2『エルフさん、意思疎通できない』
異世界との交流が始まったのは今から半世紀前だ。
突如、世界各地で現れたのは異世界へと通じる入口――ゲートだった。
最初こそは、その異質さと危険性から異世界との戦争が起きるかと思われたが。
寸前、そんな世界を救う勇者一行が現れた。
勇者さん達はこちらの世界と、あちらの世界を上手く纏めては、全ての元凶であった魔王を倒すことに成功したらしい。
それからというもの、異世界との交流はやんわりと許可され、両方の世界が優しく交わる環境が出来た。
そうしてお互いの世界に異世界人が住むようになってから、『ぐらなたす』――異世界人向けの住居も増えていった。
だが、はっきりと言えば、『ぐらなたす』に関しては、俺の兄貴が始めた道楽に過ぎない。
そしてロクでもない日常に付き合わされるのは、こうして弟である俺だったりする。
大家宗司二十二歳――絶望的な異世界アパート『ぐらなたす』の大家を兄に代わって、なかば強制的に今日も勤めています。
そして、今日も新たな入居者がやってきた。
異世界――『セルドア地区精霊樹』出身、エルフさんです。
「ya!」
銀色の髪は長く美しく、淡いライトブルーの瞳は神秘的な視線を送り、尖った耳はぴょこぴょこと興味津々そうに何度も尖端が動いている。
異世界同士の交流が始まって半世紀、今となっては街中で異世界の人達を見かけることは珍しいことではないが、それでもエルフという存在はそんな中でもけっこう貴重な存在だったりする。
俺も初めて見た。
この住んでいる街の異世界人口率は他の都市に比べ高い方であったが、エルフは人が集まるところを嫌う傾向がある。
それこそこっちだって映画や小説などでは、エルフは高尚な、幻想的な人種だと記されることが多い。
その部分に関しては、異世界のエルフにもどうやら当てはまっているらしく、彼女達は外界との親交は滅多に結ばないとの事だ。
だからこそ今回、『ぐらなたす』に住むことになったエルフさんには俺としてもびっくりだった。
とても美人だし、すごい綺麗だし、外見だけ見れば正しくエルフだなって思った。
こっちとしてもそんなエルフが来てくれたのは素直に嬉しかった。
何故だが、『ぐらなたす』の住人達は、俺の生活に深く干渉しては、滞りなく面倒事、厄介事を運んできてくれる。
それに比べて、エルフなら人並み程度の付き合いを送れるだろう。
ええ、少なくとも十分前までは、そう思っていました。
「ya!」
まず困ったことにエルフさん、日本語が喋れないんですよ。
基本的に異世界の人達は、こちらの世界へと来る前にその住む場所の言語を学んでくる。
当然、それは逆もしかりだ。
異世界を行き来する人達は、不都合な問題を現地で抱えない為にも、言語をある程度マスターするのが習わし。
交流が始まったとはいえ、時たまに異世界同士で衝突などは起きたりはする。
だいたいは言語間の不一致みたいなもので、それを未然に防ぐためにも言葉を学習するのが義務だったりした。
けど、それには含まれない人達もいたりする。
それが、今回のエルフさんだった。
エルフは存在自体が希少だ。
それに閉鎖的な生活をしていては、ほぼ江戸日本、鎖国しているのと何ら変わらない。
俺たちの世界に来ることもほとんどなければ、『ぐらなたす』に来たのもなにかの間違いかと思ったぐらいだ。
そんなプラチナ的な価値を持った種族との関係を、お国のお偉いさんたちは逃したくないらしく、例外的に言語の必修を免除しているとのこと。
「ya!」
ただ、それだと困るのが俺でしかない。
エルフさん、先ほどから「ya」しか言ってなくては、見るものすべて触っては、はしゃいでいるばかりだ。
「ya!」
そもそも、俺はエルフが来るなんてことは兄貴から一切聞いていない。
人間に似た、ヒューマンタイプな種族と言っていたから、てっきり獣人辺りがやってくるのだと思い込んでいた。
けどさ、ヒューマンタイプでも言葉をまともに話せなかったら意味ないよね。
まあ、それに関してはいいさ。
兄貴が来れば会話はどうせ行えるようになるし、最悪ぐらなたすの住人達の手を借りて何とかする。
という事で、目下すべき最初の課題は。
