俺は今日、死にました
俺にとって、未来なんてどうでも良かった。
代わり映えのない毎日。
父さんと母さんがいて、数人の友達がいて、それだけで十分だと思った。何も望んだりはしなかった。
相生 圭 17歳。高校2年生。
セレブ、というほどでもないが、外見は城のようで、大きな黒い門が付き、庭には小さな噴水がある、無駄に立派な家に住んでいる。母は花が好きな為、それはそれは見事なフラワーガーデンが作られていた。家の中はいたって普通だが、ちょっと豪華そうな螺旋階段と大きな吹き抜け、それから6畳分くらいのバルコニーがあるくらいか。
父は会社の社長で、何の仕事かはよくわかっていないが、なにやら有名ではあるらしい。
でも別に、俺はそんな家に育ったからといって、贅沢に暮らしているわけでもない。高校だって普通の公立高校だし、お小遣いは5000円くらいだ。アルバイトはしてない。母も特に働かず、専業主婦としてやってる。
旅行なんてめったに行かないし、誕生日プレゼントとかもない。ただただ、外見のいい家に住んでいるというだけだ。
「圭ちゃん、ちょっと出かけてくるわね」
「あぁ」
母は最近よく出かける。
帰りが遅いわけでもないが、買い物をしてるだけのようには思えない。母はお金の節約が全くできない人で、湯水のように使ってしまう為、貯金はほとんどしてないのだと思う。
これは憶測だが、母はギャンブルにハマったのではないだろうか。あの働かない母が時折、何の日でもないのに食事を豪華にしたり、大きな買い物をしたりする。逆に、帰ってきた後ものすごく機嫌が悪い日がある。これは勝ち負けに理由があるのではないか。
まぁそんなことはどうでもいい。2年生になった俺は、同じクラスの裕也と友達になった。
といっても、学校で話をする程度で、遊びに行ったりなどはしたことがない。あいつの家は中華料理屋をやってるので、家の場所はわかっているが、遊びに行くことも、食べに行くこともない。お昼にご飯に誘っても、大抵断られる。いつも一人でご飯を食べていたが、特に悲しくなるわけでもない。
普段は良い奴で、俺が頼むとなんでもやってくれる優しい奴なのに、昼だけは断る。
というか、あいつが昼ごはんを食べているところを見たことがないかもしれない。
季節はもうすぐ夏を迎えようとしていた。
突然、裕也にこう言われた。
「圭、もしも、急に人生がどん底に落ちたら、お前はどうする?」
「どん底・・・想像もつかねぇよ」
「当たり前の人生なんてないんだよ。平凡な毎日、それだけ望んでたって、いつかそんな日々は終わるんだ」
「なんだよ急に。何かあったのかよ?」
「俺の親父が、死んだ」
「・・・え」
こいつの父さんは確か、中華料理屋の店主で・・・えっと、店を継ぐのはこいつ・・・?
「俺になにかできることあるか?」
「ない」
「けどほら、せっかく話してくれたんだし」
「いいんだ、気を使うな。話を聞いて貰いたかっただけだ」
「話くらい、いくらでも聞くさ」
「ならもう一つ」
さっきとは打って変わって、はにかむような笑顔を見せて言った。
「弟と妹が産まれたんだ。双子の赤ん坊」
それもまた衝撃的だった。
「お、おめでとう」
「そういや、お前は一人っ子か?」
「あぁ。一人だな」
「今度会わせてやろうか?可愛いぞー」
「見てみたいかも」
赤ん坊を見る機会なんてそうそうないし、興味があった。それにしても、こいつは何も言わないが、父親が亡くなって、双子の兄妹が産まれて、すごく大変な時期じゃないか?
それで食欲がないとかなのだろうか。
最後にあいつは、一言だけ言った。
「いいか、決して同情なんかすんじゃねーぞ」
同情されるのもするのも、人一倍嫌う性格らしく、情けは自分の為にも相手の為にもならないと考えてるらしい。色々複雑な思いを抱きながらも、俺には何も出来やしなかった。
いよいよ梅雨の時期になって、ジメジメした気候が続いた。そして今日、人生を大きく狂わせる、一本の電話が鳴った。
『もしもし、圭ちゃん?!』
「あぁ、母さん。どうしたの」
「お父さんが、お父さんが・・・!」
「なに?落ち着いてよ。え?
