【第一話】 上辻僚太、異世界に発つ
「ふぁ~あ......ねみぃーな」
放課後、楽しそうに教室を出ていく同級生達を尻目に、大あくびをしながら机に突っ伏す一人の少年がいる。
彼の名前は上辻僚太、容姿を簡略に伝えるならば、背は高くなく髪は短めなのだがあまり整えられていない。基本善人だが目つきが悪いせいで周囲の彼に対する評価はプラマイゼロである人間だ。
そんな何処にでもいそうな彼が、どうして教室に残っているのかと聞かれれば、可愛い彼女を待っているだとか、美人教師の個人授業があるとかではなく。ただ単に、早く家に帰ると、やりたくもない家事を、手伝わなければいけなくなり、もれなく妹達の面倒を見なければいけないからである。
しかし、そんな僚太の緊急避難所は、口うるさい脂ぎった中年教師によって奪われた。
「上辻、おまえは部活入ってないんだから用ないだろ、早く帰れよー」
「はぁ~……面倒な奴に見つかったか。わかりましたわかりました。帰りますよ」
「おい今、面倒って言わなかったか?」
「……ッ!! いえ、何でもないですね」
僚太はおもむろに立ち上がると、陸上部さながらの速度で、中年教師の脇をすり抜けて教室を飛び出した。
それから廊下を過ぎて行き、勢い良く階段を駆け下りて行く。だが、本日の階段の掃除は、ちゃんとしてなかったのか濡れていたようで、気が付くのがおくれると、階段を踏み外すのと同時に派手に転げ落ちた。
______どれくらいの時間が過ぎたのだろうか、朦朧としていた意識から目が覚めて、体をゆっくり起こすと辺りには身に覚えのない光景が広がっていた。
「死ぬかと思ったけど取り合えずは大丈夫か……ん、ちょっとまてよ、ここ、どこなんだ?」
しばらくその場所で考え込むと、何処かの街中ということまでは容易に理解できる。ただ、僚太の近くを通り過ぎていく人物達が、中世風の格好だったり、猫や犬の耳がついていたり、なかには僚太を見るや否や、目を反らす者もいることに妙な違和感を覚えた。
そしてある一つの結論に達したのだが、あり得ないと受け入れられず、無理やり自分に言い聞かせようとして口を開いた。
「まさかコスプレイベントの帰りなのか、だってあの金髪の騎士とか、あそこ歩いてる腰に特徴的な剣携えてる女の子とか」
「そうだ、そうに決まってる……あの耳とか本物の猫耳なわけないじゃんかよ~。今動いてた気がするけどッ!!」
しばらくブツブツ言っている僚太に、誰かが声をかけた。声のするほうへと視線を向けると、そこには少々肌の露出が多い女が、ニコニコしながらすぐ近くの路地脇に立っていて、こちらに何故か手を振っている。
いまいち状況把握がまだできていないうえ、良からぬことに巻き込まれたくないと思った僚太は、視線を反らし無視するが、その女は僚太によほど関心があるのだろうか、今度はしっかりと僚太が分るように声をかけた。
「そこのボク。ねぇ~そこのボクってば、聞いてるの~?」
「なんすかね? 別にカメラとか持ってないのでお構いなく~」
「カメラ? 何それちがうわよ。お姉さんがいいことしてあげようかと思ったの~」
「いや大丈夫です、未成年なんで遠慮します。気になるけども!!」
「気になるなら大丈夫でしょ? さぁ~さぁ〜」
少々強引に僚太の手を引くと、歩き出すのだが、その女の横顔にさきほどの笑顔は見当たらなかった。
しばらく路地裏へと歩いていくと、甘い香りに包まれていることに気が付いて、何か香水の匂いだろうかと考えていると、いつのまにか先ほどの雑踏はなくなっていて、人の姿がみえない。
すると女はすぐに立ち止まり、僚太ではない誰かに声をかけ始めた。
美人局や追い剥ぎにあったことのない僚太ではあるが、昔から嫌な感は良く当たる方で、このパターンになるのではないかとある程度想定していたため、すぐに手を振りほどき距離をとると、軽く身構えてみせた。
「ちょっとでも淡い期待した俺が憎い!!」
「バカな坊やね、そんな身なりして護衛を付けずに一人で居るなんて」
「身なりだの護衛だの。こっちはただの学生だぞ」
