2-12 空港編―其の弌―
結局その後俺は寝ることができず朝食をとり、空港へと向かうことになった。あくびをした数は二十回を超えたところで、数えるのをやめた。あの夢なのかよくわからない場所へ無理矢理に呼び出され睡眠妨害の詐欺を受け、心底参っている。しかしその分何かしらの力を手に入れられたようで得にはなっているようだが納得いかない。
どうせなら真昼間に済ませてほしいものだ。わざわざ夜にもやることはないだろう。
そして現在俺は車に乗っている。どの車よりも目立つ真っ赤なスポーツカーだ。場所は後部座席。隣には朱鳥が座り運転は…何故か朱く髪の毛の長い神威の人がしていた。今日も相変わらず肌にピッタリとくっつくような朱いスーツを着ている。しかしいつもと違って今日は生地がレザーだった。
レザーでできたスーツ何て存在するんだなぁ。それとも特注なのだろうか。
「あの人に運転させて大丈夫なのか?」
「しょうがないでしょ、運転できるのがあの人だけなんだから」
小声で俺たちは身の心配をしていた。今までのこの人の性格を知っていれば当然である。とにかくこの人は適当で乱暴なのだ。適当というのも、適切の意味方であれば救いようがあるのだが残念ながらそちらではない方の意味だ。
しかも今日はとてつもなくイライラしている。それはこれから迎えに行く人に原因があるのだが、それに巻き込まれる俺たちはたまったものではない。
「ああ?何か私に文句あるのか?」
運転中にも関わらずこちらに顔を向ける。
「ちょっと、前見なさいよ前!しかも、法定速度絶対にまもってないでしょ!」
朱鳥がスピードメーターを見て指摘する。なんとスピードメーターは二百kmをさしていた…。
「私は法律なんぞには縛られないよ。そもそも事故起こしても死なないから大丈夫だろう」
全くもって大丈夫ではない。確かに俺は半ば不死身だし、朱鳥も強力な神眼所持者だから事故が起きても超人のような身のこなしで命を守ることはできるだろう。しかし俺の場合痛み自体は和らげることはできない故、生き地獄を味わうことになるのだ。
コンクリートに荒削りされたり、鉄に挟まれるような経験は死んでもしたくない。
「とにかく、さっさとスピード落としなさい!警察に見つかったらどうするの!」
「警察?そんなものは殺せばいい。私の邪魔をするやつは誰でも殺す」
「殺していいわけないでしょ!」
珍しい、朱鳥がこんなにも慌てている。慌てるのも当然なのだが。
しかし、神威は一向に朱鳥の言う事を聞く気はないようだ。一様、朱鳥は武神家頭首の娘なわけで言い換えれば神威の上司の娘なわけだけど、その意向を一切無視している。
やはり神威家は武神家分家一ともあって、頭首の娘の影響何ぞはあまり意味がないのだろうか。
現在俺たちは、日本に帰ってきた神崎未樹という未来視の能力を持つ神眼所持者を迎えに行っているところだ。待ち合わせ場所は空港。
かつて東京には一つ空港があったが、十数年前の津波の時に水没してしまった。代わりに現在はそこから少し内陸にはいったところ、今では瀬羅区と呼ばれるところにある。
一方の鏡楼市は東京の中でもかなり内陸の方にあるので、行くにはそれ相応の時間がかかる。よってお昼に到着するためには少なくとも三時間前には出発する必要があった。
かつては高速道路と呼ばれるものがあったらしいが、それは都心が内陸に移ったことと、沿岸部にあった高速道路が全て壊滅してしまったため現在は全て修復中と再編成という名目で工事中だ。だから鏡楼市には今、不格好なコンクリートの柱が何本か立っている。いくつかは既に道路も通っており、開通予定は半年後らしい。
何でもその開通イベントでは一日限定歩行者天国なんてものをやるらしいが、そんなものやる意味が果たしてあるのだろうか?車で走る道をわざわざ足で歩く意味がわからない。
どうせ歩くのなら堅いアスファルトの上でなくても良いのに。
さて、話が元にもどるがつまるところ、この車は只の指導を毎時二百kmで走り抜けているわけだ。法定速度を守って走っている車の間を縫う様に、恐らく外から見ればそのハンドル捌きに惚れ惚れとするのだろうが、中に居る人間はとてもじゃないが呆然としているしかない。中から見ていると、景色は異常な速さで駆け巡り、目の間に車が現れたと思えば、急に扉に押し付けられ気付けば横に移動しているというジェットコースター顔負けの状況が起きているのだ。勿論俺はシートベルトをしめている。
絞めていなかったら今頃窓から飛び出て地面の上を無残に転がり、車に引かれ生き地獄を味わっていたに違いない。