わかった、すぐ行く!」
携帯電話を片手に、始まったばかりの学校を抜け出し、教えられた病院へ急いだ。
・・・着いた頃には、父は亡くなっていた。享年47歳。自殺だったそうだ。
会社の社長という立場でありながら、倒産を間近に控えていた。俺たちに残ったのは、あの立派な家と、多額の借金。到底返せる額ではない。
母は産まれてから今日に至るまで、1度も仕事をしたことがなく、当然、働けるわけもなかった。俺のバイト代で少しずつ生活していたが、母のギャンブル依存は治るわけもなく、俺のバイト代を全て使い切ってしまうことも少なくなかった。
毎日食べることも、ほとんど出来なくなった。1日1食でも食べられればマシなほうだ。
ふと、裕也の言葉を思い出した。急に人生がどん底に落ちたらどうする?
どん底とはまさに、今の状況のことだろうな。
せめて、父さんがいてくれたら・・・。
残った食料も底をつき始めたある日。母は俺を見据え、冷たく言い放った。
「頼むから、死んでくれない?」
一瞬、意味がわからなくて止まったが、徐々に鮮明に伝わってくる。
「俺が死んだって、母さんはどうするんだよ?」
「お前に掛けた保険金で暮らすんだよ」
そういうことか。母さんは冗談で言ってるのか、頭がおかしくなってしまったかと思ったが、本気の目だった。
「生きてたって意味無いだろ?死んでしまいな、お前なんか」
「一生懸命働いてるじゃないか、母さんの為に。そんなこと言わないで、頑張・・・」
「うるさい!お前さえいなくなればいいんだよ!消えろよ!」
手近にあったリモコンで何度も何度も殴りつけた。
ものすごい殺気を感じた。
俺は命からがら家を飛び出した。
向かったのは、裕也の家。
生きたい、わけでもなく、母さんの為になるなら死んでも構わないとも思った。でも最後に、無性にあいつに会いたくなって、お別れをしにきた。
お店のドアを開け、裕也を呼ぶ。
「圭・・・?どうしたんだ、その怪我!なにがあった?!」
「母さんに殴られた。そんなことよりも聞いてくれ。お前に最後に言いたいことが」
「最後ってなんだよ?言いたい事?わかった、全部聞くからとりあえず外に出よう」
静かに雨が降り始めたが、屋根があるので特に問題はない。しとしと降る雨の音を聞きながら、俺は順を追って話した。
裕也は黙って最後まで聞いてくれた。そして言った。
「お前はそれでいいのか?」
考えた。よく考えた。
俺にとっての幸せはきっと、当たり前の生活をしてることで、父さんもいない、母さんにも求められていない人生で、生きてる意味がないのは本当だと思う。だから死ぬことにした。
「裕也、お願いあるんだけど」
「なんだ?」
「お腹空いたからなにか恵んでくれないか?」
「嫌だね」
予想もしてない答えだった。
同情して貰えるとは思っていないが、それくらい助けて貰えると思っていた。
今日にも死ぬかもしれないから、せめて最後に、まともな物を食べたいという欲求があった。けど、それも叶わなかった。
「俺、行くね。今までありがとう裕也」
「・・・じゃあな」
少し、薄情にも思えたが、正直、会ってまだ2ヶ月程度だ。
そこまででも無かったのだろう。
構わん。どうせ今日で死ぬのだから。雨に濡れながら家に帰った。家に入ると、母は一瞬驚いたが、温かく迎えてくれた。
タオルを受け取り、頭や顔を拭く。母が視界から消えた途端、腹部に電流が走った。突然目の前が暗くなり、意識が遠のいた。死んだのかな、とも思った。
圭から衝撃の告白があった。
家族のことでバタバタしていたが、それどころではない。圭が、もうすぐ死ぬかもしれない。大切な友達を失う感覚がして、いても立っても居られなくなった。
俺は圭に、食べ物を与えなかった。それは確かに、家が貧しく、最近ろくに食べていないこともあるが、1番の理由は、食べたことに満足して、そのまま死んで欲しくないからだ。