女が声をかけてからしばらくすると、バカでかい剣を背負う大柄の男が通路の脇から出てきたが、賊というより騎士のような風体で、威圧感は一切ない。
さきほどの女を見ると、今の状況が宜しくないことがすぐに分る。だがしかし、僚太には背中を見せる勇気などはなくなっていて、ただ睨んで身構えることだけが、唯一できる自己防衛であった。
「あの坊やなのだけど、どうかしら?」
「アジェータ、彼をよく見たのかね、あれは恐らく帝国の者ではないのか」
「知らないわよ~。なら、さっさと始末してちょうだい。この国の部外者を始末しろってのが長期依頼なんだから、最終的にお金もらえればいいもの。あなたに任せるわよ」
「困ったものだな……あれをバラす側の身にもなってほしいものだよ」
僚太がそんなやり取りをだまって見ているはずもなく、すかさず両手をズボンのポケットに突っ込んで、中に何かないのかとまさぐりはじめるのだが、どうやら何もないようだ。
最後の頼みと今度は上着のポケットに手を入れると、右手の指先に何かが触れる。それを掴んでからポケットから手を引き抜くと、勢い良く相手の方に向けて手を差し出すのだが、それは僚太の期待していた物ではなく、僚太が登校中で食いかけた代物であった。
「それはいったい何だね、金貨や銀貨ではないようだが……」
「__ッ!? いやこれはですねスニッキーズという簡単に栄養補給できる食べ物でしてねッ」
「せめて出すならお金になる物を出してよね~。しかもそれ、よく見たら食べかけじゃないかしら?」
袋から飛び出ている、スニッキーズをポケットに戻そうとしたところで、向こうの二人の様子が変わり始める。どうやら僚太の始末をすることに決めたのか、男は背中の大剣の柄に手を掛けると鞘から引き抜いた。
一方でアジェータは涼しい顔をしながら、自分の手の爪を気にしているようで、僚太には目もくれず男に指示を出すと、男はただ頷きゆっくりと僚太へ歩き出す。
「悪いが無駄話は終わりとしようか。あきらめて覚悟してくれ」
「こんな訳もわかんねぇところで死ぬのかよ、俺……なんで俺なんだ!! ほかに誰か__」
言いかけた口を押さえて、頭を大きく横に振り、両手で顔を叩くと自分に喝をいれた。
そのまま大剣を振り上げて構える、その男は鎧の中でどんな表情をしているのか。人を殺すことを何とも思わない奴らに、このまま殺されるのかと思うと、僚太は無力さを痛感させられた。
だが、運という代物は良くも悪くも人それぞれ平等にあるらしく、この場合は前者に傾いたようで、風の流れが変わり始めた。
「ここの国は相も変わらずね。あなたたち彼をどうするの? 遊んでるようには見えないのだけど……」
僚太が振り向くと、そこには白い丈の短いドレスのような格好をした少女が立っていた。
胸の辺りは、赤く染まった鉄のような物か何かで保護されているようで、騎士と言うより剣士に近い格好だ。
背は僚太と同じくらいで、青の深い色の瞳に垂らした横髪、金髪を後ろでまとめた赤いリボンが、通り抜ける風でユラユラとなびいている。
その可憐な姿が、少女を余計に幼くみせる。だが、腰に携えられている特徴的な形をした剣が、少女だということを忘れさせると、僚太は少女の頼もしさに見とれてしまった。
「おいアジェータどうなってるんだ? 人払いのチャームはやったのだろうな」
「あれをよく見なさいよ……剣聖よ、あんなのに通じるわけないわ」
「それだけは笑えない冗談だな。だが依頼は依頼だ。仕方ないがそこの子供には死んでもらうぞ!!」
「そこの騎士さん、ごめんなさいね____ッ」
腰から鞘を外して走り出した少女は、大剣を振り下ろそうとした男の懐に勢い良く飛び込むと、右足でステップを踏んで、男の背後に回り込む。そしてすぐに地面を蹴って、飛び上がりつつ鞘を男の後頭部に勢い良く叩きつけると、辺りには鉄を打ち付けるガチンッとい音が響いた。
僚太の目の前で、男はうめき声をあげることもなく、そのまま膝から崩れ落ちると、気絶したのかピクリともしなくなる。
それを見ていたアジェータは、ヤレヤレといった表情を浮かべると、重い口を開くのだが、どうやら降参をするわけではないらしい。