第七話ver.2「彼女の愛しのおうじちま」
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少し前のこと。ドラゴンでも悠々すれ違えそうな廊下でアップルと別れた少女は、言われたとおりに浴場に向かった。
「アップルかー」
『おうじさま』の名前を嬉しそうに歌いながら、左右の壁を見渡して、大入浴場の札を探す。
「アップルー、アップルー」
左右に、壁だか無限に連なる扉だか分からないほどに沢山の部屋を見ながら歌うように繰り返す。
「迷っちゃったなー。広すぎるよー」
くるりと回った拍子に、どちらから来たのかも分からなくなってしまった彼女は、急に不安に駆られて足早に廊下を突き進む。
「いった!」「わ」
不安にぶつかって、不安にぶつかった。
艶やかな黒い短髪に、心の闇を映し出すような瞳。恐怖や絶望といった負の感情を思い起こさせる容姿。思わず尻餅をついた彼女の見上げる視線の先に、そんな人間がいた。
「誰」
ほとんど口を動かさずにその人は言った。
「え?」
正確には、淡々と尋ねていたのだが、あまりに平淡なその人の口調では、伝わらなかった。
「誰」
「えー、……ワッフルって言います!」
「そ」
元気良く答えた彼女に、取りつく島も与えずにそう言い放った。正確には、そう言った。
「なんの用」
「お風呂を探してます!どこか知りませんか?」
「知ってる」
「教えてくださいなー」
「そこ」
口から出た音と、自身の後ろを指す親指が、その人が浴場から出て来たのだと教えた。
「ありがとうございまーす!」
そう言って勢い良く下がったワッフルの頭が勢い良く上がった時には、すでに先程の人物は居なくなっていた。
外部からの侵入者を防ぐ役割も兼ねている、この無駄に入り組んだ造りの、広い郵便局本部。その最深部に、アップルはいた。
「ここにいたのか!随分探したぞ」
そう言って、抱えてきた二人分の服を残して浴場に入る。
「ひゃ!」
「どうした?」
ワッフルが短く叫んで、頭に泡を乗せた元凶が、のうのうと尋ねる。
「どーして、入って来ちゃうのっ!?」
「始めに決めておいた大入浴場に居なかったおかげで、いい汗掻いてしまってな。一風呂浴びたい気分なんだよ」
「そーじゃなくてっ!アップル、男の人でしょっ!!?」
ワッフルが顔を真っ赤にして叫ぶのを聞いて、アップルの綺麗な金髪を濯ぐ手が止まった。
「……お前もか」
「え?」
「どいつもこいつも、私がいつ男だと言ったのか……?さすがにへこむぞ」
もうもうと立ち込める湯気の中、目を凝らすと、アップルの体は、どうやら女性のそれのようだった。
「へこむ余地は無いじゃん」
凝らさなければ見ても気付かないが。
「――え」
「……え?」
二人の表情は引きつっていた。
「これでも――」
一人は恐怖に、そしてもう一人は
「くらいやがれぇえ!!」
怒りに。
温まった少女の柔肌を、冷水が、貫く。
お待たせして申し訳ありません。一日遅れでの投稿です