夏夜に咲く乱れ花、皇女様は打ち上げる
庭園の植木が夜風にそよぐ、お城のバルコニーで。
「リズ様、こちらにどうぞ」
「うん、ありがとう」
専属メイドの引いた椅子に、世界統一王国の第三皇女が座る。
その所作はどちらも美しく、まさか普段は見苦しい口げんかをし合っている二人だとは誰も思うまい。
「軽いものを中心に、いくつか用意しましたので」
「わーい、やったっ」
メイドのルーシーが示したとおり、皇女のリーズリットの前にはいくつかのお菓子が並べられていた。
いま“お菓子”と述べたが、どちらかといえば見た目は“宝石”か“造花”に近い。
滑らかなチョコレートに包まれた果物や、華やかな飴細工で彩られた焼き菓子などである。
どうしてこのような見映えに寄せたお菓子が用意されているのかというと、今日が夏祭りの日であるからだ。
城下で行われている街を挙げてのイベントに、ただでさえ愛くるしい見た目で大人気の王族だ、さすがにリーズリットが参加するのは難しい。
そのため、夏祭りの出店で売られるような品々を用意して、気分だけでも味わおうという会が開催されたのだ。
バルコニーのそこここには飾り照明が置かれ、ほのかな灯りが周囲を優しく照らす。
ちなみに、リーズリットもルーシーも、東方地域の浴衣という衣服を着ていた。
なぜか、この場の雰囲気にひじょうに合致していて、二人の美少女具合に拍車がかかっている。
「もうしばらくしたら花火も始まります。ゆっくり待ちましょう」
ルーシーが着ているのは、青地に雪の花があしらわれた浴衣だ。
いつもより緩く纏められたおだんごに、オレンジ色で蝶のような形のバレッタが留まっている。
「ルーシーも、立ってないで座って?」
リーズリットは白地に向日葵のようなオレンジ色の花の浴衣で、いつもは下ろしているロングヘアを片側でまとめて結んでいた。
首元が露わになることによって、涼しげかつ艶やかな印象を見る者に与えている。
「はい、失礼します」
ゆっくりと、ルーシーは椅子があるかどうかが不安であるかのように座った。
もしかしたら、浴衣を着慣れていないのかもしれない。
「風が涼しくて気持ちいいー……ルーシー、ありがとう」
「昼間の蒸し暑さが残っていたので、少しだけ」
「ふふっ、いつもは頼んでも絶対にやってくれないのに」
「ご自分でできるのに、わざわざ私に頼むのですから」
エルフという種族は、ありのままの自然の中で過ごすことを美徳と考える。
そのため、ちょっと暑いから魔法で涼しくしよう、などというイマドキの皇女の発想は忌避するものであるのだ。
「いやぁ、嫌がるルーシーに涼しくしてもらった方が気分がいいんだよね」
「もうっ、リズ様のそういう思考がわかるのでやらないのです! まあ、今日だけ特別ということで神様もお許しになるでしょうから、別にいいですけど」
普段に比べて、ころころと表情が移り変わるルーシー。
口をとがらせたかと思えば、次には母のように優しく微笑んでいる。
メイド服を着ていないために、お仕事モードから脱却して肩の力が抜けているのだろう。
「思ったんだけどさ、エルフって雨乞いは頼まれなくてもするくせに、ちょっと涼しくするのはどうしてダメなの?」
「節操なく雨乞いしているみたいな言い草は心外ですが……たぶん、森の恵みに関係あるかどうかじゃないでしょうか?」
「森も涼しい方がいいんじゃないかなー……おっ、これ美味しい」
適当な会話のやり取りの途中、リーズリットはお菓子をつまむ。
赤く透き通る飴が薄く張られたその中に、七色が鮮やかな果実が包まれているものだ。
「エルフの森で採れた、ナナクジの実を使った飴です。もしかしたら、涼しくしすぎると採れなくなってしまうかもしれませんね」
そう言いながら、ルーシーもナナクジの飴を口に入れる。
懐かしい味に、思わず顔がほころぶ。
「うーむ、悩ましいところだな。よし、品種改良しよう」
「そんなに簡単にあるべき姿を変えるものではないですよ」
身も蓋もない物言いをするリーズリットと、実際に行動に移せる権力を持つ主人を諫めるルーシー。
「人間ってそういうものなの、変化が大好きなの」
「確かに、人間はすぐに歳を取りますものね」
第三皇女に対して、捉えようによっては揶揄していると思われることでも言える。
それは、二人の間に積み重ねてきた信頼が存在するからである。
ケンカするほど仲が良い、なんて月並みな表現をしておくとしよう。
「ルーシーにとって、わたしと過ごす日々は花火みたいなもの?」
リーズリットの問いと同時に、街の向こうの山々から花火が上がった。
夜空に開き、世界を一瞬だけ昼へと塗り替える。
そして、しばらく経ってから、低音の破裂音が二人のもとに届く。
スタートは派手に行こう、そんな風に花火師たちは決めていたのだろうか。
次々に、色とりどりの花火が打ち上がる。
