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最後に嗤われた

 コンビニの自動ドアを抜けた先は、寒い夕暮れだった。


 駅の改札前は案外風通りがよく、コートの上からも存分に冷やされる。もうしばらくコンビニで立ち読みしていてもよかったと後悔してくるくらいだ。


 改札口向こうの天井から下がっている時刻表を見るに、乗れる電車は運悪くもう間もなく来る。時間つぶしは十分だ。数分ばかし風に吹かれる程度だと覚悟するしかない。


 コートのポッケより定期入れを取り出す。その手のまま、改札口をタッチした。ところが改札は開かない。代わりにブザーが鳴った。残金がなかったようだ。


 そういえばここのところ、遠出が多かった。酷い浪費だ。だが、チャージしないことには帰れない。歩けない距離ではないが、こんな寒空を誰が歩きたがろうか。



 踵を返した。



 何が悪かったのかは、分からない。ただ、突然のことだった。改札口の向こうから走ってきた何者かが腕を掴んできた。そう、本当に突然のことだった。


 相手はどうやら女性のようで、叫ぶように、怒りを含ませて、甲高く口走った。


「この人です」


 次の瞬間もまたよく分からない。頬に強烈な何かが来た。壁際には立っていなかったはずなのだが、壁にぶつかった。景色が激しく動いたと気づくまで、そのコンマの何秒、完全に思考は停止していた。


 どうやら何者かに殴られたようだ。そして、ぶつかったのは壁じゃなく、タイル床だ。それは痛いと一口に終わるものでもない。殴られ倒され、今、通りすがりの通行人に蹴飛ばされた。


 酷い吐き気だ。浅い眠りから無理やり覚醒されたときなんかこんな気分だったような気がする。今は目が冴えるというより逆に眠りに落ちてしまいそうな状況だが。


 何秒もなく、誰かがのしかかってきた。まるで状況が理解できていない。


 今、何がどうなっているのか。顔が痛い。右半身が痛い。頭も結構打った。口の中も切ったようだ。脳が混乱している。どうなっているのか、どうなっているのか、ぐるぐるぐちゃぐちゃ思考が回る。


 また誰かに、腕を引っ張られた。頬と床が離れる。どうやら立ち上がれたみたいだ。厳密には、誰かに起こされたというべきか。お願いだ、整理させろ。何がなんだか分からない。


 立ち上がった先、目の前には女性と、男が二人、あと駅員の格好をした男。あと、背後から顔の見えない誰かが腕を押さえてきた。


 共通していえることは、皆どうやら怒っているようだった。何に対してか、そんなのは分かりっこないが、どういうことだろう。こちらを見て怒っているように見える。


「ご同行願います」「もう逃げんなよ」「最低だなコレ」「私許しませんから」


 疑問が口から出る前に、むせて血が口から漏れた。誰に何を言っているのか、全く理解できない。言葉がノイズのように聞こえた。今頭の中がぐちゃぐちゃなんだからそんなにいっぱいまとめて喋るな。


 こっちは突然転ばされて怪我をしたんだ。確かにこんな混雑した中で転んで周りが迷惑したかもしれないが、被害者だ。何故怒りを向けられる必要がある。


 こちらにも言い分はあるんだ。ちょっと言いたいことを整理させろ。


 そう、思ったところで、念じたところで、通じるわけもなく、まるで連行されているかのように、ぐいぐいと引っ張られてその場から何処かへと移動させられた。喋らせてくれたっていいだろう。


 何もそんなに無理やりに引っ張ることもない。こっちは足もひねったらしいし、左足がおぼつかないんだ。せめてゆっくり歩いたっていいだろう。


 しかし、どうにも連中は怒っている様子だ。それどころか、周囲まで変な目で見ているような気さえしてくる。具体的にいえば、ケータイの写メのカシャ音が数回ほど聞こえた。


 見世物じゃないぞ、転んだだけだ。


 何をそんなもの珍しそうにみているんだ。連中は怒っているかもしれないが、一番怒りを抱えているのはこちらの方だ。理不尽じゃないか。


 大体、そもそも何処へ連れて行こうというのか。歩幅が合わないせいでさっきから足も踏まれているんだ。ちょっと移動するだけなら別に遠くなくたっていいだろうに。


 そう思った矢先、目的地がハッキリした。駅員の詰め所だ。改札口から人混みの中、十数メートルも歩かされて、なんでわざわざこんなところにこさせられたのかが分からない。


「あとは我々に任せてください」


 そうこうしているうちに駅員が集まりだして、そう告げた。


 混乱した頭は、ようやく状況を取り入れ始めたようで、夕暮れの寒さなどとは比べ物にならないほど冷たい現実が目の前にあることを理解した。



「人違いですよね?」



 やっとだ、やっと出た言葉だ。唇の傷がしみて少々痛かった。


「何言ってんの逃げたくせに」


 ああ、どうやら憶測が当たってしまったようだった。当たってほしくはなかった。勘弁してくれないか、現実よ。


 せっかく混乱が解けてきたというのに、すぐさまだ、目の前の女性の金切り声が小うるさく、途切れない言葉をつむいでくる。やめてくれ、言いがかりだ、そんなことありえるはずがない。


 しかし、こちらの言葉は被せてくる。聞く耳ぐらい持ってくれたっていいだろう。証拠が何一つないだろう、改札前の防犯カメラを見れば一目瞭然だろう。


 全くうるさい。興奮するな。黙れ。全てが勘違いだ。駅員もうなずくな。何をメモしている。こちらの言い分を何故聞こうとしない。警察を呼んだのはさっき気づいたが、どういったって嘘の塊じゃないか。


 女の言葉が飛躍しているぞ、ほら、ちょっと黙らせてくれないか。納得するな。何を信用したんだ。カメラの映像に数秒でも目を通せ。何のためのカメラだ。


 話が終わってしまう。まだ終わらせるな、言いたいことが残ってる。言わせろ、否定するな、妄想を語るな、嘘をつくな、息もするな。誰が被害者だと思っていやがる。加害者は間違いなくお前だ。


 まだ終わっていない、だから話を聞け。邪魔をするな。


 顔が熱くなり、時間感覚が鈍ってきたと思った矢先、来てほしくないと思っていた連中がドアから入ってきた。ああ、終わりなのか。


 どうやら確定的としか思われていないようだ。真っ先に、腕を掴まれ、連行される。こんなバカなことがあってたまるものか。


 まだ、言っても言い足りないんだ。否定させろと、そう振り向いた瞬間だ。

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