ヴァルゴ
「渡琉、行くぞ!」
初めての異変……前回訪れたパルヴァンティはあくまで異界における拠点であり、緊急性は無い。
しかし、今回は違う……祖父の緊迫した声音に渡琉は身を引き締めながら、その後に続いた。
カラクからの情報で新たな異界に地球からの召喚者が出たということだった。召喚者はおおよそではあるが3名程であるらしい、そこで祖父は扉へと向かいながら、その内一人の救済を渡琉に任せる旨を伝えて来た。
召喚者情報はその都度変化するため、確実な情報は現場に行くしか無いのが現状だという。なぜなら、召喚者達の情報にはタイムラグがあるからだと。
召喚された時点で情報が入る筈も無く、いち早くクレビスホールの存在をキャッチして探索に向かうのはカラクだけだ。
その後、続いて異界へと探査衛星ドローンが向かい、基地局の役目も果たすカラクが同行し、そこからはじめて召喚者の捜索を始めるのだ。
こちら側では、行方不明者を選別するのだが、それにはカラクの捜索よりも時間が掛かる。
一口に言っても、召喚者が確実に行方不明者とは断定出来ない。事件や事故として処理されている可能性も捨てきれないからだった。しかし、それでもある程度絞り込める共通点が召喚にはあるのだという。それは、召喚されてから遅くとも二、三日中にはクレビスホールが出現していることから導きだされたもので、その範囲に当てはまる該当者をピックアップすることで、時間の短縮を図っているのだという。
そして、報告が上がるまでに個人の行方不明者なら1,2週間、数人単位であればもっと早くなる場合が多いのだが、今回のケースでは召喚者に連れがいて、召喚された際の光に目が眩んだ後、突然連れがいなくなったとの目撃情報が複数あった。その段階で周りではただの戯れ言と捉えられていたようだが、その話題性からネットの口コミが多くあった事、クレビスホール出現から数日後の出来事でもあったことから判断した都次が、その情報を保存していた。
おそらくそれが、今回の召喚と関わりが深いと思われたため、行方不明者情報が入り次第、カラクの情報と照らし合わせ随時報告が入るとの事だった。
それというのも、異界において、救出に緊急性が無ければ待機が可能になり、その分情報が増える事で、即座に救出に踏み切れる可能性が高くなるからだと。
そうは言ってもカラクの探索情報の方がいち早くもたらされるため、状況によっては召喚者情報を待たずに救出に向かう事もあるのだという……
通常、家族の誰か、或いは友人知人が行方不明になったとしても、それは捜索願が出されたあとの事になってしまうからだ。現場で情報収集を行っているのは貴晒家の者達で召喚に関連する情報は順次送られては来るものの、確実性があるわけでもなく、長年の感を頼りに都次が情報を選別しいち早く届けてくれていた。
前回と同じように”扉”を開けて見ると、今回用意されていたのは中型船で色が爽やかなレモンイエローだった。格納庫で見た時に説明を受けたことだが、普段意識していなくても色はその場の状況や心理状態に少なからず影響を与える。道路標識などが良い例だが、要は赤に近付く程、収容人数……所謂救出者が増えて行くと言うことになる。そのために、圧迫感を与えることなく、自分達に状況を刷り込ませるために用意されたのだと都次が教えてくれた。
それでも、渡琉の気は逸る……だが、乗り込んで見ても船は遅々として進まなかった。思わず祖父の方を振り返ると、そこには、冷静に真剣な眼差しを向ける祖父の姿があった。
「渡琉、落ち着け。逸る気持ちは言葉に変えろ、相手に共感することでな?
