1-9 卩兄妹―弌、弍、弎!―(改稿完了)
その後。
ぐったりと意識を失った朱鳥を抱えたまま下山し近くにあるベンチに下す。見るからにして急いで治療が必要な様子だった。救急車を呼ぼうと119の番号まで押したが、そこで思いとどまる。朱鳥の体調悪化の原因は、式神厭人による神眼だ。神眼によって負った傷を、普通の病院で治療できるのだろうか…。
此処は一旦、武神家に連絡をした方が無難かもしれない。
以前教えてもらった電話番号を電話帳から見つけ出し、通話ボタンを押す。
二回呼び出し音が鳴った後、直ぐに応答があった。
「武神家使い人の卩弌人と申します。ご用件は何でしょうか」
抑揚のない一定のトーンの声だった。
急いで朱鳥の現状を使い人と名乗った人に述べる。
「事情は承知しました。そちらに向かいますのでお待ちください。それと病院に連絡するなどの、余計なことはしないで下さい。色々と厄介ですので」
どうやら病院には連絡しなくて正解だったらしい。
電話を切ると、車が来ても直ぐわかるように車道の方を注視する。
先ほどの卩弌人は、朱鳥の付き人らしい。したがって、朱鳥についてよく知っているそうだ。
数分後、黒い車が道の向こうから現れた。車の通りが殆どない道なので恐らくあれが迎えの車なのだろう。予想通り、その車は俺たちの前にゆっくり止まった。
しかし、電車で三十分以上もかかるこの場所へ、何故こんな早く着いたのだろうか?異常な速さである。
中からは黒いスーツを着たオールバックで眼鏡をかけた男が降りてきた。年齢は啓祐兄さんと同じくらいだろうか。
「翔也さんですね。お嬢様を見ていただきありがとうございました」
手身近な礼を述べると、ベンチに寝かせてある朱鳥の方へ向かった。
先ほどよりも顔が青白くなっており、呼吸も荒くなっている。見るからに非常に危険な状態だ。
そんな朱鳥の様子に取り乱すことなく、無表情に脈を測ったり瞳孔を確認する。一通りの初診が済んだ後に、朱鳥を抱き上げ車の後部座席に運び込む。
無駄のない迅速な動きだった。
「あなたも助手席に乗って下さい。色々と話を聞かなければなりませんので。このまま、お嬢様のお宅まで来ていただきます。良いでしょうか」
「はい…大丈夫です」
有無を言わさない物言いだったので、大人しく従う事にした。無論、断る理由も無いわけなのだが。
車の助手席に座ると直ぐに車は発進した。
「あの、質問を良いですか?」
実はさっきから何故こんなに速く到着したのか気になっているのだ。
「どうぞ。答えられる質問には答えましょう」
「ありがとうございます。何故こんなに速く到着したんですか?俺は朱鳥の自宅へ電話をしたはずなのですが、電車で三十分もかかる場所から何故こんなに早く到着したのですか」
「そのような事、少し考えればわかるのではないでしょうか。お嬢様の家庭教師を受けているのですから」
「あ、はい…」
うーむ、何故かとても攻撃的な印象を受けるのは何故だろうか。
「もっともそのような質問をしている時点でダメなのですが。仕方がない、此処は答えて差し上げましょう」
やはり一々棘ある言い方だ。
「単純です。私はお嬢様から今日どちらへ行かれるのを聞いていただけです」
「近くまで来ていたんですか、成る程。いや、待って下さい。それだと自宅の電話に出たことの説明にならないじゃないですか?」
「あなたは転送という言葉を知らないのですか?自宅の電話であっても、出た場所が自宅とは限らないでしょう?」
「あ、そういうことだったんですか」
思わず声が小さくなってしまう。
この人、表情が終始変わらないので何を考えているのか全く分からないのだ。鉄仮面の人と話すのは苦手である。
一様、言葉の節からして怒っていることはひしひしと伝わってくるが。
「私が外出する時には常に転送の状態になっています。何事も私を通してから連絡が行くようになっているので。これは朱鳥のお父様である赭攣さまの意向です」
「朱鳥のお父さんというと、現在の武神家頭首ですよね?」
「そうです」
「朱鳥の付き人なのに何故、頭首でもある朱鳥のお父さんのまでも管理しているのですか?」
「私は武神家全ての情報を管理してるからです。武神家に関する情報は私に全て集まるようになっています」
どうやら、かなり信用されているようだ。
