百一回目の婚約破棄
突発短編です。
婚約破棄で何か書きたいなーと思ったんですよ。
それで、あー、千文字超えたなー、二千くらいで収まるかなーなんて思ってたんですよ。
そしたらね……、いつのまにか四千字を超えてたんですよぉ……!
それにねぇ……、すごく甘々に仕上がってるんですよぉ!
心してお楽しみください……。
「フルーア・ノブル。君との婚約を破棄する」
生徒が行き交う廊下での婚約破棄。
しかし誰もがちらっと見ては通り過ぎて行かれます。
それはそうでしょう。
キュール殿下の婚約破棄は、確かこれで百回目。
三日と置かず見られるこの光景は、最早日常の一場面程度の認識しかないのですから。
「承りましたわ」
フルーア様のお返事も淡々としたものです。
こうなる事は予想済みだったのでしょう。
数日前、フルーア様との婚約が発表された時に、
『これで百人目でございましょう?』
『お相手は公爵家令嬢のフルーア様ですし、これが本命なのではないかしら?』
『これでご成婚に至らないのでしたら、キュール殿下にご結婚の意思は無いという事なのでしょうね』
そんな周囲の会話を耳にしました。
事の発端は、半年前の国王陛下の勅命。
『学園卒業までに皇太子キュールは然るべき相手と婚約する事』
始業式の壇上で代理の方が読み上げられた陛下のお言葉は、全校生徒に知らしめる意味もあったのでしょう。
新学年に上がり、三度同じ学級になれたキュール殿下が、その一瞬だけお見せになった怒りの表情が忘れられません。
『卒業したら王宮に入って、国王になるための勉強に没頭させられる。今だけが僕の青春なんだ』
昨年の秋、級友とお茶にご一緒させていただいた時の、寂しそうな、だからこそ今を精一杯楽しもうとされていたキュール殿下。
その残り一年の貴重な学園生活をお妃探しに使えと命じられては、普段とても温厚なキュール殿下がお怒りになるのも無理はありません。
その後は自暴自棄になられたかのように、様々な令嬢と婚約を発表しては破棄を繰り返すようになられてしまいました。
平民の私には、キュール殿下のお心が安らかである事を祈る事しかできません……。
「ジェニー」
「はい、キュール殿下」
「僕と婚約してくれないか?」
フルーア様との婚約破棄の一週間後。
私は殿下から婚約を申し込まれていました。
「……私など……」
そう言いかけて、これはいつもの事なのだと理解いたしました。
二日か三日後には破棄される婚約。
すぐに解けてしまうであろう魔法。
記念にもならない百一人目。
それでもキュール殿下のお心の安らぎに僅かでも繋がるのでしたら。
「……喜んでお受けいたしますわ」
私は謹んで頭を下げたのでした。
……まだ動悸が治まりません。
婚約をお受けした後の、キュール殿下と二人きりのお茶会。
勉強の事やひと月後の学園舞踏会の話など、何でもない日常の話。
それをとても楽しそうに語られるキュール殿下のお顔を見ると、切なくて、愛おしくて……。
私との会話がキュール殿下のお怒りや悲しみを少しでも癒せるのなら、私はそれに全力を注ぎましょう。
明日には婚約破棄を告げられる運命だったとしても。
……今日はまだその日ではなかったようです。
お昼をご一緒させていただいて、授業が終わった後は中庭の散歩にご一緒させていただいて、婚約破棄を告げられる事なく寮に戻りました。
晴れやかな空の下、花壇に咲く花一つ一つを愛おしそうに眺め、その色や香りについて語られるキュール殿下。
私も知り得る限りの知識で、その花々にまつわる話をさせていただきました。
この上なく楽しい時間でした。
もう明日婚約破棄を告げられても、昨日と今日の思い出だけで、私は十分幸せです……。
……何故なのでしょう。
今日は授業の後、お誘いいただいた舞踏会の練習で、誤ってキュール殿下の足を踏んでしまいました……。
必死に謝罪をしながら、(あぁ、これが婚約破棄の契機になるのでしょう……)と覚悟しましたのに、
『ふふっ、僕の足に天使の羽根でも落ちてきたのかと思ったよ』
とにっこり微笑まれて……。
その後も練習にご一緒させていただき、そのまま「また明日」と仰ってお帰りになりました。
一体どういう事なのでしょう……。
……あぁ、明日皆の前で婚約破棄を告げるという意味なのですね……。
明日は覚悟を決めて参りましょう……。
……今日も婚約破棄は告げられませんでした……。
級友の貴族令嬢の方々から、
『ジェニーさん、キュール殿下とはどのような会話をなさっているの?』
『昨日はご一緒に舞踏会の練習をなさったのでしょう? 何か特別な事がありましたの?』
などとご質問をいただきましたが、私にもよく分からず、とにかくキュール殿下のお優しさについてだけお話しました。
ここで婚約破棄をしては、咎められたと思った私が舞踏会に出なくなるとお考えなのでしょうか……?
