8月上旬・某所
※『うろな町』企画参加作品です。
今回はプロローグのようなものです。
柱時計が12時を告げた時、私は室内を見渡した。そこそこ広い空間に残されたのはいくつかのダンボールと、僅かな家財道具に、私。他のものは全て先に送ってある。
引っ越すこと自体はもう何度も経験してはいるのだが、どうもこの眺めには慣れない。なんとも感慨深いものだ。これが人間なんだろうな、そう思っていると、外から声がかけられた。
「旦那!荷物は積み込みましたよ。後はこれだけです!」
そういって残ったダンボールを指差す。あぁ、もうそんな時間か。私は微笑みながら返事をした。
「ありがとうございます。後は私も運びますね。」
「いやいや、旦那はもう少し感傷に浸っててくださいや。もうお年なんですから。」
「ふふふ、何度も言ってるでしょう。私は若いって?…でも、最後くらいは甘えましょうかね?」
「まぁそうしててくださいな。おいお前ら!残り一気に積んじまうぞ!」
『おぅ!!』
彼らは元気だ。元気なのは良いことだ。だが、人間がこれほど活気よく生きていられるのは人生の中でもそう長くはない。寿命を100年とすれば30年前後だろうか。後は衰え、終わりを迎えるだけだ。
私は長い間、多くの人間や動物や様々な生き物を見てきた。数え切れない数の始まりを見て、また、終わりも見た。しかし私はまだ、自分の終わりというものを知らない。まぁ本当に終わったのならばこうして考えることもないのだろうが。
私が終わりを知るときは来るのだろうか?
「…な?旦那?」
ふと意識を戻すと彼が心配そうにこちらを見ていた。
「すいません。少し考え事をしてしまいました。積み込みは終わりましたか?」
「えぇ。後は出発するだけですよ。しかし呼んでも返事が来ないもんだから、ついに旦那もボケが来たのかと…。」
「何なら今から表で試してみますか?餞別にいつもより少し手荒くしますよ?」
「いやいやいや!すいませんっした!旦那の力、ハンパないんすから手荒くされたりしたら死んじまいますって!」
「まさか、死にはしませんよ…多分。」
「旦那ぁぁあ!!」
「ふふふ、それでは空港まで行きましょうかね。」
そんな賑やかな会話をしながら私たちは車に向かった。荷物を載せたトラックは先に行ったらしい。
ドアを開けようとしてふと、振り返る。そこには長い間住んでいた建物が、まるで主を無くして泣いているかのように寂しげに佇んでいた。運転席の彼が生まれるずっと前から、一緒に喫茶店をやってきた建物。戦火を耐え抜き、復興の、人々の支えとなってきた建物。彼の歴史にいま、また幕が降りようとしていた。
「…大丈夫ですよ。次の人も優しい人だと思いますよ。それに、きっとまた逢えます。信じていれば、いつか、きっと。」
「…ぐすっ。」
誰にいうでもなく私が呟くと、ふいに後ろから鼻水をすする音がした。見てみると運転席の彼が号泣していた。…うん、忘れてた。
「旦那ぁ。ぞうですよね、いづかまた会えまずよね!?」
「えぇ、きっと逢えますよ。」
涙と鼻水にまみれた彼を宥めに宥め、泣き止むまで30分近く要した。こういう感動系も嫌いではない。落ち着いた彼が車を発進させる。
遠ざかる建物、道路、街並み…。この街は中々いい街だ。ずっとこれからもこの良さを忘れずにいてほしいものだ。
「ところで旦那。どこへ引っ越すんですか?」
「おや、まだ行っていませんでしたか?」
「この間旦那が引っ越すって言った時に訊こうとしたら電話がきてそのままだったんですよ。」
「ふむ。それはすいませんでしたね、ジョニ坊。」
「ってその呼び方やめて下さいよ!?俺もう27ですよ?」
「私から見ればいつまでも坊やのままですよ。それで引っ越し先でしたね?日本です。」
「…日本ってあの極東の?アニメとかサムライとかフジヤマの?」
「…サムライはもういない筈ですが、まぁそうなりますね。」
「日本ていうとキョートですか?」
「いえ、『うろな』というところです。この街のようにみんな優しい街ですよ?」
「…すいません旦那。聞いたことないです。」
「まぁ世界的に有名、という訳ではないですからね。仕方ありません。」
「前に住んでいたんですかい?なんかそんな感じですけど…。」
「…えぇ、ずぅっと昔に。」
彼とこんな風に話すのももう最後か。あの場所に戻ることはあっても、その頃には彼はもういないだろう。
そうこうしていると空港についた。車から降りると、先に行っていた内の一人が駆け寄ってきて、荷物を送ったと報告する。礼をいい、ジョナサンと彼を連れてロビーへ向かう。荷物を運んでもらった彼らにお礼と、別れの言葉を伝え、ゲートまで来た。ジョナサンは最後まで着いてくる。
「さて、ここでお別れです。」
「…はい。」
返事する彼の顔は暗かった。こういう別れ方は嫌だ。最後は笑顔がいい。私は彼に最後の言葉を伝える。
「ジョニー、いや、ジョナサン。ジョナサン=アーノルド・マキノリア。私は貴方のような友人を持てたことを心から嬉しく思います。例え雨が降ろうと彼女にフられようと、心配になるくらいに明るかった。そんな貴方が、私は好きです。だからそんな顔をしないで、笑って下さい、ね?」
「旦那…。そうですね!旦那の別れにしんみりしたのは似合いませんね!」
「ふふ、では…行ってきます。」
さようならではない。何故ならこれは終わりではなく、始まりなのだから。
「…いってらっしゃい…!!」
そういい笑顔で手を振る彼の顔には涙が浮かんでいた。
次回から街に入ります、多分。