だが、どうして…どうして未だにサイレンのサの字も聞こえないのだろうか。これだけ暴走している車があれば、誰かしらが通報してもおかしくはないはずなのに、未だに後ろから白黒の車が追いかけてくる様子はない。これだけは知っていれば交番の一つくらい通過していてもおかしくないのだが。
もっともはやいのがこの暴走気味の運転手を止めることなのだが、それは朱鳥がさっきからやっていて散々失敗している。馬の耳に念仏、馬耳東風だ。馬の如く疾走しまくりである。
もうこれは国家警察機構の出番を待つしかないのだろうか。
その時だった、エンジン音の鳴り響く車内に重低音の音を放つオーケストラの曲がなった。
その音源はあろうことか、神威のポケットの中のようで、しかも携帯電話のようで、片手で毎時二百kmの車を操りつつ、携帯を取り出し通話を始めた。
これ、法律上どれくらいの罰に当たるのだろうか…。
ぐん、といきなり体が体重に押し付けられる。スピードがまた上がったようだ。
慌てて神威の方を見ていると、表情が鬼のように怒っていた。どうやら通話相手に対してかなり御立腹のようだ。
「今てめぇを迎えに行ってるんだ!黙ってそこで突っ立ていろ」
どうやら相手は今から迎えにいく神崎未樹のようだ。開口一番から喚きたてそのまま携帯乱暴に助手席に放った。
因みにスピードメーターは振り切れていた。
「朱鳥、俺らどうしたらいいんだ」
「それは私も教えてほしいわね。ま、私たちは死ぬことはないから取り敢えず、他の一般車両との衝突だけはやめてほしいわね。私たちが助かっても相手方は絶対に助からないわよ。時速二百五十km超えの鉄の塊なんて凶器以外の何物でもないし」
今のところは他の車両とかすりもしてはいない。が、それが今後とも補償されているわけではない。ほんの些細なミスが相手の命取りになりかねないのだ。
しかし、その心配は周囲の景色が突然開けたことによって少なくなった。なんと、目処の外には海が広がっていたのだ。ところどころ倒壊しかけたビルやかつての鉄道の高架線が、突き出ている。どうやら瀬羅区にもう入ったようだ。
此処は空港しかない区で後は軍事施設が複数立っているだけ。軍事用車両を通すためだろう、道路は四車線となっておりいる。しかし、車の数はとても少ない。
したがって法定速度をぶっちぎりで破って走っていても、他人に迷惑をかけることはなさそうだ。
あとはこのまま車が事故を起こすことなく空港に到着すればよい。
そして何と何事もなく空港についてしまった。いや、着いてしまったという表現は何か違うような気がするが、本当に何事もなく到着してしまったのだ。
背の高いフェンスの向こう側には図体の大きい白い飛行機が何機もあり、真上をその一つが飛び立っていくところだった。待ち合わせ場所となる空港は離着陸する場所を迂回して入っていくようだ。
俺はこの場所に来るのは初めてになる。したがって飛行機と言うものをこんなに間近で見るのも初めてだった。あんな大きな鉄の塊が、この車よりも速く飛び空中へ浮かぶというのは何とも不思議だ。
「何とか到着できたわね…」
駐車場に到着し、車から無事降りた朱鳥は開口一番にそんなことを言った。
「まさか何事もなく到着するとは思わなかったよ。あれだけのスピードを出してよく捕まらなかったよな。日本の警察仕事しなさすぎだろう」
市民の命を守ることが警察の仕事とするのならば、ついさっきまでの状況はその仕事をしなければならない時間だった。職務怠慢である。
「あの状況じゃ下手に動かないのが正解かもしれないわよ。だって時速二百五十kmのスポーツカーとカーチェイスやったら大変なことになるのが目に見えてるし。寧ろ追いかけることよりも、他の車両を止めることが一番大切になるわ。その証拠に、瀬羅区に入る前から道路を走っていたのは、この車だけだったのよ」
そうだったのか。全然気づかなかった。いくら神眼所持者で元から視力が良いとはいえ、他に神経を使っていたらまともに外の景色を見ることなど不可能だ。
となるとまがいなりも仕事はされていたらしい。
「ほら、着いたぞ。予定よりも二時間速く到着したようだから、私は別行動をすることにするよ。それで良いだろう、お嬢様」
「それは良いけど、それよりも法定速度くらい守ったらどうなの。これじゃ帰りに待ち伏せされている可能性が高いわよ」
そうか、帰りもまたあの車に乗らなければならないのか。となると警察が検問を張っている可能性が高いな。朱鳥の口ぶりからするに、警察は既に動いているようだから、帰りは本物のカーチェイスやバリケード破りを経験することになりそうだ…。
