良い子ポイントを与えましょう
出だしと中盤だけ思いついて、書きながら落としどころに悩みました。
ちょっと、今までの短編と方向性が違う作品です。
男が歩道に倒れ伏している。
髪は汚れ、服は黒ずんで所々が破れている。
スーツ姿の男女が、何人もその横を通り過ぎていく。
一人の少女が、その傍で立ち止まった。
中学生なのだろう。紺のセーラー服に身を包んでいる。細いヘッドギアを付けていて、そこから伸びたゴーグルが彼女の眼前で固定されている。
彼女はしゃがみこんで、薄汚れた男に声をかけた。
「おじさん、大丈夫?」
「み……ず……」
「水だね。ちょっと待っててね」
少女はしばしその場を離れると、ペットボトルに入った飲料水を持って戻ってきた。
「スポーツ飲料水だけど、大丈夫だよね? 立てる?」
男は立とうと試みて、首を横に振る。
少女は、躊躇わずに男の肩に両手を置くと、全身の力を使ってまずは仰向けにさせた。
そして、男の両の脇に腕を滑り込ませると、腰の力を使って彼の上半身を起こさせた。そして、前屈みに倒れそうになるそれを、左手で支えた。
男の服は汗で湿っていて、異臭を放っている。しかし、少女は気にした様子がない。
「とりあえず飲んでね。救急車、呼ぶからね」
少女はペットボトルのふたを開けると、飲み口を男の口に含ませた。
これが、後に様々な騒動のきっかけになるとは、男も、少女も、予想だにしなかった。
「皆、データ提出終わったな?」
教室の中にいる小学生達が、各々肯定の返事をした。
谷敷隆は、それを確認すると、頷いた。
「じゃ、寄り道せずに帰ること。寄り道したら、良い子ポイント減点だからな。トイレモードに切り替えてても、時間を見ればわかるんだからな」
「わかってるよ、先生」
そう答えた生徒の頭には、ゴーグル付きの薄いヘッドギアがある。それは、他の生徒も同じだ。そして、教師である隆の頭にも、それは乗っかっている。
「じゃ、号令」
級長が号令をして、教室にいる生徒全員が起立し、礼をした。そして、彼らは、各々の友人と教室を後にした。
隆は、それを見送ると、職員室へと戻った。
職員室の隣の席には、歳の近い吾郎がいる。彼は、ヘッドギアについたゴーグルに映像を浮かべていた。
このゴーグル付きヘッドギアは、かつて流行った携帯電話に類するものだ。インターネット機能や電話機能など、多彩な機能をその細いボディの中に保有している。名前を、IAと言う。製作スタッフのイニシャルではないか、という説もあるが、その名づけに関しては謎に包まれている。
その機能の一つに、録画機能があった。
映画館やトイレなど、使用不可能になるスペースがあるものの、大半の場所でその機能は利用できた。
ゴーグルの上部にある小さなカメラから、外部の映像を取り込めるのだ。
「良い子チェック中ですか?」
隆が問うと、吾郎は人の悪そうな笑みを浮かべた。
「ええ。面倒な時代になったもんですよ。早送りで確認するとはいえ、中々に疲れる」
「それで時間を取られますしね。いやはや、昔の時代が羨ましい」
「しかし、昔は昔で、学級崩壊や、子供の非行を信じないモンスターペアレンツの問題もあった。今となっては、そんな問題は皆無ですしね」
「うーん、一概に今が悪いとは言えんものですね」
むしろ、どの時代においても人は既にある体制に対して不満を抱かずにはいられないのかもしれない。
IAが生徒の育成のために活用されるようになったのは、近年のことだ。
IAの録画機能を利用して、教師が生徒達の生活をチェックするのである。休み時間は外すことを許可されているので、実質的に、登校路、下校路、授業時間の様子がチェックされることになる。
その中で、善行と思われるものには、基準に応じて教師が良い子ポイントを与えることになる。
良い子ポイントの総量は内申点よりも強い、などと揶揄されることがある。
実質的な善行の積み重ねなので、大人に従順な生徒が色濃く浮かび上がるようになっているのだ。
