5『魔王ちゃん、襲撃』
「おいまてっ、コネコ――」
ドアを開けようか、開けまいかの選択なんて俺には無かった。
俺がドア越しの人物の『魔法』を止めさせようとした瞬間、部屋の中へとぱらぱらと舞っていくのはドアであった残骸。
思わず目をとっさに塞げば、木っ端みじんになった木片が轟音とともに俺の部屋へとぶちまけられていく。
ゴロゴロと寝転がっていたエルフさんも飛び起きては、俺の背後へとすっと隠れて行った。
「euke! ri!」
相変わらず何を言っているかは不明だが、彼女も驚いていることは察しが付く。
ぱちくりと瞬きを何度もしては、その声は驚愕に塗れていた。
エルフさんもこちらの少々過激な日常には慣れていないのだろう。
向こうでは当たり前な光景だとは思っていたが、やっぱりぐらなたすの日常というのはおかしいらしい。
そしてその巨悪な根源をまたかと見れば、およそ十歳程度の少女がこちらを睨んでいた。
ふてぶてしい顔つきは少女が自称魔王と名乗るに等しく、煌めく金の瞳は幼くてもまなじり強くして凄みを魅せる。
長い黒髪からにょきっと小さい角を二つ生やし、鋭利な角の先端からはぱちぱちと弾ける音が聞こえてきた。
「ソウジ! 魔王のわらわに断りなしに女に会うとは! えるふとこそこそして、あやしいのじゃ!」
そう声を荒げるのは、ぐらなたすの問題児。
自称魔王、コイリィ・ネストロミア・コートランプ。
略して、コネコと出来ればしたくないエンカウントをしてしまった。
――異世界という世界は、読んで字の如く異なる世界を表す。
それは生物の存在に始まり、文化、文明、ぜんぶが、ありとあらゆる存在が違ってくる。
俺達がよく異世界に連想しがちな物と言えば、ファンタジーな空想物語が一番かもしれない。
幻想的な世界は誰しもが一度は親しむ夢物語で、その中でも代表的な能力――有り体に言えばスキルとでもいえばいいのだろうか。
俺らの世界では、絶対に実現しえない能力が存在している。
それが魔法だった。
「コネコ……」
ふつふつと込み上げてくる怒りを抑えつつ、ふんすとはた迷惑な魔法を見せ付けて嬉しいのか、ない胸を張る自称魔王の頭を掴む。
さらさらとした黒い髪は手触りよく、ちょうどよく角が生えた頭は握りやすい。
「うむ、なんだソウジ? なでなでしてくれるのか?」
人の部屋のドアを粉砕しといて、褒める理由などあるのだろうか。
「コネコ……」
人様のプライバシーという空間を破壊しておいて、褒める理由などあるのだろうか。
「なにをしておるのだ? はやく撫でてたもう?」
俺の怒りを知らない無垢な瞳は年相応の子供としては正しいのかもしれない。
けど、当然ながらやってはいけないという行為はあって。
それを咎めるというのが、大家として以前に大人の責務である。
やるべきことは一つ。
折檻しかないだろう。
「コネコ、お前さあ。とりあえずケツ向けろ」
「えあ? な、なんじゃ、ぶしつけに。そ、ソウジ、顔が怖いぞ。まるでオーガが雷くらったみたいになっておるぞ……」
ややと、自身の身に迫る危険を感じ取ったのか、コネコも後ずさりを始めた。
威勢があった声は引っこんでいき、その青ざめた顔に浮かぶのは弱弱しい眼差ししかない。
そして俺が少女へとにじり寄っては、その脳内で響いていた警鐘が現実だとやっと認識したのか。
コネコは逃げようとした。
ただ、少女の頭は既に俺が握っている。
逃げられるわけもなく、涙声でこちらを見つめて、必死に訴えるのは懇願だ。
「あ……わ、わらわが悪かった。ゆ、ゆるすのじゃ」
「許す?」
「あ、ちがう。ゆ、ゆるしてくだひゃい……」
うるうると大粒の涙を零すと、少女の可愛い顔はくしゃくしゃとなっていく。
たぶん、ここで許す事が出来るのは本当の聖人君子ぐらいだろうな。
もし、そんな立派な人間を目指すなら、少女が起こした問題行動も目を瞑るべきなのかもしれない。
でもさあ……俺って、べつに誰しもが拝めるような人間を目指しているつもりないんだよね。
むしろ、悪いことは悪いって、身に染みて思い知れって、教えつける方なんだよ
「ちゃんと反省しているか?」
「う、うむ! している、しているのだ! ソウジよ、許してくれるのか?」
「うん、そうだなあ……」
ぱあっっと明るくなっていく少女の顔は。
「なわけないだろ。こ、の、破壊魔があああっ!」
一気に絶望のどん底へと叩きつけられた。
「――痛い、痛いのじゃあ! ソウジ、わらわのが赤くなって……ぎゃん!」
