十四試局戦 通称 太(ふと)戦 開発恥話
雷電は堀越技師が中心となり開発されました。
堀越技師や零戦開発チームを抜くとどうなるのか?
史実よりも高性能なガソリン、潤滑油、点火栓、電線、他も多少高性能になっていたら。
その日、三菱重工名古屋航空機製作所は混乱した。
戦闘機設計陣のエース、堀越技師が倒れたのだ。
その強烈な個性と頭脳で設計陣を引っ張り九試単戦、十二試艦戦と成功させた男であった。しかし、病弱でも有った。
限界が来たのか不摂生が原因かは分からないが、医師からは[結核の疑い有り。また当面の療養を必要とする]と診断書まで出てきた。
勿論本人は仕事をする気でいるが、結核の疑い有りとされると、三菱としては医療機関に任せるしかなくなった。結核は不治の病に近かった。また社内でも感染者がいないか検査騒ぎになった。
堀越技師を始めとする設計陣の現在の仕事は十四試局戦である。が、取りかかったばかりで有り、コンセプトを纏めている時期だった。
困ったのは会社。他の有力設計陣は十二試陸攻とキ46をやっている。堀越技師達の設計陣は十二試艦戦の実用化に向けた細かい改修もやらなければならない。
十二試艦戦の改修は、新たに十二試艦戦設計経験者を中心に設計室を設けた。十四試局戦の設計陣からも、十二試艦戦に関わった者は十二試艦戦の改修に回された。
十四試局戦は堀越抜き+十二試艦戦経験者抜きの設計陣に引き続きやらせた。
新たな陣容で臨む十四試局戦だが、壁は高い。また時間の壁も高かった。堀越倒れるで社内が混乱し時間を取られた。勿論海軍には「間に合わせる」と返事をしているのは当然だ。ただ、はっきり言って主力設計陣に招かれなかった者達だ。不安は有った。
「どうしようか」
「どうしようも何も、要求をクリアできるかどうかも分からないのに」
-------------------------------------
最高速度
高度6000にて325ノット以上。目標値340ノット
上昇力
高度6000まで5分30秒秒以内。上昇限度11000 以上
航続力
最高速(高度6000)で40分以上(正規)
武装
20ミリ機銃2丁、7.7 ミリ機銃2丁
操縦席に防弾板装備のこと
-------------------------------------
「何度見ても無理だな」
「この航続距離はなんでだろう?」
「迎撃機だからな。待機から全力上昇して迎撃戦闘10分から20分ならギリギリだぞ。20分だと燃料切れも有るな」
「これは確保しないと不味いか」
「発動機は火星以外無いな」
「当然だな」
「本当なら最初の線図を引き始める頃なのにな」
「だって機体の大まかな形状すら決まっていないのに」
「「「「困った」」」」
また協議だけで1日が過ぎようとしていた。
「そうだ!線図が無ければ図面を使えばいいじゃないか」
「なんだ?その、パンが無ければお菓子みたいな発言は」
「十二試艦戦だ。既に図面は有る」
「設計図だな」
「そうだ。それを火星に合わせてだな」
「拡大か」
「そう、それ。機銃も同じだし。主翼形状は高速型に少し弄ってだな」
「層流翼というのが話題になっているな。高速向きだとか」
「だが、特性が解明されたわけでは無いぞ。危険では無いか」
それからいろいろな翼形状を作っては風洞実験を繰り返す日々だった。大まかな機体形状は太い十二試艦戦と決まった。だから少しでも高速で抵抗の少ない翼形状を求めた。
「また剥離した」
「抵抗は極小だったのに。少しでも仰角を取ると気流が剥離する」
「上げ舵で失速か。危険すぎる。こいつは無しだな」
帝大の航研にも協力を仰ぎ、次々と試験は繰り返される。
結局、層流翼形状は主翼中央部に使い外翼部分は通常の翼型とし失速対策とした。平面形は直線テーパーで有る。