夏休みの後などは、ボランティアなどの様子を録画したデータを大量に提出する子供などがいるものだ。
一方で、天体観察をして、動画内に星図を書き込んで発表するような生徒もいる。
「ううん、どうしたもんかな」
吾郎が、困ったような声を出した。
「どうしました?」
隆は、IAで再生していた最初の生徒のデータを一時停止した。
「生徒が、浮浪者に給食のあまりを与えているんですよ。褒めたものか、どうか」
「篠山市の奇跡にあやかったんですかね」
「あれは、善行なんですけどね」
篠山市の奇跡、というのは、一人の少女が死にかけた浮浪者を救った話だ。
彼女は瀕死の浮浪者に飲み物を与え、救急車を呼んだ。それによって、栄養失調で死にかけた浮浪者は、命を取り留めたのだ。
教師はその姿勢を称賛し、実に三百ポイントの善行ポイントを与えた。善行ポイントとは、中学生にとっての良い子ポイントである。
三百ポイントと言えば、生徒が半年をかけて貯める量に匹敵する。
その影響は、如実に表れているようだ。
「この生徒、わざわざ駅前まで行ってるんですよ。それは寄り道なんだけれど、マイナスにするかどうか。したらしたで、親に怒られそうでね」
「ううん、難問ですね」
「たまに思いますよ。善行ってなんなのかって」
結論が出ないらしい。吾郎は、感傷的な台詞を吐いた。
らしくないですよと、隆は心の中だけで呟いた。
我々は、与えられた基準に応じてポイントをつければ良い。基準がない行為は、ゼロとして扱えば良いのだ。
榊原敦は、旅人である。
家はあるが、数週間帰っていない。洗濯はホテルや店のコインランドリーで済ませている。大きなリュックをかついで、様々な町をうろついている。
IAはつけていない。家族からの電話が疎ましいからだ。
たまに、ある友人と話したくなることがある。けれども、それは依存心に繋がりそうなので、自制しているのだった。
川原の傍で、敦はリュックを放り出して座り込んだ。
涼やかな風が心地良かった。
そうこうしているうちに、敦はうたた寝をしてしまった。
「おじさん、大丈夫?」
声をかけられて、敦はうっすらと目を開けた。
「ああ、大丈夫だ」
周囲を確認すると、傍に女子高生が立っていた。
頭にはIAが乗っている。ゴーグルの上部にあるカメラが、敦を見つめている。
「これ、あげるよ」
そう言って、少女はパンを差し出した。
敦はつい、苦い顔をした。
「行き倒れじゃねえよ。金はあるんだ」
「へえ、じゃあなに?」
「旅人」
「住所不定の人か」
「家はある」
「じゃあなんで旅人なんてしてるの」
「生きるのに疲れたんだ」
「そう。言われて見れば、服も洗ったの着てるもんね。なーんだ」
女子高生は、どうでも良さげに言うと、その場を去って行った。
なんなんだろう、と敦は思う。
思えば、この旅を始めてから、何度かこんなことがあった。
何かと、敦に差し入れをしようとする子供が現れるのだ。
同情されているようで、それが敦には面白くない。
敦は気を取り直して、地図を開いた。
「このまま進めば、三日ぐらいかな」
それほどで、隣県の観光名所に辿り着く。敦はなんとなく、誇らしい気持ちになった。元々住んでいた県から、三つも県を跨いだ計算になる。
こんな距離を歩いたことは、自慢話になるだろうと、そう思った。
その日、ある事件が起こった。
その事件はニュースを通じて日本全土に広がった。
そして、それまである事柄に対して鈍重な態度を取っていた文科省は、それが嘘だったかのようにある決定を迅速に下した。
隆は、職員会議でその話を聞き、むしろ納得したような気持になった。
吾郎は、苦笑している。
「なんだか、釈然としないような」
「いいじゃないですか。良い子の基準が出来たんですから」
「そうですかねえ」
彼は、悩みたいのだろうか。その考え方が、隆には理解できない。
敦は、違和感を覚えていた。
