その三
「今晩あたり、兵隊さんのお宿に行くと思うから。そん時もよろしくしてね」
本来、彼女のような<風の民>は、市や祭りで技芸を披露し、街から街をめぐり歩いて口を糊しているものだ。
しかし、今は戦乱の世の中。ナヴィの一座は、あえて戦地や駐屯地をめぐり、兵隊相手に日銭を稼いでいるらしかった。
それでも生活は厳しいようだったが―――風の民と言えば、耳にも首にも手足にも、じゃらじゃらと装身具をつけているものなのに、ナヴィガトーレのしなやかな体には、ほとんど飾り物がついていなかったのだから。
事実、彼女は装身具のひとつを売ろうとしていたわけで。
夜。かがり火の下。
兵士たちの前に現れたナヴィガトーレは、舞姫の白く簡素な衣装を身につけていた。きらめく飾りはなかったが、凛としたまなざし、軽やかな身のこなしは何よりも、彼女を魅惑的に見せている。他に舞姫も歌い手も居なかったのだが、それらを補ってあまりあるほどに、彼女の歌と踊りは素晴らしかった。
『まだ見ぬかの地を夢に求めて 風をはらめよ、白き帆よ』
肩から下げた小太鼓を、軽快なバチさばきで打ち鳴らし―――彼女の持つ楽器がジタールではなかったのに、心底ホッとした者が若干名いたのは、言うまでもない―――ほっそりした喉をそらせて、彼女は歌う。透明な声は夜空に響き、どこまでも昇ってゆくかのようだ。
『波よ 私を運んでおくれ いまだ私が見ぬ国へ
風よ 想いを伝えておくれ 愛しい御方の暮らす地へ』
つま先だってくるくる回り、にっこり笑って投げキッス。ほどよい色気はふりまくが、決してスレた風ではない。
そんな彼女はたちまちのうちに、隊の人気者となった。部隊長などは、殊のほかに彼女がお気に召したと見えて、さらに何日かの滞在を(彼、みずから)約束としてとりつけたほどだ。
だが、しかし。
彼は―――昼間、中央広場でナヴィガトーレを助けた兵士だけは、見てしまったのである。
にこにこと愛敬をふりまく少女が、時折……ほんとうに、時折。
ふっ、と、疲れた表情を宿していたことに。
彼女の姿が夜遅く、部隊長の宿舎へと向かったことに。
<風の民>が売り物とするのは、その歌と芸ばかりではない。これもまた、よく知られていることである。
けれど……。
★
それは、三日目のことだったか四日目だったか。
市もはね、人影もまばらになった中央広場。共同井戸の側に、ナヴィガトーレの姿があった。その傍らには、例のジタール。
井戸の縁石に腰をおろした彼女は、ジタールの胴を指で叩いて拍子をとりながら、小声で歌を口ずさんでいる。
『戦の中で死んだあたしは
いくつになっても いつつのまんま
祭りの服も着れないし
おいしいお菓子も食べられないの』
その横顔がひどく疲れて見えたのは、化粧をしていないせいなのだろうか。質素な身なりで座り込んだ彼女は一座の舞姫と言うよりも、むしろ、おなかをすかせた子猫のようだった。
『燃える炎にとりまかれ 髪はちりちり燃えてしまった
きれいなお目目も、真っ赤なほっぺも、なにもかも』―――
「よう」
かけられた、聞き覚えのある声にナヴィガトーレは顔をあげる。
立っているのは、あの傭兵だった。
「今日はまた、えらく辛気くさい歌を演っているんだな」
「そう? 自分で作った歌、なんだ……けど」
「……あまりいい出来とは言えんな」
彼の言葉に、ナヴィガトーレはうっすらと微笑する。
「まあねえ、確かに。あたし、韻を踏むの苦手なんだ。勉強もしてないし」
「そういう意味じゃなくってだな……」
「らしくない、って言いたいの? でもね、いつもいつもノーテンキな歌やってると、たまーにこーゆーの歌いたくなるんだ」
「……そんなもんか」
「そんなもんよ」
軽い沈黙をはさみ。
先に口を開いたのは、ナヴィガトーレの方だった。
「戦なんか、だいっきらい。唄いたい歌も唄えない。あたし、いつもいつも元気に踊っていないといけない」
「…………」
