『いつまでも止まらない致命傷』
致命傷。
それは死亡に至る出血や傷、怪我を指す。
つまり。
致命傷とは、生きられない傷を指すのだ。
肉体的でも――――精神的でも。
*
例えば、一人の少年が居たとする。
彼はいつも
『果たして世界は自分を必要としているのか』
という疑問を胸に生きていた。
彼はその疑問を解消することなく、
学校を卒業し、働き、そして年老いて
独りで死んでいった。
例えば、一人の少女。
彼女はいつも
『人に必要にされたい』
と願っていた。
そして必要とされるよう行動した。
その生涯を彼女は他人の為に捧げた。
そして多くの人に看取られて死んだ。
多くの人々は、
『彼』より『彼女』の方が
より『人』として生きれていた、
と言うだろう。
では、この二人の違いは、
一体何だろうか。
彼と彼女の相違点は。
まず、『彼』の思考について
考えてみよう。
『彼』は、ありふれた日常の中で生きていた。
そして、ふと世界の矛盾に
気付いてしまうのだ。
世界は、自分が居なくても
機能し続ける。
誰が居なくとも廻り続ける。
誰かが居なくちゃ世界など存在しないのに、
必要な人など存在しない。
これに気付いた時――――
何を為しても
人生は変わらない、
彼は、そう悟ったのだ。
一方『彼女』は
『必要』の意味を履き違えていた。
彼女が人々に向ける感情と、
人々が彼女に向ける感情は、違っていたのだ。
彼女は、人に必要とされるために
人を必要とした。
つまりそれは、『必要』ではなく
ただの『手段』であったのだ。
そうなればそれは言葉の上だけの
薄く、脆い必要性にしか
なり得ないのだ。
つまりこの二人は真に世界に必要とは
されていなかった。
ただ己の身分を知り、諦め、もしくは足掻き、
そして死んでいった。
*
では、
『世界に必要とされる』
とはどういう人なのか?
それは――――
『世界に必要とされる』
ことを考えない、
ただ種として存在する
そんな人間なのだろう。
つまり、
人が自らの存在を、
必要性を疑問に思い、
その探求に人生を使うとき、
その時点でもう
その人は『人』の道を
踏み外す――――――
ほんの少し、ふっと感じた違和感に耳を傾けたばかりに。
思考の引き金を引き、
矛盾の弾丸をその人生に撃ち込んで。
その人々は、それからの人生を
人としては生きれない。
致命傷を負ったまま、
終わらない傷を抱えこんだまま、
止まらない血を、流し続けて、
終わり無き疑問を、
留まることなく思考したまま――――。
人が、
自分の価値に、
自分の正体に気付く時。
その人は、
止まらない、
終わらない、
際限もない、
果てしなく続く傷を負い。
生きづらく、
死にづらく。
終わらせたくて、
始まらない人生を、
歩み続けることになる。
さあ――――――
あなたは、
誰かに
必要と
されて
いますか?
以上、『いつまでも止まらない致命傷』でした。
思春期は多感で余計なことばかり考える時期だと言いますが、
考えて感じるるぐらいしかやることがない時期なんですよね。
学校教育は良くも悪くも完結してしまっていて、
自分でやることを探す時間がなくなっているような気もします。
なにも考えなかった頃が子供、
なぜ、どうしてを追求している間が思春期、
それを捨てた時が大人への第一歩、という気がします。
そんなことを考えているから私はまだ思春期なのでしょうね。
ここまで読んでいただきありがとうございました。