少しでも生きる足掻きをして欲しい。自分でなんとかしようとして欲しい、そう思った。
圭は家に帰った。俺は後をつけた。もし圭の言ってることが本当なら、母親はおかしい。サイコパスだ。狂ってる。
かなり危険な状態かもしれないが、まだなにも起こってはいないし、警察に言ったところで解決はしない。
なら俺が行くしか・・・。
圭はどうやら家に着いたらしく、門を開け、ドアを開けて入る。随分立派な家だと思った。
今まで言ってた話は全部嘘かと思うくらいだ。
しばらく様子を見るため、すぐに乗り込まず、門の前で待っていた。雨が止んできた。しばらくするとなにか重たいものをたくさん引きずる音がしてきた。心配がピークに達して、いよいよインターフォンを鳴らした。鳴ってもすぐに出て来ないので、門をずっとガタガタやっていた。するとようやく女の人が、大きなゴミ袋をたくさん抱えて外に出てきた。
「なんのご用?こんな時間に」
もうすぐ日が変わりそうな時間だった。普通の人なら寝ていてもおかしくない時間。確かに訪ねるのは非常識だ。
「初めまして、圭の友達の裕也と申します。圭くんに会いたいのですが・・・」
「あの子はもう寝たわよ」
「そうですか、わかりました。あ、これ圭くんの学生証です。忘れていったので、渡しといて貰えますか?」
「そんなことなの?仕方ないわね」
乱暴に受け取り、ゴミ袋を次々出して、家に引っ込んだ。
帰るフリをして、再び見張る。
さっきの女の人が母親かな。
母親はかなり顔がやつれ、疲れきっているように見えた。
やがて母親が再び外に出てきて、車を車庫から出してきた。車もなかなかの高級車。
金持ちじゃないか。なにが借金まみれで困っているだよ。帰ろうかな、そう思った時。
全身に戦慄が走った。
大量のゴミ袋の中に、圭が入っていた。目を閉じ、体育座りのような格好で、袋は完全に閉じられている。まさか、もう手遅れか?と思ったが、どうやら息はしている。その袋だけ二酸化炭素まみれだ。
けど、このまま放っておけば確実に死んでしまう!
母親に気づかれないよう、そっとそのゴミ袋に近づいた。
こいつさえ死ねば、こいつさえ死ねば・・・!
息子が帰ってきてから、護身用に持ってたスタンガンで気絶させ、睡眠薬を飲ませて、しばらく眠らすことにした。あとはこいつの荷物、不要物を全部ゴミに出す。そうすれば、晴れて私は解放される。
一人分のお金も浮くし、保険金も入る。あの人の保険金は一切入らなかったし、これで少しは暮らしていける・・・!
やっぱり、家も車も手放さなくて正解だったわ。
私にとっていらないのはこの子だけ。この子もまとめてゴミ袋に詰めて捨ててしまおう。
作ったゴミ袋をまとめて玄関に運ぶと、チャイムが鳴った。
こんな時間に誰よ・・・。
忙しいので放っておくと、門をガチャガチャする音が気になる。あーイライラする!なんなのよもう!
先にゴミを外に出してしまおう!
ドアを勢いよく開け、門の近くにいる男の子を見た。
見た感じ高校生?圭ちゃんの友達かしら?
「なんのご用?こんな時間に」
こんな時に。
あの子もしかして・・・友達に余計なことでも言ったのかしら。可能性はあるわね。
なんとか誤魔化して帰ってもらわないと。
とっさに、あの子は寝たことにして、作業を続ける。学生証をあの子が忘れた?
なんでかしら。まぁ渡してあげてもいいけど。
1番大きな袋、圭ちゃんが入った袋に、その学生証を入れた。
ほら、言う通り渡してあげたわよ。見れるかはわからないけどね。この辺に捨てたらバレてしまうので、5キロ先の隣町まで捨てに行くことにした。
車を準備し、支度を整えた。
うーん・・・頭が痛い・・・。
眠ってた・・・のか?
