第8話 社長
週に一度の通院も、今では月に二度に変わった
山崎さんと記憶を共有出来ていることに安心する自分がいる
それと同時にその記憶の中に存在する、一さんの事は話題に出さないでいる
口にすれば会いたい気持ちと会えない現実に潰されそうな気がするから
山崎さんも理解してくれているようで、そのことには一切触れてこない
「一応、月に二回の通院に変わりましたがいつでも連絡くれていいのですよ」
「はい、ありがとうございます」
季節は梅雨に移った
近くの公園は四季折々の草花が植わっており、今は紫陽花が咲いている
鬱陶しいこの季節だけれど紫陽花は雨が似合う
部屋に戻り、まだ未開封の自分の荷物を整理する
お、パソコンが出てきた
ドキドキしながら接続し、起動させる・・・・IDとPASSWORD
「・・・覚えてない」
自分が設定しそうなものを手当たり次第入れてみたものの
全部アウトだった
「だめじゃんっ」
「何がだめなんだ」
「うわっ!お、お帰りなさい」
あれ、今日は早いな。まだ夕方にもなっていないけど
「ちょっとな忘れ物を取りに来た」
「そうですか」
「行くぞ!」
「え!ちょ、ちょっと待ってください。忘れ物は?」
歳三兄さんは突然私の腕をつかんで玄関へ向かう
全然状況が読み取れない
「瑠璃を取りに来たんだよ」
「はぁ?」
急に社長が私に会いたいと言い出したらしい
出社は保留だけれど、自分の社員に挨拶をしておきたいと聞かないらしい
「こんな恰好でいいんですかっ」
「・・・問題ねえだろ」
受付と営業部以外の人の服装は自由らしい 社会人として常識の範囲内との条件で
心の準備も出来ないまま車に乗せられ会社に向かった
「ここだ、おまえの戦場となる場所は」
「せ、戦場・・・」
「冗談だ、その辺の会社よりいいとは思うがな」
株式会社誠 本社営業部
ロビーに入ると受付の女性が3人、歳三兄さんを見て一礼した
エレベーターで社長が居る階へ向かう
「わぁ、外が見えるじゃないですか。凄い」
あっという間に到着、応接室へ通された
緊張する、ドキドキと心臓が煩いんですけど
ちらりと歳三兄さんを見上げたら ニヤリと笑われた
ソファーに座ること5,6分、ガチャッとドアが開き
お茶が出された 緊張しすぎて反射的に立ってしまった
「くくくっ、そんなに緊張しなくてもいいぞ。社長っていっても只のオジサンだ」
「おじさんって・・・」
そりゃ歳三兄さんは副社長だから社長のことをそう言えるけど
私は平社員だよ?ましてや社長直々に挨拶されるなんてないと思うんですけど
ガチャ・・・ドアが開いた
「おお!待たせたね。歳こちらが瑠璃くんか」
「はい、俺の妹で・・・」
「いやあ、会えて嬉しいよ。いつから来れるんだね、首が伸びすぎて待てないぞ」
「勇さん、そう急かせないでくれ。こっちにも事情ってもんがあるんだ」
「そうか?いやあ元気そうでよかった」
社長はそう言うと、突然私の手を取り握手をしてきた
「!?」
そして、ガシッ ・・・私は今ハグされている、ようだ
私はまだまともに社長の顔を見ていないし、一言も発していない
「おい、瑠璃がびっくりして固まっちまってるじゃねえか」
「お?すまん、すまん。娘が戻ってきてくれたような気がしてな」
「あんた、そんな年齢じゃねえだろ。ったく」
何処かで聞いたようなやりとりだなぁと考えながら
あらためて社長の顔を見た
「っ!!こ、こんっ (近藤さん!!)・・・」
そう言いそうになったけれど、必死に我慢した
すると穏やかな笑顔でもう一度私を抱き寄せると
子どもをあやすように背中をポンポンと撫でた
「大丈夫だ、分かっているぞ。俺がついているからな、心配ない」
そう言った
それって、記憶があるってことなんだろうか
そう解釈してもいいのだろうか 驚きで言葉が出なかった
歳三兄さんはそんな私たちを見て、「勘弁してくれよ」と愚痴っただけだ
「まだ自己紹介をしていなかったな。私が社長の大久保勇だ。よろしくな」
「ひ、土方瑠璃と申します。こちらこそ宜しくお願いいたします」
社長の勢いに押され、来月から出社する事になった
「まったくあの人には困ったもんだよ。いつもあんな調子だ。それより大丈夫なのか?来月から出社って言ってしまったが」
「何とかなるんじゃないでしょうか・・・」
としか言えなかった まだ、心臓がドキドキしていた