第011話 まにまに動き出す
白牙の事件から、いくつかの朝が過ぎた。
川は元の流れを取り戻し、村にも穏やかな日常が戻っていた。
けれど、その静けさの中に、あの日から確かに変わったものがあった。
まにまにのことを、
もう“しゃべる石”と恐れる者はいなかった。
ユウトとナギは、それでも変わらず、
毎日森へと足を運んでいた。
まにまにに“会いに行く”ことが、
ふたりにとってはすっかり日常になっていた。
「おはよう、まにまに」
ユウトが声をかけ、ナギは静かに手を振る。
まにまには、静かに微笑んで迎える。
二人はまにまにのそばに座り
それぞれ黙々と作業を始めた。
ユウトは落ち葉をかき集め、
まにまにの周りをきれいに整える。
ナギは細い枝を拾ってまとめながら、
根元にある小石をひとつずつ手でどけていく。
風が音もなく森を渡り、鳥の声だけが、遠くから聞こえる。
そんな時、小さな事件が起きた。
ふと気がつくと、大きな白い狼がこちらをみている。
まにまにもユウトもナギも驚いて息を呑む。
しかし、白い狼は動かずにこちらをみている。
白牙だ
白牙は深く頭を下げると去っていった。
お礼を言いにきたのだろうか?
不思議な出来事だった。
「嫌な感じはしなかったよ」
「そうだね」
「この前の白牙の仲間でしょうか」
そのときだった。
ナギが何気なく、まにまにの表面をそっと撫でた
その指先に、なにかざらつく感触があった。
「……ここ、模様がある」
ユウトが顔を近づける。
「ほんとだ……六角形? 鱗っぽい……いや、亀の甲羅に似てる!」
ふたりは顔を見合わせた。
「まにまにって、もしかして……“生き物”なのかも」
「もう少し掘ってみようよ」
まにまには、少し怯えながら言った。
「やさしく、お願いします」
ユウトはすぐに手で土を払い始めた。
ナギもしゃがみこみ、地面をなぞったあと、小さな袋から金属の手鋤を取り出す。
「今日、何かあったときのためにって、お母さんが持たせてくれたの」
「助かる! 借りるね」
二人は慎重に、まにまにの縁に沿って掘り進めた。
やがて、明らかに人工的な湾曲のある「甲羅のふち」が姿を現した。
「これ……本当に、生き物の背中みたいだ」
さらに前方の土を掘ると、ユウトの指が何かに触れた。
「……肩のあたり? もしかして……ここに足が——」
ごそごそと掘り進めると、畳まれた“前足”のような構造が現れた。
まにまには、その刺激を内部で正確に読み取っていた。
> 接触信号検出:前肢関節部
> 神経接続:微弱伝導反応あり
> 状態:前足のみ起動可能/全身可動不可
> 地中固定による運動制限=大
「試してみます」
まにまには、前足の制御系に微弱な信号を送る。
——ギ……ギリ……
土の上に出た前足が、ほんのわずかに動いた。
「動いた……!」
ユウトの声が震える。
ナギは思わず口を押さえながら、まにまにの前足にそっと触れた。
——ギギ……ズッ……
二度目の動きは、確かな意志を感じさせた。
だが、すぐにまにまには言った。
「……ですが、これ以上は難しいようです。
私の身体は、長い年月をかけて地中に沈んでいます。今のままでは、前足以上を動かすことができません」
ユウトは歯を食いしばって、まにまにの前にしゃがみ込む。
「だったら、僕たちで掘り出す! ね、ナギ!」
ナギはうなずいた。そして、もう一度甲羅に手を当てた。
「……一緒に、外に出よう」
まにまには、ほんの少しの沈黙のあと——
「……ありがとうございます。
この身体が、再び“夢”のために動ける日が来るとは、思っていませんでした」
その声を、森の木々が優しく抱きしめるように受け止めた。
地面の下に眠っていた意志が、いま、確かに目覚めようとしている。