そうだとしたら何とお優しい……。
でもこれ以上キュール殿下のお優しさに甘えていては、婚約破棄を告げられた時に辛くなってしまいます……。
婚約の申し出をいただいてから十日が経ちました。
未だに婚約破棄のお話はいただいていません。
早く告げてもらいたい気持ちと、この夢のような時間に今少ししがみついていたい気持ちとが、私の中でぐるぐると回っています。
今日は中庭の散策の時、目の前に飛び出してきた蝶に驚き、よろけてしまったところを、キュール殿下に支えていただいてしまいました。
大変な失礼でしたのに、キュール殿下は笑って、
『今の蝶には褒美をやらないといけないね。ジェニーを守る騎士の役を、僕に与えてくれたのだから』
なんて仰って……!
顔を赤くしていた事に、気付かれましたでしょうか……。
私に気を遣わせまいとするお優しさに違いないのに、心からの言葉であってほしいと願ってしまうのです。
あぁ、我が身の浅ましさが恨めしい……。
明日は学園舞踏会。
とうとうひと月の間、婚約破棄は告げられませんでした。
という事は明日なのかもしれません……。
舞踏会の始めと終わりに、キュール殿下が挨拶するのが常ですから……。
……辛い……。
このひと月の間、毎日のようにお昼をご一緒させていただき、授業の後も何かと一緒に過ごしてきたキュール殿下。
最早私の心の中にはキュール殿下の笑顔が溢れんばかりに詰まっています。
そのお顔で婚約破棄を告げられてしまったら、私の心はどうにかなってしまいそうです。
……いえ、いつかは終わる夢と知っていたはずです。
これまでの御令嬢方のように、私も堂々と、淡々と、キュール殿下のお言葉を受けましょう。
ここに戻って来てから、思う存分泣けば良いのです……。
「キュール殿下、ありがとうございました」
「こちらこそ。ジェニーのお陰で僕も楽しく踊れたよ」
最後の曲が終わりました。
どうにかキュール殿下に恥をかかせる事なく終える事ができました。
「さて、諸君に知らせたい事がある」
後は壇上に上がられたキュール殿下の婚約破棄を受け止めるだけ……。
百一回目の婚約破棄。
そうしてキュール殿下に忘れられても、私だけが思い出を抱きしめていれば、それで……。
「キュール・ダル・ティシャートは、ここにいるジェニー・プロディージェに」
婚約破棄を宣言する……。
「卒業後、皇太子妃として嫁いでもらいたいと、ここに願う!」
はい、皇太子妃に……。
……ん?
……あれ?
『こんやくはき』と『こうたいしひ』……。
『こ』と文字数しか合っていないのですが……?
「さぁジェニー。壇上に上がって答えを聞かせてくれないか?」
私は今何を言われ、何をしたら良いのでしょうか?
