3.機戦
『なんだ。今日の相手はへぼの皐月かよ。
これは勝ちで決まりだな。』
『ふん…。
今日は…今日だけは負ける訳にはいかないのよ』
翌日の午後、俺が勇人と一緒に機霊の教室へ足を運ぶと、教室内では今まさに、皐月と男性天使タイプの対局が始まろうとしていた。
廊下から観戦出来る様、廊下の壁面には教室内の様子が表示されており、教室の中が対局をする二人のみとなっているのが見て取れる。
更にインターネットのような公衆回線にアクセスしてのカンニングを防止する為、教室内は完全な電波暗室なのだとか。
当然そのままでは声は外に聞こえないので、教室内にマイクを、廊下にはスピーカーが設置されている。
…何が言いたいかと言うと「へぼの皐月」とかいう罵声は、俺にもくっきりはっきり聞こえていたと言う事だ。
あの鳥野郎…。
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機械知性との共存は様々な文化を人類に再び齎したが、将棋、囲碁、チェスなどの完全情報ゲームに関してはそうではなかった。
人類各々が持つ事になった機霊は人類と比べ物にならない演算、思考速度をもち、その思考の合理性も人類の凡そ及ぶところでは無い。
人は進みたい方向を機霊に要望し、機霊はその優れた演算能力で「それを実現する為の実務」を一手に引き受ける。
それはゲームに於いても変わらない。
多くの人は「勝負に勝て」としか示さず、具体的な「勝ち方」は機霊が思考する。
つまり実際の勝負は機霊同士が、その知性を以って鎬を削る事となる
結果、運の要素が絡む麻雀や多くのカードゲームと異なり、予測演算が支配的な完全情報ゲームは機霊同士の思考競技となり、人類が自ら嗜む事は無くなっていった。
『4月9日。第92局。
先手、機霊番号32521皐月。
後手、機霊番号06632朧。
持ち時間10秒』
教室内にアナウンスが響くと同時に、皐月とその対戦相手が向き合い、俺が見ている廊下の壁面には9×9の盤面が表示される。
先手が皐月との事だったので、盤面下側が皐月側だ。
人間同士で対局していた頃は数日単位の持ち時間もあったと聞くが、機霊同士の対局では、情報処理能力を限界まで追求する為に、基本的に持ち時間は1手1秒以内と言う超早指しルールになっている。
これも指し手が機霊に変わったが故のルール変貌だと言えるだろう。
『対局コード。235604090000A561
対局開始。』
そのアナウンスを皮切りに、盤面の駒が次々と動き出した。
▲7六歩
△3四歩
▲2六歩
△3二金
▲7八金
△8四歩
▲6六歩
△8五歩
▲7七角
△4二銀
▲5六歩
△5四歩
▲8八銀
△3三銀
▲4八銀
△7二銀
▲6九玉
△3一角
▲5八金
△4一玉
スッスッスッと淀み無く駒が動き、あっという間に20手に届いた
しかし1手辺り1秒以内なので、ここまでですら30秒に届いていない。
もっとも、第2学区だけで一日何百局もやるという話だから、一局に割ける時間が多いわけないのだが。
(居飛車か…。)
その言葉が脳裏を過ぎった瞬間、なんとも言えない懐かしさが身体を包んだ。
(居飛車?居飛車ってなんだ?
…居飛車は5筋から右側に飛車を置いて戦う戦術の事。
いやいやいや、そもそもなんで俺はそんな事を知ってるんだ?
調べたから?いや居飛車なんて言葉は教科書には書いてなかった。
…俺はどこでそれを知った?)
頭の中を次々と知らないはずの知識が駆け巡る。
《8筋が薄い》
《攻め手が遅い》
《玉を囲わないと》
《俺だったら飛車振る》
《せめて矢倉に》
《俺なら》《俺だったら》《俺なら》《俺なら》《俺なら…》
(8筋?矢倉?振る?)