人は、案外誰しも優れ者だ。顔には出さなくてもこちら側が激しく思えば思うほど簡単に見透かされたりする。
異界での恐怖は、本能に由来するものだからな。冷静でいる必要はないが、それを出すべき所の見極めは必須だ。だからこそ、時間が必要になる。
なあ、渡琉。この亜空間は、時間と思考を与えてくれる最適な場所だとは思わないか?」
言われて渡琉はハッとして周りを見回した。
あれほど、恐れを連想させる”闇”でありながら、その壮大な深みと幻想的に舞い踊る様々な”光”に心躍らせた自分がいた筈、なのに今は自分の心こそが闇に囚われようとしていたのだ。
「…爺さま…ごめん…解った。
どんな状況だろうと、それが一息の間であったとしても、心の余裕を作るための時間は必要なんだな?
やっぱり、俺……頭でしか解って無かった。ああ……研修で散々シミュレーションしてる事だったのに……」
渡琉の答えに祖父は声を上げて笑った。
「気にするな、そのために私がいる。都次や貴晒の者達、そしてカラク達もな?」
広大な亜空間を進みながら、渡琉は祖父からの教えやカラクとの連携などを会得して行った。
向こう側に辿り着くと、薄ぼんやりとしたクレビスホールが空いていた。祖父に尋ねると空いて間もないクレビスホールは、パルヴァンティのように鮮明では無く、それは亜空間との繋がりが不安定なためだという。
それを聞いた事もあったせいか気持ちよりも身体が反応した渡琉は、直ぐさま向こう側へと乗り込もうとしたが祖父に止められた。
「渡琉待て、ここはパルヴァンティとは違って事前情報が全く無い。先ずはカラクの帰還を待って情報を整理してからだ。異界の様子も解らない場合はうかつに動けば命の危険に晒される場合もあり、召喚者達ばかりか私達でさえも戻れなくなる恐れがあるんだ。
情報が全て揃っていなくても、最低限の情報は必要だ。そして動くのはあくまで召喚者の所在判明か、或いはコンタクトが取れてからだ。こちら側にもリスクのあることは教えたな?」
渡琉は祖父の言葉に思わず息を呑んだ。頭では解っていた筈なのに、それでも思わず身体が反応してしまったのは、自分が本当の意味での異界という未知の世界、そこで救出を行う困難さを未だ理解出来ていない事の証明でもあった。
「……ごめん爺さま。カラクからの情報を待って異界の安全圏を確保、それから召喚者の情報整理、そして、状況によって迅速にするか慎重に行動すべきかの判断……だよな?」
渡守がその顔に苦笑を浮かべながら、渡琉の肩を叩いた。
「その言葉が瞬時に出てくるなら大丈夫だ。慣れない内はそんなものだ。細かい事はいい。ただ一つ、いいか? 私達は万能じゃない。だからこそ先ずは、人事を尽くして天命を待つ。そこからだ」
気を取り直して円環の中に目を向けた、そこに見える風景はどうやら森の出口付近らしい。そのまま待機していると、やがて円環の中に小さな影が姿を見せた。それは帰還したカラクで、スッとこちらに近付いたかと思うと渡琉の肩先へと降り立った。それと同時に渡琉はカラクの情報をディスプレイに表示させたのだった。
召喚された異界の国は”ヴァルゴ”。隣国との協定が破られたことにより、魔物が増え始めたため、その討伐と囲い込みを目的とした大規模な軍が編成される事になり、人員を増やすために召喚が行われたらしい。
地図を見ると”ヴァルゴ”は山岳地帯と一国に匹敵する巨大な森に隣接しており、その森を挟んで自国と同規模の隣国があった。よく見ると森の中に見える赤い点がヴァルゴ側に偏っているようだ。祖父に聞くとそれは生物、赤い点が現すのは危険性を示すことからおそらく魔物で、熱源探知を用いて表示したものだという。
