賢 六歳、名家の御曹司である賢がどうして公立の学校へ通っているのか?
「賢ちゃん、ランドセル見て~」
と和泉がピンク色のランドセルを背負って駆けてきた。
「何だそれ」
中庭で子犬と遊んでいた賢が顔を上げて和泉を見た。
子犬と遊んでいるのはまだよちよち歩きの陸であるが、賢はその陸の様子を見ている係だった。要するに子守中だったのだ。
「買ってもらったの~だってもうすぐ小学生だし」
「え、そんなカバンじゃないだろ?」
賢はひどく驚いたような顔でランドセルを背負った和泉を見た。
「そんなカバンだもん。賢ちゃん、ランドセルじゃないの?」
「ランドセルだけど、学校で決まった形のがあるだろ?」
「知らない。お母さんがこれでいいって言ったもん。小学校、楽しみだよね? 一人で歩いて行けるかなぁ」
と嬉しそうに言う和泉に、
「歩いてって……無理だろ?」
と賢が言った。
「え~どうして? みんな歩いて行ってるよ? 賢ちゃんは次代様だから車で行くの?」
「いくらなんでもあの学校まで子供の足で歩いては無理だ……ちょっと待て、なんかおかしいな」
「賢ちゃんはいつもどこへ行くのでも車だからそう思うんだよ。○△小学校くらいまですぐじゃん」
「え……お前、○△小学校なのか?」
「そうだよ。賢ちゃんは違うの?」
土御門賢、六才、小学校入学前に絶望を知る。
○△小学校は地元の公立の小学校である。○△中学校へあがり、高校は北高や西高などに分かれる。
千年も続く名家でその嫡男に生まれた賢が、地元の小学校へ行くはずもない。
彼は幼稚舎から○○大学付属~という一貫したお坊ちゃま学校へ通っているのである。
和泉が近所へ引っ越して来たのが、昨年。今は幼稚園の年長さんである。
と同時に始まった賢の初恋だが、すでにもう二人の仲は引き裂かれそうだ。
「保育所は空きがなくて~~」と和泉の母親が言っていたのを耳にしたので、だから、今は別の幼稚園に通っているのだ、と信じていた。
そこから先は和泉も同じ小学校へ進むと信じていた賢の人生初の危機である。
「え、本当に、○△小学校なのか?」
「うん、友達出来るかな~楽しみ~~幼稚園で一緒の啓君と同じクラスになったらいいのに!」
「……」
「賢さん!」
母親の朝子は困っていた。
土御門本家の危機だ、というくらい困っていた。
賢の顔は傷だらけ。
ひっかき傷からは血が出ているし、制服は破れて汚れてしまっていいる。
「お母様、お家で何か問題でも?」
まだ若い女の教師が困り顔で朝子に言った。
「いえ、家ではぜんぜん大人しい子なんですけど……どうして学校でだけこんなに暴れるのかしら」
小学校入学後、三ヶ月が過ぎた。
賢は毎日、毎日、学校で問題を起こしては教師に怒られている。
その様子が祖母の加寿子の耳にまで入って、朝子も毎日加寿子に怒られている。
父親の雄一は忙しい人なので相談できない。
小学校入学直後から、賢の様子がすっかり変わってしまった。
家では普通なのだが、学校では超問題児。
本来なら良家の子供が通う学校なので、問題児などになろうはずもがない。
先生の言うことを聞かない。授業を抜け出す。デブと言った友達を蹴飛ばす。授業中に居眠りをする。ところが成績は一番。テストはいつも100点。
「100点以上がどうしても取れないから悔しい」と言う。
他の子供に悪影響なのでカウンセリングでも受けたらどうか、と学校から言われる始末である。
「賢さん、一体何が不満なの?」
帰りの車の中で朝子が涙目で賢に問う。
「お母さん」
「何? 何でも言ってちょうだい。お母さん、賢さんの為なら何でもするわ」
「今の学校は自分に合ってないと思うんです」
と賢が言った。ちなみに小学校一年生である。
「そうなの? でも幼稚舎の時のお友達ばかりだし、昨年は問題なかったじゃない。どうして急に喧嘩したり……先生に逆らったりするの?」
「僕ももう小学生ですから、いつまでも同じ場所でいてはいけないと思うんです」
「同じ場所?」
「はい、今の学校は教育も手厚いですけど、何というか緩いんです。この先、自分の進む道を考えたら良家、名家の子供達とばかり馴れ合うのが嫌なんです。このままでは駄目だと思うんです」
「進む先……」
「そうです。土御門の次代としてはもっと広く世間を見た方がいいと、自分の為だと思うんです」
「そう、そうね。賢さんの言う事ももっともだわ。ではこれからどうしたいの?」
「もっと普通の子供が通う学校へ移ろうと思います」
「普通の?」
「はい、もっと広く世間を見る為に、あえて自分は市井の生活を知ろうと思います。近くの公立の小学校へ転校します」
「せっかく受験までしたのに? このまま大学までストレートに進めるのよ?」
「大学など、どこでも受かってみせます」
「そう、賢さんがそこまで言うなら、お父様に相談してみるわ」
結果。
「和泉ちゃん、賢さんが明日から同じ小学校へ通うようになったの、よろしくね」
「はい」
と和泉はうなずいてから賢を見た。
ジュースとケーキを出されて、和泉はそれに手を伸ばした。
「でも、凄いですね。賢さん」
と和泉の母親が言った。
「その年でもう将来、自分が背負ってたつ進路の事まで考えて行動するなんて」
と感心している。
「そうね、しっかりしてるんだけど、しっかりしすぎって言うか……」
と朝子は困り顔である。
「でも、賢兄、ただ和泉ちゃんと同じ学校へ通いたいだけだろ?」
と仁が賢に耳打ちした。
「黙れ」
「賢ちゃん、何組?」
と和泉がケーキから顔を上げて聞いた。
「三組」
「へえ、啓君と同じだ。いいな」
「……啓君、泣かしてもいいかな」
と賢が小声で仁に言った。
「駄目だよ。何考えてんの。そんな事したら、和泉ちゃんに嫌われるよ!」
「……」
「賢ちゃん、明日、学校へ連れてってあげる」
と和泉が言ったので、賢は嬉しそうに笑った。 了