第四章 孤高へ 自らの信じるモノのために
聖アルフ歴 1680年
竜の心臓によって老いることもなく、心を殺したまま国のための剣としての生活が十年近く経過した。
求められるままに、より多くの人命と国を守るために少数を切り捨て続けた虚無の騎士は、ある時期からか何を食べても血か泥の味しかしないようになり、眠るたびにかつて一度現れた黒衣のローブの男が頻繁に現れるようになっていた。
「お前は愚かな男だな。敵を屠るだけの剣になることも、戦いに喜びを見出す狂戦士にも成れず。ましてや結局は誰一人救えず。それだけの力を持っていながら腐っていくのか……」
この日も現れた黒衣の男は嘲笑うようにそう言った。竜血の騎士は淡々と口を開く。
「ああ。確かにお前の言うとおりだな。それに、戦いに愉悦を見出すほど落ちぶれてはいない」
「相変わらず面白味のない奴だ。私と戦っていた時は随分と生き生きしていたぞ」
今まで一切口をしなかった黒衣の男の言葉にジークは、目を見張り口を開く。
「お前は一体何者だ?」
ほとんどの感情が消え失せかけていたジークの珍しい驚きをおもしろがるように黒衣の男は口を開く。
「時期に分かるさ。それに、貴様が戦いの中で愉悦を求めないと言っていたが、それは自らを誤魔化す為の嘘だ」
黒衣の男はジークをしばらく観察すると再度話し始める。
「まあいい。精々我に飲み込まれないようにするのだな。そのような空の心では我を抑えきれんぞ」
不敵に笑いながら黒衣の男は闇の中へと消えていった。
夢の中に頻繁に現れる黒衣の男が今までとは異なる不敵な発言を残してから数日後、ジークは故郷の酒場で昔馴染みのエルフの魔術師、ルーシーと再開した。
竜殺しを成してからはほとんど顔を合わしていなかった古い馴染みは、虚無の騎士にかつてと変わらない態度で話しかけてきた。
「約十年ぶりかしらね。アンタ今時時間ある? 久しぶりに会ったんだし積もる話もあるでしょ?」
ルーシーは心底楽しそうに口を開くと、酒場の店員に話しかけ自らが飲む酒を頼み始める。
「そうだ。アンタは何飲む?」
ルーシーに酒を勧められたジークは、興味がないかのように返答する。
「酒はいらない」
ジークのあまりにも希薄すぎる反応に唖然としたルーシーは心配げにエルフ族特有の長い耳を動かしながら話しかける。
「アンタが元々あまり酒を飲まない方だったのは知ってたけど、どうしたのよ? 今のジーク死人みたいな表情しているわよ」
「俺のことは気にするな。それよりもお前は大魔導師として上手くやっているか?」
ジークが話を変えようとする可能のようにそう言うと、ルーシーは少し怒り気味に答える。
「アタシは上手くやっているわよ。それよりも死んだような顔をしたアンタの方よ。隠そうとしたって無駄なんだから」
大魔導師を名乗るほどにまでに成長した、かつての友の言葉を受けた竜殺しの騎士は、観念したかのように自虐的な独白を始める。
「もう俺には分からないんだ。この世界のことを憎んでいるわけじゃないのに、もう俺には、本当は何がしたいのかがまるで分からない。俺が今まで何を理想として戦っていたのかまでもだ」
「最初は、一人救えただけでも良かったのに、次第に視野がだんだん広くなっていくんだ。だけど、俺がかつて望んだように全員を救うことなんて出来なかった」
「だから、俺よりも強い奴なら、俺よりも多く人間を救えると思って、俺を殺せる存在を心の何処かで探し続けていた。だが、誰も、俺を倒せなかった」
ルーシーは怒りをたぎらせながら話を聞き続ける。
「次第に命じられるままに剣を振るうようになってきた。救えない人間が居る事や、自分より弱い相手としか戦えないことはもう慣れた。大体のことは続けていれば慣れてしまうモノだったよ……」
「だが俺は、力を持たない民達を切り捨てる為に剣を取った訳じゃない。俺はそんなことの為に騎士になった訳じゃない……!!」
「俺は初めて民を殺したあの日を忘れられない。俺は……」
竜殺しの二つ名まで持ち合わせた騎士は、自らの全てをもはや見失ってしまったと言う様子でそう言った。
そして、その言葉を受けたルーシーは怒声を上げる。
「甘ったれんな!! そんなに嫌なら、騎士団を辞めればいいじゃない。大体、騎士団なんて国の犬同然でしょうが」
