いめか、うつつか、胡蝶のゆめ(10)
男は走りながら、しきりに背後を気にしていた。そして、それを追うように、鎧を着た男性と、剣を携えた女性が姿を現した。見覚えがある。あのふたりは、たしか、先ほど本部で依頼の内容を聞いていた人たちの中にいた――
「しつこいやつらめ」
逃げていた男が足を止めて、苛立たしげに言った。
「ここで始末してやる!」
どうやら、戦闘をするらしい。腰にさげていたつくりもののナイフが抜かれると、追いかけてきた男性と女性も、自らの武器と思しきものをかまえた。おそらくは、あらかじめ戦闘をするために用意されていたスペースだったのだろう。人の気配がなく開けたそこは、ルールに則った安全な戦いをおこなうのに適していると思われた。男が逃げるようにしていたのも、ここへ参加者を誘導するためだったのだろう。
ほどなくして、私と青年の前で戦闘が始まった。互いに振るわれる武器は、決して、相手の身体に接触することはなかった。しかし、繰り出した攻撃が自らにとって不利だった場合には、いかにも攻撃を受けたように演じて、その場から後退する。どちらも経験者なのだろう。役者のそれと比べることはできずとも、目を離せないような迫真の演技だった。
そこで、私はふと思った。今、私のとなりにいる彼も、こうして戦ったりするのだろうか。
きっとそれは、ある種の好奇心だった。この常に余裕に満ちていて、落ち着き払った青年が戦ったとしたら、どんなことになるのだろうか。あわよくば、この青年による演技を見てみたい。
「あなたは戦わないの?」
繰り広げられる戦闘を前に、まるで無関心といったようすで腕を組む青年に、それとなく問いかけてみた。すると、彼は「なぜ」と、軽く首をかしげた。
「おれの目的は、あくまでおまえに事の顛末を教えること。戦う必要はない」
あくまで、戦闘には興味がないといった具合で返され、私はぐっと言葉に詰まった。たしかに、彼の目的を達成するために、戦う必要があるかどうかと聞かれたのなら、答えは否だ。しかし、そうすげなくされると、余計に戦っているところを見てみたくなるというのも、人の性なのではないだろうか。
「戦わないと、サークレットをあげないって言ったら?」
にわかに、青年のまとう空気が変わった。
「約束を反故にするのか」
青年の赤い目が、私を見つめて爛々と光った。
「おまえは、おまえが紡いだ言葉に吹きこんだ命を、偽りへと変えるのか」
――怒っている。
直感的に、私は思った。その一方で、私には、彼が何をそんなに怒っているのかがわからなかった。冗談めかして口にしたつもりではあったけれど、彼には通じなかったのだろうか。そうでなければ、彼は、それほどまでに戦うことが嫌だったのだろうか。
「ごめんなさい。反故にするとか、そんなつもりじゃないんだけど、あなたが戦っているところを見てみたくなって」
目は口ほどにものをいう、とは、よく言ったものだ。理由が理解できずとも、彼の目を見れば、よっぽど私の発言が気分を害するものであったらしいことだけは伝わる。私だって、話をこじらせたいわけではないのだ。素直に謝ると、青年は小さくため息をついた。
「わかった」
柱に預けられていた青年の背が、浮いた。
「おれも、今回の件については、おまえをずいぶんと待たせたようだから」
思わず、私は瞬きをしていた。
「今、なんて」
「わかった、と言ったんだよ。おまえの望み、叶えてやる」
呆然とする私を残し、青年は前へと進み出た。先ほどの男女は負けたらしい。気づけば、怪しげな男の足下で、二人は膝をついていた。
「連戦で悪いが、おれとも相手をしてもらえないか」
武器らしい武器を手に取ることもなく、青年はただ言った。
「安心しろ、時間は取らせない」
対する男の顔は、そのほとんどが隠されていて表情をうかがうことはできないが、不愉快そうにしたことだけはわかった。ひとつ、舌打ちが聞こえてくる。
「なんだ、てめえ。ふざけたことぬかしやがって!」
手にした武器が、神経質に揺れた。
「二人も三人も関係ねえ。おまえも、ここで奈落へ送ってやる!」
「それなら遠慮はいらないな」
青年は、あくまで自分のペースのままだった。ぱちんと、指が鳴る。
とたん、男が大きくのけぞった。すかさず、後じさった男のようすに、私は瞬きをした。まるで、あたかも攻撃を受けたかのような動きだった。一体どうしたのだろう。どちらも、攻撃らしい動作なんてしていなかったはずなのに。
「くそっ。まだだ、おれはまだやれる!」
頭を振りながら、男はナイフの先端を青年へと向ける。今度は、青年のほうが瞬きをした。
「ああ、そうか。三勝先取だったか」
合点がいったというように、青年は呟いた。
「手間だな。一気に片付けるか」
ぱちん、ぱちんと、連続で指が鳴った。ふらつきながらも対峙していた男が、その場に崩れ落ちる。私は、ぎょっとした。
「大丈夫ですか」
さっきから、男性のようすはおかしかった。きっと、具合が悪くなったのだ。あわてて駆け寄ろうとした私を、けれど、青年の手が引き止めた。
「放っておけ。あれは演技だよ」
「演技?」
おどろく私をよそに、青年は男性が取り落としたと思われる袋を拾いあげた。青年の手によって、袋にしまわれていたものが取り出される。日の光を浴びてきらめいたのは、私がサイトウさんに依頼されて作ったサークレットだった。
「奪還は成功した」
と、青年は言った。
つまるところ、それは依頼の――このシナリオの完遂を意味する。私は、しばし、呆けたように立ちつくした。
「拍子抜けしたか?」
薄く笑った青年が、私を見た。
「だが、戦いなんてこんなものだよ」
そして、彼は言った。
「本物の魔法が、おもちゃの剣でどうにかできるわけないだろ」
では、それならば、彼は本物の魔法使いだとでもいうのだろうか。ただロールプレイをしているわけではなく、本当に、彼は――
「これは夢なの? それとも」
「言っただろ」
ディップフラワーとワイヤーアートを組み合わせて作られたサークレットが、青年の言葉とともに太陽にかざされた。
「これは、胡蝶のゆめ。いめか、うつつか、決めるのは、おまえ自身」
サークレットを飾る花々が、日に透かされて、青年の白いかんばせに、淡い青色の影を落とす。赤い瞳が、薄らぼんやりと光を放っていた。それでも、どうしてもコトが決めかねるというのなら、あのサークレットを探してみるといい――
目が覚めたとき、私は自室のベッドにいた。まろぶようにベッドから降りた私は、ゆうべ持ち帰った荷物を確認した。イベントでの売り上げが入ったコインケース、人の手に渡らなかったいくつかの鉱石風ランプ、作品につけていた値札――家に持ち帰った物は、ほとんどキャリーバッグの中に入っていた。だのに、それなのに、ひとつだけが見つからない。私が非売品として持っていった、あの琥珀色のサークレットだけが、忽然と姿を消していた。
「いめか、うつつか、胡蝶のゆめ」は、これにて終わりとなります。次話の投稿をお待ちください。




