御抱え魔術師、姫君に忠誠を
「私、彼と結婚したい」
侍女に髪を整えさせながら、愛しい彼を思い浮かべる。
「まあおたわむれがすぎますわ。姫様はいつか王子様とご結婚なさるのですよ」
まるでそれは鈍器で頭を殴られたような衝撃だった。
そんな話、これまで一言も聞いた覚えがない。
言われていたとしても耳に入っていない単語のようだった。
私はもう頭がおかしくなって、死ぬまで城の自室に籠ってやることにした。
「姫が部屋から出てこない」
別段おかしい事ではないだろうが、一度も城を出たことがなく、城の近くの庭にすら出てこないのである。
それどころか、最近は部屋を出るのは食事を取る時のみだった。
王女とはいえど、警護をつければ外出してもよい。
しかし王女は城を出ようとはしない。
「ずっと部屋に籠るなど、さすがに心配だ」
国王は信頼する魔術師に、王女を部屋から出すように頼んだ。
この国では魔法の類いは当たり前とされており
国王を筆頭に貴族や大金持ちの間では魔術師を雇う事がステータスだ。
王に雇われているのは家柄、学歴も正しく、美しい容姿に美声、数々の教養、振る舞いも紳士のエリートの青年。
彼が勤めてはや6年になるが、いまや彼は国一の魔術師であるわけで。
だったら私が求婚しても古き時代のドラゴンを倒してプリンセスと結ばれた勇者のようになれるのでは?
「私は王女としては生きられないわ。
ここで一人で生きて、甘美な死を迎えるのよ」
「貴女は篭の鳥でも、自由を奪われた蝶でもない王女です。
今日こそ部屋を出ましょう」
魔術師が何度呼び掛けようと王女は部屋を出てくれない。
本来、魔術師は魔法を使うのが仕事であって、けして室内に閉じ籠った少女を部屋から出すことではない。
しかし、頼まれたからには仕方がないと魔術師は王女を出そうとする。
「姫君、貴女は城から出られないのではない。出たくないだけですね」
「そう私は出たくないだけ。この安寧の殻から」
私が部屋から出たらきっと嫌な未来が待っている。
「姫、きっと貴女はこれから先とても素敵な王子様に廻り会えます。」
「そんなことを言われて出ると思う?」
ああ、今のは扉越しでも苛ついているのがわかった筈だ。
「姫が騎士殿に惹かれているのはわかりましたが…」
いつ私が騎士を好きと言ったのか、彼の豊かな想像力に驚き、私は口をあんぐり開いてしまう。
―――とんでもない勘違いされている。
お姫様が騎士に思慕しているなど滅多にない状況だ。
劇的な発想が浮かぶのは、彼が世俗的な本の読みすぎだからではないのか。
「なに言ってるの常識ではお姫様は王子様と両想い。そうでしょ?」
「男としては守られてばかりの王子より強い騎士になりたいものです」
「私は魔法使いのほうが好きよ」
魔術師も魔道士も魔法使いも違いがわからない。
ただ、あえて魔術師と言わないことで辛うじて誤魔化せただろうか、悩む反面、伝わってほしくもある。
「魔法使い…それは新しいですね」
どんな顔をしているのか、ドア越しではわからない。
「では、姫がここから出てくだされば、何かが起きる可能性はありますよ」
それは、つまり部屋から出なければ、魔術師とは結ばれないと言いたいのだろうか。
「リスク無しに、何かを得るなどあり得ないのです」
「わかった、出るから…そこで待っていて」
でも、開けたら魔術師がいなくなっていたらどうしよう。
「いなくなったりしない…?」
「ここにいます」
彼を信じてドアを開ける。
魔術師はちゃんといた。
「姫が部屋を出られたぞ!」
「なにをしている早く王子を呼べ!!」
部屋から出た、それだけで兵士達は慌てふためく。
「私を騙したの!?」
信じて出てきたのに、王子と結婚させようとするなんて…。
「しかたないですね…部屋に立て籠りますか」
魔術師が私を部屋に押し戻し、彼も室内に籠城するといい、二人きりになってしまった。
「夢のよう…」
魔術師の背中に抱きつく。
「すみませんね相手が魔術師で、姫は魔法使いがお好きなのでしょう?」
魔術師は気がついていて、敢えて聞いているに違いない。
「意地悪、貴方がなんだろうと好きなのに」
ついに好きだと言ってしまった。
フラれたわけでも両想いなわけでもなく、ただ想いを告げただけなのに、涙が溢れた。
魔術師が振りかえって、涙を指で拭う。
「姫、泣かないでください」
そういって彼は目蓋に口づけた。
「なぜ姫は私を好きなのか、わかりません」
「それは言っていないから…」
自分でもなぜ魔術師が好きかわからない。
代わり映えのない城に、珍しい職業の者が来たからだろうか?
目新しい芸を見せる魔術師に興味があっただけで、彼自体に感心はなかったのかもしれない。
「…貴方の名前は?」
もう魔術師と呼ばないほうがいい、そう判断して名をたずねた。
「…エイヴァランです
私も姫のお名前を知りません
教えて頂けますか?」
やはり彼も私の名を知らなかったようである。
お互い様なのだが、やはり残念だ。
けれども名前を聞かれたのはいつ以来だっただろう。
皆私を姫や王女と呼ぶ。
父にさえ姫としか呼ばれたことがない。
「ハミュレーヌよ…」
名を教えると、すっと手を差しのべられた。
「わからないことだらけの私達ですが、これから互いを知っていきましょう…」
その手に重ね合わせる。
結局、私と彼が互いを知るより、籠城を続けて、父や城内の皆が折れるほうが早かった。