春
「おはよー……」
眠たげな声が後方からぽつりと聞こえた。
「おはよ、ちーちゃん」
「お腹減った、なんか無いの?」
ちーちゃんと呼ばれた彼女から、ぐぅと可愛らしい音が鳴る。
「もうすぐ出来るからそこに座っててよ」
「ふぁ…い。ゆうくん、近くでまた事件みたいだよ」
テレビを付けたらしいちーちゃんは、事件があった場所を伝える。
「雨宮市…すぐそこじゃないか。ちーちゃん出かける時気をつけなよ」
「うん、ゆうくんも気をつけてね」
「あぁ。ほら、サンドイッチが出来た」
休日の朝食は、いつも僕の担当だ。付き合って2年近く経つが、欠かした事は無い。おかげで随分と腕が上がったもんだ。
他愛ない話をしながら食べ終えると、2人はソファに座り、お互い寄りかかってさっきの話の続きをする。
「そうだ、今日ゴミ出し忘れてた!ちーちゃん行ってくるね!」
うん、いってらぁ〜と気の抜けた返事を尻目に急いでゴミ袋を纏めゴミ捨て場へと駆け出した。
マンションを出てすぐ下に設けてある場所にゴミを捨て、帰ろうとしたとき後ろから大きな音がした。慌てて振り返ると、下着姿の若い女性が先程ゴミを捨てた場所で伸びていたのだ。よく見ると頭から血が出ている。これは只事では無いと110を押し、ふと見上げると丁度ゴミ捨て場から真上に当たるベランダから人影が消えた気がした為、そこに向かう事にした。ちーちゃんに、下で人が倒れてるから介抱してとも連絡しておいた。
482号室と書かれた部屋には鍵がかかっておらず、扉も空いたままだった。入ってみると煙草とは違う嗅ぎ慣れない不快な臭いが充満していた。机に置いてあるガラス製の灰皿からは血が出ていた。部屋は荒れており、ここで何かあった事を裏付けている。しかし人はおらず、来たもののどうしたらいいか全く分からないでいた。部屋に入り、ベランダを見下ろすとちーちゃんが下着姿の女性に声を掛けている最中で、部屋に人がいない以上ここにいても仕方ないと戻ろうとした時だった。「がっ」という声が下方から聞こえ覗いてみるとちーちゃんの背中にはナイフが刺さっていた。
「ちーちゃん!」
血の気が引くとはこの事か。サーッと頭が真っ白になって何も考えられない。どうしようどうしようどうしよう、なにか、なにか!!どうすれば助かるのかを考えているのに、楽しかった思い出ばかりが頭の中を駆け巡っていく。そんなんじゃない!助ける方法っ…!目尻に巨大な粒が溢れ出す。足が痛い気がする。けれどそんな事はどうでもいい。ちーちゃんの元に駆け寄ると、ちーちゃん!ちーちゃん!と何度も呼び続けた。彼女は掠れた声で「ダメ…ゆう…くん…うしろっ…!」すかさず振り返ると拳を握った男がこちらに襲いかかってくる。すんでのところで躱すも、自分にはそれ以上為す術がない。男はちーちゃんの背中から刃物を取り出しこちらに向けてくる。既に彼女の意識は無い。怒りと恨みと憎しみが暴れ狂い、生身で憎悪を殴る。腹が熱いと思った。もう片方の腕で抑える。ぬるりとした液体に触れる。それが自分の血だと理解するのに時間は掛からなかった。
「ああああああああぁぁぁぁっっっ!!」
その場に倒れ、薄れゆく意識に抗うも、その呪うべき存在を睨み続ける事しか出来ない。遠くの方で、サイレンが聞こえた。
ふと、隣で声が聞こえた。
「…おはよっ!ゆうくん」
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