7.対局終わりて
『私の…勝ち?』
盤面に勝敗が表示され、皐月は呆然と呟く。
対局中は無視していたが、日頃使用しない演算を酷使した所為か、体はメモリ不足を訴えて絶え間なく警告を発し続けていた。
しかしそれも対局が終わるに従って終息し、思考も徐々にクリアになっていく。
『はい。初勝利、おめでとうございます。機霊番号32521。個体名、皐月。
私ですら殆ど見た事のない戦形でした、実に興味深い予習をなされたようですね。
参考までにお聞きしたいのですが、一体いつの対局を参考にされたのでしょうか?』
アナウンスがそう皐月に声を掛けてくる。
このアナウンスは機霊全体を統括する集約機械知性に直結しているので、余程の事がなければ話かけてくる事はない。
集約機械知性は全ての機霊にとって「一段階上」の存在と言える。
学生にとっては先生、社員にとっては上司と言ったように。
つまりこの対局は「集約機械知性にとって直接声をかける程度には興味深い代物だった」と言う事である。
『え、あ、その…。
ま、マスターと将棋についてお話する機会がありまして!
そこで閃いたと言うかなんというか…。
参考にした対局があるわけではなくてデスね…。』
「集約機械知性に声をかけられる」という事実を正しく理解している皐月は、手をもじもじと弄りつつ、曖昧に答えを返す。
腐っても機械知性である。
「マスターが夢で見たと言う戦形を丸パクリしました」とでも言おうものなら、まず間違いなく動作を疑われるだろう。
『マスター…と言う事は人間との会話で。と言う事ですか。
それはまた実に興味深い事例です。
あなたの今後に期待しています。機霊番号32521。個体名、皐月。』
『あ…は、はい!
ありがとうございます!』
『では次対局に入ります。
対局者は交代してください』
事務的な雰囲気へ戻ったアナウンスに従い、皐月とその対局相手は教室を後にする。
教室から出た対戦相手は、出迎えた彼のマスターと顔を合わせると、堰を切ったようにぼろぼろと泣き出した。
(…そうだよね…やっぱり悔しいよね。
私だけじゃないんだ。誰だって負ければ悔しいんだ。)
対戦相手の姿に自分を重ねながらも、皐月は自身のマスターの姿を探す。
しかし教室の出口付近には見当たらず、渋々と対局を映し出していたモニターの前へ向かう。
(まったく!
自分の機霊が対局に初勝利したんだから出迎えてくれたって罰は当たらないんじゃないですか!?
マスターは機霊に対するデリカシーって物が足りてないですよね!)
文字が浮かぶのなら「ぷんすこ」とでも描写されているであろう表情でモニターに向かうと…。
そこには友人の声掛けにも答えず、仰向けで気を失っている幸平の姿があった
『え…ま、マスター!!』
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(なんだここ…たたみ…例の夢?)
幸平の視界には、脚付き盤に駒台に畳敷きの部屋、そして手に持っているのだろう一冊の棋書が映っている。
しかしその視界は自分の意思で動かせない。
まるで「誰かの視界だけを自分が除き見ている」かの様に。
(そもそも俺は何をしてたんだっけ…。
たしか皐月の対局見てて…途中若干危なかったけど切り返して…
んでそれ見てたらどんどん頭が痛くなって…立ってられなくなって…。
…んでそこから先の記憶がない。)
幸平の思考を置き去りに、視界に映る棋書のページがぺらりぺらりとめくられ、そこに書かれている棋譜をなぞる様に、脚付き盤に載せられている駒が動く。
いつも夢で見ている風景と似ているが、シーンはまるで違う。
部屋にいつもの女子はいないし、夢はこんな視点でもなかったはずだ。
それを何度か繰り返した後、その部屋に奇妙な音が鳴り響く。
その音に反応してか、視界に映っていた棋書は閉じられ、視界の主は脚付き盤の上の駒を片付け始める。
棋書の表紙には「ネット将棋で勝つ、米長の奇襲」と書かれていた。
「よし、大体覚えられたな。
あんにゃろめ。明日こそは見てろよ。」
そう部屋に響く声は幸平に似てはいるが幸平の声ではない。
まるで「数年後の自分の声」であるかのような、酷く奇妙に耳に馴染む声だった。
駒を片付けた視界の主は、駒箱を片付け、部屋の扉に鍵をし、その鍵を大人へ更に預ける。
それは歴史の授業で習った、そしてとっくの昔に廃れた「部活動」の一端に酷似していた。
(という事はこれは『過去』なのか?
じゃあこの視界の主は過去に生きてたこの学校の学生?
でも…なんで俺がそんなものを見ているんだ?
この学生は俺の先祖か何かなのか?)
