1-4 四月中旬(改稿完了)
眼の前に広がる無の世界。その色は黒。今にも吸い込まれそうになる。
「ここは、どこだ?」
地に足がついていない、浮遊している感覚。自分の体をコントロールすることができない。にも関わらず、体が勝手に深い深い暗闇の中へと吸い込まれていく。それが近づけば近づくほど、身の毛のよだつ不気味な感覚が増す。
〝その闇に吸い込まれてはいけない〟ということを本能的に理解する。
「何で、動かないんだ…」
クソッと悪態をつく。そもそも何故俺はこんなところに居るのだろうか。
必死に体を動かそうと意思を働かせるが全く動かない。まるで他人の体のようだ。
あがこうとしているうちにその闇が目前まで迫ってくる。
「もうすぐ俺は死ぬのか」
根拠もなしに自分が死ぬということを理解する。予想する目の前の光景が死の世界と言うやつなのかもしれない。しかしそこには世界と呼べるような空間があるのだろうか。
そこには〝無〟しかない。もしそこへ入ってしまったら帰ってこれないだろう。抵抗するすべがないから、もう大人しく其処へ入っていくしかない。
その時だった、突然眼球に激痛が走った。
「ぐああああああああああああああ!!!」
あまりの激痛の酷さに悲鳴を上げる。何かに押しつぶされ破裂しそうな痛さだ。眼を抑えようとするが体が動かない。それに構わず激痛は酷くなっていく。
それだけれはない。眼の前に沢山の文字が広がり始めたのだ。体にも沢山の文字がまとわりつき這いまわる。
視界が読むことのできない文字によって満たされていく。一つ一つの文字は意思を持っているように動いてる。それは次第に空間全体に広がっていく。
まるで自分と、その向こうにある世界を隔てようとしているかのように。
気付くとそこへ吸い込まれることはなくなっていた。逆に遠ざかっていくのを感じる。体の自由がきくようになっていく。
目覚めた時に自分はこの世界の事を覚えているのだろうか…--
ふとそんな疑問が浮かぶ。
背後から淡い光を感じる。気付けば体中が文字と光りに満たされていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
心臓の心拍数を数える機械の音が小さく響く。それは監視している人が生きていることを示す。
意識が少しずつ体を満たして行く。目を開けると窓から日がさしていた。
左手に誰かが触れている間隔を感じる。その手は強く握られていた。握っている人物の髪は黒く長い。
「朱鳥…」
小さい声で呟くとその人物は顔を上げた。その目の下黒ずんている。殆ど寝ていないようだ。
「翔也!!!」
いきなり抱きつかれる。
「どんだけ心配させるのよ」
くぐもった声でそう呟く。
「ごめん…」
何となく謝った方が良い気がした。どうやら相当心配をかけてしまったらしい。段々と自分の身におきていたことを思い出す。
ナイフを操る謎の人物。
月の光の中で倒れた女性。
「そうだ、あの人は助かったのか!?」
唐突に大きな声をだす。
柱に縛られた女性。ナイフが刺さり空を待った血。というか生きているのだろうか。
「あの人…?あ、翔也と一緒に運ばれた女の人の事かな。何とか一命はとりとめたみたいよ。ただかなり重症で意識を回復する見込みがないんだって…」
「そっか…命は助かったのか。良かった」
自分のしたことが間違いではないことを知って安堵する。
「翔也も意識が回復するかわからなくて凄い心配だったんだよ。だってもう三日もたつし…」
若干涙ぐみながら言う。
「三日も!?」
自分が三日も寝続けたことが信じられない。三日と言えば72時間だ。きっと人生の中で最高記録だろう。これからもその記録は打ち破られることはないかもしれない。
ということは今日は十二日なのか。
「そういえば母さんとかは」
「今、私の昼ご飯を買いに言ってくれている所。そうだ!早く知らせなきゃ!!」
そう言いながら立ちあがり、駆け足で病室を出て行った。
その後二日で退院することができた。医者も異常な回復の速さに驚いていたらしい。更にあんな大けがをしたのにその傷跡は残っていないのだ。不気味なくらいに。
