読まれる小説、読まれない小説
私自身が読まれる小説を書いている人間ではありませんので、正確には理解出来ていないと思われます。
あくまで自分の作品は棚に上げ、理想を語っているエッセイであると理解した上で、この先はお読みください。
『読む』か『読まない』かの判断基準は個人個人かなり異なると思われますので、幾つかに分割して考えて行きます。
まず、ある作品を読むか読まないのかの判断するため、【どれくらい読んで判断するのか?】ということ。
最も短い方としては『タイトルのみ』でしょう。これについては、誰でも既に行っている可能性があります。
例えば、作品をジャンル等で検索をかけた場合、タイトルのみである程度ふるいにかけていると思われます。
次に短い方は、『あらすじを読んでから』というからという方でしょう。
あらすじは一般的に物語の序盤から結末までが要約されたものであるはずなので、ここを読めば作品全体の雰囲気が判断出来ます。
言い方を変えると、行き当たりばったりで書いている作品なのか、結末までを考えて書いている作品なのかの判断が可能です。
また、その執筆者の文章や書き方や表現方法の癖も確認出来るので、好みの合う合わないという部分も判断出来ます。
コンテスト等でも、あらすじ部分の内容で第一段階の審査を実施する回もある程ですので、重要な判断材料となる部分です。
あらすじという限られた文字内には、魅せたい場面とそれらの内容が凝縮されている筈であり、数多くの興味関心を引く内容が散りばめられているはずなのですから。
次に短い方としては、『第一部分を読んでから』という方でしょう。
正確に言うと、第一部分を無事に読み終えたら『読む』という判断をする。といった内容のものになるかも知れません。
第一部分では基本的に物語内で一番魅力的かつ、印象的な場面が描かれている(はず)です。
例えばタイトルが『最弱主人公が最強〇〇に!』的なものであるならば、最強の存在として存分に力を振るう場面が描かれていたりするでしょう。
読み手が思わず引き込まれる小説内の要となる部分をチラ見せし、全体的な展開を提示する。
書籍版の小説であれば、魅力的な表紙絵が似たような機能を持つように感じます。主人公等の容貌、表情、仕草で小説の魅力を全面に出し、思わず買ってしまいたくなるように誘導するのです。
ここでの第一部分の目的としては、ブックマークや次ページへの誘導ということになるわけです。
良い意味で主人公達が読み手の期待を裏切る作品、期待以上の活躍をする作品であれば継続して読み進めるでしょうし、ブックマーク登録される可能性も高まります。
ただ執筆者によって物語の進行速度は大きく異なるので、第一部分だけでは主人公達の行動や動きを捉えきれないこともある可能性もあるでしょう。
この辺りの問題については、時間軸操作や夢オチというような作品操作を実施したとしても、読み手を惹きつける魅力的な場面を冒頭に持ってくるべきと考えます。
この展開が出来ていれば、多くの方からの評価も頂くことは比較的困難ではないはずなのです。
比較的に長く読んでから判断される方としては、『複数部分の話を読んでから』という稀な方です。
一部分の話が例えば4000文字とした場合、なろうでは500文字が1分で読了計算となっておりますので、一部分の読了に約8分を費やすこととなります。
3話分読むとすると、約24分。5話分読むとすると、約40分。
約24分であれば、通学・通勤等の移動中や昼休中でも何とか可能でしょう。
約40分なろうと向き合う時間となると、かなり限定された方となると思います。移動中や空き時間というより、本格的に小説を読もうとしている方という印象です。
ただそうなると、無作為に選んだ1作品に40分程度を費やすのか? という疑問も出てきます。
とすると、他の条件でも絞り込んでいる可能性も高いかと思われます。
……この読み手がアナタの書かれた作品を読む理由が、『偶然という確率だけ』であるとなると、元々多くない稀な読み手÷ある程度の作品数=可能な限りゼロに近い可能性となってしまいます。
私的な体感としては、第一部分以内で判断される方が圧倒的に多いと感じています。
そして偶然に多くの方に読まれるということは、まず無いと考えています。
一人に読まれるのは偶然であったとしても、多くの方に読まれるのは必然以外ありえないと。
多くの方に読まれている作品は、何かしらの努力・仕掛け・内容があるものと考えます。
例えばこのエッセイにしても、読まれるための『答え』は書いていません。
書いているのはあくまで『可能性』であり、タイトル詐欺であるのは間違いないのです。
このエッセイに目が留まったのは、新着更新でたまたまかGoogle等の検索かといったところだと思いますが、つまりそれが私の仕組んだ『仕掛け』となります。
努力も才能も、エッセイの内容も劣悪ですが、『仕掛け』が働き目を通して貰っている。これがこのエッセイの現状なのです。
私は決してアナタの作品に努力が足りないと言っている訳ではありません。
多大な努力と内容が伴っていたとしても、仕掛けが上手く機能していなければ読み手の目に止まらず読まれる機会はなくなるのです。
例えば、あらゆる人を魅了する程に美しい容貌の人物がいたとします。
そういった方であれば、オーディションを受けずともいつかスカウトされ、華やかな表舞台に立つ可能性が高い事はわかると思います。
それでは、これが外見ではなく内に秘めた努力で磨いた才能であった場合、何らかの形で他人に見える形で表現する必要があります。
ただこの見える形としたものを、どこで展示するのか。
個展として展示するのか? 何かに応募し、評価してもらうのか? 路上で展示し道行く人に見てもらうのか?
種別によって当然効果も異なるので、最適解は千差万別でしょう。
つまり、こう言った文章を書くこと以外の考える努力も求められ、比較・検証する必要も迫られるのが『なろう』というサイトです。
自身の作品がどれだけ良いか。その正確な評価を自身で行うことは至極困難です。
なにせ、自分が一番の作品に対するファンであり、熱狂的崇拝者であるからです。
面白い! そう感じていない方は、そもそも作品を書かないでしょうからね。
結果、数字という第三者視点を用いて判断する必要があったりすると思うのです。
さて、脱線しておりましたがここらで締めます。
書いていることは正解ではないでしょう。
私の回答ではありますが、正答ではありません。
読まれないと嘆く前に、読み返し、数字で検証し、問題の洗い出しを行ってみてください。
目に留まらない。→タイトル、あらすじ、投稿時間、一部分のボリューム。その辺りを調べてみてください。
読み進められない。→あらすじ、小説内容と展開、文章表現、ニーズの有無。先入観を捨てて検証すると良いかも知れません。こだわりを捨てると、先に進めるかも知れません。
評価されない。→文章表現と内容の見直し、前書き後書きで評価希望と書いてみる、他の作品と数字で比較してみる。他の作品との評価率を比較すると、何か見えるかも知れません。