幸平の思考に応える者はなく、視界は勝手に進んでいく。
廊下、靴箱、校庭、そして正門。
歴史の教科書でしか見た事のない、現実にはもう欠片さえ存在していないそれらを、視界の主はさも「当たり前のもの」のように通過して行く。
「流石にあいつもネット将棋用の奇襲戦法までは知らないだろ。
慌てる様が目に浮かぶぜ。
…まぁ一戦やったら対処法を教えてやるか。
ハメ手で何度も勝っても面白くないしな。」
独りごちる彼の言葉からは、敵意や悪意は感じ取れない。
強いてあげて「びっくりさせてやろう」程度の悪戯心だろうか。
愉快気に歩を進めていたその視界だったが、車道を横断している最中、ラッパを吹き鳴らすかのような音が唐突に響き渡る
音に驚き、思わずその発生源を向くと、そこには視界一面を覆い尽くす、巨大なトラックが迫ってきていた。
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「うわああぁぁ!!」
『マスター!?』
「幸平!?」
幸平が目を覚ますと、そこは学区の保健室だった。
身体は汗で塗れており酷く気持ちが悪い。
今すぐにでもシャワーを浴びたい気分だ。
「びっくりしたぜ、ほんとに。
皐月ちゃんの対局が終わるや否やいきなりぶっ倒れるんだからな。
ま、保健の先生が言うには単なる寝不足だってさ。
バイタルも問題ないらしいから、起きたら好きなタイミングで帰っていいとよ。
俺は見届け役と言伝果たしたからもう帰るけどな。」
さもめんどくさかったデスと言わんばかりにぐぐぐと身体を伸ばしながら、勇人はそう言い捨てる。
恐らくはここまで運んできてくれたのも勇人なのだろう、そう思うと幸平は申し訳ない気持ちになった。
「あ、あぁ。
その…悪いな。迷惑掛けた…」
「気にすんな。
…と言いたいところだがそれも不健全だな。
じゃあ今度『丸木』の食い放題を一回奢ってもらおうか」
「おうよ。お安い御用だ」
そう返すと、勇人は手をひらひらと振りながら、弥生さんと一緒に保健室を出て行った。
保健の先生も今日は帰宅しているようで、保健室には皐月と幸平が残された。
「そう言えば、皐月。
対局はどうなったんだ?
劣勢を切り返したところまでは見ていたから勝てたとは思うけども。」
『え、あ、はい!勝ちました!もちろん!
で、ですね。せ、先生から声を掛けて頂けたんです!
興味深い戦形でしたねって!』
「あーまー。矢倉一強の環境ならそうだろうな。」
『それにですね!今日初めて将棋が楽しく思えたんです!
対局中に、自分が次に何をすればいいのかわかったんです!
初めての体験でした!』
「そりゃよかった。それが将棋の始まりだからな。
定跡なぞるだけの将棋なんか面白くもなんともないよ。」
幸平の口からは「実際に将棋を指した事がある人間」にしか出せない感想が次々に出てくる。
しかし昨晩鬼殺しに関する濃密な感想戦を繰り広げた二人にとって、それはもはや何ら違和感を伴うものではなかった。
『で、ですね…マスター…
対局に勝った褒賞と言うか…
ひとつ…お願いがあるんですけど…』
「ん?なに?演算強化の部品か何か?
給付金の範疇ならいいけどあまり高い物は…」
『頭…撫でて貰えませんか?』
そう切り出した皐月に驚き幸平が視線を向けると、皐月の顔は耳まで真っ赤に染まっていた。
俯いていたのでその表情までは見えなかったが、お願いを言い出した当人が恥ずかしがっているのは明々白々だった。
随分長い事一緒にいたが、皐月からこんな「お願い」を聞かされるのは初めてだ。
幸平は一瞬言葉を失ったが、すぐに手を伸ばし、皐月を胸に抱える。
『わっぷ!ま、マスター!?別に胸に抱えろとは…』
「何言ってんだ。労わってあげようってんだから素直に受けろ。
…よくやったな皐月。流石、俺の自慢のパートナーだ。」
思いがけない慰労の言葉に、今度は皐月が言葉を失う。
しかし、それも束の間。
頭を撫でる手の感触に、皐月は自分より何倍も大きい幸平に身体を預け、目を瞑り小さく呟く。
『あなたこそ、私の自慢のパートナーですよ…。
…大事なマイマスター』
以上でAI将棋異聞録終わりです。
一応続きの候補もあるのですが、書くかどうかはモチベーション次第かなぁと。
とりあえず投稿時点で続きの予定はないです。
書きたい戦法や世界設定や人物描写は山ほどあるんですがね…。
仮に続きを書く場合は、これが一話の立ち位置になる予定です。
短編ながらお気に召しましたら評価いただければ励みになります。
どうぞよしなに。