いきなりの怒鳴り声に酒場の客がルーシーを注目し続ける中でも、稀代の大魔導師は苛立ち混じりに続ける。
「国の魔術師やってるアタシも、あんまりアンタのことは言えないけど、今のアンタは、戦いが作業同然になっていることと、今まで切り捨ててきた誰かに後ろめたさを感じて、自分を見失っているだけよ。」
「アンタは、不死身の勇者とやらになったのかもしれないけど、ジークだって歴とした一人の人間じゃない」
ルーシーの言葉を受けた虚無の騎士は虚を突かれたような顔をしながら淡々と答えた。
「ああ。一応はそうだな」
「結局アンタ自身の心の弱さは守れていないのよ。アンタの胸元だけが不死身じゃないのもそう言うアンタの気質を荒らしてるんじゃないの!?」
「簡単に言えばアンタは、今までの戦いや民を切り捨てる過程で体を斬り裂かれる代わりに、心をズタズタに斬り裂かれ続けたってことよ」
ルーシーは、何時もの奔放な態度とは異なる悲しげな様子で続ける。
「まあ。後一つ原因があるとしたら、アンタは昔から心の何処かで自分と対等に渡り合える存在と戦いたいって思ってて、そんな相手が今まで数えるぐらいしかいなかったっていのもあるんじゃないかしら。まぁこれはおまけみたいなものだけど」
「よく思い出してみなさいよ。ジークは、初めて剣を取った時に、何を考えていたの? アタシに語ってくれたじゃない」
ルーシーの言葉を受けたジークは、今までを思い返すように考え込むと、口を開いた。
「そうだ、最初の俺は、誰かに賞賛されることでも、自分の名誉の為でもなく、唯自分の信じる物の為に、俺は剣を手に取ったんだ」
ジークは、少年時代の自らを思い起こすようにそう静かに、しかし力強く口を開いた。
「俺はかつて魔物の群れから王都を守りきって死んだ父みたいに、誰かを守れるようになりたかった。そのための手段は俺に出来ることなら何でも良かった」
「それなのに俺は、結果的に自らの虚無を埋める為だけに多く人間を切り捨ててきた。他者から物を盗まなければならない弱者や、制御できないほどに強い力を持った無力な者まで屠り続けてきた。だから俺は……」
「俺には前に進むことしかできない。例えどんなことが待っていようとも、俺は、弱き物の守る為に、自分信じる物の為に剣を振るう」
「騎士や国という枠組みに囚われずに俺自身が、弱者を守るための剣になる」
ジークの、今までにないほどの強い意思が込められた言葉を
聞いたルーシーは、何処か不満げに口を開く。
「ふーん……でもそれはとても厳しい道のりよ。何せ、誰からも理解されずに命を終えるかもしれないと言うことなんだから。それに、アンタの行為は、傍から見れば、今まで切り捨ててきた人間に対する、申し訳程度の贖罪にしか映らないかもしれないわよ」
ルーシーの言葉を受けたジークは、全てを承知しているように頷いた。それを見た稀代の魔導師は呆れた様子で口を開く。
「だったら、アタシにはアンタを止められないわね。思うがまま駆けなさい。しょぼくれているよりも、その方がアンタらしいわ」
ジークは、一言旧知の友人に「ありがとう」とだけ述べると、そのまま酒場を後にした。
「アタシの言いたい事を、勝手に自己解釈するんじゃないわよ。馬鹿……」
竜殺しの騎士が去っていく後ろ姿を見送った稀代の大魔道士は、そう呟いた。
ルーシーと酒場で再会した数日後の朝、ジークは騎士としての地位を献上する為の儀式を行うために国王の間へと訪れていた。
「ジークよ。お前は十年以上も我が国のために力添えをしてきてくれた。本当に構わないのだな?」
玉座に座っていた国王が竜血の騎士に最後の確認をするかのように問いかけると、話しかけられた長身の男は申し訳なさそうに口を開く。
「……私は騎士としてではなく、一人の人間として成すべきことを見出しました。故に、私はここを去らなければならないのです」
ジークの言葉を受けた国王は、顔をしかめてしばらく考え込むと、重々しい様子で口を開く。
「そうか……ならば、お前が受け継ぎし我が国の国宝たる【魔剣グラニウス】を置いていけ。お前の父には申し訳がないがな」
国王の言葉を受けたジークは僅かに目を見張りながら口を開く。
「お言葉のようですが、この魔剣は我が一族が代々守護してきた剣であります。そして我が一族は私以外にはもはやいません」