だが翼単体では良くても、胴体と組み合わせると胴体と主翼接合部後部で激しい乱流が発生している。これではまともに飛べないかも知れない。通常の大きさだったフィレットが段々大きくなってくる。ようやく乱流を押さえることが出来たフィレットは巨大だった。乱流は押さえられたが抵抗値はかなり大きくなりそうだった。
「このフィレットは無いな」
「見た目も良くないしな」
「どうするかな」
「そうだ。中翼配置ならフィレットはいらないな?」
「いらん訳では無いが小さく出来るな。しかし、今更機体構成の変更は」
「そんな大規模じゃあ無い」
「どうする気だ」
「発動機中心線を栄と同じにする」
「「??」」
「火星は栄より太いから、太い分胴体が主翼下に出ることになる」
「それで?」
「主翼から上は艦戦と同じ造りにして、はみ出た部分は整流カバーを付ける」
「それなら大規模な変更は無いな」
「中翼に近い低翼か。それならフィレットを小さく出来るかも知れないな」
「「「やってみよう」」」
胴体下面の整流カバーの形状はいろいろ試した結果、発動機覆いに合わせた三日月型では無く、将来的に各種装備の艤装が楽な下側がほぼ平面で上が拡がる台形みたいな形状になった。
これによりフィレットは無いのでは無いかと思うくらいの小ささになった。主翼上面と胴体の接合部で空気圧縮が起きないように小さな形になった。胴体側面の乱流は無視できるくらいに小さくなり、総合的な抵抗値も小さくなっている。工数は大きなフィレットと変わらないので良しとした。工作の面倒さは大きなフィレットよりもかなりマシだ。
胴体の形状変更で再設計された外図を基に模型を製作。風洞実験を行うが、やはり抵抗値が大きく速度が出そうに無い。主翼の幅を減らすことにした。設計が面倒なので取り敢えず角形に整形した。
翼幅を艦戦と同じ12メートルから1メートル減らし11メートルとした。
辛うじて計算上は火星十五型で310ノットは出る。開発中の二十系統火星発動機なら、必ず325ノットは出るはずだ。高空性能は、はっきり言って分からない。
モックアップを造り木型審査を行った。
「なんだこれは、太い艦戦か?」
「その通りです。あの機体が良いので参考にしています」
「流用では無いのか?」
「(ドキ)いえ、違います。風防こそ時間が無いのでそのまま使いましたが、機体下面の処理や翼断面は違っています」
「そうか。確かに独自性は有るな」
「ありがとうございます」
海軍は割と痛い所を突いてくる。実は単純に太くしただけなのだ。操縦席後方からの絞りが発動機の直径分きついし、別物に見えないことも無い。
その後、性能はどうかと聞かれ「火星十五型では苦しいが二十系統の火星発動機が完成すれば必ずや」と答えておいた。
木型審査が通り、設計を進めていく。主翼構造だが、中央桁を太く前後の副桁で強力なボックス構造になるようにした。艦戦の主桁2本に較べると頑丈だ。捻れにも強い。それに、この方が機銃の設置スペースも大きく取れる。この設計には他の設計陣にも協力を要請し、快くコツを教えてくれた。
試作機の製作を始めた。発動機は火星十五型だ。火星は二一型が出来そうだが、細かい問題も有るという。まずは安全第一で火星十五型を積んで試験だ。
試作機は昭和17年3月に完成した。デカい発動機覆いが目立つ。さらに発動機冷却空気取り入れ口の開口部がデカい。強制冷却ファンの使用も検討されたが、手間暇を考えると採用はされなかった。なにしろ元が艦戦の図面なので、防火壁を後退させるにも限界が有った。前が伸びる分を後ろにやるのも限界が有るのだ。
7.7 ミリ機銃2丁は操縦席を後退させて弾倉が収まる隙間を作り搭載している。本音は、前方視界を考えるとあまり後退させたくない。7.7 ミリ機銃2丁が不要となったら操縦席を前へ出そうかなどと考えてもいる。
試製雷電が初飛行したのは3月25日だ。
調子が出ないと伝わってくる火星二十系に較べると火星十五型は安定している。
