2-13 空港編―其の弐―
急いで状況を把握するために、周りの様子を伺う。
モニターの部分を見てみると、「落ち着いて外へ避難してください」という赤で書かれた文字だけで、詳しい状況までは記されていなかった。では避難しなければと考えるがそれは止めておく。朱鳥を置いて此処を立ち去るのは危険と感じたからだ。
何しろ、式神家の分家がこの状況の原因だと、短剣に封じられた少年が言っているのだから。しかもら複数らしい。
『発着場の方では既に戦闘が始まってるみたいだね。神眼の力が暴発しているかと誤解するくらいの強さを感じるよ。多分あの神威じゃないかな?』
暴発と言っているのだから、恐らくはそうなのだろう。
急いで発着場の方が見える窓側へと向かい確認する。
「なんだこれ…」
そこは戦場、否地獄と化していた。いくつかの旅客機は既に原型を留めておらず、アスファルトは穴だらけ。爆撃機が通過したのでは、と錯覚するくらいの凄惨な光景になっている。窓ガラスの向こう側にも関わらず、鼻をつく焦げたにおいが既に漂っていた。
その中心には、三人の人間が立っていた。このような状況下で立っている存在を人間と呼んでいいのか非常に迷うところだが、取り敢えず人の形をした何かが三ついた。
一人は炎の中でも一層映える朱い髪の毛の女性、あれは神威だろう。レザーのスーツがところどころ焦げている。そしてその先には二つの人影、一つは人形のようにだらりと脱力した状態。そしてその背後には背筋を伸ばしいささか戦闘向きとは思えないような高いハイヒールを履き服装は何故か…メイド服、白いレースがついたものを着ていた。
顔の表情までは、炎のせいでよくは見えなかったが無表情を貫いており、神威の鬼のような表情とは正反対。子どものように感情が現れやすい神威と、大人びた雰囲気で感情を表に出さない人物。
『おいおい、もしかしてあれってあれじゃない?』
驚いたような、しかしまるで何かを楽しんでいるような声だった。このような状況で、何が楽しいのだろうか。
『式神家って本当に神眼関係については研究が進んでいたんだね。あんなことをするなんて、いやでも気のせいかもしれないし…。君あそこに行ける?』
「一体この状況を見てどうしてそんな質問が出てくるんだ。どう考えても不可能だろう。あの三人の場所にたどり着くまでに百回は死ぬ自身があるよ」
現に目の前は火の海になっており、旅客機も次々と炎に飲み込まれていくところだった。恐らく飛行機の燃料にでも引火したのだろう。みるみる内に辺り一面が炎の餌食と化していく。
『そりゃそうか。で、あのメイド服じゃないやつは色神妖偽じゃない』
驚いてもう一度人形のような人影を見る。色神妖偽はもう半ば死んだような状態になったはずなのに。それにも関わらず、依然と違った姿でそこにいた。
服装は何か鉄で拘束されているような、腕は後ろで縛られ眼は何かの器具で無理矢理に開かれている。生きた亡霊、廃人、そんなイメージが合う外見だ。見ているだけでおぞましい。少なくとも俺はその姿を長く直視できなかった。
しかし、それが誰であるかがわかった。かつて愛した人を武神家に殺され、復讐に燃え俺を殺そうとした女。
色神妖偽の成れの果て。
只の道具と成り果てた人形。
生きていながら死んでいる存在。
復讐に燃えた残りかすの亡霊がそこにいた。
「まさか、式神厭人に何かされたのか」
『恐らくはそうだろうね。どんな方法をしたのかは皆目見当つかないけど、式神家にあった研究で死にかけた存在を無理やり生きながらえさせているのかもしれない』
「でもあんな状態で使い物になるとは思えない。あの河原での戦闘、お前も恐らくは知っていると思うけどあそこで色神妖偽は正気を失っていた」
『それだよ、だからこそ人形にできたんだと思う。生きてい意識のある人間より、半分死んでて意識のない人間の方がやりやすいのは容易に想像できる。問題は僕の記憶が正しければ、色神妖偽は無理矢理神眼解放をして捕えられた。神眼解放というのはいわば命を犠牲にしても良い、リミッター解除のような役割があるんだよ。その状態で、捕えられているということは今の色神妖偽は無敵に近い状態になっている可能性がある』
神眼解放をした状態の色神妖偽。
命を犠牲にしてまでの最強の状態。
無敵に近い人形。
しかし意識がないのならば攻撃もできないはずだ。攻撃目標も的確にとらえられるとは思えない。そんな状態で果たして役に立つのだろうか。
『だからこその人形なんだよ。人形みたいに見えたというよりは人形そのもの。恐らくその後ろにいるメイド服をきたやつは人形になった色神妖偽を操ることができるんだと思うよ。でないとあんな姿であそこに立っている説明がつかない』
