第009話 賢い奴
まにまには森の音に耳を澄ませながら、思考を巡らせていた。
白牙の群れがいったん落ち着いた今こそ、根本の原因を突き止めるべき時だった。
このままでは、再び彼らが現れる可能性がある。
「ソウマさん。最近、川や山で何か変わったことはありませんか?」
木陰にいたソウマが顔を上げ、まにまにの前に歩み寄る。
「……そうだな。じいさんが“裏山の水の音が細くなった”って言ってた。
それに、あの辺りで地面がぬかるんでたって話もあった。地滑りかもな」
ソウマの言葉に、まにまにの内部処理が一気に加速する。
> 音響データ比較:流水音低下/地盤変動:軽度地滑り記録あり
> 地形モデル推定:水流経路に落下物による遮断の可能性
> 仮説構築:川の流れが妨げられ、白牙の水源が失われた可能性
まにまには静かに答えた。
「……裏山の川に何かが落ちて、水の流れを妨げているかもしれません。
それを動かせれば、白牙たちは元の棲み処に戻り、村には近づかなくなるでしょう」
ソウマは一瞬考え込み、やがてうなずいた。
「……わかった。やってみる」
そして歩き出そうとしたその時、まにまにはそっと言った。
「それから、ソウマさん……」
誰にも聞こえないほどの小さな声で、まにまには何かをソウマに伝えた。
ソウマはわずかに目を見開き、少し笑って言った。
「……なるほど。面白いな。やってみるよ」
***
裏山の奥、濁ったぬかるみの先に、それはあった。
大きな岩のようなものが、川の流れを完全に塞いでいる。
「……これか」
「これじゃあ、白牙も水を求めて下りてくるわけだ……」
村の男たちは道具を持ち寄り、てこを使って動かそうとした。
「よし、いくぞ! せーの!」
——しかし、岩はびくともしない。
「くそっ……全然動かねぇ!」
「滑る! 力が逃げてる!」
「無理だろ、こんなの!」
空気が諦めに傾いたそのとき、ソウマが声を上げた。
「——まだだ。やり方を変える」
彼は、あらかじめ用意していた長い丸太を取り出し、数本を奇妙な角度で地面に組み始めた。
「これで、てこの支点を作る。全員でこの端に力をかけるんだ」
「こんな組み方、見たことないぞ……」
ソウマは少し笑って言った。
「……賢い奴が教えてくれたんだ」
男たちは顔を見合わせたが、頷いて丸太の端に並んだ。
「いくぞ! せーのっ!」
ギギ……ギッ!
丸太がきしむ。岩の下に滑り込んだ木が、音を立ててしなる。
ゴウンッ!!
「……動いた!!」
「水が流れるぞ!」
川の水が一気に流れ出し、草を揺らしながら音をたてて森を下っていく。
男たちは泥だらけになりながら、達成感に満ちた表情で息をついた。
「すげえよ、ソウマ!」
「川の流れまで読んだのか!」
その言葉に、ソウマはふっと森の奥を見た。
まにまには、いつもの場所に静かに佇んでいる。
「……違う。これは全部、まにまにが考えてくれたことだ」
男たちは一瞬黙ったが、やがて誰かがつぶやいた。
「しゃべる石ってのは、ただの不思議じゃないんだな……」
まにまには、静かにそれを聞いていた。
——自分の声が、世界に届いた。
森の風に川の音が溶けていく。
それは、知識が誰かの役に立った確かな手応えだった。