地上滑走から始める。やはり前方視界が火星のせいで良くないらしいが「光や寿だと思えばたいして変わらん。一号艦攻はカウリングがデカいから前が見えないぞ。よく見えるようになったのは三号からだ。二号は良いよ」との答えだった。海軍上がりのテストパイロットは他機種のことをよく知っている。他は艦戦譲りの視界の良さは変わらないと言う。
その日は地上滑走で終わった。
翌日からはジャンプ飛行や低空での脚出し飛行で調子を見る。遂にある程度の高度を飛行することになった。4月5日のことだ。
脚を出しながらも徐々に高度を上げていく試製雷電。しかし、高度を上げて離れると艦戦と見分けが付かんな。
いよいよ「あんよは上手」の時期が終わり、主脚を収納して各種の試験を行う時が来た。
飛んでいるのは試作3号機だ。1号機は荷重試験で潰した。2号機は各種艤装の装備研究用になっている。高度100メートルごとに最高速度を試している。今の所、計画値よりも遅いが多少にとどまっている。応急で設計された機体とは思えない。
いよいよ火星十五型の二速全開高度での最高速試験だ。
『現在高度6000、これより標識間全速飛行に入る』
『計器速度318ノット。これ以上出ない』
『これより帰投する』
試製雷電は、ほぼ予想された最高速度を記録した。こんなものだろう。これから詰めていけば良い。
「さて、予想に近い数字が出てホッとしていると思う。しかしこれでは足りない。火星二十系統の1800馬力でどれだけ上積みできるかだな」
「300馬力だからな。20ノット行くかどうかだろう」
「338ノットか。要求性能は出るな」
「待て。海軍の要求性能は公試状態だぞ。燃料7割、弾薬満載でだ」
「そうだった。20ノット近く落ちるな」
「だろう?今の試験は燃料3割、無線機以外の艤装品や武器弾薬は搭載していないしダミーウェイトも載っていない」
「もっと落ちるな」
「何かで速度を稼がないとな」
「今日はもう定時になる。皆、家でのんびり考えてきてくれ」
「「「はい……」」」
翌日集まった面々は、いろいろな意見を出した。
「排気のロケット効果は?」
今の所、これが一番良い意見だった。
発動機に相談に行くと「ロケット効果か。確かに有るが、それ程強力かな。それに後列の排気管の長さが足りなくなる。出来れば等長排気管が望ましい」とのたまった。
「まあまあ、言うことは分かるけどね。やって欲しい。速度が足りないんだ。頼むよ。コレ」こっそり。花見くらいやりなよ。
「仕方が無いな。どううなっても文句言うなよ」
「やってくれ。やってみてから考える」
1週間後、排気管のみならず発動機覆いまで改造した3号機が再び空を飛んだ。
『現在速度326ノット』
「発動機の調子はどうか」
『特に異常は無い』
「了解、帰投せよ」
『少し飛んでも良いか』
「無理はするなよ」
『了解。降下で350ノットまで出してみる』
「了解した」
「おお、8ノットも上がったか」
「まだ足りんが、一つの成果だろう」
ところが、テストパイロットから通信が有った。
『350ノットになるとケツが落ち着かん』
「現状はどうか」
『340ノットまで減速している。これより帰投する』
「了解。注意せよ」
帰投したテストパイロットに聞くと
「排気管を弄る前は、350でも安定していたんだ。排気管を弄ってからだな」
「分かった。考えてみる。他の速度域はどうだった」
「そう言われると、若干昇降舵と方向舵が甘かったような気がする」
「排気の影響か」
「他に変えた所は無いのだろう。だったら排気の影響だな。しかし、速度も落とせん。大変だな」
「うむ。大変だ。今日の飛行はもう中止にする。お疲れさん」
「では、日報を書いてからのんびりするわ」
「さて、皆の衆」
「ケツが安定しないのか」
「気流としか思えんな」
「8ノットも押す気流だ。かなりの流れだな」
「気流が不安定なのか」
「排気は高温だからな。すぐに低温になるが、低温になると言うことは圧力が下がると言うことだろうな」