線が放射状に伸びるもの、点の火花が綺麗に散るもの、朱一色のもの、計算されたコントラストのあるもの。
次々に打ち上がっては、夏の夜空に消えていく。
間隙なく続いたことが理由か、その美しさに目を奪われたことが理由か。
ルーシーとリーズリットは黙ったまま、遠くの空に咲く花を眺めるのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
耳に残る花火の余韻も抜けると、木の葉が揺れ動く音がやけに大きく聞こえるような気がしていた。
リーズリットは、まだ花火が打ち上がると思っているのだろうか、真っ暗な夜空に顔を向けたままだ。
「もう終わってしまいましたね、リズ様」
「うん、夢か幻だったんじゃないかと思うぐらい、一瞬……」
そんな主人を引き戻すかのように、ルーシーは声をかける。
返事はあったが、リーズリットの視線は夜空から動かない。
「はい――でも、綺麗でしたね、とっても」
「うん、綺麗だった……」
直後であることも関係しているかもしれないが、ルーシーの記憶に残る中で間違いなく一番キラキラして見えた花火であった。
だから、本心から応えることができる。
「この時間が永遠に続いてほしい、そう思いました」
口にした言葉を、後から少し恥ずかしく思う。
しかし、リーズリットが嬉しそうにこちらを向いたので、対価としては損をしていないと決めつけた。
「わたし、できるよ?」
「ダメですよ、リズ様? 儚いからこそ、その瞬間のひとつひとつを大切にするのでしょう」
本当に永遠に花火を上げられる権力を持つ主人を、ルーシーは窘める。
「むぅ、確かに。ずっとだと飽きちゃうかもしれないね」
「はい、ひと夏に一度、最高のコンディションで楽しむのがちょうどいいのではと思います」
いつもは、メイドの口から発せられるのはノイズだと言わんばかりのリーズリットである。
だが、いまは聞き入れてくれているのか、うんうんと頷いていた。
「ルーシー、お水もらっていい?」
どうぞ、そう言いながら水差しを傾けると、中の氷が涼しげな音を奏でる。
「ありがとう」
今日のリーズリットは少し、いや、かなり様子がおかしい。
素直に感謝の言葉を口にするし、なんだかセンチメンタルなことも言うし。
これでは、こちらの調子も狂ってしまう。
「……けっきょく、リズ様は今回なにもイタズラをなさいませんでしたね」
「えー、そこまで欲しがられるなら準備しておけば良かったなぁ」
頭を抱えるぐらいの勢いで悔しがるリーズリット。
そんな主人の姿を見て、ルーシーは調子に乗ってしまった。
ここで粛々としていられないから、いつも一泡吹かされることに気づいていないのだ。
「あはは、私が打ち上げ花火に詰められるオチだと思っていたのですが、どうやら違ったようですね」
「ふんっ、リーズリット・リリラリルは大人になったの。そんなイタズラばっかりしないんだからっ」
「なるほど、感服いたしました」
椅子から立ち上がり、リーズリットは腰に手を当ててそっぽを向く。
子どものような仕草が微笑ましいと思いながらも、ルーシーは礼節をもって接した。
「なーんてね、ほりゃ」
しかし、頭を下げているルーシーの隙をついて、リーズリットは背後に回っていた。
そして、ルーシーの浴衣の脇から中に両手を差し込み、ちょうどよくそこにあった果実をわしづかみにする。
なぜか、浴衣の下にはなにも身に着けていなかったようだ。
「ぃひゃっ!?」
ひかえめな胸はリーズリットの小さな手からこぼれずあふれず、ちょうどよく収まる。
慌てたルーシーが引き剥がそうとするが、体勢的にはどうしようもなく。
リーズリットが飽きるまで、為すがままにされるほかなかった。
「あれれー、るーしぃ、どうして下着を着けていないのかな? ハレンチなのかなぁ?」
「ぁぅっ、どこ触って……! リズ様がっ、ぁっ、浴衣を着るときは下着を着けないのがマナーって!」
なるほど、どうやら準備の段階からすでにイタズラの種を仕込まれていたらしい。
当たり前かもしれないが、東方地域の文化までは詳しく知らなかったようだ。
「それはね、嘘♡ たぶんスースーしてたんじゃない? そわそわしちゃってぇ、ルーシー、可愛かったよぉ?」
もぞもぞと、浴衣の下でリーズリットが手を動かす。
傍から見ても、すぐにやらしいとわかるような手つきであった。
「ひぅっ、もまっ、んっ、揉まないで……!」
「えぇ? よいではないかー、よいではないかー」
「ぃやっ、はだけてる! はだけてるからぁっ、ぃやぁぁああっ――!?」
穿いていないことで激しい抵抗ができないルーシーと、それがわかっているからじっくり攻めるリーズリット。
けっきょく、いつも通りの構図になるというわけだ。
この後、永遠を生きるエルフにとっては、花火が上がって散るまでのように一瞬の間だけ。
静けさを取り戻したはずの闇夜に、どこからか誰かの嬌声が響きわたっていたそうな。