「渡琉、今回魔物と遭遇する恐れは無いようだが、その赤い点をタッチすれば詳細が見られる。召喚者に関しては今現在の情報と合わせて確認出来るから、そちらを優先的に見ておいてくれ」
そう言われたものの、赤い点が気になった渡琉は一瞬躊躇したが、そこに指を触れた。
すると、その画面にはっきりと魔物らしき生物が映し出されていた……確かに魔物と称されているせいか渡琉が見知っている動物達とは明らかに異なっている。おどろおどろしい異形の化け物という訳では無かったが、その大きさは周りの木々や岩などと比べてもかなりなもので、地球における陸上最大な動物と言えば”象”だが、それと同じ位か一回りは大きそうなものが無数にいた。そして、牙や爪、角なども異様なほど巨大で鋭く、硬い鱗のような表皮を持つもの、長い尻尾の先端に突起をもつものなどがおり、その傍らには、既に淘汰されたものか、食い散らかされたかしたらしい魔物の死骸らしき物も見えていた。
通常眼にしたことのある動物などとは、明らかに違う……
これらの魔物への対処について詳細な情報は無いが、ヴァルゴは銃火器において未だ発展
途上のようで、武器と言えるのは投石器か火槍程度のものらしい。実際に目にしていないので性能の程は解らないが、それがなまじ優れていたとしても、広大な森を焼き払うリスクを国が率先して負う可能性は低いだろう。
だとすれば、短期間の訓練で戦闘に駆り出される召喚者達は恐らく……戦闘前の肉壁として使われる可能性が高い。そして、当然地球からの召喚者である彼等も……
渡琉は大きく息を吐いた。
これが”リアル”と言うものか、ほんの目と鼻の先に見える異界ヴァルゴ、そこでこれから行われようとしている戦闘の先に訪れる結末、その予測は難しいだろう。これが人同士の戦争では無い以上、相手が状況を判断しての和解、或いは白旗を揚げて来る事は無く、魔物の知性は不明だが弱肉強食が成り立っているのなら、ボスにあたる魔物が倒れるか戦意喪失以外に収束は望めない筈だからだ。
戦闘の有様を想像しかけて渡琉はハッとしたように思考を止めた。
ほんの数日先、魔物との戦闘は確実に行われ多くの血が流されるのだろう。だが、それは自分が考えるべき問題では無い。今すべき優先事項は地球の召喚者達を迅速に救出する事だからだ。
渡琉は気を取り直して画面の表示を切り替えた。
改めて地図を見直すと山岳地帯に近い森には青く点滅している点があり、それはクレビスホールの位置を示しており、そこに赤いが点見られないことから、目の前の森はどうやら安全地帯であるらしい。更に地図を拡大すると中心都市の周りには薄い黄色の点が無数に見えた。それは住民などを示していて必要性が低いものは薄く表示されているのだそうだ。
考えてみると、これらの表示は見知らぬ異界においてとても重要且つありがたい機能だった。祖父にも言われたことだが、渡り一族も異界人であることから、常人よりもかなり身体能力が高く、一応能力らしきものもあるようだが、そうは言っても魔法が使える訳でも、敵を一度に数十人も蹴散らせるほどの超人でも無いのだ。
だからこそ、敵味方の位置情報や戦力把握は必須事項だ。しかし、この表示方法はカラクや最新機器を含め、40年程前に確立されたばかりだと聞いている……
それまでは全くのアナログ探索と自身の力頼みだったのだ。そう考えると、祖父の経験値と身体能力は底が知れない……果たして自分はいつか、追い付けるだろうか?