でもキュール殿下に呼ばれたのならば、行かなくてはなりません。
操り人形のようにふらふらと壇上に上がり、笑顔のキュール殿下の前に立ちます。
あぁ、壇上から見ると社交服に身を包んだ皆様が、色とりどりの花畑のよう……。
そして目の前には微笑むキュール殿下……。
ここは楽園なのでしょうか……。
「ごめんねジェニー。驚かせたね」
「え、あの、これは一体……?」
「僕はね、君の事が好きで、妃にしたいと父上に話をしたんだ」
「……え、え?」
キュール殿下が、私の事を……?
「そうしたらまぁ怒る事怒る事。ジェニーの事をろくに聞きもしないで、『平民では駄目だ!』なんて言うんだよ?」
「それは、そうだと思います……」
「僕はそうは思わない。成績は常に首位。礼儀作法、歌、器楽、舞踏、どれも一流以上。なのに謙虚で常に周りを立てようとする奥ゆかしさ。全てが完璧なんだ」
「そ、そんな……。私など……」
恥ずかしくて、嬉しくて、あぁ、溶けてしまいそう……!
「だから父上が望みそうな家柄の令嬢と、片っ端から婚約して破棄する事にしたのさ。令嬢達にはあんな勅命を出した父上への悪戯に協力してくれと頼んでね」
「そ、それで百回もの婚約破棄を……?」
「そう。僕の奇行とも言える行動に、父上は重い腰を上げてジェニーの事を調べ、とうとう『プロディージェ嬢が望むなら』という条件で結婚の許可が降りたのさ」
「……はわ……」
そこまでして私を想ってくださったなんて……!
これは夢なのではないでしょうか……。
「それでもジェニーに想い人がいたり、僕の事が嫌いだと言うなら、正直に言ってくれ」
「そ、そんな事は……」
「僕はその全てを解決して、もう一度君に結婚を申し込むから」
「……うぁ……」
蒼玉のような美しい瞳に真っ直ぐに見つめられ、これ以上熱くなるはずのない頭が更に加熱します……!
い、言わないと……!
喜んでお受けします。
私もキュール殿下の事をお慕い申し上げております。
なのに口は動かず、身体は熱く、頭は霞がかって……!
「ジェニー?」
「……好、き……」
そう呟くと、私は意識を手放してしまったのでした……。
意識を取り戻したのは、医務室のベッドででした。
側にいてくださったキュール殿下から事の顛末を聞いた私は、先程とは逆に顔から血の気を引かせました。
「も、申し訳ありませんでした! 私は何という事を……!」
「僕こそ申し訳ない。嫁入り前の柔肌に許可なく触れてしまって……」
あぁ何という事でしょう!
意識を失った私をキュール殿下が抱き上げて、ここまで運んでくださっただなんて……!
意識が無かったからと許される事ではありません……!
何をもって償えば良いのか……。
「でもジェニーに『好き』と言われたら、もうどの男の手にも触れさせたくないって思ったんだ」
「!」
わ、私ったら何てはしたない事を……!
「だから改めてお願いする。僕の妃になってくれないか?」
「……はい、喜んで……」
「……! ありがとう!」
「!」
キュール殿下の満面の笑みに、私の恥や不安が溶けて消えていくようです。
私は生涯をかけて、この方の笑顔のために生きよう、そう心に誓いました。
百一回目の婚約破棄は幻と消え、今ここに確かな愛があるのですから……。
読了ありがとうございます。
直球甘々、いかがでしたでしょうか?
何か定期的に甘々を書いてしまうんですよぉ……。
怖いですねぇ……。恐ろしいですねぇ……。
さて恒例のお名前紹介。
主人公ジェニー・プロディージェは秀才を意味するフランス語génieとprodigeから。
婚約破棄皇太子キュール・ダル・ティシャートは、恋多き心
や移り気を意味するフランス語の慣用句cœur d’artichautから。
アーティチョークの心という意味のこの言葉は、四方八方に婚約破棄をばら撒く感じに丁度良いかなと。
ちなみに百番目の婚約破棄令嬢フルーア・ノブルは高貴な花という意味のフランス語noble fleurから。
フランス語は読むのが難しいですが、活かせると格好いいですね。
お楽しみいただけましたら幸いです。