「因みに私には弟と妹がいましてね。二番目の弟の弍昃は護衛を担当、三番目の妹弎塑稀は医療を担当しています」
兄弟揃って武神家に仕えているのか。
しかし何故、弟や妹の情報までわざわざ俺に話したのだろうか?それぞれの役割が、情報管理、護衛、医療と重要な役割ばかりだ。
そのような情報はあまり、部外に流してよいものではないような。
「その質問に対する解答は明白です。あなたにはこれから暫くこちらで過ごして頂くことになるからです。その上で私たちについて知っておくことは重要です」
「え、何でですか?」
突然の宣告。
まさか朱鳥の家に半強制的に住むことになるとは。
「理由なんて聞かないで下さい。事態はとても深刻なのですから」
深刻な事態…。
もっとも、殺されかけたあの夜からなんとなく感じていたことではある。
恐らくはあの式神のやつのせいだろう。それを踏まえると武神家に住むことは、一番安全なことかもしれない。
本来消滅したはずの家系、神の名を持つ青年。
そして〝蒼色〟の瞳。
しかし、俺は神眼に詳しくないので周りで起きていることに関しては理解が及んでない部分が沢山ある。
隣にいる卩弌人さんから説明が欲しいのだが…そうはいかないようだ。何故か、俺に対する対応は非常に刺々しいからな…。武神家の情報管理をしているのだからきっと知っているのだろうけど、質問するのは何か気が引ける。
そんな非常にいずらい雰囲気の中、車で三十分ほどだろうか。
朱鳥の自宅へと到着した。その門構えはとても立派である。さながら、武家屋敷だ。周囲は高い塀で囲われてろい、屋敷自体も周りは山に囲まれている。とても東京にある場所とは思えない。
建物自体は木造で大きな屋敷。敷地は勿論無駄に広く、迷子になる位広い。屋敷が入り組んでいるのでなおさらだ。
昔遊びに来た時には、朱鳥が必ずいなければ迷子になること必須だった。
門が自動的に開き、車が中に入っていく。暫く車を進めると玄関に到着。そこには、救急用の担架と白衣を着た女の人がいた。
髪を後ろで束ねており体格は細くて背が高い。眼鏡をかけており見た目からして頭がよさそうだ。あれが弎塑稀さんなのだろうか?性格は弌人さんと同じだったら嫌だな…。
話してみないことにはわからないが。
弎塑稀さんの目の前に車が静かに止まる。弌人さんは急いで自動車を降りて後部座席で寝ている朱鳥を運び出す。静かに担架へ乗せた後に弎塑稀さんと二、三会話を交わす。
その間俺は朱鳥の横に立って様子を伺う。さっきと比べると更に酷くなっているようだ。
そこへ弌人さんと会話を終えた弎塑稀さんが話しかけてきた。
「翔也くんかな?」
弌人さんとは違い、随分と明るい声だった。
「はい、そうです。はじめましてよろしくお願いします」
「よろしく。それではさっさとお嬢様を医務室に運ぶわね。あなたも怪我しているようだからついてきて。治療してあげる」
そこへ弌人さんが声をかけてきた。
「翔也くん。治療が終わり次第赭攣さまと会っていただきます。覚悟しておいて下さい」
そう言うと、車に戻り発進させてどこかに行ってしまった。
しかし、“覚悟”しておくとはどういうことだろうか。不穏な感じにしか聞こえない。
「では、行くわよ」
弎塑稀さんは早歩きで担架を押して移動を始めた。俺はその後について行く。
「お嬢様の容体は最悪であっても、死ぬことはないから安心しなさい」
「そうなんですか?」
「ま、これは医者としての直観よ、信頼はしてちょうだい。でも、本当のことは実際に治療してみなきゃわからないけどね」
如何にも自信ありげの様子だった。武神家の医者だから神眼によって負った傷の治療については、日本一信頼できるだろう。
信じるしかない。
「あ、そうそうさっきの弌人のことだけど、大丈夫よそこまで心配しなくても。赭攣さまはそこまで怖くないから安心しなさい」
「そうなんですか…」
「全く、弌人は脅し過ぎだよ。怒っているようだけど翔也くん関係ないのになー」
「あ、やっぱり怒っているんですか?」
「うん。理不尽だよね~まったく」
「あの…、何で怒られているのかよくわからないのですが」
「お嬢様が傷ついたことに怒っているのよ。そしてその原因が翔也くん絡みだからね。勿論、翔也くんの責任ではないよ。当たり前だけど、悪いのは式神のやつだからね」
