パルヴァンティ(異界にて)
渡琉は、パルヴァンティを案内してくれるというフィルメスに従って、町の方へと向かった。
紹介された彼、フィルメス。ハーフアルヴであるという彼の外見は年齢不詳で、敢えていうなら3,40代だろうか?そしてその立ち居振る舞いはとても優雅で、神秘的とも言える容姿は180近い自分を優に越える長身と細身だが、神職のサーコートに近い服装は白地に上品で繊細な金糸模様を配したもので、衣服の上からも見て取れるしなやかな筋肉質であろう体躯、優美に切り揃えられたプラチナブロンドの長髪、そして耳はというと、よく例に挙げられるような長命と言われる種族のように、横長に伸びた長い耳ではなく、耳の先がほんの少し鋭角的な形をしたものだった。
深く鮮やかな苔色をした瞳の理知的な顔立ちは、アルーヴァ族だからなのか、森林に住まうあの雄々しい草食動物を連想させる……
その彼が持つ高潔な雰囲気は、人々を導く存在としての威厳を十分に醸し出しており、彼ならば最高議長としての地位を、その生涯においても揺るがす事は無いだろうと思わせるものだった。
そしてフィルメスは、主要な国家機関を巡回しながら案内してくれた後、続いて国の重要施設でもあり、フロウトの商品開発を行っている工房へと連れて行ってくれる事になった。その道すがら、祖父は様々な人々から親しげに声を掛けられていた。
「渡守さん久し振りだな? どうも訓練の成果が今ひとつなんだ、後で寄ってもらえないか?」
最初に声を掛けてきたのはアモンという瞳が緑色の黒豹の獣人で、黒い短毛に覆われてはいるが、梅花状の斑紋が首回りにだけ白く配され、その点模様が印象的だった。そしてその眼光は凜として鋭く、とても大柄で見事に鍛えられた身体を持つ彼は、警備隊の隊長だとのことで”豹来”という部族出身なのだと言う。
濃紺地に鮮やかな青色で模様が描かれた前開きのベストに、細工を施した革の籠手、サッシュベルトにゆったりめの長ズボン、足元は革紐を編んだようなサンダルに近い物が見えるが、ほぼ素足のようで、服装と同じく恐らくは、獣人特有である身体の動きを妨げないためだろうと思われた。
そのアモンも合流して導かれるままに足を進めると、開放感のある大きな窓を配したベランダのある建物が林立して見えて来た。屋根の形やレンガの巧妙な配置による文様が彩り豊かでそれぞれの個性を表していることから、そこが住宅街であるらしい事を物語っていた。
先ほど案内された国家機関の建物もそうだったが、一見何処にでもある風景のように見えるが、素人の渡琉にさえ解るその配置の隙間のなさと見事な文様、この高度な職人仕事は専門家が見れば眼を丸くするほどの精巧さが見て取れた。
こんな所にも、前世は時計職人だったというフィルメスのこだわりが反映されているのかも知れないと渡琉は思った。
住宅街を抜けると突然目の前が一気に開けた。そこは広場のようで、中央には煉瓦造りの水場があり、そこから地面を縦横に走る側溝が伸びており、そこを流れる水の流れが煌めくことで、その場にきらびやかな彩りを添え、明るい雰囲気をつくりだしていた。その周りでは水場に作り付けられたベンチでくつろぐ者、駆け回りはしゃぐ子ども達の歓声が響きとても賑やかな場所だ。
するとそこへ、わら束や大きな麻袋を幾つも肩に担いだ数人の屈強な獣人と、人族混在の男達が近付いて来るのが見えた。彼等はこちらに気付くと親しげな笑顔を向けてくる。
「渡守さん、丁度良かった。また力試しに付き合ってくれよ」その問い掛けにフィルメスがやれやれといった表情で祖父を見た。
「まあ、一度だけなら。見物がてら勝者とだけ手合わせするとしようか?」
祖父がそう答えると、男達は何やら四角形で10メートル四方はある麻布を広げ、その上にわらを敷き詰めた後、抱えた麻袋から大粒の茶色い粉のような物をばらまいていった。よく見るとどうやらそれはおがぐずのようだ。
呆気に取られている渡琉にフィルメスが説明を加えてくれた。
それは、隊や各種国家機関での意見の食い違いや、訓練上のヒートアップなどから乱闘に発展することが多かったため、その発散を目的としてレスリングと相撲を取り混ぜたような競技で決着をつけることを提案したところ、それが今や国技にまで発展し、ことある毎に行われるようになったと言うことだった。
