宴
オレはモリス。
飲んだくれの父親と三人の弟妹の面倒を見ている。
すぐ下の妹のミアはオレと一緒に娼館で働いていた。
娼館で働いているといっても、客をとる訳ではなく、給仕と雑用だ。
何故かオレたちに良くしてくれ、娼館の旦那が金を貸してくれ、オレたちの店を建てている。
それも、来月には建ち、開店する予定だ。
そもそも、貧民街で偶然出会っただけだったのだが。
その日、オレは豚飼いの仕事を終え、家に戻る途中で弟分のレオに会った。
パンを盗み逃げたところを捕まったのだ。
パン一つで殺されたヤツもいる。
女の子なら乱暴される。
ただ、生きる。
それすらも貧民街に住むオレたちには、満足にできない。
もう動けないレオにパン屋の男は執拗に蹴りつけている。
「もう良いだろ。止めてやってくれよ。」
「止めてパンが戻るのか。この豚共め。」
オレまで殴られる。
「足りねえかも知れねぇが、今日のオレの稼ぎ全部だ。これで許してくれ。」
咄嗟に止めなきゃ危ないと思ったが、殴られた怖さで、オレから出たのはそんな言葉だった。
まだ、十三歳だったオレは体も小さく、大人にはどうしても敵わなかったのだ。
パン屋はオレの手から、有り金全部を引ったくり、盗まれたパンを取り返してから、更にパン屋はオレに殴り掛かってきたが、当たらなかった。
「これじゃ、どっちが悪人か分からんよ。」
「何をしやがった、この野郎。」
「止めただけだよ。」
のっぺりとした顔の黒髪の男がパン屋との間に入ってきていた。
パン屋より背は高いが、ひょろひょろした男だった。
パン屋の方が腕も首も太くて、結果は見なくても分かりそうだ。
「何もしてない子供を殴りつけて、悪く無いと。私もこの子も見てましたよ。」
「何だと、この野郎。」
何発か殴ろうとしたはずだが、黒髪の男は何事も無かったように立っている。
「そろそろ、正当防衛で良いよな。」
男が腰の剣に手を掛けると、パン屋は悲鳴を上げて逃げ出した。
「お前、俺の所で働け。」
オレはその男の所で働く事になった。
男の名は、ケンジ・スズキ。
貴族でもないのに、姓を持っている。
娼館の主人で、オレに料理をさせるらしい。
「どうせ、仕事で毎日するから、すぐ覚えるさ。」
料理人なんてした事も無いオレに一から教える。
ケンジは姓があるのに自分を従業員に名で呼ばせる変わり者で、娼館の主人とは思えないほど料理が上手い。
それなら、自分ですれば良いのに。
「一人で出来ることなんて、限られてるし、お前が料理を覚えれば、これから先も食って行けるだろ。」
ちょくちょくオレが余った食材や料理を持って帰っていたが、現場を見つかった。
「金品には手を付けてないだろうな。」
オレは頷いた。
「なら良い。余りは勝手で良いが、他は俺に報告しろ。」
金の管理はきっちりしているが、何故か俺達には甘いところがある。
賄い以外にもよく飯も食わせてくれるし。
人手が足らなくなり、妹のミアも店で給仕として働くようになったが、日暮れには返してくれるし、給金もそこそこくれる。
見た目は若いが、オレの親父と同じ歳で、国に置いてきた上の息子はミアと同じ歳らしく、息子を思い出すのか、ミアには滅法甘い。
まあ、俺の給金はかなり良い方だから、何の文句もないが。
わざわざ貧民街のオレの友達も何人か雇ってくれている。
売りに出る女の子も何人か雇ってくれているし、売りをする女の子以外の給仕の子達にも、読み書きも教えてくれている。
ついでだと言って、店で働いていない人間にも読み書きを教えている。
この商売は羽振りが良いのは分かるが、何を考えているのやら。
あと、よく旅に出るのと、よく分からない魔法の研究もしているみたいだ。
たまに自室で小火を出したり、爆発させていた。
甜菜から砂糖を作ったり、それを使って菓子を作ったり、グロニスクから珍しい野菜を手に入れて、料理をしたり。
少し前に天然痘が流行した時は、オレも手伝ったが、病人を介抱するような慈善事業もしだした。
脈絡の無い色々な事を思いつくままやっている。
一端の事業家のようだが、別の娼館に一人で乗り込んで行ったり、人狼を従えたり、見た目からは考えられないぐらい、本当は強いらしい。