「式神家の研究でそんなことが可能なのか。操れるようにするなんて…」
『いや、操る力そのものは神眼の可能性がある。僕の想像では人形として優秀に使えるように改造する方法が、式神家によるものだと思うよ』
「それって実在するのか。俺はまだ聞いたことないけど」
『式神厭人は相手の精神に干渉して少しだけど行動の制御ができる。それと似た類の神眼、それこそ操作することに特化した物が存在していてもおかしくはない』
操作することに特化した神眼。
全領域のようなものが存在しているのだから、あながちあってもおかしくはないだろう。只、もしそのようなものが本当に存在するのならばとても恐ろしいことが起きるような気がする。
それこそ、沢山の人が死んでしまうような悲劇が、それが起きる〝発端〟が直ぐ目前に存在しているような。
『御明察、良い勘しているね。考えても見てよ、今のこの戦況を。あの〝神威〟との戦闘で一方的にやられているわけではないんだ。むしろ拮抗しているとみていい。察するに神威も手加減をしているわけではないはず。そこでもし神威が負けてしまったとする。そんなことがあるわけないと思うけど、万が一の可能性でなった場合ね。最悪式神側に〝神威〟を持って行かれる可能性があるんだ』
式神側へ〝神威〟がわたってしまう可能性。
それは武神側にとっては大きな失態になる。少なくとも被害なしでは済まない。あの神威に勝てるのは、頭首の赭攣さんだけど言われているのだ。つまり、神眼所持者の中でも、幾つもの分家を束ねる頭首までとはいかないがそれ程の力を持つものが敵に回るのだ。
それは戦況を大きく揺るがしかねない。それは絶対に防がなければならない。
しかし俺に何ができるだろうか。
何かできるのだろうか。
『君の今の力では正直厳しい。あまりにも相手が悪すぎるタイミングも。さっき君が自ら言ったように、くれぐれもあそこに突っ込もうとしないでくれよ。そんな無理難題に挑戦しなくていい。それと、今まで言うタイミングがないから言っていなかったけど、この短剣が壊れてしまうと僕は死んでしまう』
「え、この短剣が折れたらお前死ぬのか?」
それって結構重要なこではないか?タイミングというよりも、真っ先に告げるべき内容だろう。
『うん。封印するときに誰からも取り出されないよう、僕の命とこの短剣を結び付けたんだ。だから短剣が壊れれば僕も死ぬし、僕が死ぬとこの短剣も壊れる仕組みになっている。僕がそうするように仕組んだ』
「何でそんな面倒なことを…」
『あれ、言ったはずなんだけど見事に忘れらている?仕方ないなぁ、二回目だけど大切な事だから言ってげるよ。僕の神眼の能力はあまりにも危険すぎるんだ。だから式神家みたいな危ないやからには絶対にわたしたくない。かといって死ぬのも嫌だったからこの封印用の短剣に自分を封印した。只、世の中予定通りにいかないことの方が多い。〝失敗あっての成功〟なんていうのが常識となっている世界だからね。それは例え一度の失敗さへ許されないものにも適応される。よって、僕は最大の用心として自分の命を切り札にしているのさ。だから全力で僕を守ってね』
何て面倒くさくて、大変な仕事を任されてしまったのだろうか。かといって、この短剣を捨てることはできない。これは俺にとっての唯一の攻撃手段だ。捨てたくても捨てられない。
『そこまで重責に感じることはないよ。そもそも人間ていうのは誰かを守る時に一番強くなるんだから。そういうことを踏まえて考えてほしいね』
何かを守る時に強くなる。
その意味はわからなくもないし、俺も同意できる。ただ、注文を付けるところがないわけではない。
「別にお前じゃなくったって良いんだけど」
『酷いよ!』
ガーンと頭が割れるほどの、大声が頭の中でこだました。ぐわんぐわんと回るような痛さの頭を押さえる。
「お前俺を殺す気か!」
『そっちこそ僕を見捨てる気か!』
目の前の状況とは相いれない行動をする二人。この状況下でこのような言い合いが起きるのは、彼ら自体に戦いへの真の危機感がない証拠なのかもしれない。いや、場合によっては強者の余裕とも考えられるかもしれないが、それは当てはまらないだろう。
「あのな、俺は別にお前の事なんか…」
ふと視界に不気味な物が現れ言葉を中断する。
黒い大きな影が俺の上に迫ってきたからだ。それは空港の高い天井の上部のガラスを突き破りながら突っ込んできた。
『真横に大きく飛べ!』
その声に従い足に全力の力をこめる。
大きな塊、炎を纏った旅客機の前方半分が落下してくる前に飛んだ。
