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世界は変われど平穏を  作者: 藤々
一章:行方知れずの平穏
2/38

1-1

頬に当たる金属の感触、指先には砂が触れている


左手を頭の先からずっと引っ張られている気がする


ごとんごとん


足元の方からは重々しい振動が響く、頭が痛い、大きく息を吸えば生臭さと獣臭さのまじった空気が肺に流れる


目を開ける、焦点が合わない、また目を閉じてしまいたい、体の芯から感じる疲労感


ぐぐ、ぐい、うつぶせの自分の左手を引っ張っている者、ぼやけながらもその非力で引いていたのは、小さな子供


頭を振り顔を上げる、痛みをまぎらわせながら焦点を合わせる、今時見かけない程のネグレクトを受けたかのような、顔も髪も砂と埃、汗や泥で汚れ、ワンピースなのか大きいシャツかもわからない服はボロボロだ


その子の掴む自分の腕も目に入る、その子の腕と変わらぬ細さ、変わらぬ小ささの手


混乱する、掴まれていない反対の手のひらを顔に向ける左手と同じ小さな手のひらだ


「!?。?!!」


膝をつき、体を半ば起こすと、その子の横に左手を引かれるがままに這う


ごとん


足元から伝わる振動、子供の掴む手に力が入る、状況が飲み込めない、子供の目はこちらを見ていない、その目線を追うように首を回す


犬、ハスキーに近い、いや狼だ、唸る事もなくこちらを見ている、大きい、とてつもなく大きく感じる、口の周りは赤茶けて汚れている、這うようにしていた姿勢から振り返るままに仰向けに、手足を突っ張るように、狼から離れようと子供の横に、壁を背にする


そして狼との間にある鉄の格子がその時始めて目に入る、檻だ、狼の顎下の地面にはサンダルが落ちている恐らく自分がはいていた物の片方、足元は檻と同じく鉄の格子


左右に目をやる、檻の中にいるのは自分達である、そして檻の向こう側には人であろう残骸と馬であろう残骸、そして数匹の狼


「ひゅ…」


自分の喉から音が鳴る、悲鳴を上げようと!大きく酸素を取り込もうと!息を殺して止めようと!

そんな矛盾した悲鳴にも呼吸にもならぬ音が鳴る


そして震え、全身の筋肉がこの意味のわからない状況への拒否を発する


なんで、なぜ、どうして、なんで、何に対してともなく、今の状況の全てに対する疑問、何も整理される事のない疑問と拒否。


ごとん


狼は鼻先から頭までを使い檻を押す


横転している檻、今背にしている壁は床なのであろう、檻の下敷きになった木片やら石が、足の揃わぬテーブルのように狼の立てる音を手助けする。


ごとん


音の度に強張る震えは自分だけのものでは無かった、隣にいる子供も震えていた、今の状況がわからない、考えることも出来ない。


ただ横の子供は味方だと、同じ状況の同じ存在だと、肩を寄せ、互いにしがみつく、お互いの震えを抑えるように


ごとん



ごとん




ごとん



ひたすら震える、食事を終えた狼も加わり、檻の周りをぐるぐると回る


長い、いつまでも続く混乱と恐怖、なぜ、どうしてと何に対してもなく思うことしか出来ない


夕方、狼は諦める事がなかった、時に遠巻き離れる事もあるが、こちらを見ている、更には時折檻の上に乗り、前足や鼻先を格子に差し込む真似をする。


震えも小さくなりつつも、檻に乗られる度、ごとんと鳴らされる度に小さな二人は強張る


夜になっても同様だった、ガシャンという檻に乗る時の回数こそ減ったが、不定期にごとんと揺らされる


夜の闇はいましがみつく相手の様子すら伺えない、恐怖の震えに空気の冷たさも重なる


お互いにしがみついた先の温度だけが混乱と恐怖を耐えさせてくれる、実際、耐えれているのかも自分でわからない、ただお互いが生きていると感じられる、目を瞑り、暗闇の中でそれだけを頼る


ごとん









ごとん







しばらく続いた静寂からわずかに鳥の鳴き声がする、目を開ければ、うっすらと空が白み始めていた。


狼の姿は無い、しかし混乱、絶望、諦めとが心に刻まれ、考えることも放棄していた。


肩を掴む相手もまたこちらの腕を掴んでいる、眠る事もなく、ただ生きている事をお互いが認識している。



蹄の音がする、狼の食事の残骸とは逆から六人の男達が馬から降り駆け寄ってくるのが見える


人だ


「おい誰か生きてんか?」


人だ、人の声だ


考えがまとまらない、声が出ない


「こ、子供だ!やはりいたぞ!」

「ジョンは馬を、ジェリコはあそこに鍵があるか見てきてくれ」


「檻を起こすから気を付けてくれ」


声は自分に声をかけられたのだろう


目が合う


男達は四人で声を掛け合い檻を押し上げた、中の二人は壁に寄りかかったまま、床に寝転ぶ形にひっくり返る


人だ


混乱とは異なるが、思考停止して人がいるとしか頭に出て来ない


その男は子供達の足元にあった扉から砂を払いながらジェリコと呼ばれた男から鍵を受け取る


その時


今まで、この状況になるまでずっとあった、左腕にかかる弱々しくも唯一の心の拠り所とも言えた、その掴まれていた手がフッと抜けるように離れた


こちらが覆うように肩にかけていた右手で軽く揺らす


「うわああああああああああああああ」


叫んだ、その左腕からの掴まれていたという、弱く震えていた感覚の喪失はこの世の終わりのようだった、


あれほどの混乱と恐怖と絶望の中で出なかった声が始めて出た、絶叫、泣いているのか今どういう風に体を動かしているかもわからない、ひたすらに叫んでいる


「落ち着け!落ち着け、大丈夫!大丈夫だから、大丈夫」


扉から引っ張り出され、抱き締められる、声が掠れ出ない程に叫んでいた。


小さく何度も何度も「大丈夫だ」と声をかけられ、力なく横たわった子供もジェリコと呼ばれる男に抱かれて檻から出される


「気絶してるが生きてんよ、大丈夫だ」


この男もまた「大丈夫だ」と声をかけてくる。


人の言葉と人がいる、「大丈夫だ」とかけられた言葉、そして左腕を掴んでいた子供の無事と重なる、震え続けて眠ることも出来なかった体に凄まじい脱力感が襲う


「大丈夫だからな…」


男の声を耳に意識を失った





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