「そしてこの魔剣は私が父から受け継ぎし唯一の遺品でもあります。国王よ。どうかご容赦を……」
ジークの言葉を受けた国王は淡々と口を開く。
「確かにその魔剣はお主の血族が管理してきたものだ。だが、お主とて王が国の宝を簡単に明け渡すわけにはいかないことぐらいは承知しておろう?」
ジークは言い返す言葉が無い様子で顔をしかめる。その様子を見ていた国王は再度口を開く。
「何。我が出す条件をお主が飲めば魔剣を譲ろう。エドモンド、入れ」
国王がそう言うと、白銀の鎧を纏った竜血の騎士にとっては顔なじみと言える男が王の間に入ってきた。
「失礼いたします、国王」
エドモンドが国王に一礼しジークの横で頭を垂れると、国王が口を開く。
「お前たち二人にはこの王都の決闘場で魔剣を賭けて戦ってもらう。お互いに手加減することは認めぬ」
「ただ、ジークが魔剣を使用することは禁じるがの。怖気ついたというなら今じゃぞ」
国王の言葉を受けた二人は、僅かに顔を強ばらせた。
(なるほど、国王は、エドモンドと俺のどちらかが死ぬしかない状況を作ることで俺に思いとどまらせる気なのか……)
(だが、俺とて自らの覚悟を折るわけにはいかない。例えどれほどの憎しみを受けたとしても)
静寂を王の間をしばらく支配した中で、虚無の騎士が口を開いた。
「――それはつまり私とエドモンド卿どちらかが死ぬ事を意味しているという事でよろしいのでしょうか?」
虚無の騎士の言葉を受けた国王は、重々しく答える。
「然り。お主が求めているモノはそれだけの価値があるものだということだ」
国王の返答を受けた二人の騎士は覚悟を決めたように顔を頷かせる。
「承諾したようだな。ならば明日の明朝に決闘を執り行う。お互い準備を怠るではないぞ。うむ二人共下がるがよい」
国王はそう言うと、玉座から立ち上がり王の間から立ち去ろうとした。それと同時に、衛兵が二人の騎士に王の間から出るように促した。
「……ジーク。王の命令故に私も一切容赦しないぞ」
竜血の騎士と目があった白銀の鎧を纏った騎士は一言だけそう呟いた。
翌日の朝には王都の決闘場では準備が整えられた。
闘技場中央部の広場では、国王までもが観戦する中で国を左右するほどの力を持った二人の騎士が対峙する。
「ジーク。お前の心境に何があったかは私には測りきれないが、後に我が国の驚異になりうるお前を事前に排除させてもらうぞ」
エドモンドは10年前の一撃決着形式の決闘の時とは異なる鈍い銀色の長槍を構える。
「対竜種用の魔術を付与した戦闘用の槍か」
白銀の鎧を纏った騎士の得物を観察しながら、黒と銀の二色の胸元が開いた軽鎧を纏ったジークが長い銀色の髪を掻き分けながら口を開く。
「確かに、俺の魔剣が国外に流出すればこの国にとって大きな損害になりうるという事は分かる」
愛用していた竜殺しの魔剣の代わりとして若き日に振るっていた古ぼけた大剣を背中の鞘から抜き取りながら竜血の騎士は続ける。
「だが、俺にも譲れない覚悟がある。その為にはお前をここで倒して魔剣は頂いていくぞ」
ジークの宣言と同時に審判が決闘の開始を告げる金を鳴らす。
その瞬間、竜血の騎士は1m強ほどの大剣を低く構えると、地を走るようにエドモンドへと距離を詰める。
「馬鹿め。槍と剣では間合いが違う!」
エドモンドは手元に持っていた対竜種用の魔術が付与された槍で凄まじい勢いで刺突を繰り返す。
「無駄だ」
魔弾の嵐にも匹敵する槍の連撃に対して、ジークは大剣を盾にするように前に出すことで最低限胸を守るのみで突撃する。
「っち。小癪な」
槍を素早く引き戻したエドモンドは、竜種対策をある程度施された槍を防具の無いジークの頭部に目掛けて素早く薙ぐ。
しかし、竜血の騎士は咄嗟に大剣に添えていた左手を離して、槍の一撃から頭部を守るように添えた。
「……竜種対策を行っていると踏んでいたが、表皮を斬る程度か」
薙払いを防がれた白銀の騎士は後ろに跳躍して距離を取る。
「竜殺しの魔術を付与した槍でもまるで意味がないだと!?」
槍を構え直しながら白銀の騎士は悪態をつく。
その様子を見ていた竜血の騎士は、篭手に覆われた左手の甲についた傷が回復したことを確認しながら再度白銀の騎士に斬りかかる。
