亜空間(逡巡)
そして、その思いに区切りを付けるように森へと入りクレビスホールを目指すと、円環の傍らに祖父の姿が見えた。
「ただいま」の声に祖父は「お帰り」とそれ以上は何も言わず、渡琉の肩を叩くと先に円環へと向かって行った。おそらく渡琉の逡巡など見透かされているだろうが、今の自分にとって、そんな祖父の配慮はとてもありがたいものだった。
救出は出来た……もちろんそれこそが一番の目的ではあるのだが、自分が成し得た事はただそれだけだったとしか渡琉には思えなかったのだ。自分なりに必死に考え実行したつもりではいるが、それが正しかったのか、もっと他に出来る事があったのではないかと……答えは出ないままだ。
堂々巡りの後悔を頭の隅に追いやって、渡琉は祖父の後に続いて亜空間内の船に乗り込んだ。すると、なんだか背後が薄暗くなったように感じて後ろを見ると、ヴァルゴへと繋が
っていた円環の輪郭が徐々にぼやけ始めていた。それから数分も経たない内に、そこにあった光が吸い込まれるように小さくなり、それはあっと言う間に周りの闇と同化して消えて行った。船は既に動き出し、もうその痕跡は跡形も見えない。
その様子が何故か”ヴァルゴ”との決別のように感じて、渡琉は祖父に声を掛けた。
「爺さま……爺さまは見つけられたのか? 俺は今までの自分を総動員して対処したつもりだけど、救出に同じ事象は一つも無いし、無事救出来てもその対処が本当に正しかったのか確証が得られる訳じゃない……」
「所謂、行動はしたものの、心の中に何かがくすぶり続けているにも拘わらず、手探り状態で何も掴めない……と言ったところか?」
まさに祖父の言う通りだったから、渡琉はその言葉にただただ、黙って頷くしかなかった。
救出の段取りとして今回の方法は召喚者の心情に配慮した最善策だと、そう納得して渡琉は事に当たろうとしたのだったが、いざ実行に移してみると、召喚者に対峙していく度に生まれて来る正体の解らない違和感を感じるようになった。そしてその事に対する戸惑い
は深くなるばかりで未だ渡琉の心から消えることは無かった。
「渡琉、原因には結果というが、誰もがその全てを見届けられる訳じゃ無い。以前は、その全てを見届けざるを得なかったものだが、お前がこの先仕事として召喚者救出を続けて行く限り、その思いがお前を縛り、時には疲弊させるだろう。
だが、安心しろ。その答えをお前はもう手にしている、お前自身の力でな?
……渡琉、パルヴァンティで工房を見て回ったな? その時は見学だけで実際に製品作りを体験してはいない。その中で、工房を回る度にその一部分だけに関わりその前後を把握する事無く、完成品すら知らないまま終わってしまったとしたら、お前はどう思う?」
言われて渡琉はパルヴァンティでの出来事を頭の中で思い描いた。工房の見学はとても面白かった。だが、考えて見ればそれはフィルメスからの説明があり、製品の工程を殆ど自分も把握出来ていたからこそ、心から楽しむ事が出来ていたのだ。例えば、それがいきなりなんの説明も無く中盤の工程を体験するだけで、次々と全く異なる製品の一部を見学するだけに終わっていたとしたら……
気持ちは常に置き去りにされたまま積み重なり、楽しいという感情すら生まれなかっただ
ろうと思う。
そう思い至って渡琉は自覚したのだった。それは正に自分がヴァルゴで経験させられた事そのままに当てはまる事だったのだと。異界の状況は予測不可能で、召喚者と共にその情報も少なく、ある程度の予測が成り立ったとしてもそれが本番に通用するとは限らない。
その都度状況の変化や召喚者に合わせて脳細胞をフル稼働し対処して行くしか方法は無かった。一人、また一人とその救出を見届けながら、渡琉の心には釈然としない思いが少しずつ降り積もって行った。
「そうか……納得したように見せかけて、ぶつ切りにされた思いを俺は……処理出来なかった……それだけか……」
うなだれたように下を向く渡琉に、いつの間にか側に来ていた祖父がその肩を掴んでいた。
「渡琉、顔を上げろ。自分自身に責任を押しつけるな。お前が最善を尽くしたならそれは事実だ、その事に誰の評価も必要無い。
お前自身を信じていい……渡琉、召喚者救出において結果は付いて来ないと言うのが正解だ。それを知る事が出来たとしても、それは遥か遠い未来か、確かめる術の無い”異界”でのことになるだろうからな?
それからな? お前が、今回の救出にあたって結果を求めるのは当然の事だ。自覚がなかったとしても、良きにつけ悪しきにつけ、人は誰しもその結果を見届ける事で、原因と共にその過程で起きた出来事に折り合いを付ける。それがあって初めて人は結果の先へと進めるものだからな?
渡琉……答えはな? 召喚者達、彼等に貰うんだ。必ず見つかる……お前はもう貰っている筈だ。その答えがきっと、これからのお前に揺るぎない力をくれる」
そう祖父に言われた渡琉は、先程まで全く視界に入っていなかった漆黒の世界や、船の底をゆったりと流れゆく灯りの存在、それらをいつの間にかはっきりと感じ取っている自分の心情、その変化にハッとしてようやく周りへと目を向けた……
何度目かの見慣れた光景ではあったが、渡琉にとっては頂舟村で見る満天の星空に似て、心和ませるものであった筈なのだ。それが……
改めて見ると、複雑な色合いを重ねながらそこに浮かぶ大小の丸い物は、透明さもあり、空に浮かぶシャボン玉のようでもある。その中にフッと佐伯美奈、彼女の笑顔が浮かんで見えた。
そう、彼女は言ってくれたのだ「ありがとう」と……そして茜色に染まり流れ落ちて行った彼女の涙は、少なくとも自分の行いが間違ってなどいなかったのだと肯定してくれてい
た。
そして、涼城さんも「当面の保護だけでも助かる」と安堵の表情を見せてくれた。
……そう……十分だったのだ、それだけで。
ものの数分、過ぎてしまえば忘れ去ってしまうような出来事。その中に答えはあった……その数分に、自分が知る事の出来ない彼等の未来さえも指し示してくれていたというのに。
「そうか、やっぱり凄いな……爺さまは。
うん、爺さま。あったよ、俺も見つけられた。それに、解った気がする……相手の心に向
き合う、その行いこそが答えをくれるんだって」
祖父を見ると、穏やかな笑顔を浮かべながら何度も頷き、いつもと変わらないその大きな手で渡琉の頭を撫で回した。
渡琉はそのまま素直に祖父からのねぎらいを受け取った。
暗中模索、その渦中にいたとしても祖父はきっといつでも、闇に差し込む一条の光のように手を差し伸べてくれる事だろう。しかしそれでは、祖父の後ろを付いて回った子どもの頃と変わらない。祖父は今回、遠くの星空、無数にあるその一つをヒントとして指し示したに過ぎなかった。その答えを見つけ手を伸ばすのは、他でもない渡琉自身でなければならなかったからだ。
その中で答えを見つけたのだが、渡琉にとってはそれだけに留まらなかった。それは具体的に言葉に出来るものでは無かったが、そう、例えるなら自分の中に土台のような、揺るぎないものが確かに形作られたように感じて、その事が嬉しかったからだった。
渡琉は船の中で、穏やかな眠りについていてくれるであろう召喚者達に思いを馳せた。彼等が目覚めた時、その未来に異界の陰りが訪れる事のないようにとの願いを込めながら……