新しい街に入ってから、何かがおかしいのだ。
歩いていると、学生達が自分を視認したとたんに、方向を変える。
すれ違うと、舌打ちをしていく生徒がいる。
公園で休んでいると、大人達がやってきて、町を出ていくように言われる。
理由は、子供達に良くないから、とのことだ。
確かに、自分は子供に誇れるような肩書は持っていない。
けれども、公共の場所にいることを拒否されるいわれはない。
この町の牧歌的な景色をなんとなく気に入って、数日滞在していただけに、住んでいる人の冷たさは敦の心を浅くだがえぐった。
これまでの、差し入れをくれようとした子供達とは大違いだ。
敦はため息交じりに、歩き始めた。
そのうち、山道に敦は足を踏み入れた。歩き続けると、町がミニチュアのように小さく見え、その奥に水平線が見えた。
この景色を見ただけでも、旅をした甲斐があったなと、敦は思った。
その時、敦は後頭部に衝撃を感じて、倒れ伏した。
敦は、見知らぬ誰かに殴り倒されたのだ。
そして、今は数人に蹴られている。
体が震え、視界が揺れる。腕に力が入らない。そのまま、敦の意識は闇の中に落ちていった。
敦が目を覚ますと、視界に白い天井が広がった。
敦はゆっくりと体を起こす。体中に痛みがあるが、特に酷いのが後頭部の鈍痛だ。頭を触ると、包帯が巻かれていた。
そこは、病院の一室だった。
事情が理解できずに、敦はナースコールのボタンを押す。
しばらくして、看護婦がやってきた。
「ああ、お目覚めになりましたか」
「あの、俺はどうしたんでしょう?」
「暴行を受けたんですよ。それで、倒れているところを発見した人が、救急車を呼んだんです」
敦の頭に思い浮かぶのは、何故という疑問だった。
しかし、この看護婦に聞いても、その答えは得られそうになかった。
「頭を強く打っているので、今日は安静にしていてくださいね」
看護婦の言葉に頷く。
病室で何時間かくつろいでいると、刑事がやってきた。
敦が自身を旅人と言うと、相手の表情に皮肉っぽい笑みが浮かんだ。
敦は慌てて、将来的に就職する意思があることをつけ加えた。
犯人に心当たりはあるかと聞かれた敦だが、ないとしか答えようがなかった。
「今のご時世に目的地のない旅人とは、あんたも中々無謀な人だな」
「まあ、確かに不審者みたいだとは思いますが」
「その、不審者みたいってのが無謀だって言うんだよ」
刑事は皮肉っぽく笑っている。
馬鹿にされているようで、敦は複雑だった。
刑事が、それを見て納得したような表情になった。
「あんた、ニュースは見てないのかな」
「と、言いますと?」
「坂田市の被害も知らんのだな。篠山市の善行はどうだ?」
「……どっちも初耳です」
「じゃあ、あんた、周囲の学生がやけに優しいと思ったことはないか?」
「ありますね」
「差し入れ貰ったり、したろ?」
「しました」
「じゃあそれは、篠山市の善行のせいだ。学生が瀕死の浮浪者を助けて、良い子ポイントを大量に獲得したんだよ」
「……そういう裏があったわけですか」
敦は、納得した。なるほど、彼らは敦が瀕死の浮浪者であってほしいと願っていたわけか。
「じゃあ、坂田市の被害というのは?」
「浮浪者に扮した変質者が、助けようと近づいた生徒に猥褻な行為をした」
敦は絶句した。
「それに伴い、変質者対策として、不審と思われる人物に近づいた生徒は良い子ポイントがマイナスされることが全国に通達された」
「すれ違って舌打ちされるわけだ。けど変だな、滞在していたといっても、広い町だ。同じ道ばかりを通っていたわけじゃないのに」
「複数の生徒の視界に映ってたんじゃないのか」
なるほど、教師がその情報を統合して、敦を不審者だと断じたのか。
敦は、天を仰いだ。
大人の判断次第で、不審者が決められるそのシステムにも、欠陥があるように思われた。
「お前さんのせいで、良い子ポイントが何度もマイナスされた生徒がいるんじゃないかって、俺は思ってるよ」