「あのさ、帰りって車以外の方法で帰れないのか」
「無理よ、此処は車でしか来ることができないの。電車はまだとおってないわ」
何たる不幸、地獄の馬車に乗るしか方法はなさそうだ。
「帰りは楽しめそうだな。楽しみだ楽しみだ」
俺たちとは反面、神威はとても楽しんでいるようだった。つき合わされる俺たちの事は、気にする由もない。
随分とお気楽なものだ。
しかしこれでも、武神家分家の中で一番強く頭首である赭攣さんの命令しか聞かない強者。それでいて性格は子供じみているときている。
子どもが鬼の金棒を振り回しているようなものだ。
外見は大人びた女性と言う感じで、口さえ開かなければ綺麗だとは思う。あとは暴れなければ。
外見の通りの中身だと想像すると痛い目を見るのは必須だ。裏表の所の騒ぎではない。
「それじゃ二時間後集合な」
「くれぐれも騒ぎだけは起こさないでよ」
「さーな」
ぶっきらぼうにそれだけ言うと、駐車場の出口へと向かって出てってしまった。
相変わらずマイペースだ。
「勝手に空港の中歩き回らせて大丈夫なのか?」
どう考えても俺たちがそばにいないと、何かしら事件を起こしそうな気がする。
「それは私たちがいても一緒よ。寧ろ止めに入るなら、神眼必須になるから余計に騒ぎが大きくなるだけ。消去法な考え方であんまりいただけないけど、仕方ないのよ」
「昔からあんな破天荒な性格なのか」
「少なくとも私が物心すいた時からあのままよ。数年前は違う神威が交代で本家に居たから随分と静かな物だったけれどね」
武神家分家の人たちは、数か月から数年周期で入れ替わることになっている。あの朱い神威の人はつい最近来たばかりなのだろう。
「そう言えばさ、あの人下の名前はないのか?今後のことを考えると、知っておいた方がいい気がするんだけど」
「あるのかしらねぇ…」
「え、朱鳥も知らないのか?」
流石に頭首の娘である朱鳥は知っていてもおかしくないはずなのだが、実際そうではないようだ。世の中なわからないものである。
「お父さんは知っているとは思うわよ。でもあの人と話すことは殆ど今までなかったし、そもそもあの人は表に出ることすら少ないの。今回の例を見ればわかるけど、あの人は無闇に外へ出してはいけない」
確かにあの神威は外へ出すことは、危険極まりないだろう。しかし逆を返せば、今回の任務はそれほど重要といえるのかもしれない。
「ま、神威家の人ってみんなあれくらいの強さを持っているから、そんな中にいると自然と常識ってものが狂うみたいなのよね。だから一つ一つの思考と行動が、普通の常識より数段とびぬけているの。そう考えると今はあれくらいでとどまっているのは幸運ともいえるかもしれないわよ」
「あれで幸運って、そりゃないだろうよ」
一般道を時速二百五十km以上で走り抜けるやつだぞ?
それを幸運なんて言ったら、幸運に失礼だ。不幸も嘆くに違いない。
「現に、あの人の前の神威は扉という扉を破壊しながら歩いていたわよ。壁も民家もぶち壊して突き進もうとしたり。ま、性格があの人みたいに子供っぽくないから接しやすかったけど」
まるで人間戦車のようだ。その人こそ、外に出してはいけないような気がする。聞き分けがいいとはいえ、流石にそれは迷惑だ。
「ただ、そうは言ってもあの朱い神威は下手すると一つ街を消し飛ばしかねないのよね。本気で怒ったらお父さんしか手が付けられないと思うわよ。。ドアとか壁は簡単に修理できるけれど、街一つとなればそれはもう復興作業のレベルになるし」
「それじゃ結局はプラスマイナスゼロになるじゃんか。両方とも外を歩かせるのはまずいだろう」
通常で障害物でないものを平気で破壊してしまうのと、激怒すると街一つ破壊しかねないのはあまり差がないような気がする。
「で、その人間兵器が今回こんな場所にまで来ているけど、大丈夫なのか?」
「逆よ、こんな場所だからこそよ。この瀬羅区は空港と軍事施設しかない。そのくせ鏡楼市よりも二倍位広いから、此処ならば万が一暴れたとしても鏡楼市よりは大分増し。それに今は絶対領域の神眼所持者も現れているし、あの神威を此処に置いておくのは賢明な判断よ」
確かに此処は外を見る限りアスファルトの平地か、海しか見当たらない。人の数も空港に集中しており、軍事施設の方向にはヘリコプターや本物の戦車がずらっと並んでいるだけだ。
此処で大暴れしても平地に穴をあける程度で済むのかもしれない。
