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いめか、うつつか、胡蝶のゆめ(8)

※「いめか、うつつか、胡蝶のゆめ」が終わるまでは、1時間ごとに次話が投稿されます。

 その人を一言で言い表すのなら、黒。それにつきた。髪も、マントも、その下のローブも、何もかもが、影のような黒一色だった。


 風が吹いて、腰まである長い髪が舞う。ウィッグだろうか。地毛であれば、うらやましくなるほどに、さらさらの髪だった。


「もっとも、あんたの場合は、滅多なことでもないかぎり、嘘にはならない。おれが裁くような理由もないが」

「裁く?」


 おだやかではない言葉だった。眉をひそめて聞き返すと、黒ずくめの青年の目が、こちらを見た。切れ長なそれを彩るのは、鮮やかすぎるほどの赤い瞳だった。


「嘘偽りは悪だと、人は定義した」


 瞬きひとつすることなく、その人は淡々と言った。


「悪は裁かれなくてはならない。そうだろ?」


 当たり前のように言われて、私は答えに困窮した。もちろん、嘘をつくことで人をだまし、困らせるようなことは悪だろう。だが、悪とされる嘘や偽りにも、程度というものがある。日本には嘘も方便という言葉があるし、裁かれなくてはならないほどの嘘を定義するのは、とても、むずかしいことであるような気がしたのだ。


 なぜなら、この場には今、真実とは異なる――嘘とも呼べるものが満ちあふれていた。そして、それらは、人を楽しませるようなものばかりだった。だのに、真実とは異なるというだけで、嘘と定義して裁くのは、何かが違う気がした。


「あなたは、嘘を言わないの?」


 苦し紛れな私の問いかけに対しても、その人は表情を変えることはなかった。ただ、私の作ったサークレットを物色して言う。


「言わないな。そうする必要も、資格もないからな」


 嘘をつくのに、資格など必要なのだろうか。そもそも、嘘を言わないということそのものが、この場では嘘になったりはしないのだろうか――ロールプレイをしていることは、彼のいう「嘘」にはならないのだろうか――疑問に思いながらも、私は言及をしなかった。ただ、どこか妙な人だな、とは思った。


 見た感じでは、私よりも年下のようだが、その落ち着いた言動は、長い年月を重ねたものであるようにも感じる。大人びた、というよりは、老成した、という言葉が的確なように思えた。


 と、青年の視線が、私の額へと向く。


「あんたが着けているサークレットは売らないのか?」

「これですか」


 私が、身に着けていたのは、琥珀色の花で彩ったサークレットだった。これを手に取って見せると、青年は「そうだ」と、短く答える。


「ごめんなさい。これは試作品なので、売り物ではないんです」


 本当なら、新作として店に並べる予定だったのだが、不注意により、花びらに目立つ気泡が入ってしまったのだ。もちろん、サークレットとして頭につけてしまえば、一見して、わかるものではない。ただ、これまでの経験から、クレームが付きかねない作品に関しては、極力人手に渡らないようにしていた。


 しかし、青年は引き下がらなかった。


「試作でかまわないさ。それを売ってほしい」

「こちらにあるサークレットも、似たような色合いですけど――」

「そのサークレットには、用がない」


 代替品として、並べてある作品をすすめてみるも、ばっさりと切り捨てられた。よっぽど、この試作品を気に入ってくれたのだと考えれば、うれしさもあるにはあるのだけれど、いささか複雑な気持ちだ。


 こまったな。口の中で、私は困惑を呟いた。作品の欠陥を理解したうえで、気に入ってくれているのであれば、売ってもいいのではないかと思う反面で、中途半端なものをお客さんには渡したくないという思いもある。


 そこでふと、目に留まったものがあった。それは、イベント前にサイトウさんから送られてきた、一枚の依頼書だった。紙には、午後二時過ぎに依頼書を持って広場中央の本部へ来るように、と書かれている。


 ――コトツムギさんに制作していただいたサークレットが、キーアイテムとなるシナリオの依頼書です。もし、ご都合がよろしければ。


 添えられていた手紙の文面を思い返す。きっと彼は、私にLARPの楽しさを知ってほしくて、この依頼書を送ってくれたのだろうと思う。多少の心苦しさがないわけではない。それでも、今回が初出展である私には、まだまだ勝手がわからないのだ。


「じゃあ、こうしましょう」


 私は店の前に立つ青年に依頼書を差し出して、言った。


「店番で忙しい私に代わって、この依頼の行く末を見届けてきてください。そして、私に事の顛末を教えてください」


 そうしてくれたら、このサークレットはさしあげます。言い切った私に、青年は拍子抜けしたようすだった。


「そんなことでいいのか」


 赤い目がまたたいて、私をとらえた。


「欲がないな。それとも、他人に期待をしないだけか?」


 まっすぐに見つめてくる瞳は、揺らぐことがない。あるいは、この瞳は、何もかもを見透かすことができるのではないか――そんな錯覚に陥るほどだった。


 どうにも、居心地が悪い。耐えきれずに、私がそれとなく目をそらせば、彼は私が差し出していた依頼書を手に取った。


「名前は?」

「コトツムギです」


 私は、ハンドメイド作家としての名義で答えた。


「コトツムギ」


 オウム返しに、青年が繰り返した。


「呼びづらいな。コトでもかまわないか?」

「それは、べつに、かまいませんけど」


 名義に関しては、気に入っているとはいえ、こだわりがあるわけではない。お客さんが呼びづらいというのであれば、コトでも、ツムギでも、呼びやすいように呼んでもらえたらと、そう思った。けれど、


「紡ぐことによって、言葉にみことが宿り、まこととなる」


 ぽつりと、黒ずくめの青年が言った。


「いい名前だな」


 彼は、微笑を浮かべていた。つり目がちのそれが、少し、やわらかなものへと変わる。とっつきにくそうだった印象が、薄らぐのを感じた。


「そのサークレット、ほかのやつに渡すなよ」


 ひとつ。そう念押しをしてから、青年は依頼書を手に、市場の雑踏へと消えた。このようすだと、取り置きをしておいても、ちゃんと彼は戻ってきそうだ。私は、所望された試作品を持ち帰り用の箱にしまおうとして、ふと、作品のモチーフのことを思い出した。


 そのサークレットは、正義をモチーフに作られたものだった。試作品止まりだったため、具体的な設定は決めていなかったけれど、花には、正義をつかさどる女神ユースティティアにちなんだ名前をつけようと、そう考えていた。色はルドベキアから拝借して、形状はリンドウをイメージして作った。どちらも〝正義〟という花言葉をもつ花だ。


 試作品とはいえ、人の手に渡るのだから、やっぱり、ちゃんとした名前をつけておこう。私は通りがかる人たちの接客をしながら、値札用に持ってきていたクラフト紙に、ペンを走らせた。


 ユースティアと、そう名付けた花のサークレットを丁寧に梱包し、私は黒ずくめの青年を待った。


 ところが、予想に反して、その日、彼が私の前に再び現れることはなかった。日が暮れて魔法市の終わりを報せる鐘の音が広場に鳴り響いても、梱包した箱だけを残して私が荷物をまとめ終えても、あの青年が戻ってくることはなかった。

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