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体が冷えていく
体の不調を感じて目が覚める。
空腹感と冷え、体の痛みに起こされるのは、ただただ不快であった。
眠りという、本来は体を整える事が全う出来ないままに終わり顔をしかめながら、体を起こす。粗末な長椅子に横になっていたようだ。
かけられていた薄手のシーツにくるまるようにしながら、寝ていた椅子に座る
ここがどこなのか、今何が起きているのか、何が起きたのか。
状況がすぐさまに命を脅かさない事がわかる、あの時助けられたままに意識を失い、今に至る、服は泥まみれのままだが、とりあえずは『あの状況』よりは考えることができる。
さかのぼるように混乱を解いて行く。
今、この体は子供の体だ、130から140㎝。相模幸平は180cmか少し足りないくらいの、やや長身だった、その染み付いていた視界は今は無い。
小さくなった手を閉じて開いて眺める。小さい、そして肌の色が薄い事に気がつく、アジア系ではない、鏡を見てみたいが見渡してもそれはない。
見渡すついでに、今いる場所を確認する、自分以外は誰もいない、長椅子が雑多に積まれたり並べられている、窓もある事にはあるが大分高い位置に小さな窓がある、石造りの壁と剥き出しの木の柱と基礎、地震が来たら命に関わりそうな建物だ。
なにかあった時に寄合などに使うような建物に見えた。
目を手に戻す。
相模幸平がこうなる前、最後の記憶、縁故組の若者の遠い目、思い返すと諦めや絶望もあったのだと思う
縁故組になるのはほとんどが親の七光りで捩じ込まれる、ろくな社会経験もない若造、甘やかされ、根拠の無い自信だけは達者という認識だ。
彼が入る経緯もそれとなく聞いていた、真面目でも不真面目でもなく大学に行くも、途中から足が遠退き留年、留年し年下に囲まれ、さらなる孤立がこたえたのか更に留年が決まり、そのまま辞める。
定職に就こうともせず、気が向いたら日雇いで働く、見かねた親が本社筋の課長の立場として捩じ込める先が幸平の元であった。
誰にでも出来る、その一言につきる業務内容、最後の最期に親からの息子に対する想いと期待がそんな閑職
彼の心は「俺はこんな仕事だけやればいい筈がない、もっと他に何かある筈なんだ」と表向きの感情と共に、この世の全てに期待されていないと諦めていた。
その両方が職場での手抜きに怠慢、それを客先に見られる迂闊さに繋がり続けたのだとは思う。
しかし、それを理解しようにも全く共感は出来なかった、彼に最初にかけた言葉「なぜ当たり前の事が出来ない」
能力や仕事においてもそつなくこなせ、転職の度に新たな事を覚え直す、その度にどこにでも色々な当たり前を学び満たす、それは幸平にとって汎用的に使える当たり前であった。
同時にどれだけ物腰柔らかくとも、当たり前という物は傲慢で法律よりも心を縛り付ける暴力に等しい物という認識もあった、幸平はそこそこに異性との交際はあったが、ほぼ全て振る振られる問わず長続きはほとんどしていない、これが原因だと自覚もあった。
(しかし庇ってきた上司が庇わないからで落とすかね…)
そう落とされた。掬い上げられ押し出され、落ちていったのだ
落ちて、死んだ
40mに届かない高さだとは思うが、迫る地面
10m台ですら人は死ぬ、業務で『そうなったそれ』を確認したことすらある。
死んだのだ。あのたわいもなく毎日の平穏は、もう無い、次のボーナスで買うホームシアターに想いを馳せていた幸せは手に入らないのだ
大きなため息が漏れる
(んー、けど言うほど幸せってほどでもなかったかもな…楽ではあったなぁ)
両親や姉夫婦、妹夫婦、友人達、同僚や上司達
基本的に女性側は幸せそうだったが、男性側は幸せでも無ければ、楽でも無さそうだった。
その楽の部分に関してなら周囲から圧倒的な差をつけて、同性の誰もが羨む楽な人生であったと振り返る。
小さくなった手を見る
(いまさら青春なんてこの場所で得られる物なのか)
この場所
死んだ筈の自分が檻の中で狼に震え、その状況からは少なくとも助かった「この場所」
(どこなのだろうか…)
幸平の認識では、馬車で子供を入れた檻を運ぶ途中に狼に襲われて命を落とす白人の地域なんて物は無い、あったとしても自分には確実に縁が無いと思えた。
ふと映画や小説、漫画で流行りの『異世界転生モノ』がよぎる、不幸にも死んだ、神の手違いで死んだ、召還されたなど、そして超常的な力と現代知識で渡り歩く話
「これが、まさか…」
37歳、夢も枯れ、とりあえずの毎日を過ごすことに幸せを感じた男がだ
行商から産業を発展させて富と栄華を目指すのか
知識と技術で農業や政治を持って権力を得るのか
歴史の流れと戦術、今は見えない『すごいちから』で英雄になるのか
「…無いなぁ……」
正直な事を言えば、別れた誰かと結婚して、子供を抱く人生ならば、子供からやり直す興味もやる気もあったかもしれない。
異世界(?)だろうと、たとえ世界が同じであろうとも、狼が馬車を襲い、子供が檻に入れられる世界に望むような希望も貢献するやる気も無い、確信出来る。
子供、共に震えていたあの子供の事を思い出す、正直お互いいっぱいいっぱいで、顔も含めて全て薄汚れていた、男の子だったのか、女の子だったのかもわからない。
ふと後ろから声をかけられる
「あら!おきてるじゃないの!」
赤茶色の髪を頭の上でまとめた、がっしりとした体格ながらも美人と呼べる程に整った顔立ちの女性、しかし、とてつもない肝っ玉母さんのオーラを滲み出す女性に声をかけられた。