退院する前日に、気になったのであの女性のお見舞いに向かった。医者からの話によれば一命を取り留めることは出来たので、後は意識を回復するのを待つだけだそうだ。
面会が禁じられていたので会うことはできなかったが、その話が聞けただけでも満足だった。
久しぶりに自宅へ帰る。まだ退院したばかりなので二週間は学校を休むようにという医者からの御達しがでた。よってこの二週間は暇をもてあそぶ事ができる。あれだけ痛い思いをしたのだからこれくらいは当然だろう。
…と思っていた。
「翔也、警察の方がお話を聞きたいそうよ。あと啓祐くんも聞きたいんだって」
母親から言われた用事。
というわけで事情聴取が始まるのであった。結果的に四日間も時間がつぶれてしまうことに。警察も初めての目撃者ということで色々と聞いてきた。同じ質問を何回も聞かれたりしてぐったりする様な四日間だった。
そして今日は啓祐兄さんと会う日だ。正直かなりウンザリしている。似たような質問をされることは目に見えているからだ。
夕方ごろになりインターホンの音が鳴った。啓祐兄さんが俺を迎えに来たのだろう。階段を下りて玄関に向かい扉を開ける。
「やあ。翔也、色々大変だったみたいだな」
「はい、色々と大変でした」
うんうんと頷く兄さん。
「家でも話すのもなんだし、ちょっと駅前の店にでも入らないかい?」
「あー、はい」
駅前には商店があり、ここからもそんなに遠くはない。徒歩5分ほどで到着する。
商店街へ到着すると夕方とあって商店街には沢山の人が溢れていた。
「しっかし全然変わらないなこの景色は。いや、技術もほとんど進歩してないな…」
「やっぱり二千十三年の事件が原因何ですかね?」
「お偉い学者さんにもわからないことが俺にもわかるわけないだろう?」
二千十三年五月二十日。太平洋中心で謎の大爆発が起きた。最初はどこかの国が行った水爆実験であると取り沙汰されたが、それはただの爆発ではなかった。爆発の起きた部分の空間が消えたのだ。そのままポッカリと穴が開いたように。結果、海流変動が発生し季節が変わってしまった。そんな大規模な気候変動が起きれば世界情勢も大きく変化する。後進国による飢餓の発生により政権が不安定な国々が続出した。そんな中、第三次世界大戦を回避することができたのは国連の起こした奇跡と言えよう。
しかし人類にとって一番深刻だったのは、科学技術の停滞だった。あの爆発事件以来科学技術の進歩が全くと言って良いほどなかったのだ。そのため、二千十三年から世界は止まってしまっていると言っても過言ではない。
「あの爆発事件が起きた時のことはよく覚えているよ…。日常が崩壊していくさまが眼の前で繰り広げられ、俺も巻き込まれたからな。実際雑誌記者になったのも、あの事件の事実を知りたかったりするからなんだ」
どこか遠くの過去を見るような眼をする。
「さてさて、これから暗い話をするっていうのに今からこんなんでどうするんだか。この話は終わり。んじゃあそこの店にでも入るか」
そう言いながら赤い看板のファーストフード店へと入っていった。
店の中は表と同じように沢山の人々で賑わっている。見慣れた制服を着ている高校生も何人か固まって座っていた。
カウンターへ行きいくつか注文する。適当な座席を見つけて二人で座った。
啓祐兄さんはタバコに火を付けながら準備をし始める。
「さて、そろそろ始めようか」
「はい」
先程買った炭酸系のジュースを飲みながら話を聞く。
「まず、犯人の顔をみたかい?」
メモを片手に言う。
「いえ、フードを被っていたため全く見えませんでした。体格も小柄と言う事だけで男か女かも全くわからずで…」
「成る程。犯人像につながるものは特に見ていないのか」
「はい」
「凶器はやっぱりナイフだった?」
「はい。でもただのナイフではありませんでした」
「と、言うと?」
表情を買えずに此方の顔をジッと見続ける。
「ナイフにワイヤーみたいなものを付けていました。後、聞いたことも無いような言葉を呟いてました」
「ふむ、その言葉は覚えてる?」
「えーと、よく覚えてないです。英語とも違うようでしたし…。でも英語にはなんとなく似ていたような気がします」