少女からとめどなく溢れていくのは痛みから発せられる涙の奔流。
露わになったクマさん柄の下着には、見せてしまった羞恥心よりもきっと痛覚が優先されていることだろう。
もし事実を知らない常識人がいれば、悲痛な少女の声だけを聴くだけで、俺の部屋へと駆け込んでくるかもしれない。
幼気な少女の下着を丸出しなど、もしかしなくても警察沙汰だ。
それも家族でもなんでもない間柄の相手にしてしまえば、俺がしているのは変態行為に見えるかもしれない。
ただ、俺は正当な行為だと思って少女へとぶつける。
ただの大家ではなく、少女へと叱る親の代わりとして。
でなければ、少女の行き過ぎた行為は余計に加熱するに決まっている。
というか、人の部屋を壊されて黙っている奴などいない。
「俺はな、普通の人間なんだぞ? いきなりドアがブリーチングされて破片がもし頭に当たったらどうすんだよ? 死ぬぞ、俺死ぬからな?」
ばしん、ばしんと少女の尻を叩く。
じんわりと俺の手も感覚が鈍くなってきては、 たぶん少女の尻もきっと赤くなっているに違いない。
「ご、ごめんしゃいのだあ! わらわが悪かったのじゃあ! ひっぐ……ゆ、ゆるして……」
コネコの顔が鼻水と涙でぐちゃぐちゃになると、そんな少女の見かねたのか、俺の手を握ったのは細く白い指だった。
「rau! ソウジ、mau!」
エルフさんは、そう言うと、しくしくと泣いているコネコを手放すようにと促してくる。
言葉は通じないが、少女の過敏になった尻を優しくさすっては、俺に「だめ」と訴えかけているようだった。
それに諭されては俺も彼女へとコネコを預けてしまう。
渡す時に誤ってコネコを落としてしまい、「きゃん」とコネコが一泣きしてしまう場面もあったが、そんな少女をぎゅっとエルフさんは抱きしめた。
「ru ou sonia」
「なんじゃ、お主は……」
「yam,ソウジ,yam i」
はっきりと聞き取れなかったが、俺の名前が聞こえてくる。
なにやらセレセさんがコネコを気遣っている事だけは雰囲気で分かっては、コネコの方も反省して弁えたのか小さく頷いていた。
異世界人との言語問題なんて毎度のことだが、どうしてもこういった瞬間というのは気分が落ち着かない。
おそらく自身の目の前で繰り広げられる異文化コミュニケーションへと、参加できない想いかもしれないが。
俺もそれを実感するぐらいなら、異世界語の勉強でも本格にするべきなのかもしれない。
いや……雪子さんが言っていたっけ。
セレセさんの言語は特殊なもんだって、勉強してどうにかなる問題ではないか。
てか、コネコもいい加減理解してほしいものだ。
エルフさんが優しかったからいいものの、彼女がいなかったら俺はもっと厳しくあたっていただろう。
と、うん――?
「ふん、エルフなんぞに助けられるなんて苦痛だ。それにソウジがこやつとだなんて」
そういえば、コネコ、こいつ……。
「hau,mau」
「ええい、分かっておる。わらわが悪いのは分かっておるって」
うん、そうだ。
こいつ、確実に出来ている。
「おい、コネコ」
「なんじゃ……ひっ、ソウジ。わらわのおしりをたたくのか? またたたくのか?!」
「もう、しないよ。それよりも、お前ってエルフさんの言葉分かるのか?」
俺の言葉を怪訝そうに聞いては、コネコは首を縦に振る。
「何を当たり前なことを?」
その言葉を聞いた途端、瞬間的に俺の脳内に一つの道が切り開かれた。
俺とエルフさんの間にある絶対的な問題で一番の難関といえば、言葉が通じないという事だ。
けど、目の前の少女、コネコは難なくエルフさんとの会話をこなせている。
どうしてコネコみたいな少女が会話できるのかという疑問は浮かんでくるが。
まず、そんな願ってもいないチャンスを逃すわけにはいかない。
「よし、ならお前を今日からエルフさん専用の通訳に命じる。文句はないよな?」
「なぜ、わらわがそんな下々の役目を……」
手をさっと構える。
ずっぱしと、往年の名バッターがスナップを利かせるようにして、一度大きく振りかぶる。
それで十分だった。
今のコネコにとっては、それで十分だった。
「ひぃい……分かったのじゃ! 分かったから、その手を止めるのだ!」
俺の部屋のドアという悲しき犠牲はあったものの、言葉の壁というのは和らぎ、こうして俺はエルフさんの通訳を得ることに成功した。
「nau?」
とうのエルフさんは分かっていないようだったけど。
変態好意→変態行為に修正。