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1『おいでませ、ぐらなたす』

 真夏のある日、築六十八年の木造アパートに新たな入居者がやってきた。

 銀色の髪を隠す麦わら帽子と、白いワンピースが似合う女性だった。

 掠れて文字が読めなくなった看板や、おんぼろ具合が周囲の環境に溶け込めなくては、そんなアパートには似つかわしくない女性だった。


 というか――人間じゃなった。


「re? ah……」


 挨拶をしようとしているのだろうか。彼女は麦わら帽子を恥ずかしそうに取ると、うつむき加減でこちらを見る。

 うん、やっぱり人間じゃなかった。

 笹穂状の耳は長く、透き通ったライトブルーの瞳は少し眠たげに、桜色の唇は困ったような素振りで小さく開く。


「so……『Granatus』?」


 何となく『ぐらたなす』という言葉が聞きとれた。

『ぐらたなす』は、このアパートの名前だ。

 つまりは、やっぱり新たな入居者であるのは間違いないようだ。

 しかし……だとすれば困ったものである。

 本来、大家であるはずの兄貴も同伴で迎えるはずだったのに、本業で手間取っては遅刻をしていた。

 異世界語(・・・・)なんて俺は話せないのに、どうしたものだろうか。

 もちろん、先ほどから一生懸命に何かを伝えようとしているが、その内容もさっぱり分からない。

 可愛らしく右に左へと指を振って、アピールをしては必至そうにしている。


「はい、ここは『ぐらたなす』で間違いないですよ」


 とりあえず、こちらもジェスチャーで答えてみる。

 そうすると、彼女は嬉しそうに顔を明るくさせて飛び跳ねた。

 嬉しいのはいいのだが、腐りかけの廊下がきしきしと音を立てては、こちらは床が抜けまいか不安になってしまう。


「ah……アナタハ、ソウジ?」


 おや、俺の名前を口にしたのか?

 日本語はてんで全くダメかと思っていたが、少しは話せるらしい。

 片言でも、こっちとしてはコミュニケーションが取れるだけで万々歳だ。


「はい、俺が宗司です。大家宗司、ここの大家を――て、名字が大家だと分かりづらいですよね、あはは……」

「au……?」


 俺としては、新たな入居者へと毎回向けるボケを入れたつもりだったんだけど、どうやら向こう側の世界の人にはうまく意味が伝わらなかった。

 まあ、言葉に不自由しているんだから、当たり前なことだが。


「えー、こほん。俺が宗司で間違いないですよ」


 咳払いを一度して、彼女へと手短く自己紹介をした。

 これまた俺が宗司だと分かれば、子供のように飛び跳ねている。

 歓声を上げては床が抜けるって、伝えるにはどうすればいいかと思案していると――。


 ばきっ。


 案の定、床が抜けた。


「ya――!」

「危ないッ!」


 彼女がバランスを崩して、こちらに倒れ込んできた。

 華奢な体は見た目通りの細く軽い。両腕で抱き抱えては、このままお姫様抱っこが出来てしまいそうだ。

 抱き寄せては甘く、ほのかな温かみのある匂いがさらりと彼女の髪から香ってきた。


「ソウジ――」

「はい、大丈夫ですか?」


 きょとんと、彼女は自身の身に起きた事を実感していないのか、こちらを見ては心配そうにしている。

 ぶち抜けた穴を見ては修繕費どうしようか、などと思っていた俺であったが、そこは大家代理。入居者を心配するのが一番だろう。


「ソウジ――くっころ!」


 心配事しかありませんでした。


「ソウジ、くっころ、くっころ、くっころ!」


 突然なことで返す言葉を失ったが、あまり女性が軽々しくその言葉を連呼しないでほしい。

 日本語の習得がまだ不完全な物であっては、この言葉を教えた馬鹿はどこのどいつだだろうか。

 使いどころが可笑しくては、抱きついている状態でその言葉は男である俺にとっては致命的でしかない。

 そしてどうやら窮地というのはさっそく訪れたようだ。

 何事か、何事かと、他の住人達が状況を確認しに来ては、この最悪な場面と遭遇してしまった。


「ついに手を出したのね……いいえ、若いからこそ抑えきれない衝動ってものがあったのでしょうね。けど、残念だわ……宗司君、異世界人との婚前交渉はダメって言ったのに」


 手錠片手に、絶賛婚活中な異世界監視官が俺へと近寄る。


「あ、あらあら……お昼から、お盛んなことで」


 人妻人魚が慎ましくない想像を膨らませ始めた。


「ふふっ、ふふっ……ふぅ……ナイスシチュエーションだよ、宗司くん!」


 黙れ、ニートパラディン。


「えと、ええっと――頑張ってください!」


 もはや意味が分からんぞ、駄メイド。


「ぐぬぬ……ソウジっ! お前はわらわという良妻がいながら、どうしてそうも女を侍らせたがるのだ! すけべ、えっち、すけこましめ!」


 自称魔王――ロリっ娘がぽかぽかと俺の背を叩き始めた。

 毎度のことながら怪しげな呪文を唱えては、アパートの床に魔法陣を創らないでくれ。

 なにやら不穏を通り越した、世界が崩壊する的な未来が浮かんできたぞ。


「ソウジ、くっころ!」


 そう、そしてキミだ。


「ソウジ、くっころ!」


 ある程度、異世界人との交流には慣れたつもりではあったが、どうやらそんなのは俺の勘違いだったようだ。


「ソウジ、くっころ!」


 彼女の種族は――初めて見るが、何というか、俺の想像とはだいぶかけ離れていたな。

 むかし見た映画や小説ではもっと静謐なイメージを抱いていた。

 けど、異世界との交流が始まって半世紀。

 そんな偶像はしょせん俺らが創った架空物語(フィクション)でしかない。

 現実とは、もっと驚愕で、末恐ろしく滑稽で、馬鹿らしく残念な物だ。


「ソウジ、くっころ!」


 新しい住人――エルフさんも例外に漏れることは無いようだった。

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