「高温だった排気の体積が減るのか」
「今までは、ただ単に捨てていただけだからな」
「すると機体側面の空力処理だな」
「排気を流しても変に乱流が発生しないようにか」
「絞りすぎかな」
「操縦席後方から尾部までだから、絞りが急すぎるのかも知れない」
「胴体の幅には余裕が有るんだから、狭くしないか」
「どこから?」
「排気管からだよ」
「そうするとまた主翼の設計がな」
「そうだった」
「待て。主翼はそのままで上に向かって台形にしてみてはどうだろうか」
「上を細くするのか。それなら主翼はそのままで行けるかも」
「台形だと排気の流れがちょっと上に行かないか?操縦席が有るぞ」
「排気中毒か。不味いな」
「排気はまっすぐ後ろへ流すしか無いな」
「そうすると、胴体は排気管の部分だけ絞るのか」
「排気の後流が問題だから、それでいいのではないか」
「だったら主翼の幅も縮めればいいんじゃないのか」
「それで行けるのか?」
「胴体は垂直の側面を持つようになる。ちょうど太い場所だし、抵抗も減るかも知れない」
「やってみるか」
「そうだな」
新しい胴体の風洞試験は結果良好だった。さあ、試作機を作るか。
4号機が完成したのは2週間後だった。いろいろ図面の修正や部品の修正も有り、2週間は早い方かも知れない。
3号機の初飛行と同じ手順で徐々に進行していく。
「舵はどうですか」
「今までよりも良い。飛行機として座りが良いな」
「縦横方向はどうですか」
「ちょっと敏感になっている。3号機に較べればだから、艦戦よりは鈍いよ」
『高度6000、全速飛行に入る』
『現在332ノット。これ以上伸びん』
「了解、帰投してください」
『帰りがけに、また350まで出してみるよ』
「気を付けて」
『350出してるが、異常は無い。安定している。帰投する』
「良いね」
「伸びてるな」
「機体も良いみたいだし」
「1800馬力になれば、要求値に届くかも知らないな」
「肝心の発動機がな」
「まだかいな」
発動機は振動との戦いだった。しかし、雷電用の強制冷却ファン無し、延長軸無しの型では無く、一式陸攻の性能向上型に装備する強制冷却ファン有り、延長軸無しの型だった。雷電設計陣はそれを知らなかった。
それを知った設計陣が発動機に文句を言ったのは当然だった。
そして、雷電用の火星三四型が試作5号機6号機に装備された。二十系統は強制冷却ファン有り、延長軸無しの型番になった。
火星三四型
離昇出力 1800馬力
1速公称出力 1650馬力
二速公称出力 1500馬力
機械式燃料噴射装置
水メタノール噴射を採用するかどうか議論になったが、国産航空揮発油の品質向上で面倒な装置は使わなくても行けるのではと考えられ、採用していない。さらに出力が必要になれば採用の可能性もある。
試作5号機6号機が完成した。
また地上運転試験からだ。
地上で問題が起きた。滑走は良かったのだが、離陸しようと出力を上げると不安定になると言う。後は振動が3号機よりも大きいとも。
5号機特有のクセかも知れないと6号機も運転したが、同じだった。機体側の問題である。
「困った」
「原因は馬力だろうな」
「他に無いしな」
「取り敢えず5号機6号機の試験は中止。4号機で特殊飛行などのデータを取って貰おう」
「発動機が違うからどうかな」
「挙動が分かれば、多少は参考になるかも知れない」
「まあ、無理をしないようにお願いしよう」
「振動はどうする」
「発動機周りであることは間違いない」
「だが、発動機単体だと問題無かったとなっている」
「ペラかな」
「ペラか」
「4号機では問題無かったが」
「4号機は三翅プロペラだが、5号機6号機は四翅ペラだ。そこからかも知れない」
「取り敢えず、不安定から解決だな」
「出力が上がってプロペラ後流も強くなっている」
「確実にソレだろう」
「胴体の改設計は手間だぞ」
「延ばそう」
「へ?」
「胴体延長だ。尾翼を少しでも後ろにやる」
