかった。

「あの噂話を、漣に話した時に、言われたんだ。『神様も、願いをかけたそいつも、俺達と一緒にいたら、寂しがる暇もねえのにな』……って。漣らしいよね」

 願いをかけた人間と、願いを聞き届けた神様。双方の寂しさを蹴散らすように言った漣は、普段通りのあっけらかんとした顔をしていたから、希海は呆れつつも頼もしい気分になって笑ったものだ。

「……。うん。寂しかったんだ、きっと。認めたくなかっただけで」

 真生の声が、夜気に染み込んでいく。「え?」と訊き返した希海が振り返ると、真生は歩調を速めて、希海の隣に並んだ。前髪とマフラーが、表情を隠す。

「祈りの丘で、世界の破滅を願った人間は、両親との折り合いが良くなくて、心配してくれた友達にも、心を開けなかったらしいんだ」

「真生……?」

「変わり映えしない毎日が退屈で、窮屈で、そのくせ変化が恐ろしくて、明日には誰からも必要とされない、つまらない人間だという烙印を押されてしまいそうで怖くて、居場所を誰かに奪われる前に、居場所そのものを消してしまいたくなった……もし、その人間が滅びの願いをかける前に、漣と出会っていたら。世界は今、こんなにも寂しい形をしていなかったのかもしれないね」

 夜空と同じ濃紺に沈んだ真生の声が、不意に明るいものになった。

「漣の話をしてる時の希海って、何だかいきいきしてるよね」

「そ、そんなことないよ。何を言ってるの」

 希海が慌てて弁解すると、真生は穏やかな笑い声を立てた。釈然としない希海は、前を向いて歩き続けた。

「真生。神様が世界を寂しい形に変えたんだとしても、パンドラの箱の話みたいに、希望を残してくれたんじゃないかなって、軽くなった箱の中に、星みたいにきらきらしたものを集めていけるんじゃないかなって、今なら私も、思えるんだ……」

 神様は、誰かの寂しい願いを叶えて、地球から多くの人類を消し去った。後には繁栄の名残のような人間達が、明け方に見た夢の記憶のように、いつ消えてもおかしくない儚さで、それでもしぶとく生き残っているだけだった。

 つまり――希望は、残っている。

「私は、希海。ここで、皆で生きていくんだ」

「それが、希海の願いなんだね」

「そうだよ。真生は?」

「あ、希海。流れ星だ」

 真生が、オリオン座の辺りを指さした。虚をかれた希海は、一拍の間黙ってから「え、どこ?」と応じて、真生と一緒にはしゃぎながら歩いた。

 星を見るよりも大切なサインを、見逃しているような気はしていた。

 一年前とよく似た気持ちの空虚さは、心の箱に蓋をして、今は見ないことにした。


     *


 祈りの丘からは、町の全てが一望できた。

 漣と通った小学校の通学路に、昼休みに入り浸った中学校の屋上、真生と出会った高校に、漣を残してきた無人駅――。眠りにつき始めた町は、建物の輪郭が闇色に溶け合い、巨大な怪物のように見える。ぽつりぽつりとまばらに点いた輝きが、まだ人々の営みが潰えていない証として、意地っ張りな光を放っていた。

 薄く雪が積もった草原には、希海達の他には誰もいない。五月雨さみだれのように降り注ぐ星々が、宇宙の彼方で燃えている。長い時間をかけて地球まで届いた輝きに、乗せたい願いは決めていた。希海は、手を合わせて瞳を閉じた。

「神様、お願い……」

 ――残された皆と、力を合わせて生きていけますように。

 大切な人を失っても、流れ星に似た輝きを一つ一つ拾うように、希望を集めて生きていきたい。漣も、真生も、願いは同じだと信じていた。

 だから、隣から声が聞こえた時、希海は頭の中が真っ白になった。


「神様。世界の時間を、一年前に戻して下さい」


 瞼を開いた瞬間に、星空が視界いっぱいに拡がった。ざあっと強い風が吹き抜けて、丘を取り巻く森の梢をざわめかせる。驚きで声も出ない希海の隣で、切実な響きを帯びた少年の声が、願いごとを唱えていた。

「時間を、あの頃に戻して下さい。友達がいて、両親がいて……かけがえのない人達がいた頃に、僕達の時間を、戻して下さい」

 白い吐息が、沈黙とともに二人の間を流れていく。夜空を駆ける星々は、ここで滅びの願いをかけたという誰かが一人で流した涙みたいに、頭上を過っては消えていった。真生が、すうと息を吸い込んで、溜息を吐き出して、笑った。

「……なんて。叶うわけない、か」

「真生……」

「現実を見つめられなくて、そのくせ今は過去ばかりを見つめていて、何にも成長していない。そんな人間の願いなんか、聞いてもらえなくて当然だ」

 真生が、希海を見下ろした。星明りが照らし出した表情は、図書室で初めて言葉を交わした時から変わらない、寂しそうな微笑だった。

「ほら、希海。言った通りだっただろ? 僕は、弱いんだ」


     *


 冷えた風が、濡れた頬にぴりぴりと痛い。街の明かりが、先程よりも少なくなった。夜が更けていく丘でたった一人、希海は星空を見上げ続けた。

 足音が、下草と雪を踏みしめて近づいてくる。堂々たる足音がぴたりと隣に並んでも、希海は顔の向きを変えなかった。

「……だから止めたんだよ」

 低い声は、存外にばつが悪そうなものだった。「見てたの?」と希海が乾いた声で訊ねると、首を横に振った気配がある。

「真生はどうした?」

「先に帰ってもらった」

 希海は、緩い坂道に目を向けた。夜が生み出した怪物みたいな黒い町へと続く道を、真生は一人で下りていった。ここに残ろうとする希海を心配してくれたが、希海は今の自分の顔を、真生にこれ以上見せたくなかった。