「式神について何か知っているんですか?」
「いや、私はそこまで詳しくはないよ。弌人なら何か知っているのかもしれないけど。でも後で赭攣さんに会うのだから、そこで聞けば良い思うよ。そこら辺の話については日本の中で誰よりも詳しいはずだからね」
確かに朱鳥のお父さんならば詳しく知っていて、当然なのかもしれない。
勿論、俺に関することについても…。
「しかし、いきなり最近忙しくなったわね。つい数ヶ月前はのんびりとした時間が流れていたのだけれど、暫くはこの緊迫した状態が続くのでしょうね」
真剣な眼になり考え込む弎塑稀さん。暫くして医務室に到着。その前に立ち止まりこちらに顔を向けてきた。
「んじゃ翔也くはちょっとここで待ってて。朱鳥の治療するから。数分で終わるともうけど、その後に君を治療するね。序に検査もするから、また後で」
そう言うと医務室の中に朱鳥を運びこみ扉を閉じた。俺は近くの椅子に座りこみ待つ。
「やぁ、君が翔也君かい?」
いきなり隣側から声がした。直ぐ右隣に、いつの間にか居たのだ。外見は弌人さんと似ており髪型は同じオールバックだが、弌人さんよりも長かった。
そしてまるでその表情が基本であるかのように、円満な表情をしていた。
「あの…、弍昃さんですか?」
「おぉ!よくわかったねー。凄い凄い。改めて、俺は卩弍昃だ。この家の護衛を担当している。以後お見知りおきを」
笑いながら握手を求めてきたのでそれに応じる。ニコニコと決して顔を崩すことはない。この人となら弎塑稀さんと同じようなコミュニケーション出来るかも知れない。
「君も大変だったね。よりにもよって式神に眼を付けられるとは。ま、君なら大丈夫、なんとかなるさ。ところで弌人が何かしなかったかい?」
「いえ、特に何も…」
「ほー、これはこれは明日にでも槍が降りそうだな。かなりあり得ないことだから。君、一生分の運を使い果たしたかもね。弌人が八あたりしないなんて、とても珍しいぞ」
「あ、いえ八あたり位なら…」
「そうかそうか。ま、当然と言えば当然。あいつは武神家の情報に詳し過ぎているからね。それは言いかえれば神眼に関する情報を殆ど知っていることになるんだよ。故に、あいつは全てが見えているような錯覚に陥っているのさ。だからこそ何とかなりそうだったことが、何ともならなかったことにうんざりしてしまうのさ。それは既に何ともならなかったことでも。今回の件然りね。俺よりも年上のくせにまだまだ子どもだよね。フフッ。そうそう、君は何かしらの能力を持っていないのかい?式神に集中的に狙われるというのはとてもとても重要な意味を持っているんだよ。多分蒼の能力だね。ただ蒼の能力ってうちのお嬢様の朱と違って様々な種類があるんだよね。だから君がどんな能力を持っているのかとても興味があるんだよ」
前言撤回。
この人、ほっといたらずっと喋っていそうな気がする。その結果、コミュニケーションがとても取りずらい。
しかも、思い込みも激しいときた。もしや俺がいなくても、壁さえあればずっと話せるんじゃないだろうか。
もっとも、その光景を思い浮かべると何故か胸が痛くなるけど…。
「残念ながらまだわからないです。その・・・蒼の能力であるかどうかも」
「そうかそうか。では後で赭攣さまにでも聞いておくと良いよ。あの方は君の事について昔から知っているらしいからね」
「そうなんですか?」
これは初耳だった。一様朱鳥とは幼馴染だから昔は良く遊びに来ていたのだが、実は朱鳥のお父さんとは殆ど会ったことがないのだ。
「フフッ、これで赭攣さまと会うのが楽しみになったかな?どうせ弌人には“覚悟しておけ”みたいなことを言われたと思うけどそんなに緊張する必要はないよ。別に死ぬわけじゃないんだからさ。寧ろ君にとって有益な情報になるのだから喜ばないと。ほらニーッて。」
いつのまにか口の中に両手の人差し指を入れられて無理矢理笑顔を作らされていた…。
「ニーッ…」
何やってんだろ俺…――
何で初対面の人に人差し指を突っ込まれて無理矢理笑わされているのだろうか。壁一つ向こう側では朱鳥が苦しんでいるというのに。
「そうそう。笑顔は大切だよ。危機的状態にあればある程ね。死ぬときだって笑って死ななきゃだめだよ。笑顔というのはとても高尚なものなんだからね。何せ人間にしかできな表情何だから。笑顔こそが人類があらゆる生物の頂点に立てた理由と言っても過言ではないと思うよ。だから笑顔の練習は欠かさずにねフフッ」