上から次々とガラスを割っていく音と、床を突き破りながら落ちていく旅客機の轟音が響く。視界は黒煙により周囲が何も見えなくなる。
目の前を落ちていくそれに眼を奪われ判断力が鈍った。
結果的に地面には足からではなく背中から無様に着地。肺から強制的に空気が出ていきむせる。物凄い激痛が背中を走り抜けた。
「ぐあ、あ」
『そんくらいの痛みは我慢するんだ。さっさと立ち上がってここから退避するよ。でないとあの戦闘に巻き込まれる!』
あの戦闘…どうやらいつの間にか戦闘を再開していたらしい。
砕けたアスファルトが空を舞い、いくつものバラバラになった旅客機が飛び、弾かれ空を飛んでいた。弾かれた旅客機は大きな爆音を上げ様々な方向へとばらまかれる。今此処に入ってきた塊はどうやらその一部らしい。
最強の神威が旅客機を投げつけ、最恐の人形使いはそれを人形で弾き飛ばす。
空間が捻じれ、旅客機は捻じれて吹き飛ぶ。その範囲も威力も、かつての色神妖偽以上の力だった。
それを見た翔也は何もできなくなる。
今まで見た来た、経験してきた戦闘とはあまりにも違う。
規模が違う。
まさに人外の兵器と兵器の戦い、戦争だった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
警報が鳴ったその時、武神家次期頭首武神朱鳥は本家にこのことを知らせようとしていた。翔也のところにもどることも少しは考えたが、五分ほど歩いたところで今すぐに戻ることは難しそうだ。
携帯電話を取り出し自分の付き人でもある、卩弌人に連絡を取る。
「…………」
しかし電話がかからない。
「一体どういうこと?」
急いで画面を確認する。
「嘘…なんで電波が圏外になっているの。この場所が圏外なわけないじゃない」
いくら瀬羅区と言えど、通信機能自体はしっかりと備え付けられているはずだ。それくらいの設備を整えなければこんな場所に軍隊や空港をおけるわけがない。
そうなると、誰かが意図的に行っていることと考えられる。そしてその誰かは式神家以外には考えられない。
では何故このようなことがおきたのか、その目的は何なのか。
考えられるものは一つしかない、武神分家三神崎家の神崎未樹の誘拐。
彼女の持つ力は未来視だ。その能力が武神家から奪われてしまえば、不利になることが目に見えている。ただ、彼女が式神家の言う事を素直に聞くとは思えないので、不利になるというよりは戦いが無駄に長引きこちらの被害が大きくなってしまうというのが、正しいかもしれない。
しかし、それにしてはタイミングがおかしい。
神崎未樹はまだこの空港に表れていないのだ。それにも関わらずこのような異常事態が起きている。
ということは他に何か目的があるのだろうか。まさか翔也が狙いなのか…。翔也は神眼についてはまだまだ慣れていない節がある。もし戦闘になってしまった場合、負けてしまう可能性が十分に有り得る。それで式神厭人に誘拐でもされたら最悪だ。
兎に角情報を集めないといけない。現状の空港の被害、どれだけの敵がいるのかも把握しなければ。戦況を理解することが一番大切だ。それを基に自分がどのように動くべきか判断する必要がある。
翔也はまだ大丈夫だろうか。
急いで翔也の元へ向かわなければ。
「その心配はないと思うわよ、朱鳥ちゃん。翔也くんだっけか、彼ならこの戦いで負けることも死ぬこともないはずよ」
その声の主の方を向く。昔聞いたことのある懐かしい声であり、今回の重要人物と思われる声だったからだ。
「な、なんで此処にいるの!?」
おかしい、約束の時間までにはあと一時間はあるし、まして飛行機でくるはずだったのだからこんな速く此処に居られるわけはない。飛行機は時間に正確なのだ。
しかし、そこにいたのは神崎未樹本人だった。白いワンピースを着て何故か手には何も持っていない。昔と変わらず凛とした表情で立っていた。神崎未樹は私よりも年齢は幾つか年上でお姉さんと言う感じだ。彼女が鏡楼高校に通っていた時には遊んでもらったこともある。しかしその性格は、ひとくせふたくせあり接し辛く感じることもある。
「何か元気そうで変わらずといった感じで良いわね。今後ともずっとそうであると良いけど」
この状況にも関わらず、優雅に挨拶をする。
「未樹さん…でも今はそんなことを言っている場合じゃないわ。未樹さんが翔也の事を無事と言うのを聞いて安心はしたけど、それよりもさっきの質問に答えて。なんでもう空港に居るのよ」
「あら、神威から聞いてなかったかしら?昨日あの子に電話したはずなのに。ま、お馬鹿さんだから仕方ないか。実はね速く日本に到着して実家の方に顔を出してきたのよ。私の実家は東京の北の方だから、本家の方には直接向かうことはできるし待ち合わせ場所を変えようと思ったのだけれど、空港で何かが起きるという未来を視てしまってね。だから場所を変えずに此処にしたのよ」