「失恋を笑いに来たの?」

 鼻をすすった希海は、幼馴染をきっと見上げた。軽い調子で馬鹿にしてもらえたら、希海も存分に怒れて気が楽になる。

 なのに、漣は笑っていなかった。それどころか、「違うだろ」と静かに断定した。

「違う? 何が?」

「希海は、失恋して泣いたわけじゃない。俺の言った通りだったんだろ? お前達は、合わないって」

 止まっていたはずの涙が、また一筋零れた。怒りも恥ずかしさも湧かなかった。ただ、ほっとしていたのだ。今の希海の気持ちに寄り添ってくれる人間が、この滅びの願いで傷ついた世界に、たった一人でも居てくれたことに。

「漣。私だって真生みたいに、過去に戻りたいって考えたことはあるよ。でも、悔しいよ……」

 希海に〝希望〟を示した真生が、未来ではなく過去を望んだ。その事実が、希海にとっては失恋以上にショックだった。

「しょうがねぇなぁ、真生の奴は。お前もな」

 漣は眉を下げてさっぱりと笑うと、希海の頬にココアの缶を押し付けた。律儀に買い直してくれたらしい。手付かずの夜食を思い出した希海が、バッグを差し出して「一緒に食べる?」と訊ねると、漣は意外にもかぶりを振った。

「いや、後にするよ。先にやることがあるからな」

「後? それにやることって……漣、ここに何しに来たの?」

「迎えに来たに決まってんだろ。けど、俺も一つ祈りたいことができたんだ」

 漣は満天の星空を見上げると、何の前触れもなく、大声で叫んだ。

「聞いてるか、そこの神! 俺の願いを聞け!」

「ちょ、ちょっと! 漣っ?」

 目を丸くした希海に、漣は不敵に笑って見せて、天へと声を張り続けた。

「俺は、希海達と生きていく覚悟を決めてたさ! だけどな、気が変わったよ。誰にとっても文句なしのハッピーエンドの場所を、見つけたからな! ――俺達を、一年前のこの場所に、流星群の夜に戻せ!」

「そんな……漣……」

 漣まで、過去を願うなんて――身を固くした希海に、「早合点すんな」と漣は呆れ声で言った。

「俺は、真生みたいに『ただ時間を戻す』ことを望んでるわけじゃねえ。――止めるんだよ。俺に相談もなく勝手に思い詰めて、『世界なんて滅んじまえ』って神に願った馬鹿をな」

「それって……漣、まさか」

「ああ。希海も、もう気づいてるんだろ?」

 漣は、にっと笑った。

「救おうぜ、世界」

 とびきり明るい流れ星が光った時、漣が希海に手を差し出した。握り返した手が熱くて、心臓がとくんと跳ねる。閃光の軌跡に沿って青白い亀裂が拡がっていき、世界が真昼の明るさに照らし出されて――輝きが薄らいだ時、風の匂いが少し変わっていた。

 希海と漣は、思わず互いに目を瞠った。

 二人が着ている制服が、中学生時代のものに戻っている。

「じゃあ、ここは本当に……」

 一年前の世界――そう呟きかけて、希海は息を呑んだ。

 祈りの丘に、もう一人。空に最も近い場所で、祈りを捧げる少年の姿を見つけたのだ。見かけない制服姿で、ひどく暗い表情をしている。

「……もう嫌だ。僕のことなんかどうでもいい両親と話すのも、自分の考えを周りにわざわざ伝えるのも、全部……」

 やっぱり――そうだったのだ。

 空を見上げる真生の面立ちは、一年後の世界よりも、僅かだが幼い。希海は、静かに涙ぐんだ。何も成長していないなんて、そんなことはないのだ。後悔が生まれたから、真生は時間を巻き戻そうとした。

「どうせ、これからも一人なんだ。それなら、こんな世界なんて……」

「一人じゃねえぞ」

 漣が、前に進み出た。真生は驚愕の顔で、初対面の漣と希海を見つめている。

「未来のお前は、一人じゃない」

 希海も、真生の前に立った。「こんばんは」と挨拶して、無理やりに笑う。

「あなたも、星を見にきたんだね」

 三人で見上げた星空は、光の眩さが薄れている。代わりに、下界の街並みは明るかった。建物のあちこちで、橙の輝きが漏れている。ふと思いついた希海は、流れ星に手を合わせた。漣が、にたりと笑って訊いてきた。

「希海、何を願ったんだ?」

「皆で一緒に帰れますように」

「何だそれ」

「別にいいでしょ、すぐに叶っちゃうところが幸せで」

 やり取りを聞いていた真生が、何だか泣きそうな顔をした。今までに見たどんな顔よりも素直な表情に胸を打たれて、希海はもう二度と会えない滅びを願ってしまった未来の真生に、心の中で呼び掛ける。あなたの言った通りだったよ、と。

 世界がどんなに寂しい形に変わったとしても、パンドラの箱には〝希望〟が残っている。晴れやかな気持ちで、希海は言った。

「私は、希海。あなたの名前は?」

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