先日、急にオレたち兄妹に店を持たせたいと言い出した。
店を建てる金を貸してくれるらしい。
そのうえオレたちに商売を教えてくれる爺さんも付けてくれるらしい。
ミアが契約書を見たとき、少し涙目になっていた。
爺さんも何か感づいていたみたいだ。
後で、ミアに聞いてみて、驚いた。
戦争を起こそうとしていたヤツから恨みを買い、迎え撃つために戦いを挑もうとしているらしい。
生きて帰って来れないかも知れないから、身体を売りたくない女の子達の働く場所を作るため、オレたちに商売をさせるのが本当の目的だったらしい。
ミアは店を取り仕切っている、バルクライのおっさんから聞いたと言っていた。
あの人達も、素直に言ってくれれば、真剣に考えたのに。
店の建設は順調に進んでいる。
100席以上の店になるから、建てるのに二月以上かかるところを、倍の人数を雇って一月で建てる予定になっている。
その間に、レオに娼館でやっていけるだけ料理を仕込まなければならない。
暢気に店で料理を作っていたときと比べると、しなくてはならない事が多すぎて、忙しさが桁違いだ。
よく、ケンジはこんなことばかり、よくしてたな。
店を持つ話し合いから、一週間後、ケンジが突然居なくなった。
それと同時に教会の聖騎士が何者かにやられて壊滅状態になっていると噂がたった。
これは怪しむしかないが、ミアはケンジがやったと思っている。
しかし、この話はミアとしか話せない秘密なのである。
新しい料理店の形が見え始めた時、訃報が届く。
巨大な人狼が娼館に現れた。
暫く店の離れで暮らしていたガロンという男の本当の姿らしい。
狩ってきた獲物をよく捌いてあげてやったので、それなりに面識はある。
声や立ち振る舞いを観ていると、本人だと信じる事ができた。
狼の顔は悲しみに満ちていた。
怒った犬のように低く唸りながら、涙を堪え、ケンジが居なくなった事を告げた。
すぐにアニータをライマ姐さんの所に走らせる。
ライマ姐さんは、娼館の売れっ子だったが、天然痘であばたができ、店を辞めている。
そして、ケンジの良い人だ。
普段は無口だったガロンは後悔からか、ずっと喋り続けている。
何とか敵を倒したが、ケンジが左腕を失う大怪我をし、応急処置をした後、目を離した一瞬で居なくなったという。
知っている者の匂いであれば、数里離れても探すことができる筈が、何の前触れもなく忽然と消えたらしい。
ライマ姐さんが到着し、バルクライとともに、詳細を聞くため、別棟になっている高級娼館『秘密の花園』へ移動した。
ミアはずっと泣き続けていた。
オレは勝手に店に休みの看板を掲げ、食堂で待っていた。
待っている間にミッシェという貴族(マフィアにしか見えない)とその部下のカルル(ミアにちょっかいをかけてくる男だ)が着き、食堂で一緒に待つ。
カルルがミアの肩を抱き、二人で泣いている。
今日ぐらいは見逃してやろう。
ガロン、ライマ姐さんとバルクライの三人が食堂に来た。
ライマ姐さんの顔に涙の跡はない。
「死体が無いなら、死んでないわ。どうせ、あの人の事だから、怪我が良くなったら、またどこか遠い所で誰かにお節介でもしてるわよ。」
ミッシェのジョッキを変えるついでに、ライマ姐さんにもジョッキを渡すと、拒否される。
どちらかと言うと、かなり強い方で、酒好きだった筈だ。
「今は飲めないの。」
お腹を擦りながら言われる。
「お兄ちゃんのバカ。おめでたよ。」
いや、分かってたんだけど、どう返せば良いのか分からなかっただけだ。
「泣いてる場合じゃねぇよな。姉ちゃん。」
ミッシェが立ち上がり、ジョッキを掲げる。
「祝え、宴だ。新たな命と平和に、乾杯だ。」
最後まで読んでいただいた皆様、ありがとうございました。
少しは書き溜めし、毎日更新すると決めたものの、校正しても終わりは見えず、更新時間との戦いになっておりました。
自己満足のために掲載しはじめたもので、何とか終わるまで頑張れたのは、たくさんのブックマークや評価をいただいた皆様のおかげです。
改めて、応援してくださった皆様方、ありがとうございました。




