第三章 空の心 虚無の騎士
聖アルフ歴 1671年
ジークは夢を見ていた。夢には黒いローブを羽織った病的なまでに色白い男が現れ、こう言った。
「いいか、ジーク。お前は我の竜の力を得たことで無敵の戦士となった。だがそれは同時に諸刃の刃とも言えることでもある。お前の胸には竜の弱点たる逆鱗が存在する。それに竜殺しの魔剣や魔術を受ければ、お前は忽ち死に至るだろう」
「お前が、戦いで高揚感を表に出さない理由は、お前の内にいる我にはよく分かった。だがそれを理解できなければお前はいずれ……」
目を覚ましたジークは、胸元が大きく開いた軽装の鎧を新調し、今まで以上に、まるで自らの死に場所を求めるように、国中の優秀な戦士との決闘や、魔物や蛮族との闘争に明け暮れた。
そんなある日、ジークは凶悪な魔物を惹きつける体質、【魔物憑き】となった少女が暮らす村へと訪れた。ジークが見つめる先では魔物が村の塀をよじ登ろうとしている。
身長190cm代中頃の大柄な男は、僅かに顔を歪ませながら口を開く。
「やるしかないか」
胸元が大きく開いた鎧を纏った竜血の騎士は、数日前に地主から受けた指令を思い返した。
「魔物憑きの娘を殺せ。魔物が攻め込んできたタイミングで村ごと焼き払え」
地主のあまりにも冷酷な指令に、ジークは動揺しながら返答する。
「何故村人を皆殺しにする必要がある? 魔物憑きを払えば問題はないだろう。大体、魔物避けの結界も村には張っているんだろう?」
ジークの言葉を受けた地主は淡々と口を開いた。
「青いな、竜殺し。魔物憑きを払うためにどれだけの魔術師と労力が必要なのか分からないのか? 地上界と魔界の戦争が終わり、今は地上界で我々人類が己の国の誇りをかけて戦っているのだ」
「その労力を使わないことによって国にどれだけの利益があるか、国の防衛を担う騎士であるお前には分からないのか?」
地主はジークを嘲笑うようにそう答える。
「村の民を犠牲にして地主たる貴方は、何も思わないのか……!?」
「思わん。大体たかだか村一つなど国の存亡を賭ければ安いものだ」
地主は、忌々しい様子で指令書をジークに投げつけるとあざ笑うように口を開く。
「青二才が。だから貴様はそれだけの力を持っていながら、将軍になることも出来んのだ」
地主が放った中傷に、竜血の騎士は拳を握ったまま耐え続けた。
数日前の忌々しい出来事思い出した竜血の騎士は、気を紛らわせるかのように指令書を眺め始める。
「内容は【魔物避けの結界に偽装した中にいる生物を焼き殺す炎の結界を発動させ、その後、魔物憑きの少女を竜の血肉によって結界の中でも動ける俺の手で確実に殺す】だったか……」
竜血の騎士は指令書を見てわずかに顔を歪ませながらも、結界の発動ポイントに到着し、本来の結界を発動させるために【イチイ】と【大鹿、または保護】【炎】ルーンを指で刻む。
「エイワズ エオロー カノ」
ルーンが起動したことを確認した竜血の騎士は、結界とその向こう側に存在する村を眺めながら呟いた。
「……済まない」
炎の結界が発動した次の瞬間、村の周りを炎の檻がおおっていく。炎の檻は凄まじい勢いで燃え盛り、中にいる村人と魔物を容赦なく蒸し焼きにしていく。
「ここからは俺の仕事か……」
虚無の騎士は無表情のまま右手に長槍と左手に騎士剣を構え炎の檻の中へと飛び込んだ。
竜の心臓と血肉によって竜血の騎士が得た竜の肉体は、結界から発生する炎を平然と弾き返し、竜の血が通った肺によって常人では呼吸することも困難な灼熱の乾いた空気の中でも簡単に呼吸することが出来た。
炎の結界の中は灼熱の地獄同然だった。凄まじい熱気によって普通の人間では呼吸そのものが困難な状態だった。この灼熱地獄から逃れようとしてそのまま体を焼き尽くされるものや、呼吸すらできずに魔物に貪り尽くされるものまでいた。
その中で虚無の騎士は自らにすがり寄る村人を剣で切り裂き、本能のままに自らに食らいつこうとする魔物の頭蓋を槍で打ち砕く。
そして、大量の返り血を浴びた竜血の騎士は依頼書に書かれていた魔物憑きとされる少女の家の中に入ると、そこには少女の両親と思わしき人物の死体を必死に貪る獣のような姿をした魔物が存在した。
屋内では邪魔になりうる槍を収めた虚無の騎士は、目の前の肉にしか意識を向けていない魔物を剣で屠ると、そのまま階段の奥の部屋に向かった。
「ここか」
階段の奥に存在した扉を開くとそこには小さな部屋の奥で必死で呼吸をしようとしていうる少女が存在した。
この炎の中では仮にこのまま放置したとしてもこの少女は死ぬことが竜血の騎士には分かった。
「騎士の人……?」