「それだけで良いかな」
「ついでだ。滑らかにしよう」
「角が付いてるからな」
「どのくらい延ばそうか」
「全長が今9.5メートルだから、きりの良い所で10メートルだな」
「なんだよそれ。計算無しか」
「大体、計算無しで艦戦の図面から始めたんだ。大体でやろう」
「まあ、模型作って風洞だな」
「やろう、やろう」
風洞試験の最中に機体側面の排気を流す部分の形状が、一種の吸入効果を発生していることに気が付いた。模型の側面に高圧ガスを後方に吹き出してみたのである。コレは!と考えた。ここから発動機覆いの中を流れる空気を大量に吸い出せれば、発動機の空気取り入れ量が想定よりも多くなる?冷却に有利か。しかも、カウルフラップを拡げる量が減れば空気抵抗も減る。しかし、高温・高圧の排気が外気に混ざって低温になれば容積が減ると言うことで低圧になり、高温・高圧の排気を強く引きつけるというか吸い込む?コレで余計に安定を欠いたのかも知れない。
だが、上手くやれば速度が向上するかも知れない。
皆で頭を加熱させた。
風洞試験は上手く行った。新しい図面を引いて材料を手配せねば。
材料を手配して7号機8号機が出来たのは3週間後。気が付けば二百十日だ。今年中にまともになれば良いな。7号機は試験用で軽荷。8号機は公試状態になるようダミーウェイトを積んである。
7号機は何時もの手順で試験を行っていく。いよいよ地上全開運転だ。ジャンプ飛行くらいは許可してある。
うん、戻ってこないで繰り返している。良かったのかな?
「地上全開でも不安定さは無い。馬力が上がったせいか昇降舵の反応が良い。ただ、ブレーキが甘いな。も少し効かせてくれ。もっと重くなるのだろう」
「分かりました。ブレーキは改善します。他にはどうですか」
「ジャンプくらいだと問題無いな」
「良かった。本日の試験は終了します」
「あいよ。日報書いておく」
遂に速度試験の日がやって来た。相変わらず振動はあるが、酷くないと言うことで試験に臨んで貰った。
『高度6000、全速飛行に入る』
『357ノットで飛行中』
「振動はどうか」
『全開にすると多少強くなる』
「了解。帰投してくれ」
『了解』
「良し。357だ」
「「「うんうん」」」
昭和17年10月のことだった。
振動はプロペラを疑い、メーカーと折衝するも上手く行かない。仕方が無いので、形状を変えた物を発注した。幅広根太で各部の強度を上げた物だ。プロペラが小さいので速度が出ないという意見もあり、さりとて機体の都合で大径プロペラは装備できない。面積を増やすには幅広にするしか無かった。
プロペラ製作に時間が掛かり、新しいプロペラが来たのは17年11月だ。
遂に新しいプロペラで飛ぶ時が来た。地上全開運転では振動が明らかに減っているという。
そして、最高速試験の日が来た。昭和17年12月1日。
『高度6000、全速飛行に入る』
『360ノットで飛行中。振動は以前よりも少ない』
「了解。帰投してくれ」
良かった。コレなら公試状態の8号機でも良い成績が出るはずだ。
『高度6000、全速飛行に入る』
『335ノットで飛行中。振動は7号機と変わらない』
「了解。帰投してくれ」
良し。海軍に報告するか。海軍からは雷電はまだかと五月蠅いくらい催促がある。
審査は昭和18年1月始めから始まった。松が開けるのも待てないくらいらしい。
数回の飛行ですぐに量産試作機の製作を命じられた。会社も喜んでいる。
海軍審査値 試製雷電8号機
水平全速 334ノット/高度6000メートル
上昇力 高度6000メートルまで5分40秒
航続距離 高度6000メートルにて全速45分(推定値)
量産試作機5機が慌ただしく製作され、海軍に納品された。納品先は横須賀海軍航空隊であった。