「はい、エルフさん。あなたの名前なんですか?」
「uh? ソウジ?」
「いいえ、それは俺の名前です」
エルフさんの名前を知ることだろう。
エルフが来るという事は前々から兄貴が言っていたが、肝心な彼女の情報というのは、まだ俺には一切伝わっていない。
本来ならば兄貴を介して自己紹介するべきなのだろうが、いつ戻って来るか分からない兄貴を待つのもエルフさんにも悪い。
なので、俺の部屋兼事務所に来てもらった。
そうして、彼女について色々と聞こうかなって思っていた。
けど現状を知れば、一向に話は進まない。
一歩進むことも無ければ、エルフさんの集中力不足もあってか、先ほどからこんな会話の繰り返しだ。
「エルフさん、オレハ、ソウジ。アナタハ?」
何か、こっちまで片言になってきた。
「oh――! アナタハソウジ。ワタシハ、ワタシ……」
おお、わずかの希望が見えてきた。
これでやっと話が進むのではないだろうか。
もしや片言という共通な意識がエルフさんと俺の間で生まれて、シンパシー的な物が芽生えたかのも知れない。
「くっころ!」
なんてことは無かった。
「ワタシ、くっころ! ソウジ、くっころ!」
エルフさんは『くっころ』という言葉がとても気に入っては、妙にそのワードだけ発音が良い。
そして、エルフさんと会話して分かった事が一つある。
このエルフさんに日本語を教えた輩が、とても憎いという憎悪が俺に生まれた事だ。
エルフさんが『くっころ』という言葉の意味を理解していないのは、さておき。
少なくとも、その言葉を発するときは、俺の名前が同時に出る。という事は、『くっころ』の本来の意味を理解すれば、まるで俺がエルフさんを襲っているような場面が展開される事が多いことでもある。
出会って、十数分。
ぐらなたすの住人に、俺とエルフさんの関係を面白おかしく突かれては、あとはその話題が外に漏れることが無いことを祈るばかりだ。
「エルフさん、その『くっころ』という言葉は安易に――てか、絶対に使っちゃいけませんよ」
「re?」
エルフさんが小首をきょとんと傾げた。
なんとかボディランゲージを含めては、会話はかろうじて出来るのかもしれない。
それに『re』という言葉は疑問詞なのだろう。
会話の中で、それらしき言葉が出現するときは、エルフさんの顔が困っていることが多い気がする。
「その言葉は『バツ』なんです!」
目の前で腕をクロスしては、危ないんだよと強調してみた。
そうすると、エルフさんがびっくりしては、口をあわあわと動かしている。
「re? rea? Rea?!」
なんか俺が作ったバツ印を見た途端、おどおどし始めた。
それに、淡い水色の瞳にうっすらと滴が溜まっているような。
あれ……。
もしや、バツ印って、エルフにとって物凄い侮蔑的な意味合いだったのか?
いや、考えなくても見ず知らずの相手にバツを向けるって、ちょっと不味いよな。
こっちの世界でもそうなのに、これでは相手を全否定しているのと変わらないのではないか。
ましてや、相手は言葉すらも分からないというのに。
「au……ぐすっ」
やばい、完璧に泣かした。
言語間の不一致は異世界同士の衝突として、最も高い事故率だって知っていたのに、さっそくやらかしてしまった。
エルフさんが、瞳からぽろぽろと大粒の滴を垂らしては、何度も、必死に両手で拭っている。
「あ、あのエルフさん?! 俺、べつに貴方を否定したわけでは――」
「ソウジ!」
「なあっ!」
――ホント、わけわっかんねぇ。
俺の額から流れる汗はなんの感情由来かと考えれば、改めてそう思う。
エルフさんを泣かしては、てっきり悲しくて泣いているのだと思っていた。
しかしながら想像と現実とはかけ離れていて、言語間の意思疎通って大事なんだと思い知らされた。
体へと軽くも重くのしかかる彼女の重さを知っては、これは俺の想像の遥か斜め上をいく結果なのは間違いない。
「ソウジ! ソウジ!」
エルフさんが抱き着いてきた。
さっきの廊下での事故なんかと違って、彼女自身から抱き着いてきた。
「宗司君……キミって人は、先ほどあれほど言ったばかりなのに……」
そして厄介メンバー第一号が部屋へと侵入してきた。