表示を見ながら気が付くと、黄色い点の中に、青い点がまばらに三つ確認出来た。その表
示が召喚者を示しているのだと言う。
その点をタッチすると、傍らに召喚者情報が表示される事が解り、それを順番に表示させていく。新たに送られて来た情報によると、一人目は大学4年生の広瀬という男性、二人目も男性で社会人三年目の涼城、食品会社の広報だという事だ。三人目は女子高生らしいが詳細は不明だった。
召喚から既に数日が経っていたが、どうやら召喚者はすぐに出兵させられる訳ではなく、訓練後に人選を済ませたうえで、討伐軍に組み入れられる予定らしいということが解った。
そして今回の召喚では他国からの召喚者も多かったためか、幸いなことに拘束も無く何カ所かに集められてはいるようだが、特に監視が付いているわけでもなかったため、召集に応じさえすればある程度の自由が与えられているらしい。それならば、召喚者を呼び出し救出する事も可能であると思われ、救出に際しては、一度に召喚者が抜け出すと怪しまれる恐れがあるため、コンタクトは時間差を作りそれぞれ一人づつ呼び出すという形式を取る事。コンタクトに関してはカラクが骨伝導による通信をいるため、周りに気付かれる懸念は無い。そして、先に召喚者一人を祖父が救済し、その経過を見て渡琉が実践するという手順を踏むことを祖父と話し合った。
その際、祖父から注意された事は、決して最初に”帰還”出来る事を教えてはならないということだった。
地球に帰れるとわかっても、常人でそれを冷静に受け止められる者は少ない。異界での状況が最悪であればあるほど、その事でパニックになる可能性が高いからだと。
先ずは行方不明者の情報を元に人物を特定した後、召喚者の呼び出し、その人物の興味を惹く話題を提供しつつ、帰還について触れる事無く、物資のみに限って日本から必要なものを送れることを伝えながら心の平穏と同時に相手の油断を誘い、乗り気になった瞬間にカラクによって眠らせた後、搬送用無人航空機で船まで運ぶというのが一応の手順となる。
当然相手の状態が様々である以上、この流れ通りに事が運ぶわけも無いことは承知していたが、いざという時その場で臨機応変に対応出来るようにと渡琉は頭の中でシミュレーションを重ねた。
やがて、カラクから召喚者接近の知らせが届き、渡琉は祖父と共に亜空間からヴァルゴへと降り立った。
実際に外の様子を伺うと、気温表示は確認していたが、体感的にそれほどの暑さ寒さも感じないところから、季節は春先あたりらしい。これなら召喚者達への防寒対策は必要なさそうだった。
空は明るく昼間のようだ、しかし天気がいいにも関わらず、何故か周りの空気が異様に重苦しく感じられた。
物音一つしない……時々耳にする音と言えば、まるで風に揺らされる事を拒んでいるかのように微かに聞こえる葉音ぐらいのものだった。
その時、突然茂みから小さな生き物が飛び出し、その羽を羽ばたかせて木の上へと一目散に駆け上がって行った。目で追って見るとそれはリスに似た外見に羽が生えたような生き物で、その口には一回り小さなものが加えられている、おそらく何らかのアクシデントに巻き込まれでもした子どもを救出して来たのだろう。
唯一出会った息づく生命だが、当事者にとってはかなり不本意なものとなったようだ。離れていても、その小さな生き物からはピリピリとした緊張感が伝わって来る。
キョロキョロと忙しなく視線を巡らし、長めの耳はピンと張って周りを警戒していたが、彼方から微かに獣の咆哮のような音が聞こえた途端、その生き物はあっという間に木のうろへと姿を消した。
ヴァルゴに住まう”生きとし生けるもの”その全てが、今感じ取っているのかも知れないと渡琉は思った。これから始まるであろう暗澹たる命のやり取りを……
最初にこちらへ向かって来たのは、大学生だった。渡琉が向かおうとすると、祖父が待ったをかけた。
担当は決められていなかったが、渡琉は自分が担当するのは大学生か女子高生のどちらかだと思っていたからだ。
「渡琉、大体はどの異界も混乱の最中か、緊急性の高い場合が多い。今回のように時間的余裕がある方が少ないからな、良い機会だ。
お前は社会人の男性と女子高生の二人を担当してくれるか?」
振り返った祖父の顔にいつもの表情は無い。そこにいるのはフロウトの会長職を担う貴船渡守としての顔だった。
渡琉は気を引き締めて頭を下げた。
「はい、確かに承りました」と。
渡琉のその答えに祖父は満足げに頷きを返してくれた。