湖面に浮かぶ月 04
過去編。
「最近、なにやらこそこそやってるみたいね」
最愛の人にそんなことを言われたのは、紫が義姉と会った三日後だった。
お土産のマカロンを美味しそうに食べているから、紫のチョイスはどうやら間違いではなかったようだ。
「気になる?」
「うーん、別にどうでもいいかなぁ」
彼女の表情から嘘は窺えなくて、ほっとする。
そこでふと、思いついたことを質問することにした。
「好きな人を傷つけたい、って思うのはどんなとき?」
「傷つける、っていうのは精神的に?それとも物理的に?」
「うーん、今回はどっちかっていうと物理的に、かな」
突然の質問になにやら思うところがあったらしく彩月は、しばらく考えてからそうねぇ、と言った。
「まずよっぽど好きな相手じゃなきゃそこまで思わないわよね。普通に考えたら、自分は相手を好きだけど相手は好きではないとかそういう場合じゃないかしら。どうしようもなくなって自分ひとりでは解決できなくて、マグマが噴き出す感じなのかしらねぇ。どちらにせよ、冷静でないことは確かね」
紅茶を味わっていた彩月はふと、ああ、と声を上げた。
「あとは好きな理由が屈折してたら、その原因となった相手を刺したくなるかもしれないわね」
にっこりと笑う彩月に降参だ、と手を上げる。箝口令が敷かれていたというのに、彼女の前では関係ないらしい。
「よく知ってるね、というかよくわかったね」
「あなたがこそこそやってることについて報告が来てるもの。それならあのことしかないじゃない?でも結局のところ、当事者たちだってすべてを把握しているわけではないんでしょうけどね」
「そうだね」
あの事件を紫は直接は知らない。
彼がそれを知ったのはすべてが終わった後だった。
なぜ、紫がそれをすぐに知ることができなかったのかといえば、単に彼に興味がなかったといえばそれまでだが、面倒な出来事だと察知した執事によって緘口令が即座に敷かれたためでもある。田中というどこにでもいそうな名前を持つ嘉納家執事は有能すぎるくらい有能で、事件発生から二時間というわずかな時間ですべてをなかったことにしてしまっていた。
そんな秘密を紫が知ることになったのは、父の意向だった。
当事者である斎が使い物にならないほど憔悴しており、かといって田中を動かすとそれはそれで邪推を呼ぶ。有能すぎる田中の噂は他家にまで広がっているというのだから、恐ろしいものだ。
そうして、紫はおそらく限りなく真実に近い「事実」を知ることになる。
その日もいつものように、四人は何かをするでもなく、斎の部屋に集まっていたらしい。
嘉納前当主夫人たる祖母が亡くなるまでは大っぴらに会うこともできなかったため、その反動もあったのだろう。
白石姉妹と竜崎の間に直接の面識はなかったものの、斎にお互い紹介されるとすぐに意気投合したらしかった。斎と竜崎は同じ中学に通っていたけれど、白石姉妹は二人とは違うお嬢様学校に通っていたから、同い年の男子という存在が珍しかったのもあるようだ。
女の子というのは男に比べれば早熟で、中学生にもなれば恋というものに憧れを抱いたとしても仕方がない。特に白石姉妹が通っていたお嬢様学校は校則が厳しいことで有名で、身内以外の男性と触れ合うことはほぼない。そうすると自然と身近な異性に恋心を抱くのも当然なのだろう。
「それであの姉妹は兄さんたちに恋をしたってこと?」
事件後、白石姉妹のカウンセリングを担当していた医師から紫は報告を受けていた。
まだ若いが穏やかで信頼できる相手だ。
「簡単に言ってしまえばそうね。ただ、なんというかそもそもの前提が複雑だから、ちょっと歪んじゃってるところがあるのよね」
「歪んでる?」
紫の質問に医師は、うーん、と難しそうな顔をした。
「あの姉妹は双子でしょう?しかも一卵性の。だから外見だけをみればそっくりなのよね。なのに、あの二人を見分けられないという人はあんまりいなかったわ。性格が違うせいだったのかもしれない。妹ちゃんはお姉ちゃんにずいぶんべったりだったそうね。学校だって違うクラスなのに、休み時間には必ず姉のそばに妹がいたそうよ。…しっかり者の姉に甘ったれな妹がいたら家族の目はどっちに向かうのかしら?」
医師は目を伏せた。
「ここからは想像でしかないけれど、お姉ちゃんはだれかに甘えたかったのだと思うわ。けれど自立心がある子だったからただ甘えるだけでなくて、だれかと対等な関係になりたかったのではないかしら。対等であるはずの妹は姉である自分にべったりで、家族の目は妹ばかりに注がれている。だとすると対等になれる相手は家族以外で探さなければならない。学校内で探すことだってできたでしょうけど、白石姉妹というのはべったりで有名だったそうよ。そんななか、あえて妹を押しのけて姉の隣に立とうとする子を見つけるのは難しい。彼女が置かれていた立場からすればあの二人はとてもちょうど良かったのでしょうね。惹かれたとしてもおかしくはないわ」