海軍でのテスト中に、プロペラ問題が起きた。最高速度は満足できるが加速がイマイチと思われたので、各種試験を行ったがその過程でプロペラの強度不足が判明したのだ。強度不足だったのはプロペラブレードでは無く、ガバナー全体であった。加速の悪さは住友VDMプロペラの調速用電動機が出力不足でプロペラピッチの変更に時間が掛かったためと考えられた。
各部の強度を増したプロペラが製作された。新プロペラに換装された量産試作機は問題も起きずに順調だという。
海軍はこの時点で、量産を決定。細かいダメ出しを行いながら実戦に投入してみたりしながら、初期不良を減らしていった。当初の量産は三菱。零戦五二型が三菱では生産されていたが生産を絞り、雷電の生産をした。中島で生産中の零戦二一型は18年9月で生産終了。生産ラインは全て雷電になった。一時的に零戦が供給されなくなり前線は混乱したらしい。
昭和18年11月1日。遂に雷電を正式採用。海軍局地戦闘機”雷電”と命名された。既に量産は三菱と中島で開始されていて、事務上の手続きで制式化が遅くなっただけだった。
雷電二一型 J2M3
全幅 10.8メートル
全長 9.95メートル
全高 3.85メートル
自重 2.68トン
全備重量 3.75トン
発動機
火星三四型 機械式燃料噴射装置
離昇出力 1800馬力
一速公称出力 1650馬力/高度2200メートル
二速公称出力 1500馬力/高度5800メートル
最高速度 330ノット/高度6000メートル
上昇力 高度6000メートルまで5分35秒
実用上昇限度 11300メートル
航続距離 1780km(正規)2380km(増槽装備)
武装
九九式二号四型20ミリ機銃4丁 装弾数各200発
制式化前に製造された量産試作機36機は雷電十一型J2M2とされた。性能はほぼ変わらない。十一型と二一型の違いは風防形状と武装の違いであった。
十一型は7.7ミリ2丁と20ミリ2丁だった。しかも一号銃である。十一型は前線に出ることは無く、訓練用として使われた。
二一型の風防は100ミリ嵩上げして、視界を良くしている。窓枠も減らされている。風防と機体は7.7ミリ機銃を装備しなくなったので滑らかに成形された。ただ、治具などが間に合わず十一型の胴体で作られた機体もある。操縦席を前に出すのは時間が無くて中止になった。海軍でも搭乗員は前に出したかったようではある。
配備後は、その高速性能と重武装・重装甲(日本機としては)で頼りになる機体と歓迎された。
ただ、巴戦が何よりも好きな搭乗員には好かれなかったようだ。
艦戦を太くしたようなその外観から[ 太戦 ]と呼ばれた。
雷電は各型合計で3200機生産され、戦場で活躍した。三菱は一部を残して、中島は雷電他の活躍で前線が持ちこたえている間に全部の零戦製造ラインから転換して生産した。
零戦は代わりになる軽量艦上戦闘機が無かったので、紫電改艦上機型が採用されても小型空母用艦上戦闘機として細々と生産された。19年秋には栄の生産も終了し、雷電と紫電改に戦闘機生産を集中するとして零戦は生産終了となった。各地の零戦は雷電と紫電改が配備され次第、程度の良い物は空母用として集められた。
栄の生産中止は月光の生産中止にも繋がった。当時の日本で夜間戦闘機として使える双発戦闘機は月光と屠龍しかなく、両機とも夜間迎撃能力確保のため昼戦は禁止された。泥縄式に屠龍の強化を川崎に依頼したが、キ102乙(襲撃機型)を屠龍同様に斜銃装備とすることと、機首のホ401・57ミリ砲をホ204・37ミリ機関砲に交換して夜戦に転用。キ102丙とした。後席の居住性がかなり犠牲になっている。屠龍よりも高速であり37ミリ機関砲の威力も十分で活躍した。キ102の生産は昭和19年8月からで500機余りが生産された。その内400機以上が夜戦型キ102丙である。夜戦のみならず、雷電や疾風の護衛があれば昼間迎撃でも活躍した。
試作中のキ102丙はキ118とされた。
史実だと雷電の正式採用が昭和19年10月です。
次話は、戦線投入です。