リュウグウノハゴロモ(2)
※「リュウグウノハゴロモ」が終わるまでは、1時間ごとに次話が投稿されます。
イフェイオンの二階には、ハンドメイド作家用のレンタルスボックスが設置されている。これは、いわゆる、ハンドメイド作品を委託販売するためのスペースで、店内に並べられた大小さまざまなボックスのことを指す。箱とも呼ばれるそこには、さまざまな作家さんたちの作品が並べられ、それぞれの小さな店となっている。
こういったスペースを貸し出すことを箱貸しなどといい、多くは月額制での貸し出しをしている。近年はめっきり少なくなったが、作品の売り上げから委託料だけを取るというところも、まれに見かける。
ちなみに、ここイフェイオンでは、月額制での箱貸しをしていた。貸し出される箱は、なべて二〇センチ四方であり、お客さんの目につきやすい位置であるかどうかなどで、そのレンタル料金は変動する。私が借りている箱は、一般的なお客さんの視線よりも少し低い位置にはあるが、こうして頻繁に店に足を運び、私自身がディスプレイを見やすいものに変えることで、そこそこの売り上げを出していた。
「コトツムギさんは、よく箱のディスプレイをしに来てくださるので、助かってますよ」
「これでも、ハンドメイド歴は長いですから」
自分が借りている箱の前にしゃがみ込んで、私は笑った。遠方から販売の委託をしている作家さんは、なかなか足を運べないため、箱貸しをする側が、売れた作品の補充や並べ替えをするしかない。だが、作家自身の手によって、こまめに手入れされている箱というのは、やはり整然とされていて、目に留まりやすい。だからこそ、売り上げに繋がるのだということを、私は知っているのだ。
幸いにも、イフェイオンは私が暮らしているところから、さほど距離があるわけではない。交通費や月々のレンタル料金を計算しても、現状では、自ら足を運んで手入れするほうが売り上げはいいのだ。
「それに、私自身も、ほかの作家さんの作品を見たり、新しい衣装を見たりすることができるので、ここへ来るのが楽しいんですよ」
今回、人手に渡った作品の種類をチェックし、家から持ってきた作品を補充していく。やはり、シナリオで私の作ったサークレットが使われたせいだろうか、ここではその手の売れ行きがいいようだった。背中に、サイトウさんの視線を感じながら、私は箱の手入れを続けた。
「ここへ来れば、みなさんと話をすることもできますから」
ずっと家にいたのなら、きっと、私はとうに息が詰まっている。作品づくりが楽しくないわけではないが、たったひとり、誰もいない家のアトリエにこもり続けるのは、存外こたえるものなのだ。ましてや、そこが、楽しかった思い出のたくさん詰まった実家ともなれば。
私には、家族がいなかった。父も、母も、親類もいない。天涯孤独の身だった。
もちろん、最初から家族がいなかったというわけではない。こうして、この世に生を受けている以上、少なくとも過去には、両親と――家族と呼べる人たちは、たしかに存在していた。
私自身、その事実を否定するつもりはないし、否定したいなどと思ったこともない。私は、私を生み育ててくれた両親には、心から感謝しているし、愛してもいる。ただ、それと同時に、ひどく気がとがめていた。なぜなら、母は私を産んだことによって亡くなり、父は家を飛び出した私を連れ戻そうとして川に流されたのだから。
今、自らのおこないを振り返ってみても、どうかしていたとしか思えない。それでも、当時まだ小学四年生だった私には、たえられなかったのだ。それまで病死だと聞かされていた母が、命がけで私を産み、亡くなったという真実は。
きっかけは、酒に酔った父の古い友人が、私を見てこぼしたひと言だった。
「あいつは、どうして、こんなガキなんかに命を賭けちまったんだろうなあ」
独身の彼は、お世辞にも子供好きとはいえない性格だった。公園で子供が遊んでいる姿を見ては目をつりあげ、電車で見知らぬ赤ん坊が泣きだせば舌打ちをする。そんなような人だった。だから、物心つく頃には、自然と、私はその人との接触を避けるようになっていた。
けれど、忘れもしないあの日。大型の台風によって足止めを食った彼は、仕事終わりに、父を頼って家を訪ねてきた。悪いが、一晩泊めてくれないか――
事前の連絡などはなかった。かといって、外は立っていることすら難しいような強風で、最寄り駅の近くを流れる川は氾濫寸前だった。そのうえ、実家は地域の避難所よりも高台にあったため、家を出ることのほうが危険だと思われた。父は急な来訪者を家に招き入れ、私もまた、濡れネズミとなっていた彼のために風呂を沸かし、真新しいタオルを用意した。
それが、どうして、あんなことになってしまったのか。父の友人を交えて夕食を取ったあと、早々に自室へと退散して、ベッドに潜り込んだ私は、けれども、家の窓や外壁を叩く雨風の音に、なかなか寝付くことができなかった。かわいげのないことではあるが、雷や嵐をこわがるような子供ではなかった。それでも、あの日だけは、どうしてか父が恋しかった。
ひょっとすると、理由は、急に尋ねてきた子供嫌いな父の友人にあったのかもしれない。父が、客人である彼をもてなすために、あまり私にかまってはくれなかったから、さびしかったのかもしれない。二階にある自室を出て、父の顔を見るために降りたリビングでは、来客がひとりで酒をあおっていた。そして、私が起きてきたことに気づくなり、言ったのだ。あいつは、どうして、こんなガキなんかに命を賭けちまったんだろうなあ――
何を言われているのか、意味がわからなかった。ぽかんとするしかなかった私に対して、父の友人である男は言った。
「〝おとうさん〟は言わないけどな、おまえの〝おかあさん〟は、おまえが殺したんだぜ」
あのときの、父の友人の顔を、私は未だにはっきりと覚えている。すっかり酔いが回って、すわった目が、蔑むように、嘲笑うように、私を見ていた。あとになって知った話ではあったが、彼は母と兄妹同然に育った幼なじみであったのだという。あるいは、彼の子供嫌いは、私が母の命と引き換えに生まれたことに起因していたのかもしれない。
私は、浴びせかけられる言葉の数々に、呆然と立ちつくすしかなかった。中には、あきらかに私を罵るようなものも混ざっていた。その最中、つまみを作っていたらしい父がキッチンから戻ってきたが、すべてが遅すぎた。小学生である私の頭の中は、とうにしっちゃかめっちゃかになっていた。おかあさんは、私のために命を賭けた。おかあさんは、私が殺した。おかあさんは――
私の肩をつかんで、何事かを叫んでいた父の手を振り払い、気がつけば、嵐の中へと飛び出していた。