少女は今にも消え入りしそうな声でそう呟いた。虚無の騎士はそのまま少女に歩み寄り口を開く。
「悪いが君をこの場で殺す。国の決定だ」
青年騎士はそう言うと、剣を振り上げた。
「……そうですよね。私のせいで村のみんなに迷惑を掛けていましたし、こういう風になるのも当然ですよね」
少女は炎の結界の正体には気づいていないのか、悲しげにそう呟いた。
「この村に炎の結界を貼ったのは俺だ。君たちを殺したのは俺だ……恨むなら俺を恨んでくれ」
血に濡れた竜血の騎士は能面のような表情でそう呟いた。
「……そうだったんだ。ごめんなさい騎士のお兄さん……」
剣を構えていた竜血の騎士は、思いもしない言葉に驚いたように口を開く。
「何故謝る? お前や村人を魔物ごと殺したのは俺なんだぞ?」
「だって、貴方がそうしないといけない理由は私のせいだから……それに騎士のお兄さん今にも泣きそうな目をしているもの」
少女の言葉に一瞬固まった虚無の騎士はそのまま剣を振り下ろした。
「俺に泣く資格なんてそもそも無いさ」
自らの手に持っている剣が少女の命を絶ったことを確認した竜血の騎士はそう呟くと、手に持っている片手剣の血を払い鞘に収める。
「――俺は君たちを助けられなかった……」
ジークは、そう呟きながら物言わぬ少女の死体の目を閉じ、そのまま部屋から立ち去った。
それか一ヶ月程経過したある日、竜血の騎士は王都の上流階級向きのレストランでかつて国内での催し物の一環として国王の命令で行われた決闘の相手であるエドモンド将軍と再会した。
ちょうど昼食をとっていなかった二人は食事をすることになり、しばらく食事を続けていると、竜血の騎士は、白銀鎧を纏った将軍に声をかけた。
「エドモンド将軍。俺は人々を少しでも多く助けるために尽力するものが騎士だと考えている。俺の考えは間違っているのだろうか?」
ジークの言葉を受けたエドモンドは、少し考え込むように顔をしかめた後に答えた。
「ああ。国に忠誠を誓う騎士としてはあまいこころがまえだろう。そもそもお前は一昔前の魔族や魔物から民を守る騎士像を抱いているようだが、それは誤りだ」
「今の騎士は、実質的には国という要を守るための手足同然だ。かつてとある暴君は、【国と王があってこその民だ】と言い、逆にとある国に仕えていた大魔導師は【民あってこその国と王だと】言った。私は両方が正しいと考えている」
「故に、私もお前も国の大義のために力を振るわなければならない。それによって救えない民や切り捨てなければならない民が現れたとしてもだ」
エドモンドの言葉を受けた竜血の騎士は顔から表情がなくなっていた。
「お前は戦闘においては無類の強さを誇るといっても過言ではないが、国の手足として働くのには適していないのだろう。その地主の口ぶりには私も正直腹出しく思うが、実際に被害を少なく出来たことも考えれば間違ってもいないと言えるだろう」
エドモンドはそれだけ言うと食事を口に運び、顔から表情が消えた竜血の騎士に声をかける。
「私は割り切るべきだと思う。非情だが切り捨てる覚悟を持つべきだろう……」
エドモンドは慰めるようにそう言うと、食事を再度始めた。
それ以降、ジークは可能な限りエドモンドの助言通りの国の手足として働いた。
飢えに困り人から仕方なく物を盗む者や、特別な力を持ち、災いを呼び寄せる可能性の有る子供までも処理することはもちろん、悪逆非道な役人が、見せしめの為に竜血の騎士に村を一つ滅すように頼めば、頼まれた通りに剣を振るった。
自分自身の心を傷つけながら……
竜血の騎士は、求められるがまま、敵対者を屠り続け、そして自らの死に場所を求めているかのように剣を振るい続けた。その姿は、傍から見ても体の良い便利屋、または自殺願望者そのものであった。
実際に竜血の騎士の心は自責の念と父のような民を守る騎士になるために生きるというかつての誓いに苛まれ、戦いの中での死を心の中で望むようになっていた。
しかし、それも全て無意味な行為であった。
竜血の騎士を打倒しうる戦士も魔物も遂に現れることはなく、自らより弱い戦士や魔物を蹂躙するかのうように戦いによる虚しさは、むしろ、戦う力を持たない弱き者までをも屠り続けることによる相乗効果によって、かつて以上の虚無をジークに与えるだけであった。
(何故俺は、飢えただけの民を殺しているんだ? だが、自分で命を絶つことだけはできない。それだけは、騎士として散った父への侮辱になる)
続く
こんばんはドルジです。
今回は戦闘描写はあまり入れずに、主人公の心を蝕む精神的な重圧と、私の持論の一つである「この世は元から地獄」だということを念頭に置いて書きました。
次の更新は、恐らく4月ぐらいになると思います。