「そんな練習どうやってやるんですか?」
「ん?そんなの鏡を使って中にいる自分に笑いつづけるのさ。そうすれば美しい笑顔を作ることができるよ。君の家にも鏡はあるだろう」
「一様鏡はあります」
自宅の鏡の前で笑顔の練習をしている自分を思い浮かべる。うむ、家族に見られた俺はもう一生顔を合わせる事は出来なくなるかもしれない。絶対にしたくない、誰にもばれなくてもだ。弍昃さんはそんなことをずっとやっていたのだろうか…。
「ならば話は早い。家に帰ったら早速練習を始めるんだ。あ、でも君は暫く此処にいるんだっけか。だったらこの私が直々に笑顔の指導をしてあげよう。一週間もすればこの私のように笑顔の達人になれるよ、フフッ」
「いえ、折角ですが遠慮しておきます」
「別に気に欠ける必要はないんだよ。私は人のために何かをするのが好きなんだ。自分にどんな害があったとしてもね。それが死であってもだ。ただのたれ死ぬよりも、誰かのために死ねた方が素晴らしいと思わないかい?」
「それは、あまり考えたことがないです」
死ぬことについてど考えたこともなかった。寧ろこれから自分はどう生きる事になるのかしか考えたことがなかった。
「そうかそうか。そりゃそうだろうね。君は死にかけたことが一回しかないからあまり考えたことはないのかもね。でも、死ぬことについて考えておくのとても重要なんだよ。死というのは万物平等、誰にでも訪れる事なんだからね。そして、死を考える上で注意しなければならないのは自暴自棄にならないことだ。死を恐れてはいけないよ。今は生きているんだから。だからこそ高尚な死を迎えられるように、笑って死ねるように、生きている時は精一杯生きなきゃいけないんだよ。幕を閉じるなら素晴らしい舞台を演出したいじゃないか。だから私は、どうしたら美しい舞台を演出できるのかを考えているんだよ」
確かに、あの夜以降俺にとって死は遠い存在ではなくなってしまった。まだ成人すらもしていないのにだ。のんびりした未来があったはずなのだが、もう過去の話になってしまったのだ。“人生何が起きるのかわからない”とか言っていた人がいたが、“人生いつ終るかわからない”ということでもあるのだろう。
「フフッ、そんな悩んだ顔をしなさんな」
「いや、今のはあんたのせいなんだけど…」
「フフッ、怖い顔をしないしない。そう言う時こそ笑顔だよ笑顔」
うーむ、こちらの言葉は通じないのだろうか・・・。とか悩んでいたら医務室の扉が外側に開いた。そうやら朱鳥の治療が終わったようだ。
「あら、弍昃じゃない。こんなところで何やっているの?」
「おや弎塑稀じゃないか。どうして君がこんなところに?」
「ここは医務室でしょ。私の領域だよ。そしてまずは人の質問に答えてから、質問をするべきじゃないの?」
「フフッほらほら、怖い顔になっているよ。女性は笑わないとシワが増えちゃうよ」
「あんたに私の肌の心配をされる筋合いはないよ」
「そうかいそうかい」
やれやれと手を上げ顔を振る。
「実はだね、この翔也君とお話をしていたのだよ。楽しかったよ、とても素晴らしかった」
満足そうな表情を浮かべている。こっちは堪ったものではなかったのだが。
「大方あんたが一人で喋っていただけでしょうに。ごめんね翔也くん、迷惑掛けちゃって」
「いえ、大丈夫です。それで朱鳥の方は?」
「お嬢様なら問題はないよ、ちゃんと治療は施しておいたから。致命傷だったみたいだけどこれ以上は酷くなることはないよ。時間はかかると思うけど。命に別条はないから安心しな」
良かった。どうやら命は助かったようだ。
「最も的確な治療方法がね…」
「え、何ですか?」
「ん?何でもない気にしないで。」
何事もないような表情だった。もっとも何か含んでいるような物言いだったが。
「良かったじゃないか翔也君。ほら笑顔笑顔、ニーッ。」
「ニーッ…」
取り敢えず笑ってみる。
あーもう、何でこんな時にこんなことをしているのだろうか。
「ダメダメ、まだ足りないよ」
再び無理矢理口に人差し指を突っ込まれていた。
「ちょ、やへれくらはい…」
「そうかそうか、嬉しいのか」
