Club Akamofu 3
しばらくしてまた赤狼が美和の席へ戻ってきた。
リューヤは他に指名がないのか、席から動かない。
赤狼が戻ってきたうれしさに美和はべちゃべちゃとひっついて話かけるが、赤狼は最低限の返事しかしない。心ここにあらずという感じだ。
「ねえ、赤狼君、ランチデートとか無理?」
「無理」
と取り付く島もない。
「もう~冷たいんだからぁ、でもそのクールなとこも好き~」
と美和が言い、リューヤが苦笑した。赤狼はふんと横を向く。
「あのテーブルのお客さんと随分盛り上がってたじゃない。常連じゃないわよね?」
赤狼に無視されてもめげない美和が気を取り直して会話を進めた。
「あんなうわばみに毎晩来られたら店が潰れる」
「そっか~」
横で聞いていた泉は美和がせっせと赤狼の機嫌をとっている姿が嫌になった。
安くない金額を払って来ているのに、この素っ気なさはなんだろう。プレゼントを渡してもにこりともせず、美和が話しかけても興味なさそうな感じだ。仮にもサービス業なのだからもう少し愛想良くできないのか、と思う。しかしそれが売りだと言われたら仕方がない。美和が赤狼の冷たさを買いに来ているのならばそれでいいが、自分には無理だ、と泉は思った。
「美和さん、私、そろそろ帰らないと」
腕時計を見てから泉はバッグとコートを引き寄せた。今日は朝から頭が痛くて本当は早く帰りたかったのだ。帰社時間に美和に捕まらなければ早々に部屋へ戻って早めに布団に潜り込もうと思っていた。この店へ来てから頭痛は酷くなり、背中や肩が何だか重い。熱が出て来ているのかもししれないな、と思いながら泉は立ち上がった。
「え、もう?」
「うん、ごめんなさい。おいくら?」
「明日でいいわ、まとめて払っとく。美和はもうちょっといるから」
「そう? じゃあ、明日、請求してね」
「うん」
美和に手を振ってから席を出ようとした時に赤狼が、
「お見送りを」
と言って立ち上がった。
店の通路を歩きながら、あちこちの席から赤狼に声がかかる。赤狼はそれに少し手を挙げて応えたりするが、基本真顔で笑顔がない。
(笑ったらきっと素敵なのに)
赤狼の笑顔を見たいな、ふと泉はそんな事を考えたが、今晩は別の世界に紛れ込んだだけだ。明日にはもう無縁の人だからそんな機会はきっとないだろうな、と思った。
扉を開けて店を出る。
さあっと十二月の冷たい風が吹き付けて、泉の暖まった身体を一瞬で冷やした。
「どうもごちそうさま」
と泉が言うと赤狼が、
「いい名前だからサービスしておく」
と言った。
「え?」
赤狼が泉の肩をとんとんと叩き、大きな手で頬をなでた。
「……」
たちまち泉の顔は真っ赤になり、身体は硬直してしまっている。
赤狼の手は温かく、嫌な感じはしなかった。
頬を撫でた赤狼の手が泉の頭をよしよしという風に撫でた。
「楽になったろ」
と赤狼が低く少しハスキーな声で言った。
「え?!」
頭の中がパニックで、一体何がどうなったのか分からないが、泉は身体が軽くなったのを感じた。
「面白半分で廃墟なんかに行かない方がいい。浮遊霊やたちの悪い霊がたまってるからな」
「……私に霊が憑いてたって事ですか?」
「身体が重かっただろ?」
「は、はい。あの、でも、廃墟に行ったのは弟で……でもどうしてそんな事が分かるんですか? 霊感がある人……ですか」
と泉が聞くと、赤狼は大きな声ではははっと笑った。
その笑顔に泉の心が跳ね上がる。
つんとした真顔も整っているけれど笑顔になると凄く優しそうで素敵だ、と泉は思った。
「あ、あの」
「弟から移ったんだな。体調の悪い人間には憑きやすいから、気をつけろ」
と言って赤狼は泉に背を向けた。
「あ、あの、ありがとうございました」
赤狼は振り返りもしなかったが、合図のように少し手をあげてから店の中に入って行った。
「赤狼さん……」
赤狼の背中を見送って、泉はとぼとぼと夜の町を歩いた。
身体はずいぶんと軽くなったが、頭痛は治まらない。これは風邪を引きかけてるんだ、と泉は思った。体調が悪いから取り憑かれたのかもしれない。弟には厳しく言っておかないと。弟はマニアを気取って廃墟巡りをしている。気持ち悪い写真を撮ってきては泉に見せたり、どこかへ投稿したりしているのだ。
そんな事を考えながら歩いていたが、いつの間にか頭の中には赤狼の事しかなくなっていた。美和が赤狼に通う気持ちが分かってしまった。つんけんしたホストだと思っていたのに、一瞬でこんな気持ちになってしまうなんて。
あんな風に優しくされたら、素敵だと思わずにはいられない。
赤狼の暖かい手の平の感触を確かめるように、泉は自分の頬を触った。
冬の夜の風は冷たかったが、泉の頬はいつまでも熱かった。
「ねえ、リューヤ君、赤狼君の個人情報、何か知らない?」
赤狼と泉が席を立った後、美和がこそっとリューヤに聞いた。
「個人情報ですか?」
リューヤも小声で返す。
「うん、何でもいいから」
「え、そんな親しくないですしね」
とリューヤは答えたが、声をひそめているところからして下心はありそうだ。
「もちろん、タダとは言わないわ。あたし、本気で赤狼君と個人的につきあいたいの!」
と美和が言いながらバッグから財布を出した。膨らんだ長財布を開けると札の束が見える。
「あたしだって別に腐るほどお金持ってるわけじゃないけど、赤狼君の為なら出すわ!」
「う~ん、今、知ってる事は……何か霊感があるみたいな事を聞きましたけど」
「霊感? ってあれ? 幽霊が見えるとか?」
リューヤはうんうんとうなずいた。
「ええ、この前、イチロー達とそんな話してましたから」
「霊感ねぇ、何かに使える?」
「う~ん、何か相談のきっかけに使えません? 怖い幽霊が出て困ってるから部屋に見に来て欲しいの、とか」
美和は目を輝かした。
「やるじゃない! リューヤ君! あんた、使えるわね!」
美和は財布から一万円札を出し……かけてから五千円に変更してリューヤに渡した。
「あざーす」
ち、五千円かよ、と思いながらもリューヤはそれを受け取って、素早くポケットに入れた。