「それじゃその未来とやらについて、私たちに事前情報として何かしらを伝えてほしかったわね。そうすればそれなりの対処をとることができたし」
そういう危険なことについては速めに教えてほしいものだ。本当に困った性格である。これはゲームではないのに。
「残念ながら詳細を伝えられるほどの細かい内容までは視えていなくてね。直近の未来なら正確な様子を視ることができるのだけれど、時間が離れていると輪郭くらいしかわからないの」
やはり未来視と言っても便利なわけではないようだ。次期頭首として分家の人たちの各能力について知っていなければならないと言われるだろうが、私にもそこまで時間があるわけではない。しかも個人によって程度まで違うのだ。こうやって少しずつ知っていくしかない。
「私が視た時点では敵の数は五人だった。そしてわたしたちが相手にするのはそのうちの二人みたいよ」
私たちが相手にするのは二人。私と神崎の二人ならば負けることはそうそうないだろう。問題は翔也だ。
「翔也くんが相対するのは一人ね。先ほども言ったけど彼なら大丈夫よ。問題は神威の方。あいつの方が心外だけれど一番危険」
神威が危険?そんなことが有り得るはずがない。彼女の強さは私も知っている。嫌でも知っているのだ。
対抗しうることができるのは、私の父である赭攣以外にはいないはず。
にもかかわらず神崎は〝一番危険〟と警告を発している。ということは、五人のうちの残り二人は式神家の中でもそれぞれ強い人物なのだろうか。
「因みに神威の未来は視えるの」
「残念ながら神威については、勝ちか負けかの未来を視ることができない。恐らく、それほど拮抗した勝負になるのだろうしささいなことで勝敗が変わるほどの不安定で、恐ろしい戦いになるのかも。私の視る未来なんていうのはあくまで一つの可能性にしか過ぎない。だから変えることができるし、逆にその未来を待つこともできる。結局は取捨選択が重要になる。その取捨選択に失敗したせいで欧州での作戦は上手くいかなかったけどね…」
神崎は今まで欧州で眼狩りの対策にあたっていたのだ。しかし作戦は上手くいかず満足な結果もなし。そこで日本で起きている対式神戦の早期決着のために呼び戻されたのだ。
未来視という神眼は扱いの難しいものらしい。
「で、私たちはどこで敵と遭遇することになっているの」
「もう少しで三メートル先の床を突き破ってくるよ」
三メートル先の床。
あらかじめ敵の行動が読めるというのは何と楽なのだろう。彼女がいるだけで今後の戦いが楽になりそうだ。
ならばこちらも戦闘の準備をする必要がある。
『我が獄炎よ、我が指示に従い使命を果たせ』
刀を取り出し炎を纏わせる。
「相変わらず威力の高そうな炎だこと」
赤々と燃え上がる炎を見て感心する。武神家一族の中でも随一と言われる炎。
その威力の身に限定すれば現頭首の赭攣をもしのぐと言われている。
とは言っても、コントロールだけはいまだに上手くできず本人の悩みどころだ。
「ところで未樹さんはどれくらい戦えるの?」
神眼の未来視というのは非戦闘用のスキルだ。私のような攻撃として使える性質はない。
「大丈夫。これでも私、徒手空拳には自身があるの」
そう言っていきなりワンピースの裾を思いっきり腰のあたりまで引き裂いた。その思い切った行動に思わず唖然となる。
「これで動きやすくなったかな」
そう言いながら拳を作り構えの姿勢を取る。それを見る限りしっかりと型を覚えてはいるようだ。
「ほら、なにボーっと見ているの。朱鳥ちゃんも構えなさい」
慌てて出てくるであろう床の方を向き刀を構え備える。彼女の戦う様子を見るのは初めてだ。私が生まれてから鏡楼市でこのような戦闘なんてなかったのだから当然である。
「来るわよ!」
彼女のそう叫ぶ声と同時に、床に半径二メートル程の穴が空いた。そこから狐のお面を被り、浴衣を着た二人の子どもがでてきた。一人は禍々しい刃を持つ剣を、もう一人は武器を持っていなかった。
「お前たちが」
「武神家の」
「やつらか」
二人が交互に話す。その声はお面のせいでくぐもって聞こえるが、はっきりと殺意を感じる。
狐のお面となると、神成梓を瀕死においやったのはこの二人なのだろう。話には聞いたことがある。そうなれば私たちの高校を破壊した原因の半分も彼らだ。
子供だからと言って油断はできない。
「式神家分家一、織神易絲易」
「式神家分家二、識神井言井」
「いざ」
「参る」