アナタが好きなあの小説、もしかして「読まされている」のかも知れませんよ?
タイトル長いですね……。まあ、良いでしょう。
小説の中には、個人的に大変強い興味を引く作品も存在しています。
書籍化された作品辺りであると、こういった傾向は強く出てくると思います。
もちろん個々好みは存在しますので、ミリタリー小説好きな方には恋愛小説に興味を示さないでしょう。
人間ドラマ小説が好きな方に、ホラー小説では違和感ばかりでしょう。
ですがこれらは、「ついつい読んでしまっている」のでしょうか?
それとも、「計算され尽くされ、読まされている」のでしょうか。
小説、映画、劇、芸術。
様々に人を楽しませる娯楽は存在しておりますが、一様に「演出」は効果的に用いられています。
ある事柄を効果的に。より良く見せることを一様に演出と呼びますが、当然小説にも必要だと思います。
ただ小説の場合、一人で書くことも多いはずなので、執筆者には演出家としての技能も求められるということになります。
ただし、内容がドキュメンタリーや実話ということとなると、過剰演出は問題となる場合もありますけれども……。
執筆者は小説内では、それこそ神以上の力を有します。あらゆるものを創造し、時の流れ、自然現象、人物の思考や意思でさえ自由自在です。つまり、あらゆる演出が可能なのです。
・時間軸を切り取り、未来の場面を見せて伏線とすること。※回想シーン
・不可能の可能とし、多重世界と既存の物理法則を無視するため、新たな物理法則を設定。※異世界転移
・細かい事は認知できない(させない)こととして、主人公のご都合を貫き通す物語。※俺TUEEE
小説の世界の中では万能神である執筆者ではありますが、効果的な演出を知らなければ自身の小説内で活用が出来ないという致命的な弱点があります。
万能ではあっても、全知ではないので全能ではないということです。これは当然です。
「全世界の生物よ、我に敬意を示せ!!」
こう発言し、言葉の理解出来ないはずの動物や昆虫までもが平伏すシーンを描けば、尊敬される万能神となります。……小説の中では。
読み手達からは「「「おいっ!!」」」と、総突っ込みされるでしょうけれども。
無茶、無理、強引。こういった演出では読み手は着いて来ません。むしろ離れます。
かといってあまりに引きの弱い展開が続けば、飽きて離れていく読み手もいると思います。常に安定した驚きとワクワク感。たまにドキッとするシーンを読み手に与えつつ、読み手を引き作品に引き釣り込む。これが演出というものなのだろうと感じています。
一様に、自分自身が書いた作品である場合、客観的な評価は特別困難であったりします。ここには愛着や甘えだけではなく、ずっと主観で見てきている物語に対し客観的に見るという部分が特に難しいのだと思います。
その場合、せっかくこの「なろう」で執筆しているのですから、各種データを用いて解析することをおすすめします。ある程度の分母がある数字であれば、数字は如実に事実を示しています。
問題点までの指摘は出来なかったとしても、小説が読まれない問題点が内容、タイトル、あらすじ、文章表現、流行、タイミング。自身の数字と他人の数字を比較、検討、分析することである程度は見えてくると思います。
小説を書くということは、幅広い知識、演出という表現方法の能力、文章力、根気、やる気、発想。様々な能力が必要ですが、そこには書く楽しみがあります。
また不思議なことにこういった能力は成長するようです。自身が昔に書いた作品を読み返すと、如実にそれが分かると思います。逆を言うと、昔の良さも見えてくるのだと思います。
ここにたどり着き、これを読んでいる。つまりアナタも同じ執筆者であると思います。筆を折るのはいつでも出来ます。ですので、もう一度もがいてみませんか?
何が足りなくて、読まれないのか。では敢えて作風を変えてみたり、短編を書いてみたり。しばらく読み専も良いと思います。素直に誰かに聞いてみる。
筆を折る前にやれること。まだまだあると思いますよ。