「そのせいで、襲われた、と?」
「まあ、わからんところだがな。何せ、証拠が何もない。お前さんがIAをつけてたら、映像なりなんなりが残ってたかもしれんが」
「その場合、IAごと壊されてそうな気もしますけどね」
「それは、そうだ」
敦は考え込んだ。何か、納得のいかない話だった。
「不審と思われる人物に近づいたら、ポイントがマイナスされる。じゃあ、不審だと感じた相手が死にかけていたら、見捨てて行くのが良い子なんですかね」
口調が幾分か、皮肉っぽくなっていた。
「けど、お前さんは倒れているところを救われた。そうだろう?」
「まあ、そうですが」
敦を助けたのが、利害関係を無視した子供だったならば、その言葉に重みはあったかもしれない。しかし、あんな山道に入ってくる子供など、そういないように思えるのだ。
「お前さんも、それに懲りたら、放浪なんて真似はよすことだな」
良い子ポイント、という言葉に、敦は違和感を覚えざるをえなかった。
そのポイントを駆使して、本当に良い子が育成されるならば、苛立ち任せに敦を襲うような子供は生まれなかったはずだ。
IAと良い子ポイントの導入によって、いじめや学級崩壊は影をひそめた。
けれども、人間の闇と言うのは、そんな監視程度で矯正出来ないものなのではないか。
敦は、そう思うのだ。
敦はなんとなく、友人の声が聞きたくなって、売店でテレホンカードを買った。
病院の緑の公衆電話にカードを差し込み、記憶の中から電話番号を探し出して、友人に電話をかけた。
数回のコールで、友人は電話に出た。
「おす」
「やあ」
友人は軽やかに電話にこたえる。その柔らかい声に、敦は心が溶かされるのを感じた。
「久々だね何処にいるのさ」
「病院」
「は?」
事情を説明すると、友人は軽やかに笑った。
「なるほどねえ、なるほどねえ。タイミングの悪い人だな」
「返事のしようもないよ。ただ、歪んでるなって思ってさ。愚痴りたかったんだよ。上の人間の方針に合わせて、人に善意を施したり、人を嫌悪したりさ。それが良い子って違うんじゃないのって」
「うーん、そうだねえ。けど、良い子って言葉がそもそもあんたの期待するものじゃないのかもしれない。良い子って、時代や立ち位置に応じて形を変えるでしょう。戦時中なら、難敵を殺したら勲章が貰えるけれど、今の時代にそれをやったら犯罪じゃない。十字軍だって、攻められる側と攻める側じゃ認識がまるで違うでしょう?」
「確かにな」
「けど、貴方の求める意味での良い子は存在すると思うな」
彼女の言葉に、敦は爽やかな風を連想した。
「考えてみなよ。最初に浮浪者を助けた子は、大人の顔色なんて考えていたかな?」
敦は、しばし考えてみた。
「IAに行動が記録されるから、褒められることは期待したんじゃないか?」
「わざわざ飲み物を飲ませるかな。私なら、救急車を呼んですませるな。それでも十分大人は褒めてくれるよ」
言われて見れば、そうかもしれない。
「無償の奉仕を出来る最初の一人がいるから、後進が続くんだよ。実際、その後、食べ物を貰って助かったって人もいるんじゃないかな」
「それは、IAに行動が記録されるからだろう」
「けれども、助かった人がいるだろうことは事実だ。善意の輪が広がれば、そのうちもっと大きな動きになったかもしれない。それだけに、事件で途絶えたのが残念極まりないね」
「善意の輪、か」
倒れている人を助けることを良い子ポイントに加えたならば、確かに善意の輪が広がるかもしれない。それはきっと、たくさんの人を助けることだろう。
「あんたの行動に、私が良い子ポイントをつけてあげようか? 少しは、人の為に活動できるかもよ」
「遠慮しとくよ」
敦は苦笑して、断った。
ただ、旅人はどうせ続けようがなさそうなので、ボランティアをするのも良いのかもしれない、と思った。
最初の誰かの後進になるのも、悪くはないかと思ったのだ。