いやちっとも嬉しくないのだが…。指を突っ込まれているので上手く話せず、自分の意思を正確に伝えることができない。
「ほら、弍昃そろそろ止めなさい」
そういうと弎塑稀さんは俺を弍昃さんから無理矢理解放してくれた。
「あ、ありがとうございます」
このまま突っ込まれていたら逆に、これから笑うことが苦手になりそうだった。笑顔を強制されるのがこんなに恐ろしい事だったとは。
「フフッ、相変わらず弎塑稀は強引だね。笑顔は大切なんだよ。病は気からとも言うじゃないか」
強引なのはあなたです。
「残念ながら翔也くんは外傷なの。外傷は気だけじゃ治らないわよ。ほれ、私も仕事するからあんたも仕事に戻りな」
「フフッ、了解。んじゃ翔也君また後で会おう」
そう言うなり消えた。その場にいたはずなのに消えた。視界から消えたのだ。椅子の上から消えた。
思わず驚いてしまった。さっきはいきなり表れて、今度はいきなり消えたのだ。幽霊なのだろうか?まさに神出鬼没だ。
「言っておくけど弍昃はお化けじゃないからね?あいつ、気配を消すのが十八番なのよ。しかも、ただ消えるんじゃなくて見せる人の視界に錯覚を生じさせる。すると脳が消えたと認識してしまう。そんな稀有な能力を持っているから、護衛として働いているの」
どうやら弍昃さんはただの護衛ではないようだ。確かに神眼を持つ武神家に仕える者として、そこら辺にいそうな只の強い人間では護衛が務まることはないのだろう。
「さて治療するわよ。右腕出して」
袖を捲って右腕を差し出す。見るとワイヤーで縛られた跡がクッキリと残っていた。服の上からだったはずなのにここまで跡がついているとは。かなりの強さで縛られていたのだろう。
「成る程ね。意外と軽傷でちょっと驚いちゃったよ。あるいは既に回復しているのかな?んじゃ軽く薬塗って包帯巻いておくね。この分なら傷跡は残らないと思うよ」
そう言って薬を塗った後に丁寧に包帯を巻いてくれた。どうやら卩三兄妹の中で一番まともなのは弎塑稀さんしかいないかもしれない。
「弎塑稀さん質問を良いですか?」
「どうぞ。答えられるものだけ答えましょう」
「あ、はい。ありがとうございます。では何で皆さんお互いを呼び捨てなんですか?」
一番年上の弌人さんならまだしも、弍昃さんと弎塑稀さんは年の差のある兄妹なのだから呼び捨てにするのは不思議だ。
「あのね、私たち卩三兄妹は三人そろって一つなのよ。因みに年の差はそれぞれ年後だから、私と弌人の差は二年しかないのよ。そして私たちはお互いの存在が不可欠。誰が欠けてもならない。三人で一つ。三人で武神家の付き人としてその役割を全うできるのよ」
三人で一つ。一人として欠ける事は許されない。きっと深い絆で結ばれているのだろう。でなければ武神家への付き人として完璧に仕事を行う事ができないのだろう。
「よし、治療は終了。これかさ赭攣さまに会いに行くんだっけ?」
そうだった。弍昃さんのせいですっかり忘れていた。取り敢えず何を聞くか考えておかなければ。朱鳥のお父さんとは直で話すのは初めてだ。顔と顔を合わせたことが数回しかないだけで、会話を交わしたことはないのだ。
「ありがとうございました」
「気にしなくても良いよ。また何かあったら此処にきなさい。どんな傷でも治療してあげるから」
その時医務室のドアが短いノックの後開いた。そこには弌人さんがいた。
「ちょうど良い時間だったみたいだな。では案内しよう。来なさい」
そう言うと背を向けて歩き出した。俺は弎塑稀さんに一礼した後、その後を追った。
「全く、ただでさえ赭攣さまは忙しいというのに。手短にすませて下さい」
そう言って、長くて、入り組んでいて、視界の悪い、迷路のような廊下を歩いて行く。暫くすると八枚も襖のある部屋にたどりついた。
「この中に赭攣さまがいらっしゃいます。お入りください」
そう言って中央の襖を開ける。そこには、一人の男がいた。目は細く肩幅がしっかりしており見た目からして強そうだ。しかも只ならぬ気配を纏っていた。俺のような戦闘において素人な人間にもわかるほどだ。
その人物こそ朱鳥の父でもあり、神の名を統べる家系の頭首である武神赭攣である。
この一連の出来ごと、特に赭攣さんとの出会いによって俺の人生は決定的に決まった。これを境に俺は二度と十二日前の俺に戻ることは出来なくなった。
良い意味でも悪い意味でもだ。