うわ、なんだこれ?ビニール袋?体が痺れて動きにくい・・・。
起きたことがバレないように、目を閉じてじっとしていた。
すると、袋が開けられ、何かが放りこまれた。なんだ・・・学生証?裏になにか書いてある?
SAIKOUNO TOMOGACHI
紫のペンでそう走り書きされていた。
最高の・・・友達?この学生証、俺のじゃなくて、裕也の・・・。
なるほどな。
なんでローマ字なんだ?
裕也、スペル間違ってるぞ。
ともがちになってるぞ。
あいつ、ほんとに良い奴だけど、馬鹿だよな。
母さんが家に入ったタイミングを見計らって、そっと目を開けた。
「!?」
目の前に、裕也がいた。
「あっ・・・圭、生きてたか!」
俺と目が合うと、裕也は声を出して笑った。
「静かにしろ!母さんが来るぞ」
すると、突然裕也が立ち上がり、ゴミ袋の結び目を解いた。
「何してるんだ?俺は・・・」
「いけよ」
「へ?」
「母親とちゃんと話し合うのも必要なんじゃないのか?」
母さんと、話し合う?
殺されるだけだ・・・。
でも、どうせ死ぬのなら、少しでも話せた方がいいのか。
意を決して立ち上がり、家の中に入った。入るなり、俺を見た母さんは、ヒステリックな声をあげ、喚き散らした。
「母さん、俺は、死ぬよ」
母さんが聞いていようがいまいが、関係ない。
俺は話を続けた。
「死ぬ前に、言いたい事があるんだ。俺は、この人生、特に代わり映えもない平凡な毎日だったと思う。けど、そんな毎日が幸せに感じられた。それは、父さんや母さんがいてくれたから。母さんはどう思ってるかわからないけど、俺は母さんのことが好きだよ。だから、母さんには幸せになってほしい。だから、俺と母さんは今日でお別れだ」
母さんの動きが止まった。
ゆっくり口を開く。
「勝手にすればいいよ。あんたが死んだっていう事実さえあればいいし。ただ、役所には死んだってことにするから。保険金も全額私が貰う。お前は今日、死んだんだよ」
そっか、そうだな。
俺は今日、死んだ。
母さんとはもう、会えないんだ。
「わかった。元気でな、母さん」
「ええ。外にあるゴミ袋、全部あんたのだから、隣町までいって捨ててきて頂戴。そして、もうここには戻ってこないで」
「あぁ」
そっと、外に出た。
振り返ることはしなかった。
さよなら、母さん。
俺は今日から、全く別の人間として生きていくよ。
・・・それにしても、死んだことにするって言ってたけど、どうやるんだろうな。失踪届け出しても7年たたないと死んだことにならないらしいし。
ま、関係ないか。あの人はもう、俺とは関係のない人だ。
ゴミ袋の山の方に向かうと、裕也がゴミ袋を車に詰めているところだった。
「何してんだ?それは、母さんの車・・・」
「もっていこうぜ」
「え?けど、母さんが・・・」
「お前を殺そうとしてた奴を、母さんとなんか呼ぶな。さっさと逃げるぞ。乗れ」
渋々車に乗り込むと、どこで覚えたんだか、颯爽と夜の街に車を走らせていく。
「さて、どこへ参りますか、プリンセス?」
「せめてプリンスにしてくれな?裕也。とりあえず、隣町に行ってくれ。これを捨てたい」
「隣町?そこで住むのか?」
「さぁ。住む場所までは考えてないけど、生きられているだけマシだろ」
「だったら」
車を止め、こちらを見る。
「だったら、俺ん家来いよ。
なんなら住み込みで働け。給料も出すから」
「な、何言ってんだよ。お前ん家だって大変だろ?お父さん亡くなって、双子もいて」
「大丈夫だよ。俺は、お前にちゃんと生きて欲しいんだ。俺と生きよう」
「・・・ありがとう、裕也。お前と出会えて良かったよ。会って間もないのに、こんなに良くしてくれて、ありがとう」
「年月なんて関係ないよ。本当に大切に思っているだけだから」
今日、俺は死んだ。この数日で失ったものも多かった。だけど、大切な友達もできた。
裕也がいてくれれば、俺はまた、人生を歩んでいけると思う。
さぁ、新しい人生へ。