頷きながらメモをとっている。
ある程度書き終わると、少し考え込むようにボールペンを額にあてる。啓祐兄さんの考えている時に出る癖である。暫くして口を開く。
「そいつは日本語も喋ってなかった?」
「そういえば喋っていたような」
「日本語も喋れるのか。つまり日本人である可能性もあるのか」
更に深く考えむ。
「他に気になった点はなかったかな?」
「他には…やっぱりナイフが体の中に消えていったことですかね」
「ナイフが体の中に?それは刺さったということかい?」
「いえ、体の中にこう消えていくような感じでした」
「科学技術の力でもないとなると…神眼所持者の可能性があるのか」
この事は警察にも話したがあまり信じてはくれなかった。記憶が混濁していると俺を疑っているようだ。しかし警察も神眼所持者という異能力者の存在を知っているはず。なのに何故取り合ってくれなかったのだろうか。
「あんな能力もあるんですか」
「厳密にいうと少し違うんだが、それに準ずるものと覚えておいてくれ」
うんうんと頷く兄さん。伊達に雑誌記者をやっているわけではないようだ。俺は神眼の能力を持っている人物は朱鳥しか知らない。他にもいくか能力があるとはあまり知らなかった。
「あのー、神眼の能力ってどれくらいあるんですか?」
「俺が知っているのは、物や現象を言葉によってあやつる言霊とか朱鳥ちゃんのような炎、雷とかもあったな。そう考えるともしかしたらあの犯人の能力は言霊かもね。だとしたら厄介だ」
深いため息をついて煙草の灰を落とす。
「どうして厄介なんですか?」
「言霊という能力はね洗脳することもできるんだよ。記憶を思い出せなくしたりもできる。だから追いついて見つけても、思い出すなと言われたら思い出せなくなってしまう」
「それは確かに厄介ですね」
ストローを吸い込むが口の中に飲み物が入ってこない。いつの間にか飲み物が空っぽになっていた。
「ちょっと水貰ってきます」
おう、とタバコを右手であげながら煙を吐く。
兄さんとの会話は警察との会話と違って様々な情報が手に入るので退屈はしない。
一歩で俺からこれ以上はもう話せることがない。あの事件については思い出せる限り思い出して話したからだ。ただ一番重要だった何かを思い出すことができない。その違和感だけが頭の中に残る。気持ちが悪い。
言霊の能力で思い出せなくなったのかな…--
カウンターに到着すると先ほどよりも沢山の人で溢れかえっていた。
その中に緑髪で顔が良く似た二人を見つける。葉平と葉也だ。制服を着ている所を鑑みると帰宅途中らしい。
「葉平、葉也久しぶり」
右手を上げながら声をかけた。俺の声に気づいて似たような二つの顔が此方を向く。この双子は本当に瓜二つであるが、葉也は眼鏡をかけているので見分けは簡単だったりする。
「翔也じゃないか。あの事件に巻き込まれたようだけどけがはもう大丈夫なのか?」
心配そうに尋ねてくる葉平。
「あまり無理はよくないぞ。けがの治りが悪くなるからな」
眼鏡の位置を治しながら葉也も言う。
「もう大丈夫、そこまで酷くはないよ。ただ医者に止められているから、学校を休んでいるんだ。春休み延長みたいに考えているよ」
「おい、まて。医者から休むように言われているのに何故外出している。さっさと帰って寝ろ」
「まぁまぁ良いじゃんか葉也。んじゃ体調に気をつけろよ」
葉平が葉也を引っ張りながら店を出て行った。相変わらず仲の良い兄弟だ。
「さて、俺も水を貰ってさっさと戻るかな」
それから程なくして取材は終った。といっても夕方から夜には変わっていたが。俺から特に話せることがなかったので特に進展はない。兄さんには自宅まで送ってもらった。
「翔也、お前は間違いなく犯人に命を狙われている。だから一人で外出するんじゃないよ。命がおしければ絶対だからな」
「わかりました」
月明かりの中、啓祐兄さんからの忠告を受け取る。もっとも外出する気はさらさらない。一人で外出してはいけないというのはかなり行動を制限されるが、寝て過ごすつもりである俺には関係ないことだ。
こうして事件から八日目、二千三十年四月十七日が終了した。