頭が熱を帯びていく。
進んでいく盤面に呼応するように頭の中に知識の断片が産まれ、その断片が次々に繋がっていく。
▲5七銀
△7四歩
▲5九角
△8六歩
▲同 歩
△同 角
▲同 角
△同 飛
▲8七歩打
△8二飛
▲2五歩
△7三銀
▲3六歩
△4四歩
▲7七銀
△5二金
▲7九玉
△4三金
▲6七金
△6四銀
(角を捌いてから矢倉模様に…
でも先手はどちらかと言うと押さえ込まれてる様に見える…。)
▲1六歩
△3一玉
▲4六銀
△2二玉
▲3五歩
△同 歩
▲4一角打
△6二飛
▲3五銀
△3一玉
▲2四歩
△同 歩
▲3二角成
△同 玉
▲8八玉
△8二飛
▲9六歩
△7三桂
▲2四銀
△同 銀
(先手から仕掛けたが一見して攻め手が細い。
同銀に同飛で攻め駒は飛車金銀だがこれで寄るとは思い難い…
先手大分苦しいぞ。)
見た事も無いはずの将棋の盤面が、あるはずの無い自分の知識を掘り起こしていく
その知識が盤面を読み解き、そこから導き出された局面の優劣が次の知識。更にまた次の知識を…。
▲同 飛
△2二歩打
▲3四銀打
△同 金
▲同 飛
△3三銀打
▲3八飛
△4九角打
▲3九飛
△2七角成
▲3四歩打
△4二銀
▲3七飛
△2八馬
▲2四金打
△3七馬
▲同 桂
△2八飛打
▲2五桂
△6九銀打
(飛車でピン止めされてから、この銀引っ掛けはまずい…。
7八の地点を集中攻撃されては支えきれない。
これは大分後手ベースだ…。
このままだと先手は…。)
「お、おい。幸平?」
自分を呼ぶ声に横を向くと、勇人が心配そうな顔でこちらを見ていた。
「あ、ごめん…。何?」
「いや…お前すっごい顔してたぞ…。
そりゃ自分の機霊をへぼ呼ばわりはムカつくだろうけど、何もそんな顔しなくても…」
「え?…俺どんな顔してた?」
「…人殺しそうな顔してた。」
…マジか。
「大丈夫、確かにムカつくっちゃムカつくけど、黙ってたのはそういう理由じゃないから。」
「…本当か?
お前のあんな顔初めて見たからさ…。」
「あぁ、大丈夫だよ。
…俺はな。」
そう勇人と話している間にも対局は進む。
その日のその対局。結局皐月は攻めを繋げられずに持駒を出し切り、137手で投了した。
6九銀打以下投了まで
▲6八金打
△7八銀成
▲同 金
△6九角打
▲6八金
△7八角成
▲同 金
△6七金打
▲3三歩成
△同 桂
▲同 桂成
△同 銀
▲同 金
△同 玉
▲1五角打
△2四桂打
▲4八銀打
△2九飛成
▲3四歩打
△4三玉
▲6一角打
△5三玉
▲5九桂打
△7一金打
▲8三銀打
△3二飛
▲6七桂
△6一金
▲7四銀成
△3四飛
▲5五歩
△5二金
▲5四歩
△4三玉
▲2五歩打
△8五桂
▲2四角
△7七桂
▲6四成銀
△8九桂成
▲9七玉
△9九成桂
▲3三金打
△同 飛
▲5三成銀
△同 金
▲同 歩成
△同 玉
▲6五桂打
△6二玉
▲7三金打
△5二玉
▲5三歩打
△4三玉
▲9五歩
△8五金打
▲投了
棋譜はGikouエンジン同士を持ち時間0分、秒読み10秒で対局させました。
なお余談ですが、本局最大の敵はエンジンの演算に耐えられずハングしまくる、自分のハイパーポンコツPCでした。(くそが)