「っく。まだだ!」
エドモンドは槍を両手で持ち直し、心臓にめがけて槍を突く。
古ぼけた大剣と槍が激突した次の瞬間、竜血の騎士は素早く指で【雷と巨人】のルーンを大剣に刻む。
「スリサンズ」
剣に付与された電撃は、接触していた槍を通してエドモンドへと流れる。
「っぐ!?」
白銀の騎士が電撃によって苦悶の顔を浮かべ動きを鈍らせると、虚無の騎士は、剣を無理やり跳ね上げることで相手の槍を弾き飛ばす。
そして、電撃体の動きが完全ではないエドモンドの肩口へと大剣を振り下ろす。
「ガハッ!!」
肩口から深く切り込まれたエドモンドは、口から血を吐きながら崩れ落ちる。
勝敗が決した瞬間、民衆たちが大きな歓声を上げるのと同時に、闘技場の中央部で古ぼけた大剣を鞘に収める竜血の騎士に一人の若い騎士が凄まじい形相で近づく。
「おいアンタ。何でエドモンドさんを殺した!」
憤怒の表情を浮かべながらエドモンドの部下だと思われる若い騎士に顔を向けたジークは口を開く。
「俺が決めた選択とエドモンドの意思との相違としか言い様がないな」
先程まで決闘の勝敗に沸き立っていた観客たちも押し黙っている状況で、若い騎士は怒りに駆られたまま口を開く。
「ふざけるな。エドモンドさんはアンタのような何を考えているかも分からないような奴とは違って将軍として軍を指揮する立場だったんだ」
「アンタが身一つで国から出て行くか死ねば良かったんだ。そうすればエドモンドさんが死ぬことは無かった」
若い騎士の憎しみが込められた言葉を受けたジークは、表情を変えることなく返答する。
「確かに俺が死ねばエドモンドが死ぬこともなかったし、国にとっては俺よりも、エドモンドの将軍としての器と魔剣の方が有益だっただろうな」
「だが、この戦いを認めたのは国王だ。俺はもう誰も弱い民を見捨てたりしない為にも、僅かなチャンスでも利用しなければならなかった」
「どうしても俺が憎いとなら、今後はこの国に縛られるわけじゃない俺を殺せるだけの力を得るんだな」
竜血の騎士の淡々とした言葉を受けた若い騎士は咄嗟に腰に指していた剣を抜き取った。
「決闘場に乱入した上で剣を抜いたということは自らが斬られる覚悟を持っているということだな?」
ジークは淡々とした態度で背中に背負っている大剣の柄に手を伸ばす。その様子は慣れた単純作業をこなすかのようだった。
「お前のような男が騎士の作法について兎や角――」
騎士が剣を振りかざそうとした次の瞬間、国王が直接専用の観戦席から降りてきた。
「双方剣を収めよ」
国王の言葉を受けたジークは大剣の柄を握っていた右手を下ろす。
「しかし国王陛下! この男は、形式はどうあれ将軍を殺した上で、我が国の国宝たる魔剣を持ち去ろうとしているのですよ!? ならばここでこの男を始末するべきです!!」
若い騎士が剣を握ったままそう叫ぶと、国王は険しい表情で口を開く。
「ジークがエドモンドを倒した場合は魔剣を譲というのは我が決定したことじゃ。お前は我の決定に異を唱えるつもりか……!!」
国王の喝を受けた騎士は一瞬だけジークを睨みつけると剣を腰に収める。
「……申し訳ありません国王陛下。最後まで手を煩わせてしまい申し訳ありません」
ジークはその場で跪いて国王に詫びる。
「気にするでないぞ。だがジークよ。お前は自分ひとりで弱き者達を全て救えると思っているのか?」
「お前が弱き者を救おうとすれば、今のようにその他の勢力から恨みを買うことも多いだろう。最早遅いだろうが構わないのだな?」
国王の問いかけにジークは跪いたまま顔だけを上にあげて答える。
「はい。今まで切り捨ててきた力を持たない人々のため私は剣を振るうと誓ったのです。故に父の形見でもある魔剣はどうしても必要なのです」
「……構わん。約束通り持っていけ。その代わり二日後までにこの国を出国することが条件だ」
国王の言葉を受けたジークは、僅かに顔をほころばせた
(これでいい。まだどれほどの事を成せばいいかまでは分からないが、より多くの人を救っていこう。その為に剣を振るおう)
続く
こんばんわドルジです。
今回は、主人公が自分の信じる道に進むために今まで持っていた物を切り捨てていく新たな始まりになる話です。
次の更新は少し遅くなるかもしれないです。