「父ちゃんが死んだ日ね。あたし、父ちゃんを誤射した兵隊さんの前で踊ったんだ。……父ちゃんがいれば、あたしだってジタール弾けたのに。あんな行商人なんかに、大きいツラさせやしないのに」
「身内を亡くしたのはお前だけじゃない。……大体が、戦を好きなヤツなんざいねぇよ」
「そうかなァ。じゃ、どうしてあんたは傭兵なんてやってるのさ?」
再びの沈黙。今度は長い。そして。
「……家を」
「え?」
「村を、焼かれたんだ」
男はぽつりと呟いて、少女は瞳を丸くした。
「それって、戦で?」
「いや。敵軍のスパイを隠まっている、と疑われたのが悪かった。助けに来てくれた、と思った軍に焼き討ちされたんだ」
「なのに、傭兵やってるの?」
「とりあえず、食うには困らないだろう。俺はお前たちと違って、身を助ける芸がないからな。死ぬ時も、誰かがすぱっと一思いに殺ってくれりゃ、楽だろうしよ」
「…………」
一座の歌姫(自称)がそんな顔するもんじゃない、と男は笑って、しみじみと口にした。
「お前たちは、いいな。どんな内容にしろ、その歌と踊りで人を楽しませることができる。磨けば磨くほどに、その技は素晴らしいものとなる。俺は……俺たちの技は、何も産み出しゃしねえ。磨くほどに、極めるほどに、死人が山となるだけだ」
「そんな……! そんなこと、言わないでよ……」
ナヴィガトーレの顔が、悲しげに歪んだ。
「兵隊さんの技は、こないだあたしを助けてくれたじゃない。あれ、すっごくカッコよかったよ。拍手してた人もいたし、あたし、すっごく嬉しくて……歌作っちゃおうかと思ったんだからねっ」
「う、うたぁ?!」
「そ。歌。知ってるでしょ? あたしたち風の一族は、自分だけに唄えるたった一つの歌、自分だけが踊れるたった一つの踊りを求めて生まれてくるんだよ。だから、あたし、いろんなことを歌にすることにしているんだ」
少女はぴょんと立ち上がり、その勢いのままに一足二足、早いダンスのステップを踏んだ。
「それにさ、かよわき美少女を悪から守るむさい男って、いかにも客ウケしそうなネタだと思わない? 絵にもなるしさぁ」
………………………………。
「……待て。どこの誰が美少女で、誰がむさい男、だと?」
「あはははははははは」
屈託のない笑い声が、夕暮れの空にはじけた。
「でも、唄うよ。もう決めたんだから。だからね、兵隊さんも死ぬなんて言わないでよ。死んだらもう、あたしの歌、聞けないんだよ?」
「……」
「この街に来る途中で聞いたよ。こんな戦はもうすぐ終わるって。だから、もう少し頑張ってよ。ほら、歌にだってあるじゃない。
『瞳閉じればいつでもあえる 心に覚えている限り』
ってさ。
死んじゃった人は帰ってこないけど、村も、家も、また作ることは出来るんだから。ね。だから兵隊さんこそそんなこと言わないで」
ナヴィガトーレは精一杯、男をなぐさめようとしているのだった。それが判らぬ彼ではないから、せめて、笑顔をつくろうとする。
「……ああ、そうだな。お前の言う通りだ―――早く終わるといいな、こんなバカげた戦は。どっちが勝とうが負けようが、大して変わるわけじゃなし」
軍規違反モノの言葉に、ナヴィガトーレはそーそー、とくすくす笑い……突然、あ、と声をあげた。
「大変、もうこんなに暗くなってる! あたし、もう、行かなくっちゃ」
「今夜もお呼びがかかってるのか?」
「うん、それもあるけど……あの……」
「? なんだ」
首を傾げる男に、しかし、少女は口ごもった。
「あの……ううん、やっぱりなんでもない。……それじゃ、気をつけてね」
「????」
けむにまかれた男をその場に残し、ジタールを抱えたナヴィガトーレはひらりと身をひるがえす。
あとになって思ってみれば、その時に、彼は妙だと思ってしかるべきだったのだろう。
彼女が走っていったのは、一座の天幕がある広場でも、舞台となる兵士の宿舎の方でもなく―――都市の、裏門の方角だったのだから。
★
都市が、敵軍の奇襲を受けたのは、その夜のことであった。