そもそもそれはフィルメスの前世である故郷スイスに伝わる伝統競技で、そこに祖父が相撲のアイデアを盛り込み今の形態が出来上がったものだという。ルールはシンプルで相手の肩先を先に土俵へと付けた時点で勝負が決まる。そして勝者が敗者のおがぐずを払い健闘を称える。その行為はそれぞれの尊厳を認め合う事でも有り、広く人々に受け入れられたのだとか。
うずたかく積まれたおがぐずの周りを相撲の土俵を模した太い麻紐で囲い、競技場の出来あがりである。
競技が始まると参加人数も増え、いつの間にか十数名のトーナメント制になっていた。おがぐずがクッションにはなっているが、口や鼻に入ったら苦しそうではある。ギャラリーも徐々に集まり、競技は大いに盛り上がった。
見ていると、確かに負けた相手のおがぐずを払い、勝者が敗者の健闘を称えるという行為は勝者の驕りと敗者の屈辱感を和らげ、対等の競技相手へと互いを導き、禍根を残さず切磋琢磨へと繋げる事に繋がるように感じた。
しかも、ギャラリーの感情さえも友好的に支配してしまうというおまけ付きだ……極端な文明の発達を望まないこの国では、一見ただの娯楽とも取れるこうした街中でのイベントは、表だって語ることなく人々を平和へと導いているようだった。
文明が発達し、隣国諸国との長い戦乱の歴史を知っているフィルメスだからこそなのだろうと渡琉は思った。
トーナメントが済み、いよいよ決勝で祖父が戦うことになった。
決勝に残ったアモンが祖父の前に進み出ると礼をとる。
その様子に祖父はポーチやバックパックを渡琉に投げて寄越すと、腰に巻いていたベルトを外し、あっと言う間もなく広げると肩から提げていたロープと共に再び腰に巻き付けた。
すると、周りから一際大きな歓声が上がった。
渡琉は呆気に取られながらも、豪快な祖父の配慮に思わず笑いが込みあげるのだった。そしてその様子は、同時に実践として異界に溶け込む術を教えられているのだとも理解したのだった。何のために持参したのか不思議に思っていたロープと布製のガンベルトだったが、その用途はこの競技会を盛り上げるための重要アイテムとなっていたのだ。
祖父が用意したのは、日本でいうところの”化粧まわし”のようなものだったのだ。とは言ってもそのものでは無く、まわしの役割を果たしているのはしめ縄を模したロープであり、白地に銀糸で模様があしらわれた表地に反して、裏地は目の覚めるような緋色という、腰マントを模した物のようだった。これは確かに競技大会を盛り上げる最大のパフォーマンスだろうと、渡琉も声援を送らずにはいられなかった。
いよいよ試合開始だ。
祖父は合気道を習得した後、長く独自の戦闘技術を磨いていたらしいが、渡琉の記憶にあるのは、合気道の師範との手合わせのみである。当然の事ながら合気道には、殺し合いも相手を完膚なきまでに叩きのめす行為もない。
祖父の弁によれば異界においては、襲い来る相手を躱しながらあらゆる手段を使い、時間を稼ぎつつ逃走する。それが、自分達に取っての最大の攻撃であり防御であると……徹底して教えられている。
対峙するアモン隊長は尻尾を持つ事による高度なバランス力を見せ、大柄な体躯にも関わらずしなやかな動きは正に野生を感じさせるものだ。
大地を踏み、蹴り出す能力に特化した足で、俊敏な動きを見せつつも相手の間合いを正確に推し測っているようだ。
そのような相手に対して、祖父はギリギリまで後ずさりながら相手を誘い、相手がのし掛かってきた瞬間、アモンのサッシュベルトを掴んでひねり上げその身体をほぼ垂直に持って行ったかと思うと、そのまま相手を肩から土俵へと落としていた。
正に電光石火、組んでからものの数秒で決着が付いていた。
倒されたアモンは声を上げて笑い、勝者である祖父の手を取った。
そして健闘を称える祖父の行為にギャラリーも大いに盛り上がりを見せ、その勢いを引き継ぐように後はお祭り騒ぎとなり、土俵は子ども達やその他の人々でルール無用の競技大会へと移り変わって行った。
渡琉は祖父、フィルメスと共に工房に向かうためその場を後にし、その一行に、自分も工房に用向きがあるからとの事で、アモンも同行することになった。
祖父やフィルメス、そして獣人族の人々から様々な事柄を学び取った渡琉は、これから赴くであろう異界での自分の使命について決意を新たにするのだった。