ただ、ひょっとするとあの軍事施設に突っ込んでしまった場合は、それこそ小さな戦争が起きるのではないだろうか。鋼鉄の戦車と神威の戦い…。
考えるだけでも恐ろしい。どちらが勝つと言えば恐らく神威の方なのだろうけど(そもそも一人で街を廃墟にできるとするのならば、戦車とか兵器はあまり意味を成さないのかもしれない。戦争どころか、神威が蹂躙するだけかもしれない)それはできるだけ、本当にできるだけ巻き込まれたくない。
俺は死なないとは言え、痛みは感じるのだ。
「それじゃ私たちは先に、待ち合わせしている場所に行きましょ。歩いても特になにもない場所だし」
「取り敢えず俺は寝れれば文句ないよ。行こう」
そう、まずはこの眠気をなんとかしたい。乱暴な運転だったため車の中ではとてもじゃないが寝れたものではなかったのだ。同時に気付けば眠気も吹き飛んでいたようだが、無事に車か降りれた今は再び眠気が襲ってきた。
俺たちは駐車場から空港の中へ入り、待ち合わせ場所に向かった。空港の中は平日とは言えとても閑散としていた。今が四月下旬と考えても異常な少なさだ。
それこそ嵐の前の静けさと言った感じである。
「何か異常に人の数が少なくないか」
「そうね、でも全くいないわけではないし心配し過ぎじゃない」
確かに全く人がいないわけではない。大きな荷物を持つ人がせっせと受付で、手続きを済ましたり清掃員の人は大きなかごを持ち、ゴミを回収している。
だとしても、ニュースで見るのとは大きな違いが在り過ぎだ。
「ちょっと待って、それってゴールデンエイークとかのラッシュのこと?」
「ニュースで見るんだから、大体その時期だろう」
「言っておくけど、あれって異常な程の人の多さだからニュースになるのよ。ニュースっていうのは良かれ悪かれ非日常を伝える役目なんだから、それとこの日常の風景を比較するのは意味がないわよ」
そうだったのか、だか異常に人が少ないというよりはこれが普通でニュースで流れているあれは、以上だったのか。結構勘違いってあるものなんだな。
物足りなさのある広い空港を十分ほど歩いたところで朱鳥は立ち止まった。
どうやらこの場所が待ち合わせの場所らしい。
「大分時間があるわね。寝るんだったら適当にそこら辺の椅子で寝てれば?」
「ああ、そうするよ」
「私はちょっと飲み物買ってくるわね」
恐らく飛行機待つためのものなのだろう、プラスチィックでできた椅子が目の前にずらりと並んでいた。その一番前の右端に座り、目を閉じて眠る。
やっと寝れる。昨日は変なやつのせいで全然寝れんかったからな--
『その変なやつがまた登場~』
眠りに入ろうとした頭に、またあの少年の声が響いた。思わず深いため息をつく。そして聞かなかったように無視する。
睡眠妨害は違法行為として取り締まれないのだろうか。
『さー、僕は法律関係にはうといからね。それに短剣の中にずっといるわけだし、今と昔では外の世界は変わっているかもだし』
そうだった、頭で考えたことはこいつにダイレクトに通じてしまうのか。プライバシー侵害も加わった。
「あのさ、俺は一日二十四時間寝てないと死ぬんだよ」
『それはもう、死んでいるも同然なんじゃないか』
「比喩表現だよ。つまりそれ程俺は眠いんだよ」
頭は痛いし、瞼は重いし、気分はけだるいし。最悪の三拍子がそろっている。
『全く、それはちゃんと寝ないのが悪いだろう。自己管理位しっかりできなくてどうするんだい』
「どの口が言うか。この原因はどう考えてもお前の責任だ。自己管理妨害しまくったのはどこのどいつだ」
とはいえ、確かに昨日は深夜高校に侵入していたわけで、その後寝ても睡眠不足であるのは間違いないだろうが、それにしたってこいつさえいなければ此処まで体調が悪くなることはなかったはずだ。
『子どもに責任を押し付けるのはよくないよ』
「黙れ、他人に迷惑をかけるな」
子ども云々の前に、人として当然だ。
『迷惑といっても、君にはプレゼントをしてあげたんだけどなぁ』
「それには取り敢えずありがとうと言っておくよ。でも、時間が悪い。最悪だ」
確かにこの短剣を正しく使えるようになったのは、俺にとっておおきな利点に放った。が、俺の中での順位は睡眠が一番大切だ。
『だからこうやって、今現れたんだけど』
「言い方が悪かった。タイミングが悪い。だからさっさと引っ込んでくれ」
『仕方ないなぁ。と言いたいところなんだけど、実はさっきから式神の分家共がこっちに向かってるみたいなんだよね』
「はっ?」
それを聞いたと同時に空港内に頭をたたき割られるような、非常事態を告げる警報がけたたましく鳴った。