誰かを家族のように愛し庇護したいという欲望について
本エッセイは、既存のどの小説を揶揄しているというわけでもなく、私の視点から思ったことを書いているにすぎません。ですから、それが万人にとって正しいというつもりもない、単純な「感想」です。
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世の中にはたくさんの欲望がある。
美しい女性をもみくちゃにしたい。
かっこいい男性に「君だけだよ…」と言われたい。
ありていに言えば、異性と良い仲になりたい。
美味しいものを食べたい。たっぷり寝たい。
「あなたは素晴らしいひとだ」と称賛されたい。
まあ色々あるだろうと思うけれど、
最近私は、世の中には
「理想の家族として振舞いたい」
あるいは「理想の家族を持ちたい」
という欲望があるのかなあ、という風に感じた。
理想の家族というのは、さしあたり、
家族愛にあふれていて、
外敵に対しては何を捨ててでも家族を守り、
いかなる窮地にも臆さない、
というようなタイプの家族像のことである。
そう感じた発端は、
なろうで小説を読んでいるときだったけれど、
ふと、あるタイプの小説で、
〈危険に陥った主人公の非常に親しい仲間〉について、
「家族なのだから守って当然だ」という風に、
家族だから守るというモチーフが繰り返されているように思った。
あるいは別の作品を見てみると、
〈家族が自分の窮地に激怒する〉というような、
もちろんそれ自体は当然ではあるのだけれども、
ややテンプレート化された流れがあるように思った。
こうした、一種の「理想の家族」めいたテンプレートが
なろうで一定の価値を持つのだとすれば、
そしてまた、なろうで人気の作品というのが、
読む人の欲望を充たすという点で人気なのだとすれば、
「理想の家族を持ちたい」
「理想の家族として振舞いたい」
というのは、ある程度一般的な欲望なのかもしれないな、
という風に思った次第である。
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なんでこういう感想を抱いたか、
という点についてだが、
発端は私自身の違和感にある。
改めて考えてみると、
私自身は、薄情かもしれないが(?)、
家族を守りたいという欲望があまりない。
まあもちろん、ひどい親兄弟でもなければ
守ってしかるべき場面は多いと思う。
ただ、私はそこにあまり自己実現
(といってよければ)を見出さない、
ということである。
なんかいまいちピンとこないなあ、
と思って小説を読んでいるときに、
ああ、世間では私